「ティータイム」(1)

今にも雫が落ちてきそうな、重くどんよりとした空。
まるで私のこの気持ちが、そのまま空に映し出されているみたい。
 「いったいどれだけやれば、終わりが見えてくるんだろう」
テーブルに突っ伏した状態のまま、横に積み上げられた本の山をシャープペンシルの背で突付く。
巫女としての知識を習得するためにと、蔵から持ち出してきた文献の山。
美鶴ちゃんの話では、まだほんの触り程度だってことだけれど。
後どれくらい詰め込めば、私も本物の巫女、みんなの役に立つ玉依姫になれるのだろう。
 「一生掛かっても無理そうだよね」
大きな溜め息を吐き出していると、スッと音もなく襖が開いて、美鶴ちゃんが居間へと入ってくる。
 「あっ、ごめん、ごめん。ちゃんとやってるよ、勉強」
 「うふふ。何だか鴉取さんみたいな慌て振りですね。大丈夫ですよ。サボっていたなんて
 思ってませんから。それよりお茶を入れてきたんです。休憩にいたしませんか?」
慌てて起き上がると、文献を開いて言い訳を口にする。
それを聞いた美鶴ちゃんは、クスクスと笑いながら、手にしたお盆をテーブルに置く。
湯気に乗って紅茶の良い香りが漂ってきた。
 「大蛇さんから頂いた紅茶なんですよ。珠紀様にも是非飲んで欲しい、とおっしゃっていました。
 冷めない内にどうぞ」
 「うん、ありがと。……あっ、美味しい」
少し吹き冷ましてから一口啜る。紅茶の温もりが、咽喉を通って美味しさを伝えてくれる。
 「お勉強の方はいかがですか?
 私にお手伝いできることがあれば、何でもおっしゃってくださいね」
勉強が捗っていなくて、大きな溜め息を吐いていたの。やっぱりバレいてたのかな。
美鶴ちゃんは、にっこりと微笑みを浮かべて、私に助け舟を出してくれる。
 「美鶴ちゃんは蔵にある本、全部読んだの?」
 「そうですね、殆ど読んでいると思います。でも私は、宇賀谷家でお世話になってから
 ですから、時間も掛けてますし。珠紀様は始めたばかり。あまり焦らなくても」
 「でも、読んだだけじゃなくて、ちゃんと内容を覚えてるんでしょ? あの真弘先輩だって、
 蔵の本は殆ど暗記してるのに。私なんて、一度くらい読んだだけじゃ、少しも頭に残らない」
鬼切丸との戦いの最中、玉依姫の力を覚醒させるためのヒントが欲しくて、何度も蔵の本を
探しに行った。あまり真面目に調査をしてくれない真弘先輩に、『どうせ読んでも判らないんでしょ』
と文句を言ったことがある。そんな私に、『蔵にある本はすべて暗記している』と嘯く真弘先輩は、
私が出題する質問にすべて正解してみせた。
 「鴉取さんは幼少の頃から蔵に出入りされていたと、ババ様にお聞きしました。
 ババ様が鴉取さんに蔵の本を読ませていた真意は判りませんが、
 鴉取さんにとっては、そこに自分を救う答えがあると、そう願っていたのかも知れません」
 「美鶴ちゃんは、真弘先輩に課せられた運命のこと、知っていたの?」
真弘先輩の運命。鬼切丸の封印として、その生命を捧げること。
知っているのは先輩の家族と、先代の玉依姫だったお祖母ちゃんだけだと思っていた。
そう言えば、私たちがアリアの処から戻ってきた時、美鶴ちゃんは知っていそうな素振りを
見せていたっけ。
 「私が知ったのは、随分と後になってからです。贄の儀を手伝うようになり、その恐ろしさに
 耐えかねた頃、ババ様にお聞きしました。鴉取さんが本来の使命を全うしてくれたら、
 私に与えられた役目も終わると。どうしてすぐにそうしてはくれないのだろう。
 そう思って、鴉取さんを恨んでいた時期もありました。
 何て恐ろしいことを考えていたのでしょう、私は。本当に申し訳ありません。
 あの頃にはもう、私の心は壊れてしまっていたのです」
真弘先輩が封印を完全なものにするために生命を捧げるのは、最終手段とされていた。
それまでは『贄の儀』という名の下、霊力の強い村人の生命が捧げられていた。
村人から死の恐怖を取り除くのが、言霊使いの美鶴ちゃんの役目。
その役目を強いていたのは、玉依姫であるお祖母ちゃん。
知らなかったとはいえ、もちろん私だって玉依姫。その罪は同じ。
辛そうに顔を俯かせる美鶴ちゃんを、私は申し訳ない気持ちで見返していた。
 「ううん、私の方こそごめんなさい。嫌なことを思い出させちゃったね。
 それに、ずっと美鶴ちゃんに辛い思いをさせ続けてしまったことも。本当にごめんなさい。
 私が子供の頃からちゃんと、玉依姫として修行を積んでいれば、真弘先輩にも美鶴ちゃんにも
 そんな思いをさせずに済んだのに」
 「いいえ、そんなことはありません。
 珠紀様は最後に、私や鴉取さんを救ってくださいました。とても感謝しているんです。
 だからこれからはずっと、珠紀様のお傍に居て、お役に立たせていただきます!!」
パッと顔を上げると、私の手を握りながら力強く宣言する。
美鶴ちゃんの前向きな力強さを受け取った私は、少しだけ救われた気がした。
 
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