「儚い望み」(1)

鬼斬丸がこの世界から消え、カミ達も落ち着きを取り戻してきた頃。
私達の生活も、以前と変わらない穏やかなものになっていた。
生死をも危ぶむ緊張した日々が、まるで遠い昔のように感じられた。
それはまるで夢でも見ていたかのように……。
 「珠紀先輩、どうかしたんですか?」
慎司くんの声に、ハッとして我に返る。
慌てて周りを見回すと、少し首を傾げてこちらを見ている慎司くん。
隣に座っている拓磨も、珍しくクロスワードパズルの本から顔を上げている。
それからフェンスの前で転寝をしていたはずの祐一先輩とも目があった。
 「なんだ、オマエ。飯食いながら眠っちまってんのか?
 食うか寝るか、どっちかにしろよ」
そして頭上から、真弘先輩の揶揄う声が降ってきた。
 「そんなんじゃありません!!」
私は振り向いて抗議するけれど、握りしめているお箸が説得力のなさを
物語っている気がして、慌ててそれをお弁当箱の上に戻した。
 「ちょっと……考え事をしていただけです」
そう言ってまた、チラリと声のした方を見上げる。
屋上への出入り口。その屋根の上に座って、焼きそばパンを頬張っている
真弘先輩の姿が見えた。
初めて逢った時も、真弘先輩はそこに座っていたっけ。
青空を背景に私や拓磨を揶揄うように笑っていた顔を、
はっきりと思い出すことができる。
それから暫くすると、祐一先輩と同じようにフェンスに寄り掛かっていることが
多くなっているのに気が付いた。
私の座るこの場所から、真弘先輩の姿がよく見えるようになっていたから。
ロゴスと戦っているときには、大きな声で話すような内容でもなかったし、
いつの間にかこのテーブルに、みんなが集まることが多くなっていた。
みんなとの距離が近付いた気がして、私はそれが嬉しかったのに、
全てが終わった途端、またテーブルから離れていってしまった。
真弘先輩なんて、私の視界からも遠ざかって……。
心を掠める淋しい思考を、頭上から聞こえるチャイムの音が遮った。
 「あまり食べていないようだが、大丈夫か?」
お弁当箱を片付けている間に、みんなは先に教室へと向かってしまった。
最後に残っていた祐一先輩が、私の肩を叩いて心配そうに言う。
 「そんなことないですよ。ちゃんと食べてます。
 私、元気だけが取り柄だから、食欲もバッチリ……」
わざとらしい空元気に、祐一先輩の瞳が呆れたように細くなる。
その瞳に見据えられて、残りの言葉が出てこない。
 「俺は幻術を操るのが上手い。この力は人にまやかしを見せるものだが、
 その反面、人のまやかしを見破るのにも長けている。まやかしとは嘘も同じ。
 特に珠紀の嘘なら、こんな力がなくてもすぐに見破れる」
 「嘘だなんて……そんな……」
空元気なんて、嘘も同じだよね。私は居た堪れないように俯いてしまった。
 「……悩み事は、どうせ真弘のことなのだろう?」
 「祐一先輩の力は、悩んでいることまで判るんですか!!」
胸の内を言い当てられて、私は思わず顔を上げる。
小さく息を吐き出す祐一先輩の顔には、優しい笑顔が浮かんでいた。
 「珠紀も真弘も単純だからな。言っただろう。
 力などなくても、お前たちのことなら見ていればすぐに判る。
 特に真弘は、態度があからさまだ」
とっくにチャイムは鳴り止んでいて、既に授業は始まっているけれど、
祐一先輩はそれを気にすることもなく、また私をベンチに座らせた。
抱えていたお弁当箱の袋を膝の上に乗せると、持ち手の部分を強く握り締める。
まるで覚悟を表すように……。
 「話を、聞いてもらえますか?」
横に座る祐一先輩に、ここ数日抱えている不安や悩みを、
私は静かに語り始めた。
鬼斬丸を巡る戦いの中で、私と真弘先輩は互いに想いを通じ合わせた。
あの時二人の間にあった想いは、玉依姫と守護者としての関係ではない。
きちんと恋人同士という関係になれたと……、そう信じていたのに。
日常が戻ってきてからも、真弘先輩は変わらずに私の傍にいてくれる。
学校への送り迎えやお昼休み。取り留めのない話に笑ったり、怒ったり、
軽い冗談を言い合って燥いだり、いつもと変わらない真弘先輩がいる。
でも、傍にいてくれる真弘先輩との距離が、少しずつ広がっている気がした。
初めは手が触れるくらいの距離だったのに、いつの間にか手を伸ばさないと
届かない距離にいて、今では屋根の上を見上げなければ真弘先輩の姿を
捉えることもできない。
声を掛ければすぐにでも返って来るのに、
その間には見えない壁がある気がして、私はそれがとても怖くなっている。
 「真弘先輩は、もう私のことなんて好きじゃないのかな。
 ただの玉依姫と守護者の関係に戻りたいって思ってるのかな。
 そう考えたら怖くなって、どうしたら良いのか判らないんです」
持ち手を握り締めている手が、微かに震えていた。
 「二人の間に何かあったとは感じていたが。まさかそんなことだったとはな」
 「すみません」
そんなに判り易かったのかな。
みんなと一緒にいる時は、いつも通りにしていたつもりなのに。
 「最近の珠紀は、いつも俯いていたから気付かなかったかもしれないが」
独り言のように前を向いたまま、祐一先輩が口を開く。
……いつも俯いていた?
言われるまで、今も俯いていたことに気付いていなかった私は、
顔を上げて祐一先輩を仰ぎ見る。
 「いつも珠紀を気遣うように、真弘はオマエだけを見ていた。
 真弘が関係を変えたがっているなど、オマエの考え過ぎだ」
 「真弘先輩が……私を? それなら、何であんなに離れていくんですか?
 私の傍から、どんどん離れて……。いつか何処かに行ってしまう気がして」
私は涙を堪えながら、小さく絞りだすような声で、怖い、ともう一度呟く。
 「それは俺にも判らない。真弘が何を考えているのか。どう思っているのか。
 それが判るのは真弘だけだ。
 珠紀が本当に知りたいと思うなら、本人にそう聞けば良い」
 「真弘先輩に……ですか?」
そう聞き返す私に、祐一先輩は当然だとばかりに、力強く頷いた。
 
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