「続く幸せ III」(2)

 「ま……ひろ先輩」
私は掠れた声で真弘先輩の名前を呟いた。
目を覚ました私を見てホッとした表情を浮かべた真弘先輩は、途端にムッとした顔になる。
 「んだよ、それ。旦那に向かって先輩は止めろって言っただろ。で、どうしたんだ?
 何か怖い夢でも見たのか?」
流れ落ちる涙を拭いながら、真弘先輩は気遣うように尋ねる。
夢の中で見た鬼斬丸。あの話がただの夢だと確信できないでいる私は、
真弘先輩の問い掛けに、どう答えて良いのか判らずに戸惑っていた。
 「嫌だ嫌だって随分とごねてたけど、まさか俺が無理強いしてる夢とかじゃないよな?」
なかなか返事をしない私に、真弘先輩は不安そうな顔で聞いてくる。
本気で心配してるような口振りに、私は思わず笑みが溢れてしまった。
強張った身体が解れていくのが判る。こういう真弘先輩の優しさが、私はとても好き。
 「違います。……夢の中の私は、高校生に戻ってました。だからつい、先輩って呼んで
 しまったんですよ。……ねぇ、真弘先輩。私たちは鬼斬丸を破壊したんですよね?
 あれはもう、無くなっているんですよね?」
 「鬼斬丸……か。それはまた随分と懐かしい名前が出てきたもんだな。
 あれは俺様が木っ端微塵に壊してやっただろう。忘れたとは言わせないぞ。
 おまえの旦那は世界の救世主様だ。いつまでも忘れずに敬ってろって」
そう言って明るい声で笑う。その力強い笑い声でも、私は不安を拭い去れないでいる。
玉依姫が見る暗示めいた夢。それは時に正夢になる。
夢の中で具現化した鬼斬丸は、現実感を伴っていた。
 「……鬼斬丸の夢を見たんです。鬼斬丸の力は、破壊された刀から出て、
 今は私の中で眠ってるって言いました」
そして私は夢の中で鬼斬丸と交わした話を、真弘先輩にすべて語った。
 「本当に鬼斬丸は私の中に封印されているのかな」
その事実が怖くて身震いする私は、真弘先輩の懐に潜ってしがみ付く。
優しく受け止めてくれた真弘先輩は、それまで黙っていた口を開いた。
 「教えてやるよ、珠紀。そいつはただの夢だ。玉依姫の正夢なんかじゃない。
 どっちかって言うと、珠紀自身の不安が形になって現れたって方が近いな」
 「そう……なのかな?」
 「なんだよ、俺の言葉が信じられないのか? 簡単なことだろ。
 もうすぐ新しい生命が生まれる。珠紀は無意識に、それを不安に思ってるんだよ。
 ほら、美鶴だって言ってただろ。なんだっけ。うーんっと。あっ、ほらあれだ。
 マタニティブルーってやつ。それだ、それ」
臨月に近付いた私のお腹を、真弘先輩が愛おしそうに撫でる。
マタニティブルー……か。本当にそうだったら良いのに。
 『新たな玉依姫が受け継いでいく』
夢の中で耳にした鬼斬丸の言葉が、頭の中を過る。
私が辿った運命の道を、この子に背負わせてしまうことへの不安の表れ。
私も真弘先輩の手を追って、膨らんだお腹に手を置いてみる。
何の心配もいらないよって、笑って迎えてあげたい。
 「もしも珠紀の見た夢が真実だとしても、心配する必要はないから安心しろ」
お腹に置かれた私の手を包み込むように握りしめ、真弘先輩がキッパリと断定する。
 「どうしてですか? 鬼斬丸の力が解放されれば、世界の危機が訪れるんですよ?」
 「鬼斬丸は二度と現世に現れることはない。それが判ってるから平気なんだよ。
 生まれてくる子供は玉依姫の血を受け継いでいる。玉依姫の力は封印のための力だ。
 自らの内に取り込んでいるものを、そう易々と開け放つわけがないだろ」
 「そんな簡単に言わないでください。玉依姫の力は絶対じゃないんですよ。
 封印の力が弱まったからこそ、私たちはあんなに辛い戦いをしたんじゃないですか」
鬼斬丸の封印は玉依姫の責務。その封印が弱まったことをロゴスに付け込まれ、
私たちは死闘を繰り広げた。圧倒的な力の差で、敗退を余儀なくされた戦いだった。
 「だーかーら、それは玉依姫が一人で封印してたからだろ。
 俺がなんのために生かされてたのか、おまえ、覚えてないのか?」
 「それは……」
真弘先輩に課せられていた運命。それは……。
 「俺の力の源であるクウソノミコトは、その生命をもって封印を強固なものとする。
 俺はそのためだけに生かされていた。いつかその時が来たら、俺の生命を使って
 完全な封印を施すためにな」
 「真弘先輩」
 「判ってる。別にそれを悔やんでる訳じゃいないから、気にすんな。
 珠紀とこうしていられる未来に導いてくれたんだから、むしろ良かったと思ってる。
 だから俺が言いたいのは、生まれてくる子供は俺の子供なんだってことだ。
 封印の力を持つ玉依姫と、その封印を完全なものにするクウソノミコトの力。
 この二つを受け継いでるんだぞ。鬼斬丸の力なんか軽く封じ込めるに決まってるだろ」
そう言って安心させるように、私の手をぎゅっと握る。
 「そう……ですよね。この子は私たちの子供なんですもんね。
 どんな困難があっても、きっと乗り越えられる」
 「きっとじゃない、必ずだ。ったく、珠紀は昔から怖がりだし、泣き虫だよな。
 ……でも、絶対に諦めないし、後ろを振り向いたりしない。
 だから俺はあんまり心配してないんだ。珠紀は絶対、元気で可愛い子供を産む」
そう言ってまた、嬉しそうな顔で微笑む。
待ち遠しくて溜まらないという顔を向けられると、私も途端に嬉しくなる。
何も不安に思う必要はない。この子は愛する人に望まれて生まれてくるのだから。
 「ほら、身体に触るからもう寝ろ。怖い夢を見たら、俺を呼べば良いだろう。
 すぐに助けに行ってやるから」
そう言って、軽く唇を触れさせる。優しいおやすみのキス。
私は言われるがままに目を瞑った。
真弘先輩の懐に顔を埋めると、大きく息を吸い込む。
身体中に真弘先輩の匂いを取り込んで、私は安心したように眠りに落ちていく。
今夜はもう怖い夢をみることはない。だって傍には真弘先輩がいてくれる。

完(2012.05.20)  
 
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