「望み」(1)

気持ちばかりが焦ってしまって、何だか落ち着かない。
ここは卓さんの家の居間。庭からは、風に乗って花の香りが漂ってくる。
いつもなら、これだけで落ち着ける空間になるはずなのに・・・。
ここに卓さんがいないというだけで、こんなにも落ち着かない場所になってしまう。
さっきからソワソワとしては、立ったり座ったりを繰り返していた。
特に約束を交わしていたわけではない。
放課後は、卓さんと一緒に過ごす。私が勝手にそう決めていただけ。
そんな私を、卓さんはいつも、優しい笑顔で迎え入れてくれた。
でも、本当は卓さんにだって、色々と予定があったんじゃないのかな。
今日みたいに・・・。
放課後、いつものように一度家へ帰った私は、すぐに卓さんの家にやってきた。
でも、玄関の三和土に、たくさんの靴が並べられているのを見て、驚いてしまう。
 「申し訳ありません、珠紀さん。書道教室の方が、少し延びてしまっていて・・・。
 すぐに終りますから、居間で待っていてくださいませんか?」
応対してくれた卓さんは、困ったような笑顔を浮かべて、そう言ってくれたのだけれど。
 「いえ、そんな・・・。私、今日は帰ります。お仕事中なのに、邪魔してごめんなさい」
頭を下げてそう言うと、早々に玄関を飛び出す。
卓さんは、そんな私を追いかけてくると、そっと後ろから抱きしめた。
 「それはダメです。貴女との時間がこれだけだなんて、そんなこと、絶対に許しませんよ」
 「・・・ずるいです」
そんな風に言われたら、帰れないですよ。
ううん。こんな風に抱きしめられたら、もう離れたくなくなっちゃいます。
 「えぇ、私はずるいんですよ。知らなかったのですか?」
優しく笑う卓さんは、帰りかけた私を連れ戻すと、居間へ案内してくれる。
 「さっきの続きは、後で二人きりのときに。
 生徒さん達は、早々に帰してしまいますから、もう暫くこちらで待っていてくださいね」
そう言葉を残すと、卓さんは書道教室の方へと、戻ってしまった。
 「・・・ホントに、ずるいです。卓さん」
ポツンと居間に取り残された私は、さっき見た光景を思い出してしまう。
玄関の三和土に並んでいた靴。どれもみんな、女性物だった。
品のある落ち着いた色合いの草履。大人の女性が履きそうなハイヒール。
どの靴も、きっと私には似合いそうもない。
いつまでも、追いつくことのできない子供なのだと、自覚させられてしまう。
 「ダメ、ダメ。こんなことで落ち込んでいたら、ますます子供扱いされてしまう。
 よーし、こうなったら、敵情視察。どんな生徒がいるのか、確認してこよう!!」
頭を一振りして気持ちを切り替えると、その場で立ち上がった。
そしてまた、すぐに座り込んでしまう。
 「覗き見の方が、端たないよね。
 こういうとき、どーんと構えて見守っている方が、大人な女性って感じがするかな」
そんな思いを何度も往復させては、立ったり座ったりを繰り返していた。
そのとき、テーブルに置かれていたノートパソコンから、『ポーン』という音が流れてくる。
 「何の音だろう?」
卓さんのノートパソコン。
鬼斬丸の戦いのとき、卓さんが調査していた資料を見せてもらったことがある。
その後も、何度か教えてもらったりはしたのだけれど、私には少し難しすぎた。
どうせ見ても理解できない。そう安易に思ってしまったのが、間違いだった。
テーブルに置かれたマウスに軽く触ると、スクリーンセーバーが消え、ディスプレイが明るくなる。
画面に表示されていたのは、「新着メールが届きました」のメッセージと、
メールボックスに保存されているメールの数々。
見なければ良かったと後悔したときには、もう遅かった。
 
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