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旅ノート エジプト西方砂漠の旅(2008年3月5日〜2008年3月15日)

◎旅の日程◎
1.羽田 〜 関西空港 〜  
2.〜 ドーハ(カタール) 〜 アレキサンドリア
3.アレキサンドリア 〜 アブ・メナ 〜 シーワ・オアシス
4.シーワ・オアシス 〜 バハレイア・オアシス
5.バハレイア・オアシス 〜 白砂漠
6.白砂漠 〜 ダクラ・オアシス
7.ダクラ・オアシス 〜 カルガ・オアシス
8.カルガ・オアシス周辺の観光
9.カルガ・オアシス 〜 アビドス 〜 デンデラ 〜 ルクソール
10.ルクソール 〜 ドーハ(カタール) 〜
11.〜 関西空港 〜 羽田


1,2日目 (羽田 〜 関空 〜 ドーハ 〜 アレキサンドリア)

仕事帰りにエジプトへ
羽田発21:00の便で関空へ、関空発23:55のカタール航空でまずはドーハに向かいます(約12時間)。ドーハで待つこと5時間の後、目的地のアレキサンドリアへは約4時間のフライトでした。出発当日に夕方6時まで仕事をしてから旅行に出たので、さすがに早くホテルで横になりたい気分です。でも同じ飛行機に乗っていた別のツアーの人達は、さらにギザまで移動するのだとか...

予定より早く到着したので、カイト・ベイ付近を少し散策することになりました。地中海に面した遊歩道には、釣りを楽しむ人やピクニックに来た家族連れなどで賑わっていました。今回の旅のスルーガイドのアビールさんは若い女性で、土産物屋に並んでいた貝殻のネックレスを皆にプレゼントしてくれました。

      
カイトベイにて カイト・ベイ近くの海岸にて

    
3日目 (アレキサンドリア 〜 アブ・メナ 〜 シーワオアシス)

アブ・メナ
アレキサンドリアから西へ約50km、今回の旅行で訪れる唯一の世界遺産です。様々な奇跡の伝説が語り継がれるキリスト教徒の巡礼の地で、3世紀に殉教した聖人メナスが埋葬された所です。金曜日で休日だったせいか熱心な信者が大勢訪れていました。
信者で賑わう大聖堂の見学の後は窓ガラスが無いおんぼろベンツのバスに乗り換えて、修道院の近くの都市遺跡に行きました。4〜5世紀に栄えた広大な遺跡でしたが、殆ど日干し煉瓦の建物なので当時をしのばせる建物は見られません。真新しい木造の礼拝堂はユネスコが建てたものです。

アブ・メナ聖堂 アブ・メナ都市遺跡


マルサ・マトルーフで昼食
地中海沿いをひた走り、美しい海岸のリゾート地マルサ・マトルーフでシーフードの昼食です。アレキサンダー大王はここよりエジプトに上陸し、シーワ・オアシス、バハレイア・オアシスを通って首都メンフィスに至ったとも言われています。
ここからは地中海ともお別れで、いよいよ砂漠のオアシスの旅が始まります。

マルサ・マトルーフの海岸
4日目 (シーワ・オアシス 〜 バハレイア・オアシス)

シーワ・オアシスの観光
午前中はカレッタというロバ車に乗って「クレオパトラの泉」と呼ばれる所や、発掘調査中の「ウンムルイバイダ神殿」、有名な「アモン神殿」を見学しました。古代エジプト第26王朝の頃に造られたといわれるアモン神殿は、アレキサンダー大王が神託を受けた所として知られています。神託が行われたという至聖所では、壁の後ろに神官が隠れていて神託を行っていたようです。

町に戻って、小高い丘に蜂の巣状にお墓がつくられている「死者の山」に行きました。一部のお墓は内部を見学することができましたが、意外にも綺麗な壁画が残っていてびっくりしました。(撮影は禁止です)

アモン神殿からの眺め 死者の山の墳墓郡



シャーリー
最後に町の中心部にあるシャーリーという旧市街の遺跡に行きました。ここは町のシンボルのような建物で夜にはライトアップされています。13世紀から1928年までは人が住んでいましたが、雨により破壊されて現在は廃墟になっています。上の方に上るとオアシスの町並みや遺跡が一望できますが、あいにくのお天気で眺めはイマイチでした。

シャーリー(写真館D) ライトアップされたシャーリー(昨夜)

砂漠を走りバハレイアへ
シーワ・オアシスの観光後、四輪駆動車に乗り換えてバハレイア・オアシスに向かいました。これまでオフロードの砂漠ツアーは何度か経験しているし、エジプトは観光立国なので今までに比べたら楽勝だと思っていましたが、これが大きな間違いでした。
車は一応トヨタのランドクルーザーでしたが内部はボロボロ。道路も始めこそ舗装されていましたが途中からは道なき砂漠で、掴る所の無い後部座席で完全にシャッフル状態。何度かジャンプして前方の席に投げ出されたときには、イエメンでの悪夢が頭をよぎりました。


バハレイアで温泉
疲れ果てて到着したバハレイアのホテルには温泉があったので、早速、浸かってみることに。砂漠を走破した後の温泉というのは格別です。ここのホテルは、オーナーが日本人の女性の方というのでも有名らしいです。

5日目 (バハレイア・オアシス 〜 白砂漠)

バハレイア・オアシスの観光
バハレイア・オアシスは、第18王朝時代から歴史に名前が残っていますが繁栄したのは第26王朝時代で、その後アレキサンダー大王も訪れここに神殿を造っています。また、この付近には1万体ものミイラが埋まっていると言われていて、1990年代には黄金のミイラも発見されているそうです。
「ミイラ博物館」、「アル・バウーティの墳墓群」、「アレキサンダー大王の神殿」を見学しました。
墳墓群の「バネンティウの墓」の内部には色鮮やかな壁画が残っていますが、ルクソール辺りの壁画に比べて素朴でかわいらしい感じがしました。ちょっと期待していたアレキサンダー大王の神殿はボロボロで残念でした。

内部の壁画 内部の壁画

黒砂漠から白砂漠へ

白砂漠へ向かうため郊外へ。まずは砂漠が一面黒ずんできて黒砂漠の始まりです。玄武岩や黒曜石があるためこのように黒くみえるのだそうです。黒い小山は三角形のものが多く、ギザの3大ピラミッドなんて言われているのもありました。
さらに進んでクリスタルマウンテンを訪れます。マウンテンといっても丘ぐらいですが、水晶のような鉱石で覆われているので丘が光って見えます。つい拾ってしまいそうになりますが、ここから白砂漠にかけては国立公園になっていて、天然石の持ち帰りは禁じられています。

黒砂漠(写真館C) クリスタル マウンテン


白砂漠でテント泊

途中、車がスタックしたりバッテリーが上がって動けなくなったりしましたが、白砂漠に到着しました。石灰岩が風によって浸食され、キノコや動物のような形になり不思議な景観を作り出しています。キノコの岩が夕日に照らされて赤くなるのを期待していましたが、夕方になったら曇ってきていつの間にか太陽が消えていました。残念!この様子では星空も期待できないかなと思っていたら、夜になったら風も止んで満天の星空を見ることが出来ました。夕食の後の宴?も楽しかったしテント泊はいいなぁ...

白砂漠(写真館@) 白砂漠(写真館B)
白砂漠(写真館A) ドライバーさんがミュージシャンに変身



6日目 (白砂漠 〜 ダクラ・オアシス)

白砂漠からダクラ・オアシスへ
きれいな夕日を見られなかったので朝日に期待しましたが、ちょうど太陽光線がきれいな時間だけ曇ってしまいます。昼間は晴れているのに朝晩はダメなのは季節的なものなのかな。砂漠を出発してちょっと走ったところで、4駆のドライバーさんたちとお別れしてバスに乗り換え、舗装道路を走ってダクラ・オアシスに向かいました。

陽気なドライバーとお別れ ダクラ・オアシスのパノラマ(写真館E)


ディル・アル・ハガル
ダクラ・オアシスには予定より早く到着したので、ホテルで昼食後に少し休憩してから郊外の観光に出かけました。ディル・アル・ハガルとは「岩の修道院」という意味ですが、ローマ時代に建てられたエジプト式の神殿です。神殿の壁にはエジプトの神々の彫刻も残っています。

ディル・アル・ハガル ディル・アル・ハガルの門柱の彫刻


7日目 (ダクラ・オアシス 〜 カルガ・オアシアス)

アル・カスル
丘の上にあるホテルを出発する時に砂嵐にみまわれたので、ダクラ・オアシスの旧市街、アル・カスルの観光はどうなることかと思いましたが、丘を下りたら風もなく古い町並みを散策することができました。12世紀・サラディンの時代にできたというモスクや神学校、粉引き場や鍛冶屋などが迷路のような町の中にあります。

アル・カスル アル・カスルの博物館にて


午後はカルガ・オアシスの観光

お昼過ぎにはカルガ・オアシスに到着したので、午後からはカルガ・オアシス周辺の観光です。まずは考古学博物館で周辺のオアシスで出土した品を見学しました。ファラオ時代の暦やローマ時代のミイラの棺、コプト時代のイコン画など小規模ながらも興味深い物がありました。
次に丘の上にそびえるナドゥーラ神殿へ。ローマ時代に建てられイスラム時代にも要塞として使用されていたそうですが、現在は外壁の一部が残っているだけでした。

考古学博物館 ナドゥーラ神殿


ヒビス神殿
最後に修復作業中のヒビス神殿を見学しました。オアシスにある神殿では最も規模の大きいもので、列柱廊や彩色されたレリーフなども残っています。第18王朝のときに建設されましたが、第27王朝のエジプトがペルシャに征服されたときに再建されて装飾が施されたました。このためペルシャ文化の影響が見られダリウス王のレリーフなどもあります。アモン神と妻のムート神、子供のコンス神が祀られた神殿です。

ヒビス神殿 ヒビス神殿の壁画(写真館F) 彩色画が残る天井



8日目 (カルガオアシス近郊の観光)

ドゥーシュ神殿
カルガ・オアシスから約1時間、小高い丘の上にドゥーシュ神殿が建っています。神殿に上ると周囲がぐるりと見渡せて、ローマ時代からオスマントルコ時代まで要塞として使われていたそうです。紀元前6世紀頃のダリウス王やその後のプトレマイオス3世、4世のレリーフが残っています。当初、イシス神とオシリス神を祀っていましたが、プトレマイオス時代にイシス神とセラピス神(オシリスとゼウスが融合した神)に変わりました。

ドゥーシュ神殿全景
神殿の上部から周囲を望む 柱の彫刻


ガウィータ神殿

さらに1時間移動しガウィーダ神殿へ。ここも丘の上に建ち城壁に囲まれた中には、要塞と神殿、小さな町の遺跡があります。第27王朝からローマ時代に建設され、オスマントルコ時代まで使われていたそうです。プトレマイオス3世のレリーフやカルトゥーシュも残っていて、マイナーだけど見ごたえのある遺跡でした。アモン神と妻のムート神、子供のコンス神を祀られています。

     

ガウィータ神殿全景
神殿の正面 柱の彫刻
  
バガワトのネクロポリス
ローマ時代にアレキサンドリアから逃れてきたコプト教徒の墓地で、全部で265の墓が発見されているそうです。お墓の内部には聖書にちなんだフレスコ画や葡萄の絵が描かれているものもありました。

バガワトのネクロポリス


9日目 (カルガ・オアシアス 〜 ルクソール)

アビドス
朝5時にホテルを出発して、ナイル川沿岸のアビドス遺跡に向かいました。観光客を狙ったテロを警戒してか、途中のアシュートという町からは警察車両に先導を受けて、アビドスからは他の観光バスと合流しコンボイを組んでルクソールまで護衛されて移動します。
アビドスの見所はセティ1世の葬祭殿です。紀元前14世紀頃に建設が始まりましたが、建設中にセティ1世が亡くなったため息子のラムセス2世が後を引き継いで建てました。ここでの有名なものは古代エジプトの歴代の王名表です。紀元前3200年頃からセティ1世までの王の名前が壁一面に刻まれています。この他にも鮮やかな色彩の壁画や精緻なレリーフが数多く残っており、たいへん見応えのある遺跡でした。

セティ1世葬祭殿内部 王名表の一部
内部のレリーフのひとつ(写真館G) 彩色されたレリーフ



デンデラ
デンデラの見所はクレオパトラのレリーフがあるハトホル神殿です。ホルス神の妻ハトホル女神に捧げられた神殿で、列柱室には女神の顔で装飾されたハトホル柱がずらりと並んでいます。クレオパトラと息子のカエサリオンの彫刻は神殿後部の外壁にありますが、内部の壁や天井もレリーフで埋め尽くされています。特に地下室のレリーフは保存状態が良く、クレオパトラのネックレスといわれるものもありました。

クレオパトラ(写真館H) ハトホル柱(写真館I) 誕生殿

ルクソールへ
西方砂漠では周りの景色はずっと茶色の砂漠でしたが、今日はナイル川沿いを走り緑豊かな景色です。サトウキビの収穫の様子など、じっくり見たいと思いましたが、警察車両に先導されてコンボイを組んでいるので、バスは物凄いスピードで駆け抜けていきます。でも、このおかげで日の入りまでにルクソールに到着できて、ようやく綺麗な夕日を見ることができました。
      
さとうきびを運ぶトロッコ ナイルの夕日


10、11日目 (ルクソール 〜 ドーハ 〜 関空 〜 羽田)
ルクソール西岸
午前中フリータイムだったので、期間限定で公開されているツタンカーメンのミイラが見たいというSさんと一緒にルクソール西岸に向かいました。朝の7時半頃到着すると、王家の谷にはすでに30台以上の観光バスが来ていて、西欧人観光客でごった返していました。
大きなビジターセンターやトロッコ電車みたいなのができていて、10年前に来た時とはずいぶん変わってしまってビックリ。あまりにも人が多いのでツタンカーメンの墓に入るのは時間がかかりそうだと思ったら、けっこう高い別料金のせいかすんなり入れました。ミイラは若くして亡くなった少年王の面影を残していました。

貴族の墓
王家の谷の他の遺跡は見たことがあるので、これまで見た事の無い「貴族の墓」を見学することにしました。本やネットの情報から「ナクトの墓」、「メンナの墓」、「ラモーゼの墓」を見るつもりでしたが、案内人に「ラモーゼの墓」より「センネフェルの墓」の方が彩色が残っていて綺麗だと言われたの従うことに。半信半疑で行ってみると...本当に綺麗でした!一面に葡萄が描かれた天井は、青々としてみずみずしささえ感じられます。その他の壁画も鮮やかな彩色で保存状態が良く素晴らしいお墓でした。
      
 
ナクトの墓の壁画 メンナの墓の壁画
センネフェルの墓の内部 天井の葡萄(センネフェルの墓)
      


帰国
今回の旅行は「砂嵐の季節のような気がするけど大丈夫かなぁ」と思いつつ参加したのですが、案の定、期待していたような砂漠の日の出や夕日を見ることができませんでした。しかし、観光できないほどの砂嵐にみまわれた訳でもなく、予定の観光地は全て周ることができ、これまでとは全く異なるエジプトを体験することが出来たので意義のある旅でした。

●参考にさせていただいたもの●
旅の記録(西遊旅行 添乗員さん)
古代エジプト文明の謎(吉村作治)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エジプトのオアシス(現地のパンフレット)


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