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旅ノート チュニジア・リビアの旅(1999年4月14日〜1999年4月28日)


◎旅の日程◎
1.成田 〜 パリ 〜
2.〜チュニス (バルドー博物館)
3.チュニス 〜 カイラワン 〜 スベイトラ
4.スベイトラ 〜 タメルザ 〜 トズール
5.トズール(ネフタ) 〜 ジェリド湖 〜 ドゥーズ 〜 マトマタ
6.マトマタ 〜 (国境) 〜 トリポリ
7.トリポリ 〜 ミスラタ
8.ミスラタ 〜ギルザ 〜 ミスラタ
9.ミスラタ 〜レプティス・マグナ〜トリポリ
10.トリポリ〜サブラタ〜(国境)〜ガベス
11.ガベス 〜 スファックス〜 エル・ジェム〜スース
12.スース 〜 ハマメット 〜チュニス
13.チュニス 〜 ブラ・レジア 〜 ドゥッガ 〜 チュニス
14.15.チュニス 〜 成田


1・2日目 (成田 〜 パリ 〜 チュニス)

チュニスへ
成田を21:55出発のエールフランス航空でパリまで13時間半。早朝にパリに着き、5時間のトランジットの後、チュニス行きの便が1時間遅れて(飛行時間は約2時間半)、チュニスに到着したのは、翌日のお昼頃でした。日本とチュニジアの時差は8時間です。

バルドー博物館
午後からは「チュニジアのルーブル」といわれるバルドー博物館を見学しました。見ものは世界一を誇るというモザイクのコレクションです。ローマ・ヴィザンチン時代(2〜6世紀)に作られたこれらのモザイクは、庶民の暮らしや神話のシーン等がモチーフで、微妙な色づかいで絵に描いたように見えますが、全て天然の石でできているそうです。

モザイクの数々 バルドー・パレス


3日目 (チュニス〜 カイラワン 〜 スベイトラ)

ザグーアンの水道橋
チュニスからカイラワンに向かう道筋には、かつては全長132キロもあった世界最長のローマの水道橋の一部が残っています。一部といっても、その長さは20キロにも及んでいます。

古都カイラワン(ケロアン)
7世紀にアラブ人が侵入し築いた町で、ヴィザンチンが海側、ベルベル人が山側を支配していたため、中間の平野に造られました。現在でもイスラムの聖都とされるだけあって、北アフリカ最古のモスク、グラン・モスクや預言者ムハンマドの同志アブ・ザマエル・ベラウィの霊廟などがあり、チュニジア一イスラム色の強い町でした。

シディ・サハブ霊廟(写真館@) カイラワンにて


スフェトゥラ遺跡(スベイトラ)
チュニジアで一番新しいローマ遺跡、スフェトゥラは7世紀にヴィザンチンによって拡張された後、すぐにアラブ軍に滅ぼされました。フォーラムの前にはジュピター・ジュノ・ミネルヴァの3つの神殿が聳え立っています。また、浴場や洗礼桶にはきれいなモザイクも残っていました。

スフェトゥラ遺跡(神殿群) スフェトゥラ遺跡(洗礼桶)


4日目 (スベイトラ 〜 ガフサ 〜 トズール(タメルザ・ミデス))

ガフサ
チュニジアのほぼ中央にあるガフサは、石器時代からの歴史をもつ最古の町です。町に残るローマの浴場は、天然の湧き水で深さは4〜5m。ザブーンという水の音に驚いて見ると、少年が5〜6mあろうかという浴場の縁からダイブしていたのでした。

トズール
南部観光の中心地・トズールは、なつめやしの林が広がる、サハラのオアシスの町です。この町の家々は、日干し煉瓦を幾何学模様に積み上げた建築で、美しい町並みをつくりだしています。

シェビカ
午後からは4WDでアルジェリア国境方面の渓谷を観光しました。シェビカは1969年の洪水で廃虚となった旧村で、丘の上から迷路のような土壁の跡と緑のなつめやしの林が見渡せます。さらに丘の上の岩の隙間から反対側にぬけると、地球の歴史を物語るような岩山の景色が開けています。

タメルザ
シェビカ同様、洪水で流された村で廃虚となつめやしの緑の景色が見られます。この村の手前、カスカドという所には、チュニジアのナイアガラといわれる滝がありましたが、とっても小さい滝でした。でも乾いた岩の隙間から勢いよく落ちているという滝は、他では見られないものです。

シェビカ タメルザ


ミデス
チュニジアのグランドキャニオンと呼ばれるだけあって、自然がつくりだした雄大な景色の渓谷です。谷の両側は、太古から刻まれた地層が美しい模様を描いていて、谷底にはなつめやしの緑があります。

ミデス渓谷(写真館D)


5日目 (トズール 〜 ドゥーズ 〜 マトマタ)

サハラ砂漠の日の出
早朝、4WDでネフタに向かいサハラ砂漠の日の出を見に出かけましたが、残念ながら曇っていました。一面砂の砂漠を想像していましたが、ここ数年雨が多かったので、所々にブッショが生えていました。

さえない日の出


ショット・エル・ジェリド
トズールからドゥーズへ行くには、ショット・エル・ジェリドという大塩湖を横断します。見渡す限り、白い大地を見ながら横断道路は55キロも続きます。道路の両側に細い水の流れがあり、道路の右側はブルー、左はピンクと不思議な色をしています。土産物屋には、この辺りで採れる”砂漠のバラ”が山と積まれていました。

ショット・エル・ジェリド(写真館E) 砂漠のバラ


ドゥーズ
ドゥーズとはフランス語で”12”という意味で、フランス統治時代に第12部隊が駐屯していたことから名づけられたそうです。ここはサハラ砂漠の入口で、町はずれには砂漠ツアーのラクダ達が待機しています。ラクダに乗り30分くらいで、そこはもう一面のサラサラの砂漠。ここの砂は白くてとっても粒子が細かく、体中にまとわりつきます。

お疲れのラクダ(写真館C) ドゥーズ近郊の奇妙な岩


マトマタ
ドゥーズからしばらく平坦な砂漠を走り、山道に入ってくるとマトマタに着きます。ここは穴蔵住居で有名なところです。スターウォーズのロケ地だという穴居ホテルで休憩し、ベルベル人のファーティマさんという方の穴居住宅を訪問しました。石うすで粉をひいたり素朴な暮らしの一方、部屋にはラジカセなどもありました。

穴居ホテル 穴蔵住居の部屋


6日目 (マトマタ 〜 国境 〜 トリポリ)

国境越え
この日はチュニジアのマトマタから国境を越え、リビアのトリポリに移動するだけの一日でした。マトマタから山道をぬけ国境に近づいてくると、札束をびらびらさせている闇両替屋の姿が目立ちます。国境はワイロが効いたのか、一時間で通過できました。リビアへは、今まではパンナム機爆破の制裁で「航空機乗り入れ禁止」措置がとられ、陸路でしか入れませんでしたが、ちょうどこの日の翌日(4/20)から制裁が解除され、イタリアからの一番機が来るというのでニュースになっていました。


7日目 (トリポリ 〜 ミスラタ)

ジャマヒリア博物館
赤壁城という昔海の要塞だったところが、現在はジャマヒリア博物館になっています。リビア各地の遺跡の出土品の他、イスラム時代のものや民族衣装などと、最上階のはカダフィ大佐のコーナーもありました。中でもレプティス・マグナ遺跡の凱旋門のレリーフやモザイクの数々には目を見張るものがあります。

トリポリ
博物館の隣に旧市街への入口があり、中に入って歩いて行くとしばらくは寂れた商店街でした。急に賑やかな人々がいると思ったら、結婚のお祝いで女性だけで歌って踊っている会場に呼び込まれ、一緒に踊って祝福しました。その後、食品や日用品・衣料品などの店が並ぶ賑やかな通りも歩きましたが、チュニジアと違って、土産物屋はほとんどありませんでした。
午後からは、旧市街からはなれ大使館や郵便局のある高級商店街へ。ローマ法王も認めているというトリポリ大聖堂(現在はモスク)などもあり、イタリア統治時代の面影の残る町並みです。

トリポリ旧市街 カテドラル


8日目 (ミスラタ 〜 ギルザ 〜 ミスラタ)

大人口河川計画
地中海沿岸のミスラタから砂漠の遺跡・ギルザまでは片道180キロ、殆ど荒涼とした景色ですが、ここで大人口河川計画というのが進められていて工事現場を見学しました。これは、リビア南部で200万年前の化石水が発見され、それが国民の200年分の生活水に相当したため、全長4000キロのパイプを造って水をひくというものです。1973年から工事が始められ、今回見学したのが最後の工事現場だということでした。

ギルザ
ギルザの遺跡は、見渡すかぎりの土漠に崩れた建物が点在しているという感じでした。ここは2〜3世紀、地中海側の都市を南の敵から守るために造られた軍事都市でした。最初に目に付く大きな建物は”城塞”ですが、中に入ると修復されてないので瓦礫の山です。城塞からはるか彼方に見える墳墓群では、ローマらしい細かいレリーフも見られました。

ギルザ遺跡(墳墓群) 装飾の施された墳墓


9日目 (ミスラタ 〜 レプティス・マグナ 〜 トリポリ)

レプティス・マグナ遺跡
リビアで最大の見所といえば、このレプティス・マグナ遺跡です。地中海沿岸に数多く残るローマの遺跡の中で、これほどローマの都市の特徴的な建物が見られるのは、他ではないかもしれません。ここは元々BC.10世紀にフェニキア人が建設した貿易の中継地でしたが、2〜3世紀、皇帝・セプティミウス・セウェルスの時代に巨大なローマ都市として繁栄を極めました。7世紀にイスラム軍の侵入を受けてからは、砂の中に埋もれていたので今日でも多くの興味深い遺物が残っています。

セウェレス帝の大門(写真館@) 野外劇場(写真館A)
メドゥーサ(写真館B) フォーラム(写真館C)
野外劇場にて(写真館D) 八角形の市場


10日目 (トリポリ 〜 サブラタ 〜 国境 〜 ガベス)

サブラタ遺跡
レプティス・マグナと並んでリビアで必見の遺跡が、このサブラタ遺跡です。ここもフェニキア、ローマ、ヴィザンティン時代に栄えた都市で、目を引くのは円形劇場などのローマ時代の建物ですが、フェニキア時代の巨大な墓や、ヴィザンティンの城壁も見る事が出来ます。ここもまた砂に埋もれていたので、保存状態の良いレリーフやモザイクがあり、中でも円形劇場の舞台下のレリーフは見事でした。

円形劇場の遠望(写真館E) 3階建ての円形劇場(写真館F)
舞台下の彫刻(写真館G) モザイクの床と地中海(写真館H)


再度国境越え
あっという間に5日間のリビア観光も終わり、また国境に戻ってきました。今度も煙草や水のワイロを使ってすんなり通過かと思ったら、バスごと倉庫みたいな所に入れられて、入国時よりずっと厳しいチェックで2時間くらいかかりました。
リビアでは、道端や町中にたくさんゴミが落ちていたり町の景色も殺風景でしたが、チュニジアに入るとゴミもなくなり、町も明るくなったような気がしました。

11日目(ガベス〜 スファックス 〜 エル・ジェム 〜 スース)

スファックス
チュニジア第2の都市で、欧風の都会的な雰囲気があります。チュニジアの大阪ともいわれ商業の盛んな町で、映画「イングリッシュ・ペイシェント」にも登場したメディナ(旧市街)は、衣類・雑貨・電気製品などの日用品の店が並び、賑わっていました。

エル・ジェム円形闘技場
保存状態の良さでは世界有数の円形闘技場で、規模でもイタリアのローマ・ベローナに次いで世界3位だといわれています。かつては動物がつながれていたというアリーナの地下通路を歩いたり、最上階の3階まで上り全景を見渡すと、その大きさに圧倒されます。

エル・ジェム(写真館A) 闘技場内部


スース
かつてはカルタゴより古いフェニキア人の港町でしたが、現在はビーチ・リゾートとして国を代表する観光地になっています。城壁に囲まれたメディナ(旧市街)は、世界遺産にも指定されていて、8世紀末、アラブの時代に造られた監視塔(リバト)からは、町全体が見渡せます。

12日目(スース 〜 ナブール 〜 ハマメット 〜 チュニス)

ポート・エル・カンタウィ
スースでの宿泊は、町から少し離れたポート・エル・カンタウィというリゾート地のホテルでした。ここは、サウジアラビアやクウェートのお金持ちがつくった高級リゾートで、ゴルフ場やヨットハーバーなどがあり、南フランスのような雰囲気です。

ナブール
焼物の町として知られるナブールは、町の中心に大きな木が植わっている巨大な壷が置かれていました。商店街の焼物の店には、様々なデザインの色あざやかな焼物が並んでいました。

ハマメット
フランスの植民地時代からヨーロッパ人のリゾートとして開発されたハマメットは、アンドレ・ジイド、クレーなど多くの芸術家に愛された土地としても知られています。カスバから青い海や白い家並みを眺めていると、エーゲ海の島にいるような気分です。

ポート・エル・カンタウィにて ハマメット(写真館H)


13日目(チュニス 〜 ブラ・レジア 〜 ドゥッガ 〜 チュニス)

ブラ・レジア
チュニスから北部のブラ・レジア遺跡に向かう道は、緑の丘陵に黄色や赤の花が咲き乱れるヨーロッパのような風景でした。遺跡は2〜3世紀に栄えたベルベル人のヌミディア王国のもので、美しいモザイクの床の地下住居が特徴的です。モザイクの殆どはバルドー博物館に移されましたが、アンフィトリテの家のヴィーナスのモザイクは、絵画のような美しさです。

ブラ・レジアへの道 遺跡の入口
床のモザイク(写真館G) 石畳の道と地下住居


ドゥッガ
ブラ・レジアから山道を走りドゥッガの遺跡へ。チュニジア最大のローマ遺跡で、劇場や神殿など代表的なローマ建築が見られます。入口からすぐの所に、2世紀に造られた劇場があり、わだちの残るローマ時代の道を通って、風の広場へ。ここでキャピトル(神殿)というこの遺跡のシンボル的な建物が目の前に現れます。季節がら遺跡内は至る所で黄色い花が咲いていて、廃虚に花を添えていました。

キャピトル(写真館F) 円形劇場への道
浴場への通路 ヌミディア時代の廟


14・15日目(チュニス 〜 成田)

チュニス旧市街
チュニジア最後の日、ホテルから歩いて10分くらいのメディナ(旧市街)を3たび訪れました。ここの店は殆どが土産物屋で、前々日の日曜に来たときは営業している店がほとんどなく、閑散としていましたが、今日は観光客も多く、呼び込み合戦も活気に満ちていました。

カルタゴ
ポエニ戦争でローマに滅ぼされたフェニキア人の都市・カルタゴの遺跡は、チュニスの郊外にあります。まずは博物館で、フェニキア、ローマ、ヴィザンチンの時代に分けられた出土品を見学。実際の遺跡は、フェニキア時代のトフェの墓とローマ時代のアントニヌスの浴場が遺跡らしいものの、他はあまり当時を偲ばせるようなものではありませんでした。

シディ・ブ・サイド
最後の観光は、チュニジアンブルーの最も似合う町シディ・ブ・サイドでしたが、あいにく曇り空でした。それでも、海のブルーと白壁の家のブルーのドアで美しい町の雰囲気を味わえました。世界最古のカフェ、カフェ・デ・ナットでゆっくりお茶でもしたい気分でしたが、後ろ髪を引かれつつ帰国の途についたのでした。

カルタゴ遺跡(写真館B) シディ・ブ・サイド




●参考にさせていただいたもの●
地球の歩き方 チュニジア(ダイヤモンド社)
旅のメモ(ユーラシア旅行社 添乗員さん)


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