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kameのうわ言 (kame's Diary)
kameのうわ言 (kame's Diary)
2000年後半(7月〜12月)
2000年前半
2001年前半
千年紀の終わりに
 もう少しで、20世紀も終わり。それだけではなく1000年紀も同時に終わる。こんな境目に生きているというのは、幸不幸は別にして、心踊る心境かといえば、そういうわくわくしたものは湧き出てこない。新しい事を期待していた幼い感情など、すでにないからだ。

 新しい事が、素晴らしい事だと単純に思っていた時代は、もう来ないのかもしれない。100年前の人々は、来る20世紀を予測して楽しんだが、現在の人々は、それほど幼くはなくなってしまった。夢は戦争が打ち壊したからだ。戦争だけではなかった。科学技術がもたらす不幸が沢山出てきた。人間主義がもたらす矛盾が吹き出てきた。そういう世紀だったから、もう人々は21世紀を単純に期待してはいない。

 1000年前を振り返ってみる。文明と呼べるものは、アジアの両側にしかなかった。当然、西暦は世界の標準暦ではなかったから、1001年などという感覚そのものが存在していなかった。西暦は、西ヨーロッパの地域暦に過ぎなかった。むしろイスラム暦やユダヤ暦が貿易の基準だったろう。現在の世界標準時などというものはイギリスの覇権から採用されたものであるし、イギリス以前はスペインだった。

 そうやって、標準や暦は時代の覇権地に依存してきたが、21世紀以降もそういう歴史が繰り返されるなら、「21世紀末」やら「2000年紀末」が来るという保証はない。きっと、「1000年紀末」を迎えるのは、今回が最初で最後かもしれない。旧暦20世紀などと歴史書に書かれる時代を想像する勇気が必要だろうね。さよならキリスト暦2000年よ(^^)/〜 2000年12月25日 10時06分09秒
自由と普通の狭間で
 自由はいいよね。。。本当かな。本当にそうかな。いいって、どう言う意味かな。だんだん曖昧になってきた言葉だね。やっぱり、普通の暮らしがいいのさ。。。ううん、普通ってなんだろう。自分は普通だと言う人は、なにが他人と共通していると、普通と感じるんだろう。人各々だと思うけど、これも曖昧だね。

 曖昧がいいのかもしれないね。曖昧にしておけば、自分に都合のいいところだけ取り出してきて、納得安心できるからね。だから、あんたは普通じゃないなどと言われると、不安になるまえに、反発するんだろうね。そういうあんたが普通じゃないんじゃないのとね。ほら、結局、自分色に周りを変えていかないと、自分の普通は保てないだろう。ならさ、もっと大きな力で、普通を強制されたら、従うのかな。抵抗する? そうだね、それが自由ってやつなんだけど。自分の自由を確保したいなら、他人もそう思っている訳で、それが理解できないなら、自由じゃないね。結局、自分の価値を押し付ける「我が侭」になってしまう。

 自由を主張するなら、普通って言葉はでてこないのかな。そう思う? でも、自由は人類普遍の権利だっていうよね。それって、普通ってことだと思うけど、違うかな。ほら、だんだん、曖昧になってくるだろう。そう、日本語で語ると、どうも曖昧になってしまう。言葉が曖昧なんだね。「普通、そういう意味じゃないだろう」なんて言うけど、ほら、普通が出てきた。これが曲者だってことは、もう判るよね。普通は、世間の常識だろうか? それも疑問だね。じゃあ、大多数の意識かというと、それも疑問だね。支持率20%未満の内閣が生きていける日本だものね。必ずしも多数は常識を形成はしていないようだね、この国では。

 世間に逆らって生きていくのは、大変な労力がいるから、自由をまげで、迎合するか、自己改造でもして順応するのかな。それも賢い生き方かもしれないけど、決して自由じゃないね。そう、そういう社会は自由なんてないのね。世間を構成している楽している人々には過ごしやすい環境だから、変えたく無い。これが保守ってやつかな。保守も悪く無い。うん。素敵な、、、自分にとってだよ、、、なら、そうだね。でも、100%の人々が満足する世間なんてないでしょう。だから、不満は出てくる。それが少数者だったら、民主主義とかいう理屈で、無視されてしまう。でも、ちと気の毒だな〜なんて思うから、対策でもしてあげるかとなるのね。ほら、バリアフリーなんて対策してるでしょう、役所なんかが。あれね。

 みんな幸せに暮らさせてあげたいなんて、おこがましくも世間様は思うから、弱者を保護してあげよと思うのね。優越感なんだね。己が、普通の範囲にいると思いたいのね。そして、肝心の当事者の心境など理解しようともしないのね。それを「愛」なんていうのかな。可愛がってもらいたいとは思わないよ。小生は自由人でいたいもの。 2000年12月17日 12時14分18秒
アナログ人間?
 BSデジタル放送がはじまった。デジタルだから、双方向だから、色々できるそうな。そこで、早速、『アナログ人間』の私には、ついていくのが大変などとおっしゃる人々が、コメントをたれている。

 アナログって、なんでしょうね。デジタルならよくわかります。不連続、つまり数え切ることができるということですね。小学校でならう自然数というもの、あれですね。1、2、3、、、と1づつふえていく数字です。あれを『自然数』だと教わりますね。その深い意味を考えた事ありますか? 自然の数だから自然数だと思ったら大間違い。例えば、円周率、πですが、この値は3.14....とどこまでいっても終わりがありません。円は自然界に存在していますから、本来の自然の数というなら、こういう値も含まれているわけで、これは連続した数字の羅列ですから、アナログといえます。つまり、アナログというのは、自然数ではないが、自然なんです。でも、人間の感性としては、πは不自然な数に見えます。なぜでしょう。

 算盤という計算器具があります。あれは立派な手動デジタル計算機なんですが、『アナログ』的と言われます。なぜでしょうね。電子機器を指してデジタル的と思うのは、間違いです。レコード盤をアナログだといいますが、果たしてそうでしょうか。音はエネルギーの変化を媒質が伝えていく現象ですが、周波数というものは、1、1/2、1/4と分割されていき、分割の分母が大きいと、高音になります。が、けっして、πのような無限の分母はとりえません。だから、音とは、デジタルなものなんです。それを溝に彫ったものがレコード盤ですから、顕微鏡でみれば、溝は不連続のつらなりなんですね。第一、レコード盤を構成している物質の分子レベルで考えれば、一個二個と数えられるわけで、デジタルなんですね。

 人間を含めた生物というものも、構成細胞は、数え切れます。生物はデジタルなものです。そこから派生してくる思考というものが、アナログだとどうして断定できるでしょうか。有限なものから無限のものが出てくるでしょうか。有限とは、無限の一部を切り取ってきたものですからね。ただ単に数え切れないというのと、数えることが不可能に近いといのとは、全然違います。人間の傲慢で、その不可能に近い現象を指してアナログと言っているように思えます。

 私はアナログ人間だから、、、などというのは、努力を怠り、他者を己の経験した浅はかな知恵で推し量ろうとする怠け者だと言っているようで、とても不愉快に感じます。 2000年12月05日 11時06分11秒
内戦の予感
 やってくれました。自民得意の土壇場算術。リバウンドの恐さを恐れない、すさまじいばかりのエネルギーだ。哀れ直義は、討ち取られもせず、降参してしまった。幽閉された彼を待っていたのは、毒殺だったんだけどね。

 最後の期待、盛り上がりが醒めて、怒りがこみ上げてくるだろう。このエネルギーは、馬鹿将軍を辞めさせる程度のガス抜きでは、おさまらないだろう。今回も、大勢を押さえたのは、田舎の代議士たちだった。九州では、狼が再発見されたそうだ。狼達の時代がくるのだろうか。

 反乱は、既に都市部ではじまっていた。田舎の最後の足掻きが、成功したように見えるが、ここまでなめられ、しいたげられ、侮辱されたら、理性を越えてしまうかもしれない。国体という壁を壊してしまうかもしれない。

 法律が実行力を持ち得るには、それを守ろうとする国民のモラルがあるからで、モラルハザードにいる田舎の代議士や田舎の土建屋たちには、その気持はない。彼等が共謀して作り施行してくる法律を、都市住人に守らせようとは、虫の良すぎる話ではないか。

 これからは、彼等を選んだ田舎の者達を軽蔑しよう。彼等にあったら、石をなげつけよう。そのくらいならいい。本当なら、殺してやりたいくらいなんだから。 2000年11月21日 14時56分35秒
平成太平記 第二幕
 太平記の第二幕は、切って落とされたのだろうか。

 第一幕は、一郎高氏の寝返りから始まった。その後、政権を追われた高氏は、再度、幕府を作るも、結局、野党南朝に再び寝返ってしまった。残された者達は、政権強化のために法華宗と手打ちしたが、これが評判がよろしくない。さらに、将軍恵三の突然の死。これを受けた幕府は、慌てて後継者を選んだが、この将軍様は馬鹿殿だったから、さあ、おさまりがつかず、世間には落首が氾濫。統治能力を喪失しかねない状態に、いたたまれなくなった、紘一直義は、われこそ、自民源氏本流なりと、旗揚げした。これが第二幕を落とす鳴動になるのだろうか。

 再び南朝は、上洛し、政権を奪取できるか。いまだ、鎌倉公方慎太郎は、江戸の地を固めるに忙しく、待望論はあるものの、第三幕を待たないとならないだろう。それとも、混迷はさらに続き、日本そのものが、沈んでしまうのか。史実は、悲惨な50年内戦だった。 2000年11月14日 16時37分21秒
華やかさの裏には
 ここ一ヶ月ばかりというもの、ウエッブページ作成に振り回されていました。ようやく我にかえり、原点に回帰しようと思います。

 「花はどこへいった」

 可憐な花がたどる悲しい『リンク』の物語り。。。己のウエッブサイトをいくら飾っても、どんな凄いテクニックを駆使してみても、結局、貴方の心は、花と化して、もと植わっていた場所に舞い戻ってくるのです。いくらウエッブを着飾ろうと、閲覧者をおどろかそうと、クールだろうと、実体の貴方は変わっていないからです。

 掲載すべきコンテンツを探して、実生活に、なにかを求めるのは、本末転倒の邪道ですね。けれども、「形から入る」という「道」の精神から言えば、それはそれで、入門にはいいのでしょう。もう入門者でもないのに、己を見失って、技工にはしり、果ては、コンテンツ探しするようになったら、邪道なんですね。

 いくら実験しようと、勉強しようと、それを実際に人生に応用しないかぎり、意味がないです。ウエッブサイトは、ヒントは与えてくれますが、採用決定解決するのは、貴方自身なんですね。

 作文して、人生が変われるなら、変わりたい。 2000年11月10日 13時58分11秒
ねつ造の時代
 残念。70万年前の日本列島に、旧石器時代があった....ねつ造だったとは。彼の出来心が、またまた世界中に、日本と日本人の評価を下げることになるかと思うと、残念です。

 世界初とか、最古とか、最大とか、、、もうやめませんか。いずれは、書き換えられていく事物に、どうして執着するのでしょう。世界一の経済大国は、めざしたからじゃなくて、あくまでも結果だったし、考古学的発見だって、その時のレコードに過ぎないじゃ無いですか。見つけた人が出世するような世界なんですか。

 一番を無理矢理目指せば、きっと、邪な心がでてくるでしょう。ねつ造もしたくなるでしょう。でも、その前に考えて下さい。貴方の本願はなんだったのかと。利己を捨てたんじゃなかったんですかと。他力本願じゃなかったのですか。学者になろうとした思いを、大切にしてください。

 転落していった政治家も、官僚も、学者も、皆さん、初めから、邪悪なねつ造をしていたんでしょうか。そうではないはずだとおもいたいです。己の人生をねつ造したところで、人生そのものは、変わらないし、否、むしろ、悲しく、哀れで、虚しいだけです。 2000年11月06日 16時47分04秒
ようやく新500円玉を見た
 今年の目玉は、新しい500円玉と、2000円札だったのに。。。
 ようやく、最近500円玉を見ました。自動販売機で使えないので、財布にいる時間は、少ないです。すぐお店で使うか、100円に両替してしまいます。2000円札は、未だに見ませんね。こちらも自動販売機で使えないから、広まらないだろうね。

 これに、似た話が進んでいますね。そう、参議院の選挙制度改正審議ですか。こちらは、それこそ利用者不在で、無謀不毛なやり取りを、先生方が必死こいてやってますが、あれは、なんなんでしょうね。政治家の御都合で、お金を作ったり、勝手に選挙区を変えたりと、やってくれます。

 どちらも、国民が使いにくくて、分かりにくいのですが、先生方には、大変理解されているようで、小生の頭では、理解不能の人種達です。嫌気がさした長野県民もいれば、相変わらずの岡山、滋賀県民もいますね。だけど、確実に、都市部では、先生方は、使いにくいのです。なにせ、なにも変えようとはしないし、使い勝手も悪い。世間からずれていて、利用価値なし。

 新しい500円玉が衆議院なら、2000円札は、参議院だろうかね。おきちゃってから対策ばかりだから、自動販売機さえ対応できていないのね。そう、先生方だって、次の改選は、自動じゃないのね。(瞑目。。。) 2000年10月24日 12時29分26秒
ああ、嘉納柔道よ、どこへ行く
 シドニーオリンピックJUDO最後のゲームのもたらした混乱と騒動に思う。今後の柔道は、どこへいくのかと。

1.「内股透かし」が有効な技として、あのゲームで存在したか?
2.存在したとして、審判団は、見切れていたか?
3.見切れていたとして、意思疎通のミスだったのか?
4.意思疎通のミスに主審は気がついたのか?
5.気がついた時点では、ゲームが成立してしまっていたのか?
6.成立してしまっていたなら、上部機関は、それを訂正できないのか?
7.訂正できないなら、競技者の名誉は、どう回復してやるのか?
8.回復できないなら、なんらかの関係者の処分があるのか?
9.競技主宰団体(IJF)は、今後、こういう事態への、対策はするのか?
10.されないとしたら、競技者は、どう対応するのか?
11.競技者の対応に限界があるなら、別のまっとうな競技主宰団体を立ち上げるのか?(つまり、IJFからの脱退を含む)
12.別の団体が立ち上げられないとしたら、日本柔道は、講道館に閉じこもるのか?

 大塚の旧東京教育大学(旧東京高等師範学校)にあった、先生の像が懐かしく思い出されました。閉学から20余年、今、もう一つの精神が消えようとしています。 2000年10月13日 14時43分03秒
「配慮が足りなかった」
 鳥取県西部地震で、県都市計画課課長の岡本正文氏が、被害報告期限を勝手に設定して市町村へ通知した問題への釈明の言。

 ここにも、『御立派な方』がいたんですね。己の事務処理を、早くしたいだけの思いで、このような通知をだしたんでしょうが、反発が出てくると、「配慮が足りなかった」と言われる。つまり、己の行為が法律にも決められていない、裁量権の拡大だという事の重要性よりも、相手の公務員の「心情」への配慮が足りなかったと、彼は、考えているわけです。

 こうした、『御立派な方』が、きっと、まだまだ、大勢いるのでしょうね。何が大切で、何を使命として、己が働き存在しているのか、まったくわかっていない。同じ公務員の心情を考慮さえすれば、何をしても問題ないとでも、思っているのでしょうか。「配慮」が足りていれば、己の事務処理上の権限を拡大してもいいのでしょうか。

 根本が、腐っているのでしょうね。被災者である県民と対面して、仕事をしていないから、このような身内だけへの考慮しか、考えられなくなっているのでしょうか。それとも、『御立派な方』とは、もともと、こういう発想しかない人々なんでしょうか。彼の配慮が市町村の担当者に納得されて、被害の実態が閉め切られてしまえば、困るのは被災県民なのです。ああ、情けない。 2000年10月07日 19時27分59秒
後の祭
 オリンピックのJUDO。柔道ではありません。そのことを、日本人にはっきりと見せたのが、男子最後の試合ではないゲームでした。

 相撲が、SUMOになって、判定などというルールが導入されたら、それは、相撲ではない、別物の競技です。JUDOは、判定というルールを採用した段階で、もはや柔道ではなくなっていました。そもそも、命のやり取りから生まれた武道に、判定など成立するわけもなく、敗者=死です。一本勝ちしかない世界。
 相撲では、一本勝ちを担保する仕組みが整っています。判定と違い、瞬間の勝負である一本だから、審判のミスジャッジは、さけなければなりませんが、人間はミスを犯すもの、、、そこで、もの言いがあります。審判である行司は、刀をさしています。これは、判断ミスをした場合、切腹するという覚悟の現れです。一本の判断が間違えば、それきりだからです。
 判定なら、ミスをどこかの場面で、変更できるでしょうし、選手とて、力があれば、自ら、盛りかえすもとも可能でしょう。こうして、審判の覚悟が不足していきます。完全な逆ジャッジをしても、彼は許されます。

 日本柔道連盟が抗議するといいますが、最大の抗議は、JUDOからの撤退でしょう。柔道がJUDOに成り下がってしまった現在、柔道の本来の目的を保持したいなら、下手な抗議など、かえって不様です。日本が広めた柔道が、もはや柔道ではないのですから、いまさら、小手先の抗議などされても、後の祭りというものです。

 日本柔道連盟よ、柔道を汚したのは、あなたたちだ。JUDOからの撤退も含めて、猛省を望みます。 2000年09月23日 16時04分28秒
爽やかだ。田島
 久々に、爽やかで、希望溢れる、田島の銀メダルだった。「金をとれなくてくやしいっ」と、笑顔でのインタビューも良かった。素直に勝った相手を称えていたのも、良かった。なんて、素晴らしい人だろう。自分の栄光のために泳いだ。だけど、そのただ一点のみに集中した結果が、周りを爽やかに明るくする。狙ってできるものではない。表賞台からこけた姿に、自由人を見ました。彼女達がたくさんいれば、世界は大丈夫だろう。 2000年09月16日 17時52分44秒
カッパからげて三度笠!? =オリンピック開会式=
 いやあ、驚いた、情けない、みっともない、JOCは、何考えてる。

 シドニーオリンピックが始まった。開会式の選手団のコスチュームには、各NOCの意志と表明が表れているものですが、多くのNOCは、国家の意志と表明を代弁している場合が多いですね。であれば、選手団のコスチュームは大事でしょう。テーマが「融和」だからといって、開催国のイメージを表現するというのは、いかがなものでしょうね。

 民族衣装もあれば、メッセージもあり、ヨーロッパスタイルのブレザーもあった。そんな中、日本選手団の格好は、あれは、なんですか。虹色のカッパを着ての行進。。。絶句しました。民族の融和がテーマなら、大和民族、アイヌ民族、沖縄民族のすくなくとも3民族の衣装をつけた男女カップルを先頭に行進させなかったのでしょうね。

 はっきりしない、玉虫色の衣装。。。そこには、大平楽な極楽とんぼの姿しか、ありません。これが、国家のメッセージだとしたら、尊敬どころか、軽蔑されるでしょう。

 パラオ、バングラデッシュ、ジャパン。。。日の丸を国旗とする数少ない国家達。そんな中、とても恥ずかしい思いをしたのは、選手達ではないでしょうか。開会式に参加させないで、ひたすらメダルを狙う為に調整させられる選手達。開会式の、あの興奮とメッセージを肌で受け止めないで、なんの「参加」ですかね。オリンピックは、参加することに意義があるのです。参加なくして、競技などありえない。JOCは、もう少し大人になってください。

 日の丸と虹色は、馴染みませんよ。 2000年09月16日 10時22分30秒
さぼちゃ?? =デジタルデバイドの現実=
 昼間、チャットサイトを覗いてみよう。そこには、仕事をさぼって、画面の向こうの人達と、会話を楽しんでいる、大勢の賃金労働者がいる。

 彼等は、この行為を「さぼちゃ」(仕事を、さぼって、チャットから来ている)と称して、楽しんでいる。彼等の上司から、見れば、キーボードを打ち込んでいるのだから、一見、仕事中に見える。それでも、彼等の中には、見破られないようには防衛しては、いるらしい。
 会社の機器を私的に使っているのだから、横領であり、賃金者なら、その時間は、労働放棄だろう。これは、立派な犯罪だが、デジタルデバイドの『おやじ』上司には、さっぱり判らないだろう。そこが、彼等のねらい目でもある。

 先を行く合衆国では、ネットワークの私的利用がばれて、首になる。当たり前だが、外部との交信記録は、全て会社のサーバに保管されているのだから、まともな会社なら、こんな社員は、即刻解雇だろう。
 だが、後進国、日本では、デジタルデバイドの”おかげ”で、彼等は、見のがされている。

 御寒い革命が、進んでいる。 最近、私的電話が減ったと喜んではいないか? デジタルデバイドの管理者達よ。さぼちゃで、君たちは、『くそおやじ』と、言われているのだよ。しっかりしなさい。 2000年09月14日 17時38分10秒
絵文字なんだね、日本語は。
 最近、ICQソフトを使い出したが、英語ソフトなので、説明が判りにくい。小生の英語力の無さが原因だろうが、そうでもないような気がしてきた。

 日本語パッチというのがあって、それを当てると、説明が、日本語になる。急に、目の前がひらけたようだ。自分の言語の認識を、当たらめて考えてみた。そうすると、英語は、黙読しているが、日本語は、読んでいるわけではないと、判った。

 日本語の文章は、観ているのだ。文字では無く、絵として、画像処理しているようだ。だから、全体をパッと観て、どこにないがあるのか、判るのだ。頭では、読んでいなかった。だから、難しい漢字などは、飛ばしてみていても、大体意味がとおるのは、そのためのようだ。
 因に、ひらがなだけの文章は、黙読しているのが、判る。だから、漢字のない、文章は、かえって、観づらい。

 漢字だけだと、どうだろうか。漢文。。。これも、観づらい。これはこれで、ただの絵にしかみえない。仮名混じりだからこそ、絵として認識し、さらに、文章と、認識されるようだ。

 絵文字は、なにも、漢字でなくてもいい。見た目で、それと判る図形を使えばよい。特に、名詞は、絵がいい。動詞などは、カナがいいようだ。 2000年09月10日 15時13分55秒
ばりあふりー?
「楽網楽座」という政府のインパク関係のサイトがありますが、そこの『ホームページ』(=ウエッブサイトの間違い)は、1024×のサイズで固定されています。サイトには、携帯画面用、バリアフリーとしての大きな文字のページが用意されているが、肝心の640×、800×用のページはない。不思議な話です。

 インパクが、バリアフリーを標榜するなら、小さな画面にも考慮してもらいたいと思います。携帯電話の小さな画面にも考慮しているのに、何故、1024×の画面しか用意していないのだろうか。制作者は、確認していないのだろうか。それとも、ウエッブ作成の依頼元には、そのような小さな表示装置がないのだろうか。政府機関のサイトであれば、そのあたりを考慮すべきだろう。

 ああ、IT革命も底が見えてるね。辞めた方がいいよ、インパクなんて。万博をされた長官の写真が笑顔で、引きつっています。彼は、すでに過去の人です。物や人を動かさない、サイトの世界で、インパクなどという巨大なリンクサイトを作ってみても、なにも始まらない。巨大で重たいサイトばかりになって、通信インフラのお粗末な日本の家庭が、どの程度、閲覧されるのでしょうか。インパクにあわせて、各家庭に高速通信インフラを提供するというのが、政府の仕事では無いでしょうか。サイトの経営などに、口出す暇は無いはずです。

 東京都は、参加しないという。正解でしょう。東京都には、政府支援の高速通信網など補助金さえついていないのですから。国民の大部分が閲覧などできない国家事業とは、一体なんなんでしょうね。 2000年09月04日 22時12分27秒
*小生は、この事を事務局にメールしたが、2000.10.8に確認した時点では、トップページは640Xになったようだが、相変わらず、「ホームページ」という間違った表現をしているのは、残念です。
虫も殺さぬ。。。
 テレビで、生物学者の先生が、奇妙な事を言っていました。「虫の研究を通して、命の大切さを知った。」 そういう、先生の手許には、虫の標本(=つまり、採取し、殺した生命のコレクション)が誇らし気にあった。

 先生は、虫を沢山殺して、彼等から、DNAを抽出し、分析したそうだ。そうして得た結論は、虫も人間もDNAでは、同じところが沢山あって、だから、彼等も人間も、地球生命の歴史を背負って、現在まで生き残った者なんだから、貴重で大切にしなければいけないと。莫迦いってるんじゃないよ。それほど沢山の命を奪わなければ、判らなかったのか。それが、先生の限界であり、そこに、生命軽視の根本があると思いました。

 研究で、殺しをやっていいなら、生命に区別は無いという先生の意見に従えば、人間だって、実験で殺して分析したっていいんだよね。

 判ったような気持ちになって、えらそうなことを言わない方が言い。まっとうな人間なら、虫は殺せない。生命は尊重しなければいけない、、なんてことは、それこそ、DNAに刷り込まれた情報で、もしも、それを持たない生命がいたら、とっくに地球上から、生命はいなくなってしまっていただろう。 己以外を認めないなら、己が滅んでしまった場合、それで、生命が絶滅するからだ。だから、DNAは、必要以外の殺戮を刷り込んではいない。食料にするにしても、最低限の殺戮ですましている。でないと、食料になる生命まで無くなってしまうからだ。生まれながらに生命は、そう刷り込まれている。人間も例外では無い。

 そうして、この世界は、DNAの多種多様の変型子孫を増やしてきたんだろう。これこそが、DNA型生命の生き残り戦略だったんだから。それは、われら人類にも当然備わっているわけで、研究しなければ、そのことに気がつかなかったなどというのは、狂人の戯れ言より酷い、傲慢な発想だろうね。人間だけが偉いなんて教え込まれるのは、啓典の教えに従う人々や、彼等に反発したヒューマニストたちだ。

 先生、貴方は、生命研究の為に、自分を殺してもらえますか? 2000年08月31日 18時15分32秒
人の命は、重い?
 まあ、マスコミも『どじょう探し』が、大好きで、このところ、少年犯罪がらみのニュースが多いですね。別に少年犯罪が史上最悪でもないのだけど、相変わらずのステレオと無知だから、仕方ないのかな。

 子どもが人を殺しまくっている。。。そんな風にも見える。けれども、実態はそうじないのは、統計でも出ているね。戦国時代は、数え15歳で、元服して、合戦にでては、人を殺していたんだから、二十歳で成人なんて法律を改訂して、15歳で成人にすれば、少年による殺人犯罪は、激減するだろうね。ようは、統計の取り方と、いくつをもって、少年として保護するかという問題だろうか。

 昔も今も、精神をやんでいなくても、人は人を殺してきたね。たまたま、少年が殺せば、騒ぐけど、なぜなんだろうか。少年一般は、殺人などおかさないという宗教でも信じているのだろうか。曰く、無垢な少年。。。そんなものは、存在しないだろうに。思春期に殺意をいだくのが、少年なんであり、人を殺さなくても、動物虐待とか、自殺とかしたくなる年頃なんだね。

 人を殺すと、問題にする。人の命は、なによりも大切なんだという教育ができていないとかいう。人の命って、そんなに大切なんだろうか。大切な命だからこそ、死を賭けてなんて言葉があるんだろうけど、それは、自分の命が大事であるからで、他人の命は別なんだろうね。革命なんぞでは、平気で反対者を殺すんだからね。

 切れた少年は、精々、周りの人間達を殺すけど、組織ってのは、もっと酷いね。どこぞの自動車会社なんぞは、あれは殺人の確信犯じゃないかと思うけど、彼等には、他人の命なんて、軽いのだろうね。雪印もそうだったね。彼等は、頭をさげて終わりだろうが、それで済むのなら、少年だって、すませんでしたで、済むだろうに、そうはいかない。

 根っこは、別の所にあるんだよね。犯罪者だって、どこぞの人間から生まれてきたわけで、その後の教育が、そうした人間を作ってしまうのだろうか。そうだとしたら、少年の責任は親がとらなければならないだろう。産み育てた、親を罰してもらいたい。保護者責任を明確にしないから、少年は、つけあがるんだよ。親だって、子どもの殺人の責任で、刑務所に入れられるとしたら、もっと、真剣に、しつけるだろう。それが出来ないなら、子どもを作る権利はない。 2000年08月23日 14時31分25秒
異見が不快
 議論や意見の交換に『快不快』を持ち込むと、もう異見の表明や論争は、喧嘩や非難、中傷としか、認識されなくなる。そんな話は聞きたく無いし、自分は、もっと、普通の話しがしたい、他愛無いことを話す方が楽しいのに、なんで、そんなことで、折角集まった仲間内で争うかと、なってしまう。

 自分が過去から現在まで「正しい」と思っている事を、他者に否定されると、相手の意見内容に対してではなく、自分の正義が否定されたと感じ、喧嘩売ってるのかとなるのですね。自分の正義に心地よい意見のみを拾い集めて、自分の正義、つまり人生を肯定することによって、平和を保とうとするのですね。人には人それぞれの異なる人生があるとは、頭では理解されていても、自分の人生が対象にされると、もう冷静でいられなくなる。まして、その正義の根源を問題にされた場合、議論などとは考えられない状態になるようです。

 『普通』と人は、よく言います。自分の正義を他者に担保させているわけですが、貴方の普通と私の普通では、違うのが当たり前とは、考えない。そして、自分の普通が、他者の普通でもあると勘違いし、普通の話しをしようと言う。普通の話しって、なんなんでしょうね。判りません。
 仲間とは、楽しい事だけする集まりとでも思っているのか、仲間内での論争など論外だと思っている人もいる。自分にとって他愛無いことでも、他者にとっては、大問題かもしれないという認識さえない人もいる。自分には全然問題ないのに、何故ゆえに、貴方は問題視し、怒っているのかとなってしまう。自分が無知だということを理解しようとはしない。愚か者とはそういう人を指すのです。

 小生だって、愚か者だし、異見には、不快も感じる。だからといって、議論を喧嘩だ、非難だ、中傷だとは、片付けない。なぜなら、甘い意見、同意する話には、なんの発展もないからで、不快に感じる原因はなんだろうかと、己を反省したいからです。言い争って、和を乱すというけれど、その時の和とは、いった全体、だれの為の和なんだろうかね。乱れや争いを否定するなら、進歩を否定しなければならない。進歩が素敵な人もいれば、不愉快な人もいるのですが、乱れを嫌って、多くの人は意見すら出さない。そして、嵐が過ぎるのを待つか、双方足して2で割ったような「もっともらしい」意見で、手打ちをしようとする。そして、自分にとって愉快な場に誘導する意見に同調してしまう。しかし、それは大多数の意見とは限らない。非難されるのが辛くて、言わないだけだからです。 2000年07月11日 08時43分00秒
にせもの
 世間を騒がせている「ニセ煙草」事件ですが、煙草は煙草なんですね。但し、贋のほうですが。

 偽物といえば、偽りの物という意味でしょうから、とても煙草なんかじゃない。雪印の牛乳が、毒入りという事で、大騒ぎ。これは、牛乳の偽物だから、飲むと危険。煙草だって、飲み過ぎると危険だそうで、贋煙草にも印刷されていますね。どっちにしろ、危険なわけですが、それが、大臣ともなると、危険どころか、亡国さえ起きかねない。

 贋物の政治家が贋大臣になって、私腹を肥やしていた。そういう事件もありましたね。そういえば、あそこの県民は、金丸という人物に大層いれこんでいましたが、県民性と言ってしまっては、酷すぎるかな。国民性とでも言えば、救われるのかと言えば、それは、非難あることでしょう。全ての国民が贋物が好きというわけじゃないとね。でも、本物と同じ性能で、安価だからこそ、贋物なんで、偽物じゃないのです。偽物はすぐ見破れますが、贋物は難しい。
 新内閣は、森総理自らが、「IT革命」を推進するそうで、きっと、贋物をこしらえるのでしょうね。あとで、「私が言いたかったのは、そういう意味ではない」と言い訳するに決まってますからね。言葉を弄んで、挙げ句の果てが、亡国では、なにが愛国者ですかね。226事件の将校達も、愛国者だったわけです。結果は無惨でしたね。彼等は昭和維新と叫んでいました。「革命」とは、言えなかった。革命とは、国体をかえることですから、それは出来ないことだったんです。今度は、政権与党が「革命」と言っている。真っ正直な人なら、自己矛盾に気が付くはずですね。それでも、乱れた言葉使いに慣れてしまった官僚の作文をまる読みしている総理は、気が付いていない。贋物というより、莫迦者に近いのかな。

 偽物の牛乳を飲まさせて、とうとう1万人以上の方が被害にあわれた。製造者は、事実を隠ぺいし、情報を小出しにして、偽りの報告を出していた。それで、おさまると思っていた。なんとも情けない危機管理じゃないですか。あれで、あの会社も終わりでしょうが、未だに毒入り政策を出し続けている最大政党は、安泰なんですな。不思議、不思議。毒が脳までいってしまったのでしょうか、日本人は。
 「世の中の為、支持のしすぎには注意しましょう」とは、書かれていないからと言って、それで、とやかく言っても始まらないのですね。知らずに毒を飲まされた牛乳好きが浮かばれないじゃ無いですか。政治家は、自主回収なんて考えちゃあいないもの。東京の工場は大丈夫と言われても、信用は出来ない。それなのにね、角栄の娘や都知事の倅あたりが、なにやら騒いでいる。そこまで腐っているとは思っていないのでしょうな。幸せな世襲達です。

 「朱に染まれば赤くなる」「毒をくらわば皿まで」...ですか(瞑目) 2000年07月06日 13時16分14秒

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