ひろちゃん&よしこのフランス小旅行記 by ひろゆき

第1部 「初めてのパリ」

−目次−

1.ふってわいた話
2.ひろちゃん&よしこ、いざパリへ!
3.二人は歩くよ、どこまでも
4.パリの光と陰
5.空港へお出迎え


1.ふってわいた話

 そもそも、今回のフランス行きは、一本の電話がきっかけだった。 5月下旬、僕の高校時代の友人、Sからの連絡。
「俺、フランスW杯、見に行くよ。」
海外にも頻繁に旅をしている彼のことだ。しかも大のサッカー好き。 それくらいの行動力は見せて当たり前だと思った。 そして次のセリフで、僕たちはその後、得難い体験をすることになる。
「河野とよしこちゃんの分も手に入るかも。一緒に行かないか?」
心はV字ジャンプで140m大飛行だった。

 97年の秋、ドイツに派遣されることが決まってから、真っ先に思い立ったのが、
「もし日本がフランスW杯行きの切符を手に入れたら、絶対に見に行こう!」
ということだった。 ちょうどそのとき日本は、加茂監督から岡田監督への突然の交代劇に揺れていた頃。 だからそのときからの思いは一つ。
「俺はドイツ行きを決めた。だからお前達もフランス行きを決めてくれ〜!
 一緒にフランスで会うぞ〜!!」
岡野が決定的チャンスでミスパスを出した時には愕然とし、 岡野がスライディングでVゴールを決めたときには狂喜した。

 ドイツに来てちょっと落ち着いてから、日本戦のチケットをドイツで探してみた。 日本ではとうに売り切れているという情報は知っていたが、 ドイツでは日本戦なんて不人気カードのはずだから余ってるだろうという甘い期待を抱いていたのだ。 しかし、ここはフランスではなくドイツ。 配分されるチケット数も、日本とさほど変わらない。 旅行会社で調べてもらっても、日本戦は一枚もないとのこと。
「甘かった・・・・」
どんなに近くまで来てみても、チケットが手に入らないんじゃ仕方がない。 幸いドイツでは予選が全試合、通常の地上波放送で放映される。 日本のように衛星放送を受信する必要はない。
「しかたない。テレビで見るしかないか。ドイツ語の解説だけど。」

 Sからの誘いは、まさに棚からぼた餅!  そこが体育館なら4連続バク宙したい気分だった。出来ないけど。 確かにドイツからフランスに行くのは、そう難しい事じゃない。 僕とよしこの住むハノーファーからパリまでは700kmくらい。 ちょっと窮屈なのを我慢すれば、夜行バスでだっていける。 お金もそんなにかからない。 だから心配なのは当然ただ一つ。
「チケット、一枚いくらぐらいすんの?」
こんなとき、日本人は他の国の人間に比べて高い金をふんだくられるのは世の常。 しかもW杯の観戦ツアーなんて、日本がジョホールバルで出場権を決めた直後から、 あっと言う間に定員オーバーで締め切られたと聞いていた。 果たしてW杯開幕2週間前で、チケットなんて手に入るのか?
「クラス1で一枚89000円。クラス3で78000円。」
W杯の観戦チケットはクラス1からクラス3まで区別されていて、 クラス1はメインスタンド及びバックスタンド席。 クラス2は長方形のピッチの4つの頂点に位置する部分にある席。 そしてクラス3は2つのゴールの真後ろにある席。 まあ、開幕直前だからそれくらいの金額は予想できないことはないが、 それにしても、実際に払うとなると大した額だ。 しかし、僕にしてもサッカー好きを自認している。 よしこと2人でギャーギャー言いながら、アジア最終予選を観戦していた。 ドイツからの交通費もそれほどかからないことを考慮して、 思い切ってクラス1を2枚頼むことにした。 しかし、クラス1なんて未だに売れ残ってんのか?  Sによると、フランスに直接ルートを持った代理店に頼んでるから大丈夫とのこと。 彼の人脈の広さは仲間内でも有名で、 いつものように、おそらく僕たちの想像も付かないところに手を回して、 どうにかしてチケットを手に入れたのだろう。 そのときはまだ、漠然とそんな風にしか考えておらず、 頭をよぎるのは、もっぱら、よしこが、そんな大金を使うことに、 果たして賛成してくれるだろうかということだった。 結果としては、よしこも、金額にビビりつつも楽しみに試合当日を待ってくれることになった。

 ドイツでは、毎日インターネットで日本の新聞を読み、日本の情勢をつかむことには余念がない。 W杯は6月10日、ブラジル−スコットランド戦で開幕し、 それについての記事を読もうといつものようにネットワークに接続する。 そして、例のあの忌まわしい大ニュースが自宅のパソコン画面に飛び込んできた。
「日本戦のチケットがない!!」
なんやとーーーーーーーっっっっっ!!!???
新聞によると、日本のほとんどの旅行会社が、W杯の日本戦チケットをまだ入手してないということだった。
どういうこと? そんなバカな・・・
普通では考えられないことが起きている。 日本のプロの旅行会社が、前代未聞の大詐欺事件に巻き込まれるなんて。 なんたる事態・・・・・  おいおい、どうする? 2枚で20万円ちかくのチケット代はもう振り込んだ後だぞ??

 すぐに日本にいるSに電話した。果たして我々のチケットは大丈夫なのか?  なかなか捕まらなかったが、ようやく電話がつながって返ってきた答えはこう。
「チケットを頼んでいるクリエイトって会社は、フランス国内に独自のルートをもってて、
 たぶん、俺達が買ったチケットは、日本で報道されてるチケット数にはカウントされてない。」
なるほど。 チケットを日本人業者としてではなく、フランス経由で買ってるから大丈夫なのか・・・?  まあ、そうなんだろう。 しかも、チケットがないという騒動が起きたあとに、 もう一度Sもクリエイトに確認の電話をしたらしい。 こんな大騒ぎになっているにもかかわらず、 業者が「チケットは間違いなく入ってます」って言ったらしいから、 本当に間違いはないんだろう、たぶん。 そんな確認の電話を終えた後の金曜日、僕とよしこの分のチケットを買いに、旅行代理店に行った。 出発は明日、帰ってくるのは月曜日ということで、一番安い往復チケットを探してもらった。 DM1515は日本円にして約12万円強。 もっと早く予約すれば、ずっと安い値段で探せたんだろうけど、翌日出発ということで、 この値段はしかたがない。 金曜日の夜に夜行列車でパリに向かうという手段もあったけど、そのあとの旅程を考えると、 パリに着くまでに体力を消耗するのはもったいないと考えての結論である。

 ともかく、これでフランス行きの準備は整った。あとは、Sから無事にチケットを手に入れて、 サッカー日本代表の歴史的な晴れ姿を、この目にしっかり焼き付けるのみである。



2.ひろちゃん&よしこ、いざパリへ!

 6月13日土曜日早朝。午前3時に起きて、いろいろ身支度をし、簡単な朝食をとり、 午前5時15分、僕とよしこは、いよいよ初めてのフランスへと出発した。 ドイツは夜が来るのが非常に遅いが、朝が来るのは非常に早い。 つまり暗くなっている時間が7時間くらいと、すごく短いのである。 5時というのに、周囲はかなり明るく、Leibnizhausの玄関を出ると、 もう川沿いの市場の場所取りが始まっていた。恐るべき商魂。いや、日本人が言ってりゃ世話ないか。 Hannoverの中央駅まで歩いて10分。空港行きのバスに乗って20分。 7時丁度のフライトだが、空港には6時についた。 通常国際便に乗るときは、フライトの最低1時間半前までには空港についておくものだが、 なんとハノーファーからパリへ行くのに、パスポート提示の必要がないのである。 国内線と同じ扱いなのだ。楽々パリ・シャルル・ド・ゴール空港行きの飛行機に乗った。 50人乗りくらいの小さな飛行機で、まさに空のバス・エアバスといったカンジ。 同じ便の中で、体のでかいドイツの若者どもが、ギャーギャー騒いでいた。 もちろん、W杯観戦が目的だろう。サッカーフリークのような格好をしていた。 そうこうしているうちに、軽い機内食が出て、1時間ちょっとでパリに到着。 果たして、ひろちゃん&よしこは、生まれて初めてフランスの地に降り立ったのである。

 やっと少し慣れてきたドイツ語とはまた全然違うフランス語が周囲から聞こえてくる中、 空港でドイツから持ってきたマルクをフランに換金した。 日本円も自宅に持っており、マルクに換金するのも面倒くさいので、 いっそここでフランに替えて使ってしまうかとも考えたが、 ここ最近の円の暴落のニュースを知っていたので、いま円を使うのは馬鹿らしいと思い、 フランスにはマルクを持ってきたのだった。 とりあえずフランを手にし、なんとか空港近くの駅まで通じるシャトルバスと、 そこからパリ市内まで向かう電車・RERに乗り、Gare du Nord(パリ北駅)に着く。 Sは彼の友達と二人で、21:10に全日空機で空港に着く予定。 待ち合わせもその時間に到着ロビーでということになっている。 Sは成田空港でチケットを業者から入手しているはずなので、 ひろちゃん&よしこは、到着ロビーで入場チケットとご対面という予定だ。 それまでに我々がしておくことは、パリ市内の観光と、 翌日の日曜日に日本vsアルゼンチン戦が行われるToulouse(トゥールーズ) まで通じるTGV、または夜行列車に関する情報を集めておくこと。 約束の時間にはまだかなり余裕がある。 RERの到着ホームは地下2階にあり、それから地上のメインホールまで上がり、ベンチに腰掛けて、 日本から持ってきた旅行ガイドブックを片手に、まずその日廻ろうとするルートを確認する。 駅構内はさすがにW杯ムードで満たされており、たぶん通常のパリの雰囲気とは異なるのだろう。

 9:00、Gare du Nordを出発点として、まずパリ市内を見て回ることにした。 Gare du Nordの出口を出ると、 趣のあるいかにもヨーロッパ調の外壁が印象に残った。その外壁を背にし、やや南下して東へ向かう。 街を行く人々は、いつも目にしているゲルマン人達とは明らかに異なる人種であることが一目でわかった。 特にドイツはゲルマン人の割合が8割を超えると言われ、それに比べると、 中東系やアフリカ系の人々がかなり多いのが目に付く。 そして気になったのは、多くの歩行者が信号を無視して先を急ぐこと。 警官が横断歩道に立っていても平気で赤信号で歩いていく。 それを警官も注意する素振りも見せない。 お人好し日本人のひろちゃん&よしこだけが、ずっと青になるまで立ちんぼうで待っていた。 それにしても、パリの交差点というのは、ごちゃごちゃしている。 4つカドなんて、ほとんど見かけない。 一番多いのが6つカド。ひどいときは8つカドなんてのもある。 しかも一方通行がやたら多い。そして車はビュンビュンとばしている。 それが下町のごみごみしたところだけじゃなく、中央の繁華街でもそうなのだから、 観光客がレンタカーを借りてパリ市内を走り回るのはすごく難しいのではないだろうか。 少なくとも僕にその勇気はない。

 20分ほど歩くと最初の目的地、Opera Garnier(オペラ座)へ。 たくさんの観光客がここを訪れており、観光バスもたくさん停まっている。 よしこはこのオペラ座へ一度来たかったらしく、さっきまで、 「これが有名なパリの街か? あまりパッとしないなぁ・・・」と二人でぼやいていたけど、 ここではニンマリ。正面へ廻ると、 さらにたくさんの観光客が集まっていた。 ここでちょっとした事件が。観光地でよく見かけるポラロイド写真屋のオヤジが近づいてきて、 パチパチッと僕たちの写真を撮った後、片言の日本語で話しかけてきた。 よしこはそそくさとその場を去ろうとしたが、人のいいひろちゃんは立ち止まりオヤジと話し始めた。 オヤジは2枚の写真を買えという。 まあ、安かったら買ってもいいかと思い、調子に乗って話しを続けていると、「トゥーフォーティー」と言い出した。 「240F? まさかねぇ。5000円くらいだぞ。それは高すぎる。ひょっとして2×40って言ってるのか?」 と思い、「"Two-forty" means "eighty"?」と聞くと、オヤジは、「OK! OK!」と言う。 「80Fか。やっぱそれくらいの値段だろうな。」と思い、財布を開くと、 オヤジがスッと僕の財布に手を伸ばし、お札を一枚引き抜く。 そしてサービスと言っておつりを30Fくれた。 そして、「サービス! サービス! ノーマネー!」と言って、あと3枚撮ってくれた。 えらく上機嫌なオヤジやなぁって思いつつその場をさると、よしこが青い顔で一言。
「ねぇ、なんで500F渡した?!」
なぬ? さっきオヤジが抜いたのは100Fじゃなかったのか??
「ひろちゃん、いかーーーーーんん!!!!!」
そう。オヤジは僕が"eigty"と言ったのを故意かどうかわからないが480とうけとり、 僕の財布から500Fを抜き取ったのだ。そして30Fをバックし、さらにサービスと言ってあと3枚撮った。 僕はまんまとカモにされたのだ。嗚呼、あわれなバカ正直者の日本人・・・・
そこでよしこが一言、「やっぱりオペラ座には怪人がいた・・・・」
シャレになりませんぜ、まったく。 一瞬にして470F、日本円にして約10000円強を失ってしまったひろちゃん。 怒ったよしこには、それ以後、常に財布を管理される始末。 ここで早くもメチャブルーになり、よしこに「もうHannoverに帰りたくなってきた」と漏らす始末。 とほほほほほ。パリ。危険な街だぜ。

 そこから、とぼとぼMusee du Louvre(ルーブル美術館) の中庭からPlace de la Concorde(コンコルド広場)まで歩いて行き、 なんとか気分を回復させようと、ベンチで休憩する二人であった。 天気予報は雨だったが、なんとか傘は使わずにすんでいる。 しかし、どんより雲はいっそう気分を滅入らせる。 さえない空模様もパリの印象をさらに悪くしている。 しかし、パリの空っていうのはそもそも曇り空ってのが定番らしい。 ともかく、大きな広場に出たが、どこからどこまでがコンコルド広場がいまいちわからず、 ちょっと困惑気味の二人ながらも、とりあえず記念写真撮影にふけっていると、 思いもかけず、一瞬にして気分転換させられる出来事が起こった。 コンコルド広場の階段の途中に座ってお弁当を食べている4人組がいた。 彼らはみんなシルクハットのような縦長帽子にマントをまとっている。 それも全てオレンジ色。 そう。彼らはオランダのサポーターなのだ。 しかもド派手に頭のてっぺんから足のつま先までオレンジ色で決め込んでいるところを見ると、 かなり筋金入りのサポーター、かの有名なオレンジ軍団だ。 ひろちゃん&よしこは、「おお! いるいる。やっぱりW杯だな〜。」って言いながら、 彼らの横を通り過ぎようとしていた瞬間、奴らは現れた。 後ろから変な集団がやってくる。彼らも縦長帽子とマントをまとっているが、色が違う。 黒と黄色と赤が基調になっているようだ。 そして、数も10人以上。しかも10m四方くらいのばかでっかい一枚の布っきれを全員で持っている。 どうやら彼らの母国の旗のようだ。 奴らはベルギー軍団。ゆっくりした足取りで、大きな奇声を上げながらこっちへ近づいてくる。 急いで本で調べてみた。
やっぱり!
6月13日は、ベルギーvsオランダがパリで行われることになっている。 しかも彼らにとっては緊張・大注目の第1戦。 そしてベルギーとオランダは隣国同士で、日本と韓国のようなライバル関係にある。 そして前回大会でも彼らは予選リーグ初戦で火花を散らしているのだ。 まさに因縁の対決。一触即発の関係だ。 できることなら、サポーター達はお互いに接触せずにスタジアムに入って、 終わったらさっさと自国に帰ってもらいたいところだ。
ところが!
ベルギー軍団は笛やラッパを鳴らしながらオレンジ軍団の後方から近づいてきて、 あろうことか、4人組の上にベルギーの国旗をかぶせながら階段を下りて行くではないか!
It's so dangerous!! なんちゅうことをすんの、あんたたちはっ!!
なんとか何事もなく済んだのは、人数が4vs10だったこと。 喧嘩になっても必ずオランダ側が負けるので、オレンジ軍団の一人が親指を下に向けてブーイングし、 あとの3人は仲間内で顔を見合わせて苦笑いをしただけで済んだが、 これが同じくらいの人数だったら、どうなっていたことか。 もっとも、同じ人数なら、ベルギー軍団もあんななめた態度はとらなかっただろうが。 ともかく、「W杯は戦争なんだ!」という、なにかの本で見たフレーズを思い出した。 一気に戦場の雰囲気を味わったひろちゃん&よしこは、ここが安全な日本ではないことを再認識して、 Av. des Champs-Elysees(シャンゼリゼ通り)へと向かうのであった。



3.二人は歩くよ、どこまでも

 シャンゼリゼ通り。日本人でもたいていの人がこの通りの名前を知っている。 そして、誰もが口ずさむであろうあの歌を歌いながら、 ひろちゃん&よしこはシャンゼリゼ通りを、つないだ手を大きく振って闊歩するのであった。
「オーー、シャンゼリーゼーーー! オーーー、シャンゼリーゼェーーーー!」
みんなもメロディーはすぐに想像できるだろう。そうあの歌。
もちろん歌詞はこの部分しか知らない。 しかし、二人はバカの一つ覚えのようにこのフレーズを繰り返して大声で歌うのであった。
「トリロッ、タリラッ、トゥリルッ、テリレッ、
 ターリラーリラーラリーレ、シャンゼリーゼェ〜〜〜!」
旅の恥はかき捨て。

 シャンゼリゼ通りには各国の国旗がズラーッと掲げてあり、その距離は通りの端から端まで、 1km以上はあっただろうか。コンコルド広場からシャンゼリゼ通りに入ったときには、 はるかかなたに、かの有名なArc de Triomphe(凱旋門)をかすかに見ることが出来た。 通りに入って500mほど歩くと、 かなり趣のある芸術的な建物が通りの南側にある。 それを過ぎると、だんだん、レストランやカフェなどが通りの両側に並びだす。 すると途端に、シャンゼリゼ通りは、まさにそのおしゃれな顔をあらわし始めるのである。 そして段々と凱旋門の姿が大きくなっていく。 シャンゼリゼ通りも、W杯一色で、 普段のおしゃれな華やかさはどこにいってしまったのかと地元の人は嘆いていることだろう。 日本人の姿もたくさん見られる。予想を遙かに超える数である。 みんな明日のアルゼンチン戦を見に来ているんだろう。 「ところで、みんな、ちゃんとチケット持ってんの?」と聞きたくなるほど、たくさんの日本人がいた。 しかし、それにもまして多かったのは、やはりベルギー軍団とオレンジ軍団。 通りのいたるところで、喧嘩とまではいかなくても、応援合戦で威嚇しあっている。 もちろん、警察沙汰にはとてもなりそうにないくらい、穏やかな挑発ではあるのだが。 そして、自国の応援グループとすれ違った日には、通りの向こう側にでも平気で、 大声で歓声をあげ、お互いに意気高揚を促す。こりゃ、地元民には大迷惑だろう。 シャンゼリゼ通りは片側が3車線から4車線もある大きな通りだが、そんなことはお構いなし。 敵国の応援団同士がすれ違うときには、これまた大声で挑発しあうし、こりゃ大変だ。 お洒落とか華やかさとかとはほど遠い雰囲気の中、 ひろちゃん&よしこは凱旋門に到着。 そこでちょうど正午となり、二人とも空腹を訴えることになる。 と同時に、ついに雨も降ってきた。 背中のリュックの中には、今朝早起きしてよしこが作ってくれたおにぎりが2つ。 お金もオペラ座の怪人にぶんどられて、節約の必要あり。
「よし! 凱旋門の下でおにぎりを食べたろ!!」
これも旅の恥はかき捨て精神。 凱旋門はロータリーで囲まれており、車が反時計回りにビュンビュン走っている。 それの間隙を縫って、突っ込めぇーーっ!とばかりに、二人で全力疾走して、 凱旋門の真下にたどり着いた。 もちろん突撃の間、2度ほどフランス車にクラクションをかまされたが。 凱旋門の下側には花壇などがあり、たくさんの観光客が訪れていた。 中には老人も含まれており、どうやってあの車の群を縫ってここにたどりつけたのか、不思議だった。 凱旋門の脚の内側下部にちょうど腰掛けるところがあり、そこで二人並んでおにぎりを食べていると、 となりにやってきた少年少女どもに、変な目でジロジロ見られた。 まあ、当たり前ではあるが。彼らもおにぎりなんて見たこともないはずだし。 ましてや、凱旋門の下でものを食ってるヤツもいないって。 よしこ曰く、
「凱旋門の下でおにぎりを食べたのは、私たちが初めてかもよ?」
確かにそうかも知れない。 たくさんの日本人がここを訪れたであろうが、おにぎりを食べるには、 どこかでお米を焚いて、作ってこなければならない。 当然フランス市内には売ってないだろう。 日本で作ったのをここで食べるには、時間が経ちすぎるし、 ヨーロッパ在住で、おにぎりをもってフランス観光をする人間は少ないだろうし、 ましてや凱旋門の下で恥知らずにもおにぎりを喰らうなんて。 事実は調べようもないが、変に感心してしまった。 おにぎりを食べ終わって周囲をあらためて見渡すと、例のベルギー軍団が、 車の群を多勢に任せてせき止めて、外側から凱旋門の真下までゆっくり横断してきている。 そして、こともあろうか、クラクションを鳴らしながら寸前で停まった車に、 ビニールで出来ているとはいえ、槍を、その車のボンネットに突き刺して笑っている。 本人達はジョークのつもりだろうが、フランス人ドライバーは怒り心頭で、 日本人にはとてもマネできないことだ。酔っぱらった若かりし頃の木村一八くらいか。 雨も止んで、さあ、凱旋門を離れようと思って、来た方向と反対側にまわったら、な〜るほど。 ちゃんと地下トンネルがあって、そこから外周の歩道に通じている。 そりゃそうだろ。 交通法規を無視しなきゃ凱旋門にたどりつけないなんて、ありえないもんな。

 次の目的地はTour Eiffel(エッフェル塔)。凱旋門の足許からは全然見えない。 どこにあるのか? でかいからすぐに見えるはずだけど・・・・?  とりあえず地図で場所を確認して、こちらの方角のはず・・とばかりに歩き出した。 シャンゼリゼ通りとは違って、細く静かな路地を歩いていく。 とにかく入り組んでいる。途中、黄色のランボルギーニがおいてある店や、 フェラーリの店の前を通り、イタリアじゃないんだから本家本元じゃないにせよ、 なぜか少し感激してしまって、すっかりおのぼりさん気分のひろちゃんであった。 やや下り坂になって、川沿いまでおりてみると、見えた見えた。 高さ320m。わずかに東京タワーより低いが、ヨーロッパでは一番高いエッフェル塔。 それに展望台の高さでは世界一だろう。たぶん・・・  エッフェル塔の足下でもやはりW杯関連のイベントが開かれており、実に賑わっていた。 この日は休日なので、展望台の入場券売場に並んでいる人の数も尋常ではなく、 上に登るのは月曜日にしようということになり、今日は素通り。 エッフェル塔に浮かぶ「J-567」の文字は、 EU統合まであと567日という意味。

 エッフェル塔の下をくぐり、 向こう側まで歩いてみたが、まだまだ曇り空が続く。 この辺まで来ると、かなり疲れてきた。ずっと歩きっぱなしだ。細かい雨も降っている。 というわけで、やや重い足どりながら、二人はGare Montparnasse(モンパルナス駅)へとむかった。 エッフェル塔からモンパルナスまでは、あまり見るべき物はなく、普通の街並みが続くだけであった。 ただ、建物の作りは、日本とは全く異なる、純西洋風と言うべきもので、
「こんなつくりのアパートに住む人々は、やっぱり俺達とは感性が違うんだろうなぁ・・・」
と漠然と思わせる雰囲気を醸し出していた。

 30分以上歩いただろうか。地図を見てもこのあたりはかなり入り組んでおり、 なかなか目的のモンパルナス駅が見えてこない。上り坂になったりして、 段々疲労度も増してきて、さあどうするかなぁと考えていると、あったあった、ありました。 モンパルナス・タワー。駅の隣にそびえ立つこの黒っぽい高層ビルは、 周囲に背の高いビルが全くない中で、新宿副都心クラスの巨大ビルが一つだけ空に向かって伸びていて、 ここがモンパルナスであることを誇らしげに示しているかのようであった。 モンパルナス駅はParisとToulouseを結ぶTGVの発着駅。TGVは日本でもおなじみのフランス版新幹線。 しかしそれでも、ここからToulouseまでは5時間かかる。東京−博多間といったところか。

 さて、駅周辺をぐるりと回って、どうにか構内へ通じる入り口を探し当て、中へと入る。 どこでどうすればいいのか悩みながら、とりあえずトイレを探す。 いろいろ歩き回ってようやくトイレらしき場所を見つけたが、 なにやら雰囲気がいつもと違う。男の人も女の人も同じドアに入っていく。 おかしいと思って中を覗いてみると、みんなお金を払っている。なぬ? そう。フランスでは、 一般的にトイレは有料なのだ。なんたる! どんなシステムなのかさっぱり見当がつかない。 いくら払えばいいのかも外には貼り出されてない。さすがに二人ともしり込みし、 先にまずInformationを探すことにする。 フランスでは英語をみんな話したがらないという話は前々から聞いていた。 そんな先入観から、パリ市民とコミュニケーションをとることにやや消極的になってしまっていた。 ドイツではほとんどの人が英語を話せるので、気軽に声をかけやすいのだが、 ここではこっちもおのずと身構えてしまう。 いかんな〜と思っている間に、Informationにたどりつく。 たまたま誰も並んでいなかったので、覚悟を決めて、 エイヤッとばかりに、50歳くらいのおじさんの前に立つ。
「TGVでToulouseへ行きたいと思っているのですが・・・」
もちろん英語。が、切り出してみると、このおじさん、なかなか優しい人で、 親切丁寧にいろいろ教えてくれた。 まず、我々が乗ろうとしていた6:55発のTGVはすでに満席。 そして、W杯期間の臨時便として7:25発の便なら席に余裕がある。 また、夜行列車はモンパルナスからではなく、 となりのGare d'Austerlitz(オーステルリッツ駅)から出ており、 往復割引や25才以下割引があることなどを教えてくれた。 7:25発のTGVでは、Toulouseに着くのが12:45になってしまうとのこと。 それでは14:30の試合開始まで、あまり余裕がない。 一方、夜行列車なら、22:17発でToulouseには7:00頃に到着。理想的だ。 それに何よりも、夜行列車じゃないと、今夜の寝床を確保しなくてはならなくなる。 それはかなり痛い出費を伴うことになるわけだ。 しかしここで、夜行列車の発車時刻が22:17というのが問題になった。 S達がシャルル・ド・ゴール空港に到着するのは21:10。 荷物をとったり、入国審査を受けたり、 ちょっとでも到着時間が遅れたりしたら、我々とおちあうのは軽く22:00近くになってしまう。 ところが、おじさんの話では、空港からオーステルリッツ駅までタクシーを飛ばしても、 30分はかかるだろうとのこと。 夜行列車に乗るのは非常に厳しいという意見だった。 むむむむ・・・・ こりゃホテルを予約しなきゃならんか? Sは駅の構内で寝ようと言っていたけど、 今朝かるく見渡したところ、Gare du Nord構内は浮浪者などで危険極まりない。まだ空港のほうがましだ。 しかし7:25モンパルナス発のTGVには必ず乗らなければならない。 かなりのハードスケジュールになりそうだ。東京からの飛行機の到着が遅れなければいいが。



4.パリの光と陰

 ともかく、今日やるべきことはすべて終了した。あとは、空港でS達と無事におちあい、 オーステルリッツ発の夜行列車に乗ることができれば、言うこと無しである。とりあえず、 モンパルナスを後にして、ルーブル美術館へ行くことにした。すでにかなりの距離を歩いていて、 ヘトヘトではあったが、そのときの時刻が15:30。まだ待ち合わせの時間まではかなりある。 タラタラ歩くことにするかということで合意し、ひろちゃん&よしこは「気ままなお散歩 in Paris」を 決め込むことにした。まず、モンパルナス駅構内ではトイレに行くことに失敗したので、 デパートなら大丈夫だろうということで、駅を出てすぐの大きなデパートに入った。 しかし案の定ここでもトイレは有料。ただ男女の区別はなされており、よしこもなんとか安心して、 入り口でお金を払ってから中へ入っていた。僕は階段に腰掛けて、しばしの休憩をとっていたが、 これから夜にかけてのスケジュールが過密であることと、宿泊方法などがまったく決まっていない状況を考えると、 全然気が休まることはなかった。しかしまあ、よしこも一緒だし、 ちょっとくらいきつくてもなんとかなるさと開き直り、戻ってきたよしこと再び、 パリの街へと繰り出したわけである。

 モンパルナスから北上し、やっとの思いでLa Seine(セーヌ川)にかかる橋の上までたどり着いた。 思えば、子供のころ見たアニメ「ラ・セーヌの星」は、大昔のこのあたりが舞台だったんだなぁと、 一人感慨深げに川面を覗きながらたたずんでいると、傍らで、よしこがすでにヘトヘトになっている。 こりゃいかんと、気を取り直させるため、 気合いの写真撮影を行うことにした。笑顔になることで、 体の内なる力を呼び覚ますのである。などと、僕も疲れているので、わけのわからない理由をつけて、 自分をも叱咤激励しているのであった。気力を回復した後、いよいよルーブルの中へ。 そこは、午前中にコンコルド広場へ向かう途中に通った場所であった。今ごろ気づくとは!  「な〜んだそうだったのか」なんて 中庭をプラプラ歩いていると、はたまた事件発生。 多くの観光客に混じってひろちゃん&よしこは手をつないで歩いていたが、 正面から、午前中も見かけた15〜16才くらいの女乞食2人が踊りながら歩いてきて、 すれ違いざま、よしこの左胸をドーンと左手で思い切り突いていった。 何が起こったのか我々はその瞬間理解できず、振り返ると、もう一人の女のほうがこっちをニヤニヤ見ながら、 何事もなかったかのように、二人とも歩き去っていく。 その瞬間、怒りが込み上げてきて、後ろから追いかけていって、 二人が持っている金銭受けを蹴り飛ばしてぶちまけてやろうかと思った。しかし、冷静になって考えてみると、 おそらく近くに、用心棒のような連中が絶対に構えているはず。トラブルが起こったら、 即座にその連中が現れて、逆にこちらがどんな目に合わされるかわからないだろう。 何も出来ない自分が悔しかったが、それで「日本人観光客、行方不明!」なんて新聞に載ったら、 こっちが馬鹿を見てしまう。突き飛ばされただけで済んで、まだラッキーだったのかも知れない。 二人で気を取り直すために、さっさとそこを出て、 次の目的地であるChathedrale Notre Dame(ノートルダム寺院)へと急ぐことにした。

 セーヌ川沿いの道にでるとき、道端に、すでに死んでいるのではないかと思わずにはいられないほど、 ピクリとも動かない母親と赤子の乞食が、子どもは母の腕の中で仰向けになって、 母は顔を地面に擦りつけるように座っていた。それまでにも、顔色が真っ白な乞食や、 手がガクガク震えている老人の乞食など、たくさんの乞食がパリ市内の路傍に座っているのを見かけた。 こんなにたくさんの乞食を見たのは初めてだった。しかし、 その乞食ほど死の匂いを漂わせている乞食はいなかった。いつもは誰しもが無視を決め込むのが常だが、 その乞食の前だけは、すべての通行人が心配そうにみつめながら通っていく。もちろん、我々もそうだった。 しかし、それまでパリの汚い部分を多少見せ付けられていた僕としては、 その乞食も含めたすべての乞食が金を得るために演技しているのではないかと疑う気持ちを押さえ切れないほど、 パリは僕の中にあった華やかな印象を自らぶちこわしていた。川沿いには博多のラーメン街のようなたくさんの 屋台が並んでいて、ラーメンではなく絵画や骨董品などを売っていた。しかし、それは華やかと言うよりも、 むしろ退廃的な雰囲気に包まれていて、ノートルダム寺院へ向かうピッチもおのずと早くなっていた。

 ノートルダム寺院は、セーヌ川に浮かぶ中州の上に立っている。 再び橋を渡って中州に入ると、その時点ですでに15km以上はゆうに歩いていた。 さすがにお散歩大好きよしこでも疲れ果てていたのだが、彼女は目ざとく見つけたのだった!
「パリと言えば、やはりCafe!!」
だって。ま、わかるけどね。というわけで、よしこの大好きなおやつタイムとなった。 そして、よくテレビなどで出てくるようにギャルソンがテーブルにやってきて、フランス語でオシャレに注文を取る。 もちろんフランス語なんて大学の教養部時代にかじっただけだから、全部聞き取れるわけなんてない。 それでも、いまでこそ、ドイツ語にしときゃよかったなんて嘆いてるけど、この時ばかりは、 孤独を味わいつつもフランス語をとっといてよかったと思った。やっぱり少しは単語も覚えてるもんだ。 「これとこれを・・・」ってフランス語っぽい発音で注文すると、 ギャルソン(単に英語で言うところの「ボーイ」なんだけど)も「ウィ!」なんて言って戻っていくもんだから、 よしこにも見直されることに。のほほほほ。よしこは、パイの注文をするのに、 「実際にこっちに来て、見ながら選んだら?」ってギャルソン達に連れて行かれて、ウキャウキャいいながら、注文してた。 よしこは知らない人とか外人さんに滅法好かれる才能を昔から持っているが、ここでもその本領を発揮していた。 そして、いざ注文の品が出てくると、 よしこはエネルギー充填率120%! 元気いっぱいで店を出た後、 またお散歩を開始するのであった。Cafeの外に出ると、 すぐにノートルダム寺院がある。 もはやおやつをいっぱい腹に入れたよしこは、気合いを必要とすることなく、自然に笑みがこぼれている。

 さて、いよいよあとは、夕食を食べて空港へ向かうだけとなった。足取りは相変わらず重いが、 今日のノルマは達成しているので、気分は軽い。再びGare du Nordへたどりつけばよいのだ。 地図に書いてある通りに北上。しかし、パリの街は、細い道が複雑に入り組んでいる。 なまじっか最短距離を歩こうとしたことも間違いではあったが、どんどん複雑な路地へと入り込んでいった。 メトロの路線ともはずれたため、駅から地上にあがってすぐのところにある地図の表示に出くわすこともなくなった。 細い路地なのでストリートの名前が書いてある表示板も見あたらない。 また、まれに書いてあっても地図には載っていないような名前である。通行人に聞けば簡単なんだろうけど、 夕方ということもあって、人々は足早に通り過ぎていく。あとは、自らの方向感覚を頼りに進むしかない。 まだまだ目的の北駅まではかなりの距離がありそうだ。雨もかすかに降ってきた。どれくらい歩いただろうか、 やや大きな通りと交差する場所に出た。ふと右を見ると、 遠くに小さくGare du Nordによく似た外壁の建物が見える。
「おお! あれだ、あれ、あれ。」
しかし、近づいていくと、どうも雰囲気が違う。なぬ? そこで、何気なく後ろを振り返ると、 ずっと向こうの方にも同じような建物が。
「なにーーー! あれが本物かぁ?」
2つの建物の距離は、ざっと500mといったところだろうか。もし片一方が間違いだったら、 往復で雨の中を1kmも歩くことになる。雨も強くなってきたことだし、こりゃいっちょう、覚悟を決めて、 そこらへんにいっぱい歩いてるパリ市民に聞くか! ということで、とあるブティックの前で雨宿りしながら、 一緒にいたおじさんに聞いてみた。
「あのう、Gare du Nordへ行きたいんですが・・・」
いやあ、聞いてみるもんだね、やっぱり。即座に「この通りじゃないよ。」の答え。 どっちの建物も間違ってたって訳ね。あやうく無駄に往復するとこだった。 そこで、地図をおじさんに見せると、いま来た細い路地を、そのまままっすぐ北上すれば、 なんとかGare du Nordにはたどりつけるということだった。よしわかった。あとは前進あるのみ。 おじさんも、ちゃんとした英語で優しく教えてくれた。誰だ? フランス人は英語をしゃべりたがらないなんて言ったのは。 みんなきちんと英語で応対してくれるやんかい! ひろちゃん&よしこは再び、北へ。

 細い路地はまっすぐ北へ伸びている。いやあ、このまま直進すればいいんだから、簡単簡単。ところが・・・・  だんだん周囲の雰囲気が変わってくるのがすぐにわかった。通りの名は最初「R. Saint Denis(サン・ドニ通り)」だったが、 ちょっと進むと「R. du Faubourg Saint Denis(フォーブル・サン・ドニ通り)」に変わる。それに伴って、 道ばたに、派手な格好の女の人たちが目立つようになる。どの人も肌の露出度がメチャメチャ高い。 インターネット上の海外サイトでしか拝めないような激しい女の人たちが、今、 目の前のいたるところにに立っている。通行人の肌の色も、 白い人間は一人もおらず、中東、ラテン系の人種ばかりしかすれ違わなくなる。 東アジア人もおそらく我々だけだ。 店の看板が露骨にいかがわしくなる。だって「Sex Shop」なんていう看板だってあるんだから。 しかしこれは、ひょっとして・・・ そう。ここは、パリのダークサイドだったのだ。 おそらく、ここに夜一人で来るのは絶対やめたほうがいいって場所だろう。もちろん、 ここの雰囲気にマッチした目的をはっきり持った人なら構わないのだが。よしこは露骨に不快感を顕わし始めた。 そりゃそうだろう。だって、街ゆく人の目つきが怖いもん。ギラギラしたムードで一杯。 パリの最も薄暗い部分を見せられた気がした。 華やかなイメージにはまったく背を向けている場所。思えば、ここにいる人々はみな、 街のいたるところで見られる乞食達と同じ肌の色をしている。よしこをつきとばした女乞食はもちろん、 午前中に出会った「オペラ座の怪人」も、同じ肌の色をしていた。僕は人種差別を軽蔑するが、 実際にこういった現実をまのあたりにすると、ある特定の民族に警戒心をもってしまうのは、最早、仕方がないと感じた。 やっとのことで、このダークストリートを抜けると、なんとか無事にGare du Nordに着くことが出来た。やれやれ。



5.空港へお出迎え

 すでに18:30を回っていた。ここから空港になんの問題もなく行けるという補償は無いのだが、まあ、 電車に乗ればいいだけだから大丈夫だろう。空港にはターミナルが2つあるけど、どっちも行ってみればいいじゃないか。 最初にあたる確率は50%。よしよし。こんなお気楽気分で、とにかくエネルギー補給の必要性を感じ、サンドイッチ屋に入った。 今日はまともな食事をしてないような気がする。それもそのはず、朝はHannoverの自宅で軽くとってきたが、 機内食は別にして、昼は凱旋門の下でおにぎりだけ。そのあと、ノートルダム寺院の向かい側のCafeでカフェ・オ・レを飲み、 いまこのサンドイッチ。おいおい、炭水化物だけかい? ここで言うサンドイッチというのは、 30cmくらいのフランスパンを縦に半分に割り、その間にハムやシーチキン、野菜などを挟んだもの。 かなりのボリュームがある。だから、腹ごしらえには文句なしなのだが、やっぱりあったかいもの食べたいよなぁ・・・  まあ、それは全てがうまくいってからでも遅くはない。時間もおしせまってきたことだし、ギューッと胃袋に押し詰めて・・・と。 サンドイッチ屋を出て、いざRERに乗るために地下へ。

 朝、空港からパリの中心へ来るときは、空港駅から出る全ての便がGare du Nordを通るので、全く意識しなかったが、 ここからRERに乗るときは、行き先をきちんと確認しなければならない。列車の先頭には、最終到着駅の名前だけが書いてある。 それが空港行きであることを確認して、二人はぐれないように乗り込んだ。さすがに夕方は車内も混んでいて、 我々も立ったままで列車は空港へと出発した。すぐ近くには、ドイツ語らしき言葉をギャーギャーわめきながら、 地元のギャルどもと会話を楽しんでいる集団がいる。ふりかえってみると、オレンジ軍団! みんな40すぎのいいオヤジどもだ。 しかし体はみな一様にデカイ。オランダの言葉は非常にドイツのそれに近いということは、 まだドイツ語をマスターしていないとはいえ、僕でも感じることが出来た。ギャル達はもちろんフランス語しか喋れないが、 お互いに片言の英語を交えて、なんとかコミュニケーションを成立させていた。かなりの盛り上がりをみせ、ラッシュの車内でも、 そこだけまったく異質の雰囲気を形成している。我々が乗ったRERは各駅停車だったらしく、最初の駅でオレンジ軍団は、 ドヤドヤと降りていった。プラットホームは、オレンジ色に染められたかのように、オランダのサポーターであふれていた。 列車が発車してすぐに、薄暗くなった中に美しい照明施設をもった競技場が目に入ってきた。 朝、逆向きに走る列車の中からは気づかなかったが、あれがサン・ドニの会場だったのかと初めてわかった。
「明日は自分たちも日本の試合で燃えるぞ! 勝てよ、ニッポン!」
そんな思いを胸に秘め、やや空いた車内に二人分の席を見つけて、しばしの休息をとった。

 空港駅は2つある。それぞれAerogare 1とAerogare 2に最寄りの駅である。Aerogareというのは、 英語で言うとTerminalである。シャルル・ド・ゴール空港には2つのターミナルがあり、S達が乗ってくるANA機は、 我々がHannoverから到着したAerogareと同じ場所に到着することは、今朝、 空港にあるInformationの女性にたずねて確認済みである。しかし問題は、それがどちらのAerogareだったかということである。 肝心なことをうっかりしていた。これはひろちゃん&よしこによく見られる失敗ではある。ただ、 このときは時間的にやや余裕があったので、両方とも回ることが出来たのは幸運だった。まあ、つまりは、 両方ともまわる羽目になったという意味だが。2つのAerogareはかなり離れており、シャトルバスで連絡されているとはいえ、 10分以上は楽にかかってしまう。しかもシャトルバスの待ち時間もあるし。それでも、よしこの忠告で、 やや早め早めのスケジュールを組んでおいてよかった。到着予定の21:10よりも40分も前に、目的のAerogare1にたどり着いた。 空港ではトイレはただであることは朝の時点でわかっていた。街中でトイレを使っても払う金額は微々たるものとはいえ、 やはりただで使用できるのは精神的に楽ちんだ。ここぞとばかりに、安心してトイレに入った。 落ち着いて要件をすませ、あとは、S達が予定より10分でも早く到着してくれることを願うだけだ。 ひょっとしたら、22:17の夜行列車に間に合うかも知れない。そうなれば願ったりかなったりなのだが、 果たして飛行機は無事に到着するのだろうか? はたまた、 問題なくこの異国の空港でS達とおちあうことが出来るのだろうか? 到着ロビーの、あのカタカタと音を立てて文字盤が回る、例の掲示板を見ると、全日空機の到着予定のところは、 まだ空白のままである。到着済みとも遅れる予定とも書いてない。
「まあ、そんなに遅れることもないだろう。 実際、ひろちゃん&よしこが日本からドイツへやってきたときも、今日HannoverからParisへ来たときも、 予定よりわずかながら早く到着したし。案外早く着くんじゃないか? ベンチにでも腰掛けて、ゆっくり待つとするか。」
そんな淡い期待を胸に、二人は日本からの友人の到着をじっと待つのであった。



第 2 部 の 予 告

 1日目は、疲れながらもパリ観光をざっと終えたひろちゃん&よしこ。なんとかやるべきことをやって、 待ち合わせの場所シャルル・ド・ゴール空港で日本からやってくるはずの友人・Sの到着を待つことになった。 しかし、フランスに来た真の目的は、当然明日のW杯サッカー・日本vsアルゼンチンを観戦すること。 いまだそのチケットは手元にはない。果たして、二人は無事にSからチケットを受け取ることが出来るのか?  そして、日本戦の行方は? なによりもまず、今日の寝床は確保できるのか? 乞うご期待!



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