天橋立1(04.03.29-30) 


 先日、天橋立に行ってきた。近くに仕事で行ったのだが、合間に観光もした。天橋立は京都府の日本海側で、京都駅から特急で約2時間のところである。

 天橋立は宮津湾にできた砂洲で、全長約3キロメートルにわたって白砂の松林が続いている。日本三景のひとつであり、古くから歌にも読まれている。

奥に見えるのは日本三文殊の一つである智恩寺。 智恵の文殊として知られている。(文殊とは文殊菩薩のこと。)

 文殊の智恵にちなんで、智恵の餅というお土産が名物になっている。

 智恩寺の本堂。その他、仏像・多宝塔・地獄極楽絵図などの重要な文化財が多く蔵されている。

 文殊さまの智恵の輪灯籠。この輪をくぐり抜けると、知恵を授かるご利益があるとのこと。

 天橋立の南側にあるビューランドから見た天橋立。飛龍観とよばれる景色で、股の間から見る股のぞき が有名である。

 今回は行かなかったが、府中から見た天橋立。一文字に見えるこちらの景色のほうが有名である。

 宮津湾に停泊している鉱石船。ここから鉱石をはしけに乗せて、天橋立を横切って陸揚げする。

 その際、天橋立にかかる二つの橋のうち一つが回って、阿蘇海(天橋立より内側の海)との行き来ができるようになっている。

 これがその廻旋橋で、今まさに回り始めたところ。

 回った橋の横を船が通っているところ。橋が回るのが珍しいということで、一つの観光名物になっている。

天橋立ミニ知識

(1)天橋立は大江山の麓を流れる野田川から押し流しされた砂が、宮津湾からの海流の押し返しによりできた全長3.6Kmの砂洲(または砂嘴)である。その昔、神々が天に通うためにかけた橋と伝えられている。なお、砂嘴(さし)とは沿岸流によって運ばれた砂礫が湾口の一方の端から海中に細長く堆積して堤状をなすもので、これがほぼ対岸まで達しているものが砂洲(さす)である。

(2)天橋立は日本三景のひとつとして古くから歌にも読まれており、その代表的なものに「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天橋立」(小式部内侍)がある。小式部内侍は有名な歌人の和泉式部の娘で、母の才能を受け継いで小さい頃から高い評価を受けていた。しかし、あまりの歌のすばらしさに母親の和泉式部が代作をしているのでは、という噂がたっていた。ある時、藤原定頼という男性が小式部内侍の部屋の前を通りながら、「母上のいる丹後から、今度の歌合わせのための手紙は来ましたか?」とからかったとのこと。その時とっさに詠んだのかこの歌である。なお、和泉式部は夫の藤原保昌が国司をしている丹後に住んでいた。この歌の意味は、

 母のいる丹後の大江山には、幾つもの野を越えて行かなければならないので、丹後の生野はもちろん天橋立だってまだ踏んでもいないし、母からの手紙だって見てはいませんわ。

 というもので、「生野」と「幾野」、「踏みもみず」と「文も見ず」という2つの掛詞を使った技巧的な歌を即興で詠んだことで、藤原定頼は慌てて逃げていったとのこと。なお、藤原定頼は小式部内侍のボーイフレンドだったとのことで、自分の彼女をちょっとからかうつもりが、返り討ちにあってしまったということである。

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