「はじまりの予感」(1)

風に舞い散る花弁の下、設置されたベンチに座る青年は、自分が注目を浴びていることに気付かずにいた。
微睡んだ意識は、何処か遠くへと旅立っているように見える。
 「ねぇねぇ、あの白い髪の彼、格好良くない?何か絵になるって感じ」
 「見掛けない子だね。新入生かな」
 「うん。狐様みたいだよね」
 「・・・いつも思うけど、あんたのその感覚だけは、付いていけないわ」
 「同じく」
荷物を抱えた三人の少女たちは、おしゃべりをしながらその場を通り過ぎていく。
話題は他に移りつつある中、一人の少女だけが、何度も振り返っては青年を眺めていた。

入学式を終え、新入生向けのガイダンスも一通り済ませ、履修届を提出する頃には、
新一年生もすっかり大学に馴染んでいる。
キャンパス内のあちこちで見かけられていたサークルの勧誘も、今ではその数を減らしていた。
入学したばかりの狐邑祐一も、当初は辟易するくらいの勧誘を受けていたが、
どれも『興味がない』の一言で片付けると、いつの間にか声を掛けられなくなっていた。
その後は、講義の空き時間を図書館で過ごし、昼食を図書館前のベンチで取るのが日課になっている。
大きな桜の木の下に設置されているベンチは、広げた枝が日差しを遮り、程よく風も通り抜けて行き、
昼寝を趣味にする祐一にとって、そこは気に入った場所の一つになりつつあった。
 「ここの花の色は、少し薄いな」
満開の頃を過ぎた桜の花を見上げ、祐一は小さく呟く。
生まれ育った季封村の桜は、もっと鮮やかなピンク色をしていたはずだ。
大学へ通うために村を出た日。バス停まで友人達が見送りに来てくれていた。
手を振っていた彼らの傍で、見事な桜が風に揺れていたのを覚えている。
彼らと一緒に見た桜の色を、脳裏に浮かべてみる。
自分が持つ能力ならば、目の前にそれを再現することもできるが、
祐一は敢えてその力を使おうとはしなかった。
その時、近くの学部棟から学生が溢れるように出てくる。どうやら講義が終わったようだ。
明るい笑い声と共に、連れ立って学食の方へと歩いて行く学生達。
そんな風景を眺めながら、祐一はまた、心に巣食う感情を持て余していた。
どんなに場所が変わったとしても、誰にも受け入れられない自分がいること。
再び人に拒絶されるのではないかと、常に怯えている自分。居場所を持つことのできない自分。
そんな自分自身に、祐一自らが哀れみを向けていることに気付かされる。
---------- 俺はなんて弱い生き物なんだ。

自分とは相容れない存在である学生達に、羨望と畏怖とが混ざり合った眼差しを向けていると、
ただの集団でしかないはずの彼らの中に、 まるで吸い寄せられるように視線が一ヶ所に留まる。
小さな少女が、そこに居た。
大学生の平均身長より遥かに背の低い少女は、集団に埋まるように、その場に立ち尽くしている。
教授が娘でも連れて来ているのだろうか?
祐一は、彼女に視線を留めた理由を、大学に不釣り合いな、その容姿にあると決め付けた。
すると、誰かを探すように周囲を見回していた少女が、祐一に視線を向ける。
 「!!」
距離があるからと油断していた。今更、視線を外すには遅すぎる。
祐一は、少女の視線を受け止めるしかなかった。
視線が交差したその瞬間、少女の顔が綻んだ。嬉しそうな顔で微笑む。
それは一瞬の出来事。瞬きをしている間に、少女は人垣に埋もれて、見えなくなってしまった。
 「笑って・・・いたのか?」
幻を見たような印象だった。
少女の笑顔は、目が合ったことへの照れ笑いの類などではない。
まるで、迷子の子猫が親猫を見つけたときのような、安堵した表情。それに近い。
先ほど見た少女の笑顔を、祐一はそう分析した。
 
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