「ジャンケン勝負」(1)
規則正しく響く包丁の音。
グツグツと煮えるお鍋からは、美味しそうな香りが漂ってくる。
台所では、美鶴ちゃんが無駄のない動きで、朝食とお弁当の準備をしていた。
「珠紀さま。すぐに出来ますから、居間の方でお待ちください」
背中を向けたままの美鶴ちゃんが、味付けを確認しながら少し呆れたような声で言う。
「うん。でもほら、美鶴ちゃんの料理って、見てるだけでも勉強になるから」
所在なげに佇んでいた私は、苦笑いを浮かべながら、そう言葉を返すしかない。
ここ数日、台所に入り浸っている私。
料理をする美鶴ちゃんの邪魔にならないようにと、少し離れた位置から眺めていた。
それでも気が散るのか、何度も困ったような視線を向けられる。
「そんな必要はありませんよ。家のことはすべて私にお任せください。
それが私に与えられた役目なのですから」
一通りの準備を整えた美鶴ちゃんが、笑顔を浮かべて振り返った。
「ううん、そんなのダメだよ。
私にだってやれることはあるんだから、何でも手伝わせて!!」
同年代の女の子が、ずっと家事ばかりしてるなんて、そんなの絶対におかしい。
面倒を掛けているのは私の方だから、この言葉に得力がないのは判っているけど。
自分のことは自分で何とかする。それくらい、私にも協力させて欲しい。
「……それでも、今日の料理当番は私ですよ。
さぁさぁ、すぐに仕度をしますから、あちらへ行っていてくださいな」
一瞬何かを考える様に間を開けてから、悪戯を思い付いたような笑みを浮かべる。
「私に勝てれば、いつでもお当番を変わって差し上げます」
背中を押されながら、台所を追い出されてしまった。
『私にも料理を作らせて欲しい』
お祖母ちゃんの家に来る前から、私だって家事をしてたんだもの。
美鶴ちゃんには負けるけど、料理には自信がある。まずはここから始めてみよう。
私は事あるごとに、そう言って頼んでみた。
渋る美鶴ちゃんを説得するのには時間が掛かったけれど、
最近になって漸く折れてくれた。一つだけ条件を付けて……。
『それでは、ジャンケンをして勝てた方が、お当番をする。どうですか。
珠紀さまも、これなら納得していただけますよね?』
それ以来、料理当番を賭けてのジャンケン勝負が始まった。
「……さすがに全敗はキツイなぁ」
「んだよ、でっかい溜め息なんて吐いて。飯が不味くなるだろ」
どうやら考えていることを口に出していたらしい。
私の声を聞き付けた真弘先輩が、焼きそばパンを銜えながら、
うんざりとした声を返してくる。
お昼休みの屋上。
今日も美鶴ちゃんが作ってくれたお弁当に箸を走らせながら、
私は朝の出来事を思い出していた。
「だって真弘先輩。美鶴ちゃんってジャンケンも強いんですよ。
未だに一度も勝てないなんて、悔しいじゃないですか」
「美鶴が強いって言うより、珠紀が弱すぎるんだろ。
珠紀が相手なら、俺だって負けない自信がある」
拗ねたように言う私の横から、拓磨が横槍を入れてくる。
「ジャンケンなんて、強いも弱いもないでしょ。じゃあ、拓磨。私と勝負してみる?」
ムッとした顔で拓磨に言い寄る私に、傍に居た慎司くんが困ったように慌てだす。
「まぁまぁ、二人共、落ち着いてください。ほら、あれですよ。
女の人はよく言うじゃないですか。台所に主婦は一人で良いって。
美鶴ちゃんもそう思ってるんじゃないですか?」
「慎司、そんな週刊誌ネタ、何処から仕入れたんだ?」
咄嗟に思い付いたことを口にする慎司くんに、呆れた声を返したのは真弘先輩。
祐一先輩も拓磨も、同じような表情を浮かべている。そして私も。
それに気付いた慎司くんは、真っ赤な顔で俯いたまま黙ってしまった。
「そうではないだろう。美鶴は多分、居場所がなくなるのを恐れているだけだ」
「居場所を?」
微妙な空気になってしまった雰囲気を変えるように、祐一先輩が言う。
意味がよく判らなくて、私はその言葉を繰り返した。
「ババ様や珠紀の世話をすることで、宇賀谷家に居場所を得たと、
美鶴は思っている。だが、珠紀が自分の世話を自分でするのなら、
そこに美鶴の役割はない。いつか言蔵の家へ帰れと言われるのではないかと、
不安に思っているのだろう」
「そんなこと!!」
私は思わず声を荒げた。大きく首を横に振って、祐一先輩の言葉を否定する。
「私、美鶴ちゃんはずっと家に居てくれるんだって思ってます。
役割があるとかないとか、そんなの関係ない。家族ってそういうものでしょう。
みんなだってそうだよ。これからだってずっと一緒に……いてくれますよね?」
「珠紀先輩」
俯いていた慎司くんが、私を強い眼差しで見据える。
ずっと居場所を探し続けていた慎司くんも、祐一先輩の言葉を、自分のことのように
受け止めたのかも知れない。
そうだよ、慎司くん。慎司くんだって、ずっとここに居て良いの。
力があるとかないとか、そんなこと関係ない。
慎司くんが慎司くんとして、この場所にいてくれるだけで、私は嬉しいんだから。
「良いんじゃねーのか、それで。珠紀がそう思ってるってことが、一番大切なんだ。
それ、美鶴にちゃんと言ってやれ。遠慮して言いたいことも言えないなんて、
それこそ家族じゃないだろ」
「真弘先輩」
事の成り行きを見守っていた真弘先輩が、そう言ってニヤリと笑う。
真弘先輩のその笑顔が、私に勇気を与えてくれた。
今夜、美鶴ちゃんにちゃんと伝えてみよう。私たちはこの先もずっと家族なんだって。
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