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kameのうわ言 (kame's Diary)
kameのうわ言 (kame's Diary)
1999年後半(7月〜12月)
1999年前半
2000年前半
他人の迷惑
 脳に刷り込まれたものというのは、当たり前すぎて誰も気がつかないものです。本能と思っていることでも、刷り込みの結果だということが沢山あります。別の文明なり文化なりで育った者から見ないと、それは判りませんね。そういう意味で、小生は大和民族ではないかもしれません。そういう思いが自分探しの旅に誘うのかもしれません。

 今年もそうでしたが、年賀メールは自粛します。電網の大混雑が予想されますので、それを2000年問題と誤解してさらなる混乱が起きるかもしれません。携帯電話がパンクするという予測が出ています。電話会社などは告知していますが、携帯電話の利用者の多くの若い人達が、そのことを理解しているのか疑問ですし、多分多くの馬鹿娘達は携帯でメールを出しまくると思います。池袋で思ったことですが、あの大きな高声を出して喋りまくる彼女達に何を言っても無駄だと思いました。カフェの隣の客が、あまりのうるささに携帯の声が聞き取れず、出て行ってしまいました。彼女達には「他人の迷惑」という概念がないようです。それとも耳をやられているのでしょうか。

 最近流行りだという歌は、どれも金切り声で大きな音を出して歌いまくるものばかりです。歳をとると人間は高音が聞き取れなくなるとのこと。彼女たちの歌詞が聞き取れないのは、小生が爺なんです。やっぱり小生には「蘇州夜曲」が最高なんですな〜。もっとのんびり生きればいいのにね。ハードロックでも昔はのんびりしていたし、歌詞もしっかり聞き取れた。ああ、なんて綺麗な歌だったのだろうか。 1999年12月27日 13時58分05秒
知り合える人の数などしれている
 いくら文明が発達しても、人間の能力には限界があるものです。

 古い知り合い達との会合は、楽しくもあり、自分を見直す機会ともなった。知り合いと友達、さらには親友との境界はどうやって決まるのだろうね。それともそういうけじめをつける行為は傲慢なんだろうか。人脈ともいう。いやな言葉だね。派閥とか、同志なんて言葉もある。愛人や恋人、配偶者は知り合いなのか?本当に知り合っているのかな。
 仲間だと思っているのは自分の勝手だよね。相手はそうは思っていないかもしれない。単なる知り合いにすぎないかもしれない。だからって確かめたりするのは相手に無礼だよね。

 「愛してる?」って聞きたがる人というのは傲慢なのか愚かなのか。
 「あたしとあれとどっちが大事?」なんて聞いてくる人は下品だよ。

 傲慢でも愚かでも下品でも、そういう人達と知りあった己もまた傲慢で愚かで下品なんだろうね。いなむしろ己がそうだから、そういう人達と出会うのかもしれない。あいつと出会わなかったら、こうはならなかったと言う前に、そういう連中と関わり合いたがっている自分を発見すべきだろうか。自分を磨けともいう。それも傲慢な考え方だと思う。人間に優劣をつけるなんて創造主に対して不遜だろう。仏の前ではすべての人間どもは愚かなんだから。
 知り合いを求めてネットワークをさまよい、出会いの機会を得ようとする。生活空間を実世界から仮想世界へと広げていった。その結果、いったいどれくらいの人間と知り合えるだろうか。一生かけて知り合える人の数など知れている。浅く広く知り合える人を探すべきか、それとも深く狭く知り合える人を探すべきか。親を選べないなら、生まれる場所と時代を選べないなら、選択の幅を広げる為にも仮想世界は有用かもしれない。
 でも、そうじゃないとしたら、己が選んで親や場所時代を選択しているとしたら、ネットワーク時代に生まれたいと希望していたとしたら、それは必須の行為だといえる。それをしないというのは、自分に対する反逆であり、創造主や仏への裏切となる。

 人は一人では生きていけないという。それは物理的要因よりも精神的要因でよく言われる。本当だろうか。果たして人間の精神は一人一人独立したものなんだろうか。群体という生態をとる生き物がいる。茸のように巨大なシステムが単一の菌糸で成立している生き物もある。ネットワークが人間の基本だと仮定したなら、それこそ単一の生き物だと言えるけど、だからといって己という精神の独立は保証されているのだろうか。自分は自分だといえるだろうか。大きなネットワークの一部だとしたら、お互いに影響しあっているのじゃなくて、お互いに依存しあっているからだ。依存された精神なんて考えるのは「独立」「自由」が尊いと考える西洋的思考にはなじまない。

 確実に急速にネットワーク社会は顕在化している。そろそろ東洋的思考に立ち返ってみてもいいのかな。インターネットが新しい人間関係を作ると考えるより、人間とはそもそもインターネット的存在だから、そういう仕掛けを文明の力で再発見したにすぎないと考える方が素直だと思えてしまう。そこにはオンもオフも関係ない人間の本質が隠されているように思う。耳を澄まし、目を見開いて、鼻を広げ、手足を伸ばして、感じてみよう。そうなにか感じないか。つながっている存在だということを。 1999年12月17日 11時09分30秒
大蔵省と国民、又は全体と個人
 #煙草がまた値上げされます。税収不足を補うとのこと。主たる配分は旧国鉄債権の返済にあてるとのこと。ううむ、考えてしまう。

 電車は、最近どこでも禁煙で、駅構内でさえ禁煙。それでいて、己らの先輩達の残した借金の穴埋めに、そのしいたげた愛煙家の懐をあてにしている。なんだか変だね。愛煙家こそ、君たちの犯した罪をあがなっているのだよ。お客さまの中でも奇特な人達なんだよ。もっと大事にすべきでは。

 #NTTの子会社の社長が言ったそうな。「利用者主導のネットワーク社会の到来」。ふううん、ほんとかな。本気でそう思っているのかな〜。

 利用者主導というなら、まず第一にすることがあるだろう。それは親会社のNTTに市内電話料金の定額制を導入すべきと、稟議を廻すことだ。不等に高い料金の我が国で、利用者主導のなんて話をまともに聞く人はいないだろう。いくら優秀で有益なコンテンツがネットワークにあろうとも、フリーダイアルのようにはいかないのだからね。買っていただきたいなら、電話代払ってくださいっていうのは、消費者を馬鹿にしている態度で、そのような通信販売会社など、まっさきに市場から淘汰されているだろう。じゃあ、なぜそうならないのか。

 #大蔵省はNTT株式配当とNTTの法人税を減らすような事は絶対にしたくないからだ。

 大蔵大臣は、だれだっけ? あの方は、インターネットなんどという代物が判る方とは思えない。ましてや、大蔵省の官僚達は、歳入を増やし、歳出を減らすことがお仕事だから、国民が困ろうと、企業の発展が疎外されようと、お構い無しなんだよね。でも、それは目先の話。長い将来を考えれば、ここで一時的に税収や配当が減ろうとも、発展した市場は増益になり、結果として、税収は増えるんだよね。個人のセクショナリズムに陥ってしまって、全体が見えていない。そういう連中を『頭の悪い利口者』というんだよね。まあ、『頭の良い莫迦者』よりはましだけどね。 1999年12月10日 16時00分53秒
職人気質の勘違い
 A社最新OS及び最新機種のDHCP問題も、そろそろやばい状況になってきた。マスコミが叩きはじめたからだ。もっとも、叩かれているうちは、いい。無視されはじめたら、終わりだろう。発売の責任は、日本子会社が負っているが、彼等のコメントというか言い訳が、ようやく翻訳されて発表された。翻訳である。本社では、すでに本国言語での発表はされていたからだ。

 彼等に魂はあるのだろうか。言い訳によれば、彼等は悪くないそうだ。悪くないなら、そもそも「言い訳」はいらないだろう。悪くはないけど、問題が発生しているのは、相手が悪いからだと言う。まあ、すべて本社の言いなりだろうから、仕方有るまい。サムライとしてがんばってきたんじゃないのか。残念である。水道工事はきちんとしたが、水道局の規格が間違っているので、この家では水道は使えません。手汲みして下さい。ってなことを配管工が言ったら、どうなるだろうか。

 摺り合わせという言葉がある。職人にとっては、大事な言葉だ。俺の仕事が正しい、お前の仕事が間違っていると、言い合っても、施主の利益にはならない。そこで摺り合わせが必要になってくる。「俺の仕事にけちをつけるなら、作らない」などという職人は、本物ではない。職人は使える物を作ってなんぼだからだ。芸術家とは違う。そういう誇りはないのだろうか。すでに2ヶ月近くも、この問題は放置されている。その間に、摺り合わせは行われていない。サポートを拒否した国内有力CATVプロバイダーさえ出てきた。つまり、新しいOSや新しい機械が売れないということになる。小生も、この問題が解決できないと利用できないのはいうまでもない。だから買いたくても買えないのである。あの移動型機械には魅力があったが、現在のところ購入意欲はわかない。

 工業デザインは、芸術ではない。工芸品なんだという原点に立ち返ってほしいと、期待している小生は、甘いのだろうか。使えなくては、それは単にオブジェに過ぎない。

 問題なのは、DHCPではない、そうしたA社の姿勢にこそあるのだからね。新企画の機械が爆発的なブームを呼び、会社は経営を立てなおせた。だから、その立て役者である最高責任者の意向を無視できないというような社内事情があったり、また担当部署の不手際を隠ぺいすることによって、生き残ろうとけちな考えを持っているとしたら、商売人としても最低な人間だろう。ましてや職人でもなんでもない。君たちが、若い時、ガレージでちまちまとパソコンを作っていた時の、あの原点に戻ってほしい。経営者である前に職人であって欲しい。でなければ、独禁法で裁判沙汰になっている社名とは正反対な巨大企業と変わらない。

 「ほら、こんなに儲けました」「いいものを作ったから使え」というより「よかったら、使ってみてくれ」「どこか不便ですか、なおしましょう」というのが職人だよ。 1999年12月01日 20時30分13秒
「おたくみたいなの、クレイマーっちゅうの」
 この言葉が、懐かしくなるぐらい、時の過ぎるのが早かった今年でした。まあ、あれはあれで、当事者達に隠れてしまって、今では話題にすらならない。小生など、そういう世界とは関係ないと思っていたけど、最近導入したソフトでのトラブルで、際立った違いをみせたのだった。

 くだんのソフトは、斬新的なものだから、それは色々と不良箇所があるのは、やむおえない。土台、ソフトというものは、100%のバグ潰しが不可能であることくらいは、小生もソフト作成を過去に生業としていた経験上、理解できていた。しかし、対応した2社の、全く異なる応対に、感心もし、呆れもし、怒りも覚えた。

 A社:『顧客は自分の仕事の敵だ、クレイマー野郎』
 B社:『顧客は自分の仕事の味方です、協力者様』

 そういう、際立った応対を最近受けた。ここに実名をあげれば、それこそ、クレイマーにされかねないので、判る方には判るという程度で、書くことにする。A社から書き出すのは、つらいので、B社の応対から書いてみよう。

 B社:
(1信目:途中略)
 ピアツーピアでなく、LAN環境でご利用ということであれば、エラーの起きるファイルを他のマシンにコピーしお試し頂く事は可能でしょうか。エラーメッセージから拝察する範囲では、ネットワークに原因があり、MacOSが返してきているように思われますが、他のマシンの再現状況と、そのファイルの形式や名称、容量など、お教え頂き、再度検討させて頂けませんでしょうか。以上、お手数をお掛け致しますが、宜しくお願い申し上げます。敬具
(2信目:途中略)
 ファイル名を一時的に変更して頂いても、エラーになりますでしょうか。やはり、具体的なファイル名、形式、容量から検討させて頂ければと存じます。(エラーが生じるファイルの共通点があれば、お教え頂けると助かります。)また、エラーが出るマシン間のつながり方(ルータが入っているなど)もお教え頂けると参考にさせて頂けるものと存じます。お手数ではございますが、宜しくお願い申し上げます。敬具

 #なお、この後、バージョンアップ版に取り替えたところ、エラーの頻度は激減した。が、まだ完全ではない。であるからして、B社も状況を詳しく知りたがっていることが伺える。ここには、自社ソフトへの信頼というニュアンスと同時に、顧客側の事故の詳細情報を得たいという真摯な姿勢が見て取れる。ソフトウエアに絶対はない、ということが分かっている方の応対であった。小生のメール内容から、小生のスキルを判断し、さらに詳しい技術的問題点を、共同して洗い出そうとする姿勢に、好感をもてた。たとえ、それが、小生側の不具合であるかもしれないというのに、そういう言葉は決して出てこないという態度にも、B社の心意気を感じてしまった。

 A社:
この度は弊社ソフトウエアをご利用いただきまして、有り難う御座います。
ご質問の件に関しまして、ご返答いたします。

以下のことを御確認頂けますでしょうか。
1:一度アンインストールをした後、DiskFastAidをかけてHDに不具合が無いかを
  御確認ください。
2:再度○○○○をインストールしてください。(#○○○○に製品名が入っている)
3:PRAMのクリア・デスクトップの再構築を行ってください。
  (方法は、MacOSのマニュアル及びヘルプセンターをご参照ください)
以上、宜しくお願いいたします。

 #たった、これだけである。小生は、以下の内容を伝えたにも関わらずである。
(小生からの最初のメール)
 ヘルプをクリックすると、ハードディスクをがちゃがちゃさせて固まってしまう。これは、『?』ボタンでもメニューバーでも、必ず起きます。 仕方ないので、アプリケーションフォルダーのヘルプフォルダーを覗いてみたら、index.htmlとindex00.htmlとあって、どちらも白紙のアイコンになっており、ブラウズしてみると、ページの最後にゴミがでてきた。 まともに、デバックしたのでしょうか??表示されるエラーメッセージの詳細:エラーが出れば、まだすくわれます。

 #これ以後、馬鹿らしくなって、返信していないが、最近、A社のサイトを覗いてみたら、驚きました。なんと、くだんの不具合を直したと書かれています。早速、バージョンアップなるものをダウンロードし、インストールしたところ、確かにヘルプデータのゴミは無くなっていた。だがしかし、相変わらず、症状は同じ。しかも、ユーザー登録しているにも関わらず、その不具合訂正の知らせなど来ていない。そこには、とにかく、目の前のうるさい客を、どうまわすかという発想しか見えてこない。ヘルプをクリックしたらこけてしまうようなソフトを作った人も凄いけど、それを試験さえせず、出荷した販売者も凄いと思った。ましてや、トラブル担当の応対には、呆れてしまった。小生のメール内容を判断する能力があるなら、あのような「マニュアル」回答は、出てこないだろうから。もっとも、A社は、Windows屋であり、今回のMac版に関する限り、Macに対するスキルは、ないも同然と思えるので、そういう意味では、同情の余地は有る。ようやく、Mac用ソフトも「作ってみるか」と考えてくれる者が増えることは、小生にとっても頼もしいからです。願わくば、スキルアップしてもらいたいです。 1999年11月22日 12時08分30秒
自分をほめるのは恥ずかしい?
 A社に限った話じゃないけど、ちと目障りに感じてしまう小生の感覚というのは、きっと「恥じ」の文明」の影響だろうね。文化といえば、ローカルなものだけど、制度仕掛といった文明部分にかかわってくると、これはなかなか納得できないものなんですね。

 いわく、我が社の製品が、どこどこで、評価された、採用された。などという宣伝を自社のサイトに恥ずかしくもなく掲載しているのをみるにつけ、文明の違いを感じてしまう。また、そいういう情報をたれながしているA社よいしょのメディアから流れてくる記事も、目障りでしょうがない。自分達で拾い集めた情報源でもないのに、確認もとらず、ただ紹介している。恥ずかしいことだ。恥ずかしいというより、報道者として無能にちかいだろうね。
 DHCP問題も、当初は、聞き流していたというか、無視していた、くだんのメディアもさすがに、最近は問題意識をもってきたらしく、それなりに報道している。それでも、結局はA社の受け売りなとこが悲しい。まあ、惚れたら「あばたもエクボ」だから、目が暗んでいるのだろうけど、それなら報道機関ですよという看板をおろせばいいだけのことだね。

 「自分を誉めてあげたい」といわしめる文明とは、競争を肯定し、共存を拒否する文明なんだろうね。それが世界標準だなどと言って、最近ではもてはやされている。ふ〜ん、それって弱肉強食のことだろうと思うけど、この言葉は、お隣のチャイナ人のもので、彼等も同じ文明なんだね。ああ、世界はDNAの暴走に従って生存を拡大しようと本能まるだしで突き進むのか。それが人権主義の本質か? 人が、存在の中で一番尊いだって? 自惚れてるよ。傲岸不遜っていうんだよね。あっと、これもチャイナ人の言葉だった。なんて彼等は御都合主義なんだろうか。便利に生きてれば、それでいいとは、思わないよ。すくなくとも「生き恥じ」は知っている。

 あんたの所の製品が売れているのは、あんたの力だけじゃあないよ。たまには、我が社の製品を買ってくれて感謝します、と、お客さまに言ってみろ! いくら自分で誉めたって、うれなきゃあ、それは駄作だと評価するのが、あんたらの文明でいう市場原理ってもんだろうが。その市場を形成しているのは、売り手と買い手だって事を忘れないでね、お利口な莫迦者ちゃん。

 『私に食われてしまってありがとう』というのが、生き恥ってもんだろね。『感謝』ってのは、よく御覧よ、『謝ってる』だろう。この場合、食われたほうが尊いんだよ、わかったかな、ヒューマニスト達。 1999年11月20日 08時33分12秒
窓から抜け出して林檎の木の下で遊ぶ−S氏へのお礼状より−
 ようやく、小生のパソコンまわりの基盤整備がおわりました。その節は情報をありがとうございました。

 おかげさまで、システムがすっきりしました。Windows中心から、Mac中心へとの環境の移行計画は、昨年のiMac導入から始まって、2年弱で、ようやく稼働までこぎ着けました。

 初めて触ったマックの感触に、電撃を受け、もうWindowsには、戻れないと感じました。2000年問題にも動じないMacは、魅力でした。小生が、NEC離れをおこして、DOS/V機に乗り換えたのは、96年でしたから、4年で、ここまでくるとは想像もできませんね。毎年、新しい機械を一台づつ買っていたことになります。翌年にはB5ノートが珍しい時に、松下の機械を買うという冒険に出ましたが、今ではPanasonicノートは、メジャーになりましたね。そして、97年には、Compaqのラップトップを購入し、限界を迎えたIBMの代わりとしました。2台の機械を効率よく使うため、また情報の同期をとる為に、家庭内LANに挑戦。電話回線をISDNにして、LANとWANの環境を整えました。98年にいよいよ、待望のiMacを購入。Compaqをサーバーとした、Windowsネットワークが完成しました。iMacにはSoftWindowsを入れてやり、ネットワークに部分的に参加させました。
 今年に入って、家族にiMacをかってやり、小生のスキルも向上してきました。ネットワークで、初心者に応答できるまでにマックが理解できていました。今年の目標は、そのMac中心のネットワーク構築でした。当初、G4を考えていたのですが、MacOS9に問題があって、以前からPowerMac8500レベルの中古品を狙っていたのですが、なかなか出物がなかったのです。その間、Panasonicがさすがに古くなり、実用に耐えられなくなってきました。主な原因はデジタルカメラの高品位化にありますね。とにかく情報量が多い。だから大容量、高速マシンが必要だったのです。そこでSANYOというマイナーなノートを買いました。まったくメジャーではない。きっと今後もメジャーにはならないでしょう。こんな良い機械が売れないのは、名前のせいでしょうね。

 そして、とうとう8500の中古に運命的に出会いました。お店で箱からだしたばかりの状態でした。午前中に廻ったときにはなかったのですから。さっそく、LAN上で、SANYOからデーターを転送。さあて、これからが問題だったのですね。DOS/Vにつながっていた周辺機器がマックでもつかえるかという大問題。でもSさん、Nさん、ネットワークのみなさまのおかげで、すべて使えるようになりました。MOの一台などは、Windowsではドライバーがなくて使えなかったのですが、見事にマックにて使えております。スキャナ、デジカメ、AVと入力装置もすべて接続できました。ハードディスクは都合15GBまでになりました。一時保存用のMO、そして永久保存用のCDR。取り込みはiMacを使い、加工編集は8500で。できたコンテンツは、iMacとSANYOでブラウズという体制が完成しました。SANYOには、もう一つの顔があります。それは世間一般に広まっているWindows機械との接点をもつということです。どうしてもマック中心になると、Windows互換のデータを作らないときがあります。それを避ける意味でも媒体は、すべてPC-DOS形式にしていますが、コンテンツまでは注意がいかないものです。そこで、マックでできたコンテンツをSANYOでブラウズさせて、出来上がりを確認するのです。

 ながくなりましたが、来年は、これらの機器を使ってなにか作ろうと思っています。時間だけはたっぷりありますからね。取り敢えずは、アナログレコードのCD化です。ではでは(^^)/〜 99年11月13日 05時15分09秒
たんなるラッキーだったに過ぎない
 そうですね。それが不可解ですが、担当よりの返信を引用します。

|「犯人」が特定できましたね。
|「Open Transport J1-2.5.2」ですね。
| 某先生に聞いてみたら、アメリカでも DHCP はかなり普及しているそうで、
| 今回の問題は「J1-2.5.2」・・・つまり、日本語環境構築の際の「不具合」
| ではないか・・・・とのことです。
      (某国立大学工学部用度係、情報基盤担当者)

 ということですが、真偽は確かめようがないです。『不具合』なのかどうかが問題ではなくて、とにかく以前使えていた機能・機器が新しいOSでは継承されると考えたユーザーの方にも問題があるので、そういう意味でも、日本アップルは、情報を公開してほしいです。具体的にどこのインターフェイスを以前と変えたのか。そして、それはいったい何を目的とされて、『改善』したのか。その改善がユーザーの現状に、不必要又は、不適当なら、回避できるオプションなり、選択枝を与えるべきではないのかとね。
 バージョンアップならともかく、新規購入ユーザーにとっては、以前の「Open Transport」などという代物は、持っていないのですから。

 #勿論、アップルの『不具合』ではないという言葉を信じるという前提があっての話です。不具合でなければ、堂々と、正当性を主張していけばいいだけですよね。なら、改善策も対策も別段たてる理由がなくなる。きっと、DHCPサーバーの多くが、ず〜と、不具合な状態で、都合良く使えていただけのことですからね。小生の旧式iMacがNECのダイアルアップルーターで使えていたのは、そういう意味において、たんなるラッキーだったに過ぎないのかもしれません。ではでは(^^)/〜 99年11月11日 22時41分55秒
『退化の改心』、、、「対価の買心」に思う。
 ようやく、中古のPowerMac8500/150(MacOS8.5.1)を手に入れて、WindowsベースのネットワークからMacベースのものに換装できた。当初計画では、新型iMacをサーバー代わりに使う予定でした。それが、DHCPまわりの不都合と、それをとりまく環境の邪悪性から、嫌気がさしてしまった。
 贔屓のメーカーの所行をかばうことは、決して、将来の為にならないと思う。あえて、苦言をていすることこそ、愛情というものだろうか。恋してはいけない。愛こそ、iMacに相応しい。

 ということで、わざと型落ちのもを選択したのは、サーバーに求められる安定性と保守の安易さだろうか。Windows側からMacへのアプローチは少ないが、逆は多いようで。これが幸いして、我がノートパソコン(当然、日本人が持ち歩くように設計された機種はMacにはないので、これはDOS/V)も『DAVE』というすばらしい発想のソフトのおかげ以前とかわりなく、サーバーを使えている。このような発想のソフトとしては、『SoftWindows』があったが、それを導入した時以上の痛快さであった。前々から、Macに憧れていた。とてつもなく高価な機械。。。それで、しかたなくWindowsの世界へ。今、ようやく本来の心が解放された晴々とした気分。

 今では家庭内LANなどというのも、珍しくはなくなったが、日本の住宅事情を考えると、寒いものがあるね。無線方式がはやるだろうか。安全性はどうだろうか。だれかに盗聴されないだろうか。コードレス電話の時代にもあった不安だね。そこで、今回は、あえて退化させてみた。サーバーの選択も古い機械に古いOS、LANもイーサケーブルの引き回し。部屋ごとにHUBを設置し、それぞれをダイアルアップルーターに接続。こんな仕掛けは、もう古典的だろうね。

 はやり物に飛びつくことは、若さの象徴? でもないけど、好きですね。でも、あえて今回は、『退化の改心』となった。いくら最先端だって、まともに使えないなら、そんなものいらない。そんな基本ソフトを、最近発売した会社の幹部は、この事態をどのように受け止めているのだろうか。彼等に『改心』はあるのか、あるのは『買心』だけだろうか。その『対価』を払わされる時は、いずれくる。 99年11月04日 01時09分39秒
不都合と不具合
 言葉は便利だけど、使い方によっては、嘘にも真にもなるというお話。

 都合が悪いとえば、不備はないけれども、積極的には対応したくないという意思があるね。具合が悪いといえば、否定する理由があって、しかも、対応はしなくてはいけないけど、出来ないという意味だろうか。

 前まで接続がうまく出来ていた機械と機械が、一方の改訂でうまく行かなくなり、この問題に第三者である使用者が迷惑するという図式が最近起きました。相手は、手順を厳格にしたのだそうで、今までルーズな手順で繋がっていた他社の製品が作動しなくなった。あの世界では、よくある話。まあ、どちらかが降りてくると思っていたら、なんとどちらも不具合じゃなくて、不都合だと言ってきた。それで厳格に手順を守っていた特定のメーカーの機械しか作動しなくなったのです。不都合をおこされたメーカー側にいわせれば、いままで動かしてもらっていたのだから、その甘い手順は認知されていたと思うでしょう。それに相手は、その心変わりしたメーカーだけじゃないんだから、別のメーカーでは動くのですから始末が悪い。そして、その別のメーカーがあの世界のデフォルトスタンダードだそうな。だから、よけいにそんな経費かけてまで対応はしないでしょうね。

 小生に来た回答メール曰く、作動しない機能は使わないで下さい。

 これって小生にとって、非常に不都合なんですよ。一方で、ここが便利ですなどと宣伝していたりする。くだんのメーカーだって、今回の製品は自信作で、便利な機能満載ですなどと宣伝している。君たちにとって便利であろう機能は、まだ小生が使っていないわけだから、現在の機能が使えなくなると言うのは、それはもう不具合だと言わざるを得ないでしょう。

 不便だとあなたがおっしゃろうとも、小生は敢えて現行の古い製品を買わざるを得ない。これは懐やら、精神衛生上、非常に不具合である。 99年10月25日 19時49分19秒
気になる時間
 今月から、インターネット接続回線をISDNの「i・アイプラン3000」にしたけど、夜11時を待ってのパコパコは無くなって、時間帯を気にしなくなったけど、今度は接続時間が気になって仕方がない。

 以前の「テレホーダイ」タイムの時は、時間を気にせずチャットや掲示板で遊べたけど、今はそんな「ながら」は出来る気分じゃあないね。ネットサーフィンなんてやったひには、たちまち制限時間というか制限金額(=7500円)を越えてしまうだろう。しかも現在はISDN回線だけのサービスだから、すでに育っているテレホーダイタイムにおける交流文化とはなじまない。そんな夜中のパコパコ文化が「おたく」的な世界をつくっているのもいやだね。現状では健康を害しても、精神的には「テレホーダイ」のほうが楽だろうか。問題は「テレホーダイ」の時間帯なんだね。夕方7時スタートで、朝8時ストップとはならないのかな。
 「i・アイプラン3000」もきっと過渡的な商品だと思うけど、まあ、いつの世の中でもそうだけど、後から生まれた人が文明的には特をするのが文明の文明たる所以だろうね。流れは定額制と常時接続にきていると思う。問題は、それを加速させるエンジンが、日本という国にないことだね。NTTという企業の利益を損なってまで行う理由はないよね。3分10円という料金は昔から変わらないということは、物価上昇を考えれば、実質的値下げなんだよね。だから今は高いと思っている現行の常時接続料でも時代が過ぎていけば「安い」という感覚になるんだろうね。

 日本の大企業にも責任はあると思うよ。利用者の迷惑(=接続時間的損失)を無視したような重たいウエッブページを、これ見よがしに提供している「おばかな」サイトの多くが大企業のホームページだったりするものね。彼等は企業内イントラネットや専用線接続された環境で、あの重たいページを確認しているのだろうな。いっぺん、役員は、自腹で家庭から電話接続で、おたくの会社のページを見て御覧よ。「ああ、これじゃあ、遅くていらいらして、我が社の製品なんぞ、かってくれそうもないな」「いや、わたしなら、こんなページすらおとずれないだろうな」ときづくだろうに。
 現在のオンラインショッピングを支えているのは、昼間でも会社からパコパコ出来る環境にいる人や、夜中にパコパコしてる「おたく」じゃないの。詳しい商品情報をのせればのせる程、重たくなるのは仕方が無いものね。ウエッブページを宣伝媒体と考えると、じゃあ、その黄金時間帯(=ゴールデンタイムとかプライムタイムとかいうね)はいつなんだろうね。現状ではむりやり夜中にさせられているのが日本の現状だよ。軽い気持ちでながらにネットサーフィンできる環境でないと、ベンチャーだって育たないよ。

 ああ、それにしてもAOLはしつこいな。またまた送ってきたぞ「100時間無料」CDを。ならアクセスポイントはフリーダイアルにしてくれよな。未だにISDNに対応してないんだからさ。いつまでパソコン通信の世界にいるつもりだい。どうせ本国のマニュアルを翻訳してやってるのだろうけど、アメリカ合衆国だから、成立する話だろうが、「無料接続」ってのは。かの国では殆どの州が域内通話定額制だからね。もっと「日本の遅れた通信体系」を調査してから勧誘せんかい。このおばかさん。(^^) 99年10月19日 12時15分09秒
壊れていく神話
 松下、本田、ソニーと創業者が亡くなって、戦後技術立国日本に翳りがみえてきたね。

 明治が去り大正も中ごろを過ぎたころに似てきた。維新の気概で殖産興業、富国強兵、不平等条約の撤廃、列強への仲間入り、、、そしてアジア独立。そのような目標がある程度かなった時、明治の先達達(=実際は江戸時代生まれの若者だった)が鬼籍に入りはじめ、明治官僚育成制度(=帝国大学や軍学校でのエリート教育)で育った明治生まれの『馬鹿もの』どもがこの国を支配しはじめていたころ。

 支那にもロシアにも勝った。朝鮮も台湾も手に入れ、満州の利権も手にした。領土は大平洋の島々にまで及び、さあ、今度の敵は合衆国だと勘違いしていたあのころ。その後は悲惨な運命をたどったね。戦後不況、関東大震災、金融恐慌、海軍軍縮、政治家の汚職腐敗。ついには中国と戦争を始めてしまった。それはかつての弱い支那だったが、政治的には大国だった。合衆国を敵にまわすとは考えていなかった軍部、政治家は新しい国際秩序というかルールがわかっていなかった。帝国主義はすでにさり、民主国家の独立を経済的に支配する時代にはいっていたのがわからなかった。現代科学技術がめばえていたのに近代のままでいた日本。

 ああ、なにやら、近頃の核事故やトンネル事故に、かつての安全神話も技術神話も壊れていく。電子情報分野や金融での遅れは、どうしたことだろう。この国はもういちど頭の上に爆弾を落とされないと目覚めないのかな。情報予算といっても結局インフラ整備だったりするのは、かつての海軍が航空母艦や航空機は作れても整備士や操縦士を育成する予算も仕掛けも作らなかったのと似ている。

 リストラクチュア(=再構築)とは首きりのことではない。人材の再教育や教育の再構築で、いまいる人材を活用する事以外に、ないだろうね。急がば回れだ。 99年10月09日 19時02分55秒
傲慢とお節介
 鯨が港に迷い込んできたのを、なんとかしてあげたいというニュースなどがよく流れる。でもなんか変な気持ちになる。

 鯨を助けたいというなら、その鯨の餌になって殺されて食べられてしまう魚やオキアミの立場は、どうなるの? 枝から落ちて道端にむずむずしている毛虫を、「かわいそう」といって元の枝に戻してやれば、戻された木は迷惑だろう。でも、毛虫を戻してやる人などめったに見ない。
 可哀想とか、可愛いとか利口とかで、その生物に肩入れしたら、それこそ天然界の生物秩序が破壊されてしまい、環境破壊につながるということが判らないのだろうか。鯨は適当に迷って死んでくれるから、毛虫が適当に落ちて死んでくれるから、その餌にされている生物もそれなりに生き長らえているんだよね。

 朱鷺の人口ふ化に成功したといって大喜びしている。でもなんでだろう。烏は逞しく生きていて、別に保護なんかしないよね。朱鷺はおばかさんで肉も美味しかったから人間に食われて滅んでいく。烏は利口で肉も不味いから、しぶとく繁栄している。それだけよ。人間だって、いつかは他の生物に『保護』の対象にされちゃうかもしれない。

 何様だと思っているんだろうね、そういう人達は。

 ウランを制御できると驕り、挙げ句の果てに核分裂をおこしてあげている。自然には核分裂は起きないという。そんな馬鹿な。この世の中に自然以外のものなどない。それこそ自然科学で習ったでしょう。一定量の放射性元素が集まると核分裂してしまうと。だから、天然にはウランなんて物は集合していないんだよ。集合したとたんに爆発して、散り散りになってしまうからね。
 そいつが、人間の手でおこされた時、災害という。変だね。全ての災害は人災なんだよ。山がくずれようと海にのまれようと、地面がこわれようと、それは全て自然のこと。そこにたまたま人間どもが住んでいると災害という。傲慢な考えだね。どうして人間を含めた生物が快適に生活できるように、この地球が存在していると考えるんだい。逆だろうが。たまたま人間が住めるような環境の時が今なんだよ。それはそれは宇宙の時間の中では瞬きにもならない短い一瞬にこそ存在している『あだばな』にすぎないのさ。 99年10月02日 02時08分47秒
勘違い
 電子計算機製造販売会社が同業他者製品を、同者製品の「模倣」だとして訴えている事案で、考えてしまった。

 現在は、裁判所から「製造および販売を禁止する」仮処分が下っている。被告は全面的に争うとのこと。告訴の内容が、客が同社製品と間違って購入する怖れが有るからと言うのが笑ってしまった。新聞、雑誌などは、どうこねくりかえしても、どれも同じデザインだからといって、新聞を間違って買うだろうか? ロゴまで同じなら、それは偽物だから違法だろうが、ロゴは違うのだ。誰が間違うか。
 電子計算機を買う時に、車を買う時くらいのチェックはするだろうし、また販売店サイドにたてば、いつわって販売すれば違法なんだから、客に違いを説明するだろう。まして、中身はガソリン車と電気自動車の違いくらい違うのだ。自動車という機能においては同じでも中身が全く違う。なら、製造者は自信をもっていていいだろうに、なぜ訴えたのか。製品のコンセプトがデザインだけだったとしたら、寂しいね。
 価格的に不利なら価格を下げればいいじゃないか。そうじゃないなら、自社製品の優れているところを宣伝すべきで、なにやらわけのわからない外国の歌をバックにながして5つの色違い匡体が画面で回っているだけのCMで、どうやって性能を宣伝しているというのだ。ファッションじゃあるまいし、イメージだけで販売しようとするから、類似品に「きれた」のだろうととられてもしかたがない。

 テレビ受像機は、どこのメーカーも黒い匡体の横長型で、メーカーの区別はほとんどつかない。じゃあ、あの形を最初に出したメーカーが他者を訴えただろうか。どこもうったえてはいない。客は実際に受像機を店頭で見て確認してから購入しているからだ。

 なんでもかんでも「まず、訴えて、勝てればもうけもの」的なアメリカ式にはうんざりである。告訴したのはアメリカ大資本で、訴えられたのは、日本の中小企業であるが、かの大資本もかつては小さな会社だったころ、オリジナリティーにこだわる会社だっただけに残念である。 99年09月23日 01時32分03秒
手段の目的化
 神奈川県警幹部の「かくしごと」で、あいも変わらずの官僚の体質が露呈している。

 彼等は、いわゆるキャリアーである。エリートともいわれた。最高学府を出た秀才だそうだ。彼等の目的とはなんだったのだろう。この国を経綸したかったのか。それとも単なる権力指向だったのか。それも今となっては、幻である。
 いつの頃から、官僚が官僚組織を防衛しだしたのであろうか。組織を守るのは、そもそも、その組織を利用して、目的を達成することにあったはずだ。では、現在の彼等の目的とはなんだろうか。官僚組織は国家目的を遂行するための実行組織であったはずだ。それが、どうだろうか。
 組織を守り、そこからあがるであろう利益を追求するのみのマフィアかシンジケートと化している。そこには哲学がない。それは寄生虫とかわらない。かつて、そのような組織が我が国にも存在した。帝国陸海軍である。結果はどうなったか。みじめな敗戦がまっているだけだ。

 彼等のようなエリートを生む土壌は勿論教育にある。そして今、教育改革が叫ばれている。が、しかし、その目的は、あいもかわらない経済科学技術のためのエリート養成なのだ。哲学なき教育が国家世界に与える悪は、その毒素が回るのに時間がかかるだけに、取り返しがつかない。すでに取り返しのつかない所までいっているのだろうか。まにあったとして、明治維新のような改革をなすべき人材、人物が残っているのだろうか。

 渋谷の街を徘徊する若者と白虎隊の若者との落差に絶望を感じてしまう。 99年09月11日 01時11分58秒
今年の Word PC Exp 99 に行くご予定は、ありますか??
>今年の Word PC Exp 99 に行くご予定は、ありますか??

 ありません。目新しいものがなさそうです。PPC動作するMacOSエミュレーターがアメリカで発表されていますが、そいつがわがSANYOにのるかどうかくらいの興味しか現在のPC環境にはありません。それよりも来年8月サービス開始の無線ネットワークのほうが興味あります。NTTを介さない通信というのは魅力です。

 当分、小生のPCも更新はなさそうです。優遇税制も期限がせまっているから、この秋が、各社勝負だと思っていたら、案外78月が売れてしまった。つまり、買手は、新規機能など欲していない。安ければいいのでしょうね。結局はNTTの高すぎる通信費が壁になって、これ以上のことをネットワークで出来ない状態にある日本で、いくら機能をうたっても空しいだけです。フロッピー買ってきてそれにデータ入れて、切手はって出したほうが安いんですから、初めはもの珍しさでネットワークを初めても、ばからしくてやめてしまう。それで、テキストメールだけなら高価な機械はいらないし、メールで毎日なにか話すことだって切れてくる。結局、会ってお茶飲んでいたほうがいいときずく。

 仕事でつかわされている機械はPCじゃなくて、端末だから、それこそ、高機能なんていらない。メールで公の入札なんて出来ないのだから、結局ワープロ以上のものはいらないのね。ではでは(^^)/〜

 追伸:ワープロにPDF編集機能をもたせたら売れるよ。もち、今のワープロにはネットワーク機能もついているし、インクジェットカラー印刷は当たり前。ブラウザもメールも出来る。表計算だって、データベースだってついている。スキャナまでついているのさえある。事務仕事でつかうなら、これで十分だよね。(最近はウエッブ作成まであるよ) 99年08月24日 02時09分07秒
自然をなめるな?
 関東地方を襲った水害で、キャンプをしていた人々が遭難された。とくに丹沢山系では、ひどいようだ。『自然を甘く見てはいけない』などとアウトドアの専門家達がコメントしていた。

 待てよ! あの遭難現場のすぐ上流には発電用のダムがあるじゃないか。それって、彼等のいう自然かい? そして、そもそもキャンプという行為そのものは自然じゃないだろう。人間の営みとはなんの関係もない遊びだろう。きちんと言葉を使おう。『自然』じゃなくて、『天然』といおう。

 よしんば、正しい意味での『自然』として捕らえた時、これは位置エネルギーの解放という物理法則に人間という物体の重力の慣性力が負けたというだけの話だ。それいがいの事象は、すべて社会学的考察にまかせるべきであり、自然とはおこがましい。

 わざわざ、ダムの管理者はテント人達に警告までしてくれた。にもかかわらず、それを無視したのだ。そして、結果は無惨。なにやら、昔昔の日本軍を思い出す。インパール作戦とか、ガダルカナルとかね。『引き際』を知らない愚か者というしかない。そして、そんな彼等でも捜索はされている。この経費は全て税金だということを忘れるな。遭難死亡された方にむち打つような意見だが、こういう死に方を『犬死』というのだよ。 99年08月17日 00時08分41秒
つたわらないもの
 言葉で伝えられるものなど、ほんのわずかなんだね。

 どのように言葉をつくしても、伝わらないことがいくらでもある。言葉にしても、使い使われる環境や人で、定義や用法が違っているから、なおさら誤解だらけの意思しか伝わらない。なんとももどかしい。
 もどかしくても、人間同志の交流に言葉の占める割合が大きいのも確かで、ましてや、書き言葉だけの世界では、半分も伝わればいいほうだろう。
 言葉は、人格をもっている。そして、言葉での議論には、人格攻撃という罠に陥りやすい。そこにはまりこんだら、あとは傷つけ合うだけの不毛が残り、初めにあった目的など、どこかへいってしまって、残されるものは、相手への非難と自己弁護だけという寂しい結果がまっている。

 それでも、人は言葉を使う。相手を認めるというのは、理解することではない。理解できたと思うことが誤解をうむからだ。理解はできないが、そういう言葉を発する存在があるということ、そして、己だって、相手から同じように思われているということを理解できれば、共生は可能だろう。意見が違うからといって、相手をへこましても、それで何が解決できるのだろうか。

 言葉は空しい。理解されたいなら、行動するしかないだろうが、そもそも理解して欲しいと思う心とは、いったいなんだろうか。誠意ある行動を示せば、相手も分かってくれてかわるだろうと思うのは、己が正しいと思っているからだろうか。そうであれば、なんと傲慢なことか。お前の正しさを決めるのは、いったい誰なんだ。もう一度考え直してみたい。 99年08月12日 06時10分51秒
つまらなくなるテレビ番組
 フジテレビで以前やっていた深夜番組に『社会の窓』というものがあった。これがとてもシュールでシニカルでよかったのだが...

 最近、衣替えして、『社会の窓2』などといっている。しかし、内容はまったく違ってしまった。やはり、民放では文化の創造は不可能なんだろうな。スポンサーから見れば、どんなに文化的番組だろうと、視聴率調査装置を設置された世帯のレスポンスが全てだから、一部に異常に受けてしまった番組は、価値がないのだろう。
 くだんの番組宛メールには、苦情が殺到しているが、制作者は無視するだろう。なぜなら、きっと現在の視聴率のほうが以前より高いからだ。賞金をかけているから、それなりのバカは飛びつくだろう。そして、そうしたバカを相手に、スポンサーは間違ったレスポンスを受け取ることになる。
 いったい、深夜にテレビ番組を見ている層に視聴率調査装置のどの程度が割り当てられているのだろうか。24時間、テレビをモニターするわけでもないだろうから、スポンサーは、深夜時間にどのような購買層に自分の商品を告知できたと確信できるのだろうか。

 まあ、どちらでも同じことだか、これがウエッブページとなると、アクセス件数がリアルタイムで確認できるし、購買層の絞り込みもアンケートページなどを使えば可能だろう。そう、すでにテレビはしんだのである。 99年08月06日 04時35分19秒
トロイメライ
 『母』という日本映画をCS放送で見ました。

 テーマに流れていた曲は「トロイメライ」。挿入歌は「星の流れに」。なんともせつなく、かつ希望に満ちた映画だった。なぜ、母がトロイメライが好きだったのかが分かったような気がした。
 母には己の母の記憶がない。写真がたった一枚あっただけだった。小生が物心ついた時に、最初に聞こえてきた曲だった。母はきっと、この映画を観たに違いない。母は母探しをしていたんだろう。
 許されない結婚をして母を生んだ祖母は、写真の中できれいな微笑みをたたえていた。母のいない母がどんなに己の母を探し求めていたのか。母の役割をどうしていいのかさえ判らず、小生達を育ててくれた母。
 母の大きな愛を深い愛を感じました。ああ、親孝行をしてやれなかった小生には、母がいただけでも幸せだったんだ。とてもせつなくなった。きっと、天国で母は祖母に甘えていることだろう。母の深い悲しみがしみてきた夜でした。ああ、もっと甘えてあげればよかった。 99年07月26日 23時57分47秒
一喜一憂
 なんだか、最近のネットは騒がしい。初めは、まともに見ていたが、だんだん馬鹿らしくなってきた。どれが真実かは、結局は己で調べなくてはなにも判らないということが学習できたことが、今回の騒動を見聞しての成果かな。(^^)

 思い込むと、なかなか正当な判断がつかなくなると言うのは、情報操作のイロハなんだろうけど、それにしてもすごかった。いや、まだ終わっていない。問題を次々に変えては話している。なんだろうか。

 そういえば、吉田拓郎の「イメージの詩」の中にそういう歌詞があったね。著作権に抵触するから正確な引用はできないけど、『たたかいつづけるひとのこころをだれもがわかっているなら、たたかいつづけるひとはあんなにはもえないだろう』てなこと歌っていたな。

 さめた歌詞に毒づいている当時の全共闘運動に対する批判だったのかな。それはいまでも通用しそうだということが空しいね。『カップスター。。。』とか歌っているおじさんも、昔は喧嘩ばかりしてたっけ。

 ”パソコンを夜中にパコパコ、暇さえないのにネットで激論、ああ、それも青春” 99年07月24日 02時41分47秒
日の丸への嫌悪感(友へのメールより)
初めて「kame の生態 ちちへ」を見ました。

 ども。水ようかんいかがでしたか(^^)
 結婚しなかった以外は、なんて父の人生ににているのだろうと、不思議におもっています。

 義務教育で、徹底的に国民にされていく。それは家畜への道。日の丸への嫌悪感は、反戦なんかじゃないと思う。「お前達は家畜だ」と確認を求められているからだと思います。校旗校歌、社旗社歌、国旗国歌、、、みな家畜にとっての忌わしい印。しかし、それを押し付ける側にとっては、すばらしい武器になる。

 だから、多くが出世して、旗を振る立場になりたがる。それもよくできた家畜制度だということに本人が気付いていないところが喜劇なんだろうね。大将というものは、自分では旗などふらない。旗ふりに振らせるものなんだから。そして、旗揚げするもの。

 出世すれば、旗揚げ者になれるとの幻想は太閤立志伝にあるのであろうが、彼の素性は不明であり、貴種という説がある。「努力がむくわれる」のは旗揚げ者だけさ。『ひと旗あげる』とは、自主独立のことなんだよね。そういう連中ばかりになると、世の中がうごきすぎてしまい、トップにとって、たいそう困ることだろう。で、教育で押さえ込む。アメリカのダイナミズムは、実は拳銃所持にあると思う。日本では明治の排刀令以後、侍は絶滅した。そして、常時武器をたずさえることが許された職業軍人達が、自分達の立場を誤解して、この国を滅ぼした。日本人の多くが「戦国時代」物がすきなのは、潜在意識下に押さえ込まれた自主独立へのロマンなんだろうね。ではでは(^^)/〜 99年07月20日 01時39分42秒
狩人になりたい(友へのメールから)
釣りでもしながら、余生を過ごすか・・・・・・・。

 父が、そうでした。父には余生が長かった。「仕事で燃え尽きた」そんな感じでした。手ごたえを感じられなくなった時、人は狩人になるのでしょうか。

 急いで生きてきた人間は、のんびり生きてきた者よりも時間の経過が早い。つまり、早く老成するわけです。人生の黄昏れを感じてしまう。かといって、やりなおせるだけの、体力がすでに失せている。人間50年だったほうが幸せだったかもしれない。長生きしたいというのは、生きていて幸せだからでしょう。幸せの本質に気がつけば、長生きするだけが最善ではないと気がつく。

 DNAから逃れられない運命であるなら、むしろ早い世代交代のほうが望ましいわけで、長生きはむしろ邪魔であろう。ではなぜ寿命がのびているのであろうか。それは、DNAが次世代に十分な栄養を与えたいために、親世代を酷使したいがためである。そして、そういう種族は一般に食物連鎖の頂点にいるし、個体数も少ないものである。例外が人類だ。人類の祖先は矮小な鼠だった。だから、鼠の飢餓感と繁殖能力を受け継いでいる。慢性的な空腹感、24時間襲ってくる性欲。これらはみな鼠の性質であろう。ではなぜ、人類がライオンのように食物連鎖の頂点に達しえたのか。そもそもそのような種族が頂点に達してしまえば、生命世界全体のバランスが失われてしまい、結果として人類の覇権は成立しなかったはずである。

 「神に選ばれし人」という言葉がある。鼠の性質をもたない猫族のような性格をもった人々がいるのである。実は彼等の存在が頂点に立っているだけであり、それはほんのひとにぎりの種族にすぎない。あとの人類は、ただ生物学的に同族という点に於いてのみ、人間としてあつかわれている。階級が存在してあたりまえなんですね。そこに気がつけば、人類の大分部分は彼等『真の人間』に家畜化されているだけであろう。この家畜からの解放こそが、自由だろうと思います。猫族は狩人なんです。ではでは(^^)/〜 99年07月12日 23時46分21秒
励まされました(^^)
 うれしいことです。肝炎患者さんから、励ましのメールをいただきました。うれしかった。くよくよしないで、前に進まないとね。いくとこまでいくしかないんだ。 99年07月10日 00時47分11秒
ようやく、LinuxノートパソコンがネットにつながったPs
 ふう、ようやくLANカードを認識した。

 それにしても、なんて面倒な仕掛けだろう。これで、我がPanasonicノートもまともなLinuxマシンとなった。
 この日記も、Linuxを載せたpanasonicから書き込んでいる。「かんな」は、「ことえり」といい勝負だな。 99年07月03日 01時28分50秒
NTTよ、そこまでして儲けたいか(-"-#)
 今日、NTTのページで発表されたね。やっぱり、通話料10,000円だ。誰が対象かわかったよ。ODNエコノミー対象者を、こちらに持ってこようというんだね。戦略だね。ODN陣営は、どうしたって、加入者宅までの回線を引きまわせないから、携帯電話のように、結局NTTのひとり勝ちになるんだろうね。こうなったら、PHS会社が思いきって、64KBSを早急に立ち上げて、域内料金を定額にするこったね。こみこみで月額を9,999円(消費税込)にすれば、すぐにでもNTTとの契約なんかやめちゃうんだけどな。今がチャンスだと思うけど、東京電話さん、やれないだろうな。

 これじゃあ、ますますネットワーカーは夜型人間になっちまう。いずれ、ISDN定額が全国展開されたら、きっとISDNテレホーダイを廃止するよ。ああ、特定の私企業の儲け主義が日本の通信の将来を潰していく。ゆるされるものじゃない。 99年07月02日 05時19分05秒
#その後、NTTでは、5,000円での常時接続サービスを全国展開すると発表したが、接続業者への料金が別途かかるため、さらなる値下げが必要と思う。(2000.1.14フォローコメント)

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