「心の行方」(1)

心の中を駆け巡っているこの気持ちは、いったい何なのだろう。
ただの嫉妬心と言うには、怒りよりも悲しみの方が、勝っている。
大事な物を手放さなければならないという、喪失感にも似た恐怖心に、それは近い気がした。
 「おや、珠紀さんじゃありませんか。どうしたのです、こんなところで」
学校からの帰り道。
モヤモヤした気持ちを持て余していた私は、少し遠回りをして帰ろうと、河原の方まで足を延ばしていた。
夕暮れの散歩を楽しんでいたのか、土手の上をのんびりと歩いていた卓さんに、声を掛けられる。
 「卓さん、こんばんは。お散歩ですか?」
 「えぇ、綺麗な夕日に誘われました。ところで、珠紀さん。貴女にそんな顔は、似合いませんよ」
卓さんはそう言いながら、私の眉間に人差し指を当てる。
 「随分、怖い顔をして歩いていましたね。また、鴉取くんと喧嘩ですか?」
どうやら、眉間に皺を寄せたまま歩いていたらしい。私は慌てて、自分の額を手で覆う。
 「喧嘩なんて・・・してないです」
何とか言葉を返すのだけれど、自分の意志に反するように、涙が堰を切ったように溢れてくる。
卓さんに逢ったことで気持ちが緩んでしまい、ここまで押さえてきた感情が暴れ出してしまった。
 「我慢は身体によくありませんよ。たまには自分の心に、素直になることも大切です。
 何があったのですか?私で良ければ、話してください」
袂から取り出したハンカチを手渡しながら、卓さんが優しい眼差しを私に向ける。
私は素直にハンカチを受け取ると、涙を拭いながら、さっき見た光景を卓さんに話し出した。
---------- 放課後の教室。
 『今日は裏庭の掃除当番だから、少し遅くなる。お前は教室で待ってろ』
真弘先輩にそう言われた通り、大人しく教室で待っていた。
けれど、いくら待っていても、真弘先輩はなかなか姿を現さない。掃除にしては少し遅すぎる。
 「待ってるのも飽きちゃったし、迎えに行ってみようかな」
何かあったのかも知れない。そんな心配を軽口で誤魔化して、私は裏庭まで迎えに行くことにした。
勢い良く教室を飛び出した私は、その途中にある調理実習室の前で、お目当ての人物を発見する。
 「うめーっ!!これ、すっげー、うめーじゃん。良いよなー、料理部は。いつでも、こんなん食えんだろ」
料理部の女の子達に囲まれて、嬉しそうにはしゃいでいる真弘先輩の声が、廊下中に響いていた。
 「えー、これくらい普通だよぉ。こういうので良いなら、私、お弁当とか作ってあげようか?」
 「鴉取先輩、来週は得意料理を作る予定なんですよ。来週も、絶対に食べに来てくださいね」
 「おーし、任せとけ!!俺様が味見してやる」
女の子達と楽しそうに笑っている真弘先輩を目にした途端、何だか酷く悲しい気持ちが心を支配する。
あの笑顔は、私だけのものだったのに・・・。そんな醜い想いが、どんどん膨らんでいく。
 「あれ?珠紀じゃん。んなとこで、何してんだよ。
 お前もこっち来て、ちょっと食べてみろって。うめーぞ、これ」
廊下の端で呆然と立ち尽くしている私を見つけて、真弘先輩が声を掛けてくる。
彼女達に向けていた同じ笑顔の真弘先輩に、私は居た堪れなくなって、その場から逃げ出した。
---------- 夕暮れの河原。
私が話している間、卓さんは静かに聞いてくれていた。
大人の卓さんにとっては、子供っぽい悩みに聞こえただろうな。呆れているよね、きっと。
 「鴉取くんの浮気現場に遭遇、ですか。それはまた、辛かったですね」
 「・・・浮気じゃ・・・ないです。多分、心変わり、って言うんだと思います」
たとえ、子供っぽい我侭だとしても。真弘先輩にとって、私だけが特別な存在でありたかった。
でも、優しい言葉を掛ける相手も、笑顔を向ける相手も、きっと他にいる。その相手は、私じゃない。
 「心変わり、ですか。それならそれで、構いませんけどね。我々にも、チャンスが巡ってくるわけですから」
卓さんは、意味ありげなことを呟きながら、微笑んでみせる。
チャンス、って何のことだろう?私は、言葉の意味が判らずに、卓さんの顔を見つめてしまった。
 「私が何を言っているのか判らない、という顔ですね。良いのですよ、それで。
 すべてが判ってしまっては、つまらないでしょう。判らないことを尋ねる。
 相手のことをより深く知っていく。その過程すらも、楽しみの一つだとは思いませんか?」
 「卓さんは大人だから・・・。私は、判らないことが多いと、不安になります。
 真弘先輩のことも、もっと判りたいと思う。ううん、私のことだって、ちゃんと判ってもらいたいです」
 「大人でも、不安がないわけではないのですがね。
 では、もう少し自分の心に、素直になってみてはいかがですか。
 鴉取くんも、貴女のことを判りたいと、思ってるようですよ。・・・ほら」
淋しそうな微笑を見せた卓さんは、私の肩越しに視線を向けると、そのまま後ろを振り返らせる。
 
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