雑記帳 2      
               
                

02年 師走…

6年くらい前までは、
12月も28日にになるとお節の材料を買いに行って「あれや、これや」とお正月の準備をするのが
毎年恒例の私の楽しみだった… ついついお調子に乗ってご近所やらお友達のお節の分も請け負って
しまってた(笑)
だから、28日になると私の台所は5・6軒分の重箱が所狭しと並んでいる
28日第1日目は 昆布巻き、はぜの甘露煮から始まる…5・6軒分だから鍋も大きいの(爆)

29日は れんこん、椎茸、コンニャク、人参、筍、それらのお煮しめ…それから黒豆を煮て…
台所は大きな鍋やタッパーやらでごったがえしていて…そんなこんなですぐに外は薄暗くなってた

30日は たつくり きんとん 錦玉子 エビの塩焼き 銀杏を松葉に刺して飾りつけ用にしたりして…
1日中台所へ詰めっきりで もう外は暗くなってたなぁ…(爆)

31日の午前中にお重に飾り付けながらお節を詰める、5・6軒分となると意外と時間がかかってしまって
やっと夕方に詰め終えて、ご近所に配ったりお友達が取りに来たりして…ほっ!と 一息つく頃は
もう、大晦日の外は暗くなっていた…

あれから6年経った・・・病気もしたし 引越しもして…環境も変わって…
あの頃も とても張り合いがあって楽しかったけど…今の穏やかな気持ちで往く年を送り 来る年を
迎えるのも…まんざら捨てたものでもない…かな。

今年も良い事がたくさんあったし、素敵な人達にも出逢えたし…来年も きっと…うっふ♪


10月×日
もう4年前にもなるだろうか、今の住居に引っ越す前のお話
3階建てビルの2階を借りて住んでかれこれ16年ほど経っていた…その頃の私は病気が
再発して通院しながら自宅療養を続けていた
熱っぽくて鬱々とした気分で過ごしていた 或る日3階の空き部屋にある一家が入居して来た…
その一家はいかにも毎日騒々しくて、四六時中ドンドンガタガタと…寝ている私の頭に響く…
とうぶん様子をみて我慢していたものの、もう私も限界に来ていた

たぶん、私は寝てばかりいたから神経も余計に苛立っていたのだと思う…
もう我慢出来ない…私は3階へ行ってその一家のチャイムを押した…出てきたのは
30代の柄のよろしい?女の人…
「すみません、下の○○ですが…実は……」と私としては
穏やかに丁寧ににお願いした
その時は
「はい、わかりました」と一応の返事は反ってきたものの、いっこうに静かになる
どころか 余計にやかましくなったような…

私も
「まぁしかし…だけどしかしなぁ…」なんて思ったりして しばらくは我慢してたが、
やっぱりたまらない あそこまでうるさいのは今までに初めてだ…くっそぅ…なんて思って(笑)
また、熱っぽい身体をひきずって3階へ話しに行った 
今度は若いおねえちゃんが応対した色々な人がいるなぁと思ったら、
そこの住人は「テキヤ一家」らしい(苦笑)

その一家の一人っ子がみんなに甘やかされてドンドンバタバタ暴れるらしいんだなぁ…
私はもう一度訳を言って もう少し静かにとお願いしたら、
おねぇちゃんも
「はい。すみません」と言うだけ…
その後もドカドカバタバタと1日中やかましいのはおさまらなかった…
実はその頃から私の身体もだんだん悪化していて食事も細くなって歩くのがやっとだった
だから ますます神経も苛立ってきてたんだろうな…

そして又、3度目に3階へ言いに行ったわ〜(爆)そしたら今度は相手がドアを開けて中を覗いたら
仕切りのふすまをブッチギッてズラーっとちょっと強面?の若い兄ちゃんやおじさんや
おねえちゃん達が10人くらい控えていたわ…(笑)テキヤ一家だからなぁ〜

私は内心、やっぱりって思ったけど、ここでひるむわけにもいかない(爆)
もう一度同じ事を話したら 今度はそこの姐さん?らしいのが出てきて、
「子供にじっとしとれって言うんかいっ!」と開き直って来たぞぉ〜私もプッチンときた!
テキヤがなんぼのもんじゃい〜とそれはお腹の中で…(笑)
 
「あんなぁ、ねえさん〜☆×○★♀♂&>>云々…」 なぁんて、私も喋りまくったぁ(爆)
私も身体がめっちゃしんどかったから 私 きっとすごい形相だったのではと思うわ…(笑)
それでもなんとか
無理やりしぶしぶその姐さん?は ふくれっ面で
「はい…」と返事をしたけど…(爆)

聞くところによれば その姐さん?は太股にバラの刺青を入れてる途中だとか…ぷっ!

私達もちょっと前から引っ越すつもりでは居たから、少しの間だけ我慢すれば良かったの
だろうけど理不尽な事をされて泣き寝入りする自分がたまらなく嫌だったから。

それからちょっとは静かになったかなぁ??(笑)
私も身体がますます悪くなって入院しちゃったから あはは!

でも あの3階へ行く時に階段を熱ぽい身体を引きずって上るのがめっちゃしんどかったなぁ〜(笑)
あのテキヤの姐さんのバラの刺青は完成したのかしらん??(爆) 太った姐さんだったし…
あのふとももだったらバラの
の刺青をすれば、ちょうど大輪のバラになるのになぁ〜〜うっふ♪
                



9月△日   
むかぁし…広島へふらりと行って8ヶ月ほど働いた事があったっけ…勤務先のご主人が、
たいそう立派な犬を飼っていて、日本でも有数な立派な賞を獲得したと言う名犬のシェパード
名前はビッシー雄(ラッシーじゃなかった…(笑)
ご主人以外は奥さんにも誰にもなつかない お利口さんな犬だそうで…
私から見たら 生意気なワンコだった…それじゃ、と思って私はそのワンコの毎日の散歩を
申し出た…勿論これはお仕事以外のお話し
ご主人も周りのみんなも「
絶対に無理、無理!やめといたほうがいいぞっ!!」なんて口々に
言われたけど…チャレンジしてみた

まず、1日目にワンコの側へ行ってじっとにらめっこ…そしてパンをそっと置いてくる
ワンコはとーぜん、パンには見向きもしないで威嚇してきた…

2日目も同じ時間に同じ事をして、また 3日目も同じ時間に、ワンコはまだ私を無視していた
変わった事はパンを食べだした(笑)    むふふ…とうとうハマったぞ…

4日目になったら、ワンコが私の来るのを待つようになった あはは!しめたっ!!
例の条件反射って言うのかな?  名犬の彼もとうとうパブロフの犬…(笑)
で…5日目には もう私はその名犬を散歩させていた、

その後の私はお仕事が終えたら彼との散歩が楽しい日課になって数ヶ月間、広島の町や
公園を歩いたり、走ったり…素晴らしい日を過ごした…

犬や猫や小動物は私達人間よりも寿命が短いね…その短期間にどれだけの癒しをこの子
達に与えてもらったことだろう…合掌


8月24日

ちょっと前の年の瀬の 或る日のの夕方からお腹がシクシクと痛みだした すぐに治るだろうと
タカをくくって我慢していたけど 痛みはだんだんと増して ハラワタがよじれるほど痛く
なってきた
(これは後日解かったことだけど、大腸にいちぢくくらいのおできが出来ていてそれが邪魔して
腸閉塞をおこしていたらしい・・・)

朝方まで約8時間くらい七転八倒してのたうち回っている、その最中に私は心の中で
「あぁ…神様助けてぇ〜」と叫んだあと、すぐその言葉を「神様 今の言葉、撤回しますっ
つて心の中で叫んだ・・・だよねぇ…普段はとりわけ信心深くもないのに、苦しい時に神様ぁ〜
なんて、そりゃ、勝手が良過ぎっ と思ったから。だけどその時はもう駄目だっ死ぬな…
と本当に思ったほど
苦しみのたうちまわっていたのに、心の中ってそんな事を考えてる 以外と余裕があったみたい

苦しんで、苦しんで やっと明け方になって便意を感じたのに腰が立たないっ… 
旦那にトイレまで引きずっていってもらったら… あはは!プッ!とおならが出た!
そしたらなんと、腸の道が通ったように少しずつラクになってきた・・・
この8時間ほどの痛みだけで2キロ痩せた(笑)
それからそのお腹のおできを8ヶ月後のちょうど8月の今頃手術して取ってもらいました(笑)
それまで まだ、懲りずに8ヶ月間おできを養っていました(笑)

今もとりわけ信心とか信仰には無縁の私ですが だからと言って神様とか天の摂理を決して
否定はしないけど、こんな私でも 何か目に見えない何かの力によって?
生かされているんだなぁ…と、真摯に受けとめて毎日を大切に生きなければ…はいっ


8月×日
ちょっと前のちょうど今頃のお話し・・・

持病で入院中に、別の病気が見つかって、手術と言う事で一時転院することになった・・・  
私が手術でその病室を空けるのは20日間くらい・・・・私の留守中の病室では、2・3人の
新しい患者さんが入院して来た・・・と手術直前の私の耳にも届いていた。

新人患者さん達は、私の留守中に私の噂をおもしろ、可笑しく聞かされていたらしくて
私のことをよほどのゴッドオバチャンだと想像を逞しくしていたらしい・・・
もっとも、私の入院中のあだ名、とか呼び名は 「姐さん・・・とか組長とか挙句は総長・・」
なんて呼ばれていたから・・・(爆)
だから、どーんなすごいオバチャンが帰って来るのか?って待っていたらしい・・・

20日後、手術も終えて私が病室に戻った時、その新人患者さん達は私を見て なんとも
複雑な顔をして迎えてくれた。
そりゃそうだ!、どーんな 人かと、好奇心で胸を膨らませていたのに、
帰って来た私は 小柄で痩せた普通のオバチャンだったから・・・(爆)(爆)
みんなの顔が面白かった・・・・ その後もやっぱり、組長とか姐さんとか、呼ばれていたっけ。

病気でさえなかったら? いや、病気になったから、こんな楽しい集団生活を過ごす事が
出来たのかも・・・(笑) 
ちょうど 今日のように蝉時雨が聞える夏のことだった・・・
           今となっては楽しいことばかりが想いだされる。(^^ゞ


7月12日 
昔、やっぱり昔(笑) 10代の頃 1人で4畳半のアパートを借りてはいたけど・・・実際は
野良犬のような暮しをしていた(笑) その日も今日のように暑い日だった
手元にパン代くらいしか持ちあわせていなくて、  2・3日食べていなかった

友達が見かねて私を喫茶店へ誘ってくれてアイスティとホットドッグを注文してくれた・・・けど、
私はお腹がペッコペコだったけどホットドッグに手をつけなかった
・・・ハングリーを気取っていたのか?痩せ我慢してたんだろうか?(笑) 今では記憶も朧・・・

おとなになってからその友人に逢う度にいつも
「あの時のアンタの姿を見て、私のほうが胸が
いっぱいになってしまって なんにも食べられなかった・・・」
 ・・・って今だに涙声で話す(笑)
今日のように暑い日は あのホットドッグとアイスティ が頭をよぎる・・・
今でも喫茶店にホットドッグはおいてあるのかしらん?(爆)

あの時あれから友達と別れて・・・なけなしのお金をはたいてパンを1個買ってアパートへ帰り
水道の蛇口から水をガブ飲みしたことは憶えている、なまぬるい水だった・・(爆)

 

7月7日
今夜は七夕・・・昔、いや もうちょっと昔のおはなし
私(名古屋)と相手は(神戸)とで遠距離交際をしていた、いつも相手の彼が半年毎くらいに
名古屋へ来てデートをしていた。 その日もデートの終りに今度逢うのは七夕の日、この橋
のたもとにしよう・・っと時間を決めて別れた。
あくる年の七夕の日 私はすっかり忘れてしまっていた、やっとその日の夕方に相手から電話
があって あぁっ・・と思い出した 電話の向こうではもう一時間もあの橋のたもとで待っている
らしい・・・しかもその日は朝から雨が降っていた。
とにかく私は急いで橋へ行った事までは憶えているけど・・あとの事は、今では霧の中のよう。

それ以来七夕の日が来ると その遠い記憶が蘇えって胸の奥でチロッと燃えてチクッと痛む・・
    とんだ織姫だった(笑)

     

6月×日
昔々私がツッパリ学生だった頃の話し
当時なんとか4畳半のアパートを借りてはみたけれど、バイトにもあぶれて手持ちの
お金は500円ぽっち!学費はおろか明日の食べ物にも困っていた
エエイ、ままよ!と思ってそこいらへんにあった5階建てのビルの2階のパチンコ屋
へ入り、500円でイチかバチか勝負ってんで、生意気にもくわえタバコでパチンコを
していたら、隣にゴッツイ顔した一見その筋のお人のようなオジさんが声をかけてきた

「ねえさん お仕事はないのか?」って・・・私はまだくわえタバコで「うん、まぁね」って
答えた。 おじさん
「んなら仕事やってみんかい?」って言うから 私は「ふーん やっても
いいよ〜」って軽るーく答えた  1日くらい経って名刺を持って訊ねていったら・・・
昨日のパチンコ屋のビルの1階の喫茶店なのだった。
面接に行ったら、  何故かみんなが私を珍しそうに 覗きに来る、次から次に・・・
なんでかしら?と思ったけどまずはそこでバイトをする事にした

バイト第1日目に職場のみんなからこう言われた
「あんたか?うちの親分の横でくわえ
タバコでパチンコ打ってたんは、」って、私は「へぇ〜あの人親分だったん?」 そんだけ
「そうだ!ここのビルのオーナーで〇×組の親分さんや!・・・親分 あんたの事言ってた
でぇ あの子は・・☆@*#▽□◎≧・・・やて」
ま、なんとか働きだしたけど、一生懸命やればやるほど、先輩の姐さん達にはこっぴと゜く
洗礼を受けてきてたけど・・・ま 私もきちんとお返しもしてたし、我慢して数ヶ月は働いてた

あれやこれやと私と姐さん達の闘い?の攻防が続く中、親分が私に声をかけてきて
「○○ちゃんよ〜もうちょっと我慢しておとなしくしてくれんかい?」って言われたから
「私はめっちゃおとなしくしてますけどねぇ・・・」と言ったけど
結局、親分に悪いからお店を辞める事にした。     辞めてからお店へ遊びに行ったら
何故か姐さん達はビビッテいたみたい・・・私が今で言うところのリベンジをすると思ってた
らしく、笑っちゃうくらいペコペコしてたなぁ〜
私としては、愛のムチを下さった姐さん達には なにも感じては いなかったけどなぁ・・・
帰りぎわに親分が追いかけてきてくれて、給料の他に「金一封」をくれた・・・
「なにこれ?」って聞いたら「ファイトマネーだ!持ってけ・・」だって (爆)

今頃どうしているんだろ?あの親分さんは・・・ 
    ひょっとしたら めっちゃな好々爺になってたりして・・・(爆) 
 あの時も面白かったな〜〜
 若かったから、無茶ができた (^^ゞ

    

5月×日
以前引越し前の住居に住んでいた頃・・・

隣に、お酒を持って行くと機嫌が良くなる頑固な爺さまが、菊の花を育てていた時の
話し・・・
そこへ私がたまたま顔をだした時、爺さまの大切な菊の葉っぱに とても可愛い
小さな緑色のカエルがチョコンととまっていたので 私がそおっと触ろうとしたら
爺さまは 
「コラッ!うちのカエルに触るなっ!」と怒って叫んだ。
だから、私は爺さまに聴いた
「おじさんとこのカエルなん? ふぅむ、だったら名前は
どう言う名前なん??名前付けてあるんでしょ??」
 と言ってしまった。
と・・・爺さまは真赤な顔に青筋を立てて グッと言葉を詰まらせていた。

真赤になっていたのはお酒のせいなのか?怒ったのか? たぶん両方だぁね、
昨日あたりから畑のあちこちでカエルの合唱が聞こえるようになった・・・
 もう こんな季節になったのねぇ はふ

 

4月28日
昨日お友達のHPで久しぶりに[E.T]の人形を見たので思い出した・・・

数年前 いつも私にジャレつくオジさんが近所に居た そのオジさんがまたもジャレ
ついてきたので 私は
「オジさん手を出しなっ」って言ったら オジさんはオズオズと
手を差し出した・・・私はオジさんの人差し指に私の人差し指をくっつけて・・・
「これは宇宙人のキッスだよ」って言ったら オジさんは真赤な顔になっていた(爆)
ETの映画のシーン「エ・リ・オ・ット・・」を思い出す 
自転車で空へ舞いあがれたらなぁ・・

 

 ○月×日
ちょっと前の2年間に4度の入退院を繰り返した。今の住居に引越して3年が経った
けど私が事実上住んでいるのはまだ2年・・・

1度目の入院
の時はその大部屋の牢名主に入院した私は付き添い人に間違えられ
た、私はすっごくまいっていたけど周りから見たら元気に見えたらしい。
何処にでもあるのかもしれないけど 私もその部屋の牢名主達に色々な洗礼を受け
た、私はそれはなんなくクリアした。 後日聞いた話しによるとその部屋へ入院して
泣きを入れて逃げない人は私だけだったらしい・・・もちろん、私はその部屋での
数ヶ月は楽しく過ごしたな〜〜(^^)

2度目の入院は婦長さんに「お帰りぃ〜」って言われた・・・私も牢名主の素質充分
だったのか?コホン・・・

3度目の入院はその病院で別の病気が見つかり、転院した・・・私の病歴が立派
だったのか?!VIP待遇だった アヘー ここも楽しかったな〜

4度目の入院 もうこうなったら勝手知ったる我が家のようなもの?かぁ
看護婦さん達も「お帰り♪」の連呼。情けないやら 懐かしいやら(涙爆)

患者の中でも 私は、 ☆一番眠らない ☆一番元気 ☆一番病状がひどい
☆一番外泊で帰りたがらない ☆一番手のかからない  ☆いちばんゲラ子
なにもかもが ベスト か ワーストの一番だった  (^^:::(爆爆)
副婦長が私には冷たかったので、数ヶ月後の退院の時に「今度は優しくしてねっ」
って言ったら「また来る気なんかっ」って言われちゃったぁ・・・実はこの副婦長さんも
とても仕事の出来る優しい人だってということを私は知ってる

    
病気は辛い とても。 だけどそれで手に入れたものは大きいね
     みなさまにほんとにお世話になりました

     

               それでも凝りずに、まだ読んでくださるなら こちらへ
  雑記帳T

 

                            トッ プへ