雑記帳 4
08年 1月△日 カメラをいじりだしてから、かれこれ7年にもなるかなぁ… いつものように朝、花を探しながらチャリに乗ってあちこちしてた、真冬で花もない。 いつもの私のチャリエリアなのだけど、 たまたま民家と少し離れた場所にサンシュユの木があるので蕾がついているか?とチェックしていた。 「あるある…少しだけど 蕾が…」 と思いながら木の下から出てチャリに乗ろうとしたら、 「もしもし、なにをされているのですか?」と男の人が話しかけてきた。 「えっ?私ですか? 花の写真を撮っているんだけど…蕾を見てたんだけどぉ、なんで?」 …と私は答えた。 がぁ、よぉく見るとおまわりさんじゃあないかいっ(汗笑) だよねぇ、帽子もおまわりだわい(爆) 「もしかして 私、怪しいと思われたわけぇぇ?」 …と私。 「いえ、そうじじゃなくて、○丁目の○△番地の○□さんの家が…」…とモゴモゴ答えたおまわりさん。 「うそだろ? 怪しんでいたなぁ?」 と、思ったけど言葉にはしなかったが(笑) 私がじっっと見ていたら また「○丁目の○△番地の○□さんの家が…」 と言ってる(爆) おまわりさんがなんでそんな住所なんか私に聞くんだぁ? 聞かれる側のお仕事なんでしょ? …「あやしいぞ、おまえのほうが」 結局、私は木の下からモソモソ出てきたから職質をされたんだよなぁ〜(^^; そうだぁねぇ、おまわりさんから見たら挙動不審だもんねぇ、私のしてることは(笑) 職質をされたのは学生の時に一度、あれ以来経験してなかったなぁ。 それにしても、私のチャリエリアはほとんどのお宅とか畑の持ち主さんに挨拶をしてあるし、 それも7年に渡って毎日のようにぐるぐる周って撮っているのだから、 私の名前を知らなくても「あのカメラのおばさん」だとは みなさん知っているから… 知らないのはおまわりさん もぐりのあんただけぇ〜(爆) とは言うものの、たしかに怪しい動きをしてるわなぁ、リュックを背負って上や下をごそごそと(爆) 下手な横好きのカメラをいじってるかぎりはこれからもこんなことがあるかもしれない… 今度は私のほうから質問してみるっかな?(笑) 「おまわりさん、花の咲いてる場所はどこですかぁぁ?」 なんてさ へへっ♪(*^^*) |
07年 1月△日 ベランダで洗濯物を干しながら いつも思い出す… 仲良しだったNちゃんのこと… あれは二度目の入院中だったかなぁ? 彼女のこだわりは洗濯ものを干すこと 干し方にあった。 病棟の洗濯機は1台しかないから 順番待ちで早く済ませるのと、 少しずつだからもったいないので いつも2人や3人分仲良しはまとめて洗濯をしていた。 みんな干す時は自分流に適当に干していた けど、Nちゃんは違っていた まず、タオルはきっちり半分のところで線を引いたように干す、 (そんなだと早く乾かないけどな…四分六か七分三に干したほうが…(^^;) それも少しでもゆがんでいるのは許さない(爆) パジャマの上着もハンガーに吊るしてから そこで手でパンパンと胸から腕からきっーーちり縫い目に沿ってまっすぐにする パジャマのズボンももちろん中側の縫い目をピーンと伸ばし 外側の縫い目に沿ってもぴーんと伸ばしてアイロンをかけたようにきっちり。 私が干したものもあとから干し直す(爆) 下着ももちろん。 これが彼女のこだわりだった。 乾いてからたたむ時もその調子で少しでもゆがむときっちり定規で測ったように直す(爆) それはそれで良いことなのだろうが・・・彼女にはそのつもりはないのだろうけど 周りには自然にそれを強いることになってしまう。 病気で入院してるのだし、とうぜん体力がないわけで 洗濯物を干すだけと言っても、 それすらとても辛かったぁ〜気持ちよりも身体がっ。(私の場合は…(^^;) 私は早くすませてベッドで横になりたいばっかりだったし… 彼女は病気もいちばん軽くてしかも若くて体力は有り余っていたからなぁ〜(笑) 「身体が辛くて入院してるのに、そんなにきちんとできるくらいなら、誰も入院なんぞしないわ…」 当時の私はそう思っていた。f(^^;) 周りのみんなも干す時は彼女からは一歩ひいていたな(爆) それで 私はいちど彼女に聴いた。 「なんでそんなに干すのにこだわるの? ねぇ? どうして普通に干したらあかんのかな?」って、 そしたら彼女はいつもデカい声なのにことさら小さい声で、 「ねえさん… それ言わないでください…」 はんべそで答えた。 なんで?泣きそうになるのかな? 答えになってないけど…これは消極的な拒絶なんだろうか? はて…? いつもはお互いに言いたいことを言い合ってた仲なのに、この返事は? なして?(爆) それ以来 私はそのことにはいっさい触れなかったな…(^^;) ともあれ 彼女には入院中はいろんなことで世話になって今でも感謝している。 さて、退院してからの私は 洗濯ものを干すのにすべて彼女のようにとはいかないまでも より彼女の干し方に近い方法ですませている なによりも そうして干すと早くてキレイにたためるし、気持ちも良い。(笑) 人と触れ合うのって得ることが多いのねぇ… Nちゃん♪ あの時は聞いて困らせちゃってごめんね♪ 今では体力もついたし素直にNちゃん風に干してたたんでいるよ〜(^m^) 今度見に来るぅ?(笑) なんにでもだけど “オレ流” “私流”があるんだよね・・・ それが良いことならば 素直に取り込んで私流にしたら良いと思うのね。 |
11月▽日 今年も干し柿作りの季節がやってきた。 干し柿を作りだして もう何年になるのかなぁ? 四半世紀とまではいかないにしても、かれこれ20年 毎年剥いてるっかな… 以前に何度か入院した時も退院に合わせたかのように 退院直後に渋柿が届いたっけ。(^^;) 渋柿は旦那が会社の知人から頂いてくるのだけど、 去年は不作だったから 今年は豊作らしい・・・と思っていたものの あれほどの数だとは、 いやはやびっくりしたわ〜多いってもんなじゃないない(爆) 大小三種類ほどある渋柿が なっ、なんとダンボールやデッカイバケツに数杯! 今までにも数が多かった記憶は350個くらいだったが それ以上に多い… うんむぅ… 多い、多すぎぃ・・・うなったわ(爆) 以前に柿をイッキに剥いて腱鞘炎になって半年ほど辛い思いをしたもんだから(^^;) それでもこりないあたいは…オバカ(爆)
そんなこんなで また今年も柿剥き作業が始った |
6月△日 あのこが帰らなくなって…来なくなって、と言うべきかな? 10日以上の日が経ってしまった。 今までどんなに長く空けても1週間ほどでふらふらと帰ってきたが… それに あの頃は若くて丈夫だったから どこかで可愛がってもらってるとか 安心してたが 最近のあのこは猫界の争いでボロボロになっていた アルツ(タマ)がもういない…よな。 野良猫の一生は短い、 よくもって3年 3年もしたら同じ猫の顔を見ないことが多い タマは5年だから まだ長生きのある意味“幸福猫”だったかもしれない それに 周りの野良猫は手術を受けているが タマはその性格から お医者に手術をしなくても良いと言われてそのまま♂を生きた。 手術を受けて、♂同士の争いもなくハーフっぽくなって近所をホイホイと のんびり散歩して長生きするのが猫にとって幸せなのか? それとも。 世間では野良猫に対する さまざまなな意見があったり 責任を問われたりもしているけども…それはまた別の話。 良い猫だった…日が経つにつれて、ますます愛しくってたまらない 他の猫たちは今もべランダへ遊びに来るし 可愛いけれど タマの代わりにはならない。 近所を散歩してると猫や犬が飛んでくるから… 「あんたタマ知らない?」って、聴いてはいるものの 「… …ワン♪」「…ニャ〜〜♪」 とだけ(汗笑) あのこがいないのは すでに猫も犬も知ってるな。 人間には解らない猫や犬の世界の掟とかルールもあるんだろうなぁ。 しかたがないな、以前からタマに言ってた言葉 「あんたが私んちにいる時は面倒みてあげられるけど たぶん あんたの骨は拾ってあげられないよ。」…と。 最近はあのこが散歩に出るたびに「もう帰って来られないかもな…」と予感してたし それでも徘徊をやめられなかったあのこ。 ♂猫としての一生を頑張り通したんだね? タマよ。 5年ちょっとの一生でも 私なんかの一生よりも燃焼できたかもしれないね。 …ひょっとして ひょっこり帰って来たら怒るぞぉーー ・・・怒りたい。 |
06年 11月▽日 病院の待ち時間に時々自販機でホットココアを買って飲んでる… それで想い出すのが「缶コーヒー」事件(…と言っておこ(笑)) 入院中はほんとにたくさんの人たち(患者さん)から良くしていただいたけど・・・ なかでもちっぽけな出来事なのにとても心に残る事件?(笑)があった。 男性患者のBさん・・・白髪がきれいで背筋がシャンと伸びていて 良く言えば学者さんタイプ それなりに言えば頑固な爺さま風かぁ〜(笑) いつも寡黙な人で 静かにお掃除してくれてたりで、 すれ違う時に「おはようございます」・・・と挨拶するていど・・・ Bさんも黙って頭を下げるだけで声など聞いたこともなかったし、 もちろん言葉など 入院中数ヶ月間一度も交わしたことがなかった。 ある日の午後、安静タイムだから みんな静かにベッドの上で寝たり本を読んだりしてた ・・・病室がしーーんとしているなか・・・ ツカ ツカ ツカ♪と誰かが入ってきたと思ったら 「○○さん 僕がコーヒーをご馳走しますっ、召し上がってください」 あ゛ あ゛ あのBさんがっ・・・ 私の枕元へ缶コーヒーを1個置いて サッ サッ サッ♪と出て行った 私は 内心「へっっ!?どーして?」 と思った・・・(爆) 「あ ありがとうございます」 とお礼を言ったのだけどぉぉ・・・ 周りのみんなも へっっ!? だわな…(爆) 私も周りのみんなも、とうぶんキョトンとしていたっけ(笑) その後部屋でその話でワイワイガヤガヤ♪ なにが安静なもんか(爆) こんな小さな出来事も退屈な入院中には事件になる(爆) それに、いつも病院内では騒ぎまくっている私だったから あの静かなBさんには たぶん 敬遠されてるんじゃ・・・と思ってたから なお更に、(笑) あの缶コーヒー・・・沁みたわぁ〜〜(汗・・・) あのBさん その後も相変わらずすれ違うと頭を下げるだけだった(笑) Bさぁん ありがとぉ、もしかして私のことを見てくれてたんだね? 良くも悪くも、誰かがどこかで見てくれてるって嬉しいよ・・・(^m^) 私もその後Bさんに何かお届けしたような・・・忘れちゃったけど(爆) Bさぁーーん♪ 今でも背筋をシャンと伸ばして元気でいますかぁ? 私はそんなBさんみたいな人たちのおかげで 元気にしてられるんだと…思います ありがとうございました。 私はココアも好きなんです。はい。(笑) |
7月某日 いちぢくとトウモロコシ… 6月の雑記の登場人物のMさんが やっと本来の病も欝も快復しかけた頃のある日… 私の隣のベッドに入院して来たKさん…新人(笑)のお話し。 夕食が済んで消灯までの時間がみんなくつろぐひととき… お互いにベッドで仰向けになりながら 勝手な事を話す、でぇ 例のMさんが私に、 「○○ちゃん 私が退院したらトマトとトウモロコシをリヤカーいっぱい持っていってあげるからねぇ〜」 私「うん、待ってるわ〜私はそれ売り歩くからぁ〜(爆) 」 なんて 喋ってたことがあった。 周りはみんなしーんとして聞き耳を立てている(爆) 新人のKさんもそれを聞いてた1人だった。 その前に…Kさんが入院してきた その夜のお話… Kさんの付き添いのご家族も帰ってから Kさんは“さめざめ”と言うか“おいおい”と言うか、 いつまでも泣いてる… みんな入院してきた時は泣くんだよね 私は例外。( ̄m ̄〃) あ゛・・・しゃぁないな と 私が「あーた いつまでも泣いてても治らへんでぇ〜泣く代わりに日記でもつけたらどない」 っと ちょっとネジを巻いた(爆) すると きた きたっ! ケーさんはムキになって 私を睨みつけて… 「そんなんつけられへん! そんな気分やないわい 情けのぉて 情けのぉてっ!」 ははぁ〜〜怒ったな…それでええやん(笑) 形はどうあれ 怒りでもあれば病気と闘える 笑いはそれからや・・・(^m^) ムキになったKさん、鉛筆をなめなめ日記をつけだしたぁ〜(爆) ここが面白かった。 しかし とうぶん私の投げた最初の言葉を恨んでたようだ…解ってますがな・・・(笑) でぇ、数日が経ってKさんに美味しそうないちぢくの差し入れがあった いちぢくはKさんの好物でもあるらしい それも たぁくさんの路地物のいちぢく…(^¬^) 6人部屋のみんなにKさんはいちぢくを配ってた そして 私のところへ来て 「あんたにはあげない。」 と 一言。(爆) まぁ よろしいがな〜闘志(?)があって、しかし うまそうだったな(爆) その数日後 下(階下)の仲良しの患者さんから私に笊にいっぱいのいちぢくの差し入れがあった みんなに配り そしてKさんにも当然配った。 Kさんは「あたいにもくれるの?」 と言うから 「そうだよ」と言ったら 俯いてありがとぉ・・・だって(爆) そんなこんなの毎日を過ごすうちにKさんはずいぶんと打ち解けてきたなぁ〜 ぼつぼつMさんの退院が近づいたある日…Kさんが私に、 「○○ちゃん エムさんのトウモロコシはあてにしたらあかんで…あたいが作ったのを送ってあげる 「それに…」 と、Kさんは私の手の平に米の字を書いて(爆) 「これも送ってあげる」 っと。(笑) 何故私の手のひらに書いたって言うと みんな聞かないふりをして聞き耳が立ってるから…(爆) そんなぁ 内緒にしなくてもいいのにぃ〜(爆) そんなKさんも とても個性的なお方だったから… で、Mさんも退院し、Kさんも私よりも早く退院していった。 で、私も数週間後に退院してきて ある日あのKさんからトウモロコシがたくさん届いた それはそれは 今までに食べたことがないほど甘くて美味しいトウモロコシだった もちろんお米も届いたぁ〜 きっと 私と同じで KさんもMさんの “トマトとトウモロコシを送りたくても送れない” 家庭事情を察してたのだと思う。 ぶっちゃければ みんな善人なんだねぇ・・・ 今は路地物のいちぢくが店頭に並んでる あの お二人も元気でいて欲しい・・・な。(^人^) |
6月△日
スーパーにぼつぼつブドウやら桃が並ぶようになった・・・(^m^)
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4月△日 不覚だった・・・まさか 私が車にはねられるなんて、 その“まさか”を起こしてしまった。 道路を横切ろうとして走り出した瞬間 「あ゛ーー車がっ!」と思った刹那 私の身体は宙に飛んでいた いや、飛ばされていた。 花の写真を撮っての帰り道のことだわ…(^_^;) ドスンと私の身体が落ちた「痛ぁーー」って、その 痛みの感じ方に少しほっとしてた… でもって、カメラはしっかりと握っていたっけ あはは(^^;) だけどぉ 汗たらり(爆) 骨折の感じもないし 頭を打ったようでもない痛さ…打撲なんだろね 全身の。 道路に投げ出されてからちょっとの間じっっとそのまま仰向けになっていた なんのこたぁない だだ動かないほうがいいかなっと思っただけのこと… はねた車のほうの中年の男女3人がそばに近づいてきて、 女性がしきりに 「救急車呼ばないと…」男性は「あーびっくりした」…なんて言いながら 注意を怠った私が悪いのだからなぁ〜(汗… 「びっくりさせてごめんなさい」・・・と私。 まさか「こらーっ!痛ぇー なにすんのっ!」とは言えまいよ…(苦笑) 「大丈夫ですかぁ?」 「はい、大丈夫です」で、ちゃんちゃん♪ 彼らも楽しいドライブのはずだったろうから… 今までも 薬の副作用で“視野狭窄”になっているから充分に気をつけていたものの まだ認識が甘かった… それも言い訳になるな。 だけど歳のせいだとは決して思うまい。 わはは(^O^:) なによりも打撲だけですんだのが幸いだった。 身体の打撲の痛さもさることながら、それよりも尚 自分の不覚さに恥ずかしくて 心が痛んで凹んでいるんだなぁ…2・3日は。 なはは(^^;) カメラもあれだけ私が飛ばされたのに衝撃はなかったのか?故障してなかった。 以外と衝撃に強いのかなぁ〜運が良かったのかな? どっちもかな? カメラも私も…(^^;)
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05年 1月△日 4年前に先生から「この肺はなにが起きても不思議はないから…」 と引導を渡されて退院した。 以来 胸に爆弾を抱いているようなものだったから、 その日から 先生のその言葉を頭の片隅にしっかりたたきこんで、それからの毎日は 1日の、1時間1分の いや、1秒の1コマ1コマを胸に刻み込むように暮してきたような・・・ 後悔とか やり残しがまったく無いとは言わないまでも まぁ、私の人生もなかなかのものだったわ。 こんな幸せな日が続いていいのかなぁ? と思っていた矢先・・・ 昨年の暮れの受診で肺にできものが・・・癌かもしれない とうとうきたな。と思った 腹をくくらないと、ここが私のの正念場。 病はお医者に任せて、あとは私の心だけ。 検査入院での病棟はおよそ6割の人達が肺癌だと言うことだった が・・・そのほとんどの人たちの瞳には悲壮感などというものは少しも感じられなくて 「癌と闘うんだ」って言うきっぱりとした強い意思を感じた。 きっとそれまでにはいろいろな苦しみや葛藤があってそれを乗り越えてからの 前向きな姿勢なのだろうなぁ・・・強いなぁ、なんて素晴らしいんだろ〜 入院生活は今回は5日間だったけれども 楽しくてあっという間に過ぎてしまって 結果は退院10日後にでるとのことで 早々に退院してきちゃった(^^;) で・・・昨日の受診の結果 できものは癌とはちょっと違った様子に変わってきて 良性のできものとも なんとも・・・結局なんだったのか先生も首をかしげてたなぁ・・・ 先生も「去年はびっくりしたよなぁ〜」って言ってた この言葉は過去形だから 良いってか? あはは(^O^) 肺癌を見慣れてる先生もびっくりしたんだ・・・(* ̄m ̄) 様子を診るしかないらしい うぅむぅ・・・なんだか崖っぷちから落ちて途中の木にひっかかったような・・・(爆) そんなんありかぁ?(笑) あるんだねぇ〜(笑) てな訳で もうしばらくは生きていかれる。これも私を励ましてくれたみんなのおかげ・・・ いろんな人たちのおかげ・・・ ありがたいなぁ〜ほんと・・・(^人^) また爆弾を抱えながらでも 生きていけるって それだけでも儲けものっ・・・ほどよい?緊張もいいもん かな?(笑) 楽しむぞぉ〜〜ふぁいとぉ! それでも凝りずに、まだ読んでくださるなら こちらへ 雑記3へ |