「ねむり姫」(2)

何か引っかかっているのかと、気になって振り向くと、服の裾を白い手が掴んでいた。
布団から出たその白い手の持ち主は、もちろん珠紀だ。
 「その子の・・・名前・・・おーちゃん・・・ですよ」
一週間眠り続けていたせいか、掠れた弱々しい声で、そう呟いた。
 「珠紀、お前・・・。目が覚めたのか?」
 「えっ?」
一瞬、状況が判らない様子の表情を浮かべ、何かに思い当たったように慌てて起き上がる。
 「そうだ!!鬼斬丸!! あっ・・・」
 「バカ、何やってんだよ」
急に起き上がったせいで、目眩を起こしたらしい。倒れそうになる珠紀を、慌てて受け止めた。
 「こんなこと、してる場合じゃないです。真弘先輩を救う方法、早く探さなきゃ・・・」
俺の腕の中で震えながら、珠紀はうわ言のようにそう呟いた。
どうやら、まだ記憶が混乱してるらしい。まぁ、無理もないけどな。
俺だって、目を覚ますたびに、夢だったんじゃないのかって、疑いそうになるくらいだ。
 「んなの、もうねーよ。鬼斬丸なんて、俺とお前で、ぶっ壊しちまっただろ」
 「・・・ほんと・・・に?夢じゃ・・・ないん・・・です・・・よね?」
顔を上げた珠紀は、瞳に涙を溜めて、安堵した表情を浮かべていた。
 「あぁ、夢なんかじゃねーよ。俺様が嘘、言うわけねーだろ」
 「・・・今までに、一杯言われたような気がします」
 「言ってろ、バーカ」
こんな軽口が叩けるんだから、もう大丈夫だよな。
ホッとした俺は、嬉しくて笑い出してしまった。
 「鴉取さん、どうかされたのですか?笑い声が・・・」
俺の声を聞きつけたらしい美鶴が、襖の外から声を掛ける。
そう言えば、美鶴も随分心配していたよな。
 「あー、美鶴か。良いから、お前も入って来いよ」
俺の言葉に、美鶴が襖を開けて部屋の中へ入ってくる。
起き上がってる珠紀を見付けると、そのまま駆け寄ってきた。
 「珠紀様!!目を、覚まされたのですね。良かった、本当に良かった」
 「うん、美鶴ちゃん。心配掛けちゃってごめんね。でも、もう大丈夫だよ」
女同士、手を取り合って喜んでいた。
何となく蚊帳の外へ弾き出された気分だったが、まぁ、これくらいは我慢してやる。
美鶴も、これからは素直な気持ちで、珠紀のことを見られるようになるだろうからな。
 「んじゃ、俺は帰るとすっかな」
 「えっ?真弘先輩、帰っちゃうんですか?」
立ち上がった俺に、珠紀は何故か不安そうな顔を向ける。
 「あんま長居しても、疲れんだろ、お前も。
 美鶴、悪いけどよ。こいつに何か、美味いもんでも作ってやってくれ。
 さすがに一週間も寝っぱなしじゃ、腹も減ってんだろうからな」
 「そうですね。では、何か胃に優しいものをお作りして参ります。
 あっ、そうだ。他の守護者の方々にも、珠紀様のことをお知らせしなくては・・・」
美鶴はそう呟くと、早々に珠紀の部屋から出て行った。
美鶴の後に続いて部屋を出ようとする俺に、珠紀が声を掛ける。
 「あの・・・、真弘先輩。もうちょっとだけ、傍に居てくれませんか?
 一人になったら、全部夢だったんじゃないかって、何だか怖くて・・・」
不安そうな顔で懇願する珠紀に、何故か俺の心臓が跳ね上がる。
うわー、バカか、俺。何、トキメいてんだよ。んな場合じゃねーだろ!!
 「ったく、仕方ねーな。じゃあ、お前が寝付くまで、ここに居てやるよ」
照れ隠しに、思い切り息を吐くと、枕もとに座り込む。
それを見て安心したのか、珠紀はもう一度布団の中で横になった。
 「先輩、手・・・」
 「何処にもいかねーよ。少しは信用しろって」
そう言いながらも、差し出された珠紀の手を握ってやる。
嬉しそうに笑った珠紀は、そのまま目を瞑った。
 「・・・なぁ、珠紀。お前、覚えてるか?」
珠紀が眠りに落ちるまでの間、何もしないでいるのもつまらないので、
何となく思いついたことを口にする。
 「・・・何を、です?」
 「鬼斬丸を破壊したときのこと、とかさ」
 「・・・思い出しましたよ。真弘先輩が・・・助けてくれたこと、・・・全部」
眠そうな声で、珠紀が答える。
 「じゃあさ。蔵で話したこととかも、ちゃんと覚えてるよな?」
贄の儀を行うために、蔵に軟禁された俺を、救い出しに来てくれた珠紀。
あのとき聞いた、告白の返事。まさか、忘れたなんて、言わないよな?
 「・・・・・・」
 「おい、珠紀。何とか言えって・・・。ったく、もう、寝てんのかよ」
無言の珠紀に業を煮やし、返事を促す俺に、返って来たのは軽い寝息の音。
幸せそうに微笑んだまま眠る珠紀は、先ほど見た陶器のような顔ではなく、
今度こそ、ちゃんと生きていることを実感させてくれた。
 「まぁ、いっか。もし忘れちまってても、もう一度俺が口説き落としてやるからよ。
 そんときは、お前、覚悟しとけよな」
握っていた手を、布団の中へ戻してやると、俺はそっと珠紀の部屋を後にした。

完(2010.01.04)  
 
BACK  ◆  HOME