「未来の目標」(2)
気持ちを切り替えるように吐き出した息が、風に乗って縁側の外へと吹き抜けていく。
「ったく、勝手なことばっか言いやがって。俺はいつだってやる気充分なんだよ。
オマエも、あんまり大蛇さんの言うことなんか、気にすんじゃねーぞ」
いつの間に目を覚ましたのか、大きく腕を上げて伸びをする真弘先輩が、欠伸混じりで言う。
いつから起きていたんだろう。話、聞いていたよね?
「真弘先輩、起きてたんですか?」
「あんなデカイ声で話してたら、誰でも目が覚めるだろ。
ったく、二人してなんだよ。俺をそんなに“できない君”にして楽しーのか」
「そんな話、してませんよ!!」
真弘先輩が拗ねたような言い方をするので、つい言い返してしまった。
このまま違う方向へと、話題が向いてくれれば良い。
卓さんとの話は、真弘先輩にとって楽しい思い出ではなかったはずだもの。
そんな私の期待も、あっさりと打ち消されてしまった。
揶揄うような表情から真剣な眼差しへと切り替えた真弘先輩が、真っ直ぐに私を見る。
「オマエ、何で答えなかったんだ? 大蛇さんの質問。
まだ何も決めてない、ってことはないんだろ?」
「それは……」
卓さんの質問。私の目標。大学を卒業した、その先にあるもの。
真弘先輩には、思い出話よりもこちらの方が気になっていたの?
卓さんには言い淀んでしまった答え。真弘先輩は、許してくれるだろうか。
「私の目標は、この村で、この玉依毘売神社を守りながら、人間とカミとの調停役をすること。
そのために必要な知識を身に付ける。大学へ行く理由は、それだけです」
この村で私ができること。それはきっと限られていると思う。それでも出来る限りのことをしたい。
でも、私がここに残ることが、真弘先輩の行動を縛り付けてしまうことになるのなら。
私がそれを望むことなんて、許してはもらえないよね。
そんな不安が伝わってしまったのだろうか。私の言葉に、真弘先輩が異を唱える。
「何でだ? 珠紀はもともと、この村の出身じゃない。そんなこと、する必要はねーだろ。
自分は玉依姫だから、なんて言うなよな。そんなの、結局は後付の理由にしかならない。
玉依姫なんて、嫌なら美鶴にでもくれてやれば良いんだ。アイツだって巫女の血筋だ。
充分に役割は果たせる」
ウンザリしたような言い方で吐き捨てる。
真弘先輩、私が玉依姫になるのが、そんなに嫌ですか?
「……真弘先輩は、この村が嫌いなんですか?」
「あ? 俺のことは関係ないだろ。俺はオマエの将来のことを」
私の問いに、訝しげな顔を向ける。その視線を真っ直ぐに捉え、真弘先輩を見返した。
きちんと話そう。私の望み。私が本当にやりたいと思っている、そのすべてのことを。
それを聞いて、それでも真弘先輩がこの村を離れて、自由に生きたいと言うのなら、
私にそれを止める権利はない。たとえ離れていても、大丈夫だよ。
真弘先輩への気持ちは、絶対に変わらないもの。
「私は好きですよ、この村。だからこそ、この村を大事にしたいって思ったんです。
私、前に言いましたよね。神社仏閣巡りが趣味だって。
小さかった頃は、学校が休みになると、お祖母ちゃんを訪ねてこの村へ来てたんです。
ここの雰囲気が好きで、森へ行ってよく一人で遊んでました。あの時には気付かなかったけど、
カミ様にも逢ってたんですよ。森での出来事を、お祖母ちゃんに話すのが楽しかった。
あの頃の気持ちを、私は今でも忘れてないんです。玉依姫は、関係ありません。
私が、この村が好きで、カミ様が好きで、みんなと一緒にいたいって、そう思うんです」
小さかった頃、不思議な生き物を見た。空想の産物だと、いつしか忘れ去っていた記憶。
でも、今なら判る。あれはカミ様だった。私が子供の頃は、まだ無害なカミ様が多くいた。
誰にも祀られない溺神が増え始めたのは、ここ数年のこと。
卓さんにそう聞いた時、私は決めたの。そんな淋しいカミ様を減らしていきたい、って。
どうか真弘先輩、判ってください。私は、私の意志で、そう決めたんです。
私の願いを受けとめてくれたのか、真弘先輩の纏っていた空気が軽くなった気がした。
優しい笑顔が浮かんでいる。
「……そっか。オマエがそう決めたんだったら、良いんじゃねーの。
玉依姫の使命感とか言われたら、思いっ切り反対してやるんだけどな。
役割とか運命とかに縛られるのは、もうウンザリだ」
「そういうのとは違いますよ。これは私の意志なんです。玉依姫の話がなかったとしても、
きっとこの村へ来ていました。私にとっては、ここが故郷みたいなものなんです」
一番落ち着く場所。その場所を故郷と言うのなら、私にとってこの季封村が故郷になる。
自然豊かなこの村を、私はずっと守っていきたい。
「さっきの答えだけどな。俺も、嫌いじゃねーぞ、この村。逃げ出したいって思ったことはある。
その気持ちも嘘じゃねーけどな。それ以上に、好きだって気持ちの方が上だった。
じゃなきゃ、命を投げ出してでも守ろうなんて、思わねーだろ、普通」
「真弘先輩」
卓さんとの話を思い出す。蔵で見つけた蔵書。真っ黒に塗り潰されたページ。
この村には真弘先輩の辛かった記憶も、たくさん残っている。
もう誰にそんな思い、させてはいけない。すべてを受け入れて、そして大事にしていこう。
「んだよ、そんなシンミリするようなことか? まっ、目標があるっつーのは良いことだよな。
よし、判った。俺も力を貸してやる。俺の知識は、あの蔵と同等だぞ。
大学で学ぶことより、遥かに役に立つってもんだろ。俺もこの村で、カミの居場所を守る。
どうせ俺たちが持つ異能は、典薬寮に管理されるんだろうからな。
あいつらの好きに使われるより、オマエのために使う方がマシだ」
いつもの不敵な笑顔を浮かべると、そう断言する。
この村を離れずに、一緒にいてくれるの? 自由な世界ではなく、私の傍に……。
嬉し涙が込み上げてくる目を見開いて、真弘先輩を見つめる。
そんな私の視線を一瞬だけ受け止めて、そのまますぐに逸らされてしまった。
「真弘……先輩?」
「ずっと一緒にいる。俺はオマエと共にある、って誓ったんだから……な」
視線の行方を探していると、頬を赤く染めた真弘先輩の顔が徐々に近付いてきた。
その理由に行き着いた私は、耳元で囁く声に導かれるように、そっと目を閉じる。
「そろそろよろしいでしょうか。お茶が冷めてしまいますよ。
それとも、もう休憩は終わりにして、勉強を始めますか?」
「……っ!!」
思いがけない程の近い声に、私と真弘先輩は大慌てで身体を離す。
卓さん、いつからいたの? もっと早く声を掛けてくれれば良かったのに。
その後暫くは、私も真弘先輩も、赤くなる顔をどうすることもできずにいた。
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