「心の行方」(2)

振り向いた先に、真弘先輩が走ってくるのが見えた。ここまでずっと走ってきたのか、息を弾ませている。
 「少しばかり、遅かったようですね」
 「それ、どういう意味だよ、大蛇さん」
 「珠紀さんを泣かせた罪は大きい。彼女はもう、貴方の許へは戻りません。珠紀さんは、私が守ります」
卓さんは、真弘先輩を挑発するように、背後から私の両肩に手を添える。
卓さん?いったい、何の話ですか、それ?
成り行きに着いていけない私は、それでも卓さんに任せてみることにする。
卓さんが、私達に酷いことをするなんて、ないですよね。
 「・・・珠紀から・・・手を離せ。そいつは、俺の女だ。誰にも渡したりなんか、しねーんだよ」
卓さんの挑発に乗るように、真弘先輩が怒りを含んだ声で言い返す。
真弘先輩が、私のことで怒っている。私を、誰にも渡さないために・・・。
私はその事実が嬉しくて、真弘先輩の傍に駆け寄りたい衝動に駆られる。
けれど、肩に添えられた卓さんの手が、まるでそれを阻止するかのように、押さえつけた。
 「珠紀さんの心は物ではありません。心変わりだってしますよ。いい加減、認めたらどうです」
 「んなの、あり得ねーんだよ。珠紀の心が、俺から離れることは、絶対にない!!」
 「それが思い上がりだと、どうして気付かないのですか?心や想いなど、不確かなものでしょう。
 その想いが未来永劫続くなど、夢物語の中でしかありませんよ」
心に抱えていた形のない不安たちを、卓さんが言葉に置き換えていく。
目には見えない『相手を想う気持ち』。どうしてそんなに、揺ぎ無いまでに信じていられるの?
教えてください、真弘先輩。私にも、真弘先輩の私を想う気持ちが、絶対的な確信に変るように。
 「そんなの知るかよ!!俺の心は、とっくに珠紀に奪われてんだ。今更返品なんか、きくかよ」
心持ち赤くなっている真弘先輩の顔を見て、少しだけ理解できた気がした。
俺から離れることは、絶対にない。さっき真弘先輩が叫んだ言葉。
そこに隠された本当の意味は、まるで逆の言葉。真弘先輩自身が私から離れられない。
そう強く訴えていたのかも知れない。真弘先輩も、私の想いに不安を感じていたんだ。
 「ほら、言ったでしょう。ちゃんと話せば、相手は答えてくれるものですよ」
卓さんが、小さな声で耳打ちする。さっきまでの挑発は、この言葉を聞き出すためだったのですね。
私は思わず、卓さんの顔を見上げてしまった。そんなやり取りすらも、真弘先輩の怒りに拍車を掛ける。
 「なに、ゴチャゴチャ言ってんだよ。どうしても離さないって言うなら、力ずくで奪い返してやる!!」
そう怒鳴ると、私たちに向かって駆け出してくる。その時、卓さんが私の身体を軽く前へ押し出した。
 「そんな事をしなくても、珠紀さんは貴方にお返ししますよ。ちゃんと受け取ってくださいね」
 「きゃっ」
 「うわっ、危ねっ!!」
こちらに向かっていた真弘先輩の胸に、そのままの勢いで倒れこんでしまった。
 「珠紀さん。貴女はもう少し、鴉取くんを信じてあげてください。
 確かにいい加減なところはありますが、貴女に対してだけは、いつでも正直だ。
 不安になったら、その想いを素直にぶつけてみると良い。答えはきっと、返ってくるはずですよ」
真弘先輩の腕の中に収まっている私に向かって、卓さんが諭すように声を掛ける。
私はいつもそうだ。一人で悩んで、勝手に不安になって、そして真弘先輩の気持ちすらも疑ってしまう。
真弘先輩は、いつでも傍にいて、こうして私を支えてくれているのに・・・。
これからは、自分の気持ちを、素直に伝えよう。大丈夫。真弘先輩は、絶対に受け止めてくれるから。
 「ありがとうございます、卓さん」
私は小さな声でお礼の言葉を口にする。
また一歩、真弘先輩に近付くことができました。これも、卓さんのお蔭です。
 「まったく、若いっていうのは良いですね。すっかり道化役を演じるはめになってしまいました」
とんだトバッチリです・・・と呟きながら、卓さんは夕暮れの中へと消えていく。

完(2010.09.16)  
 
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