秘境の旅 写真館
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旅ノート スーダン・ジブチ・エリトリアの旅(2005年2月17日〜3月1日)

◎旅の日程◎
1.関西 〜 ドバイ 〜 
2.〜 サナア(市内観光) 〜 ジブチ
3.ジブチ 〜 ディキル 〜 ジブチ
4.ジブチ 〜 タジューラ 〜 ジブチ
5.ジブチ 〜 アッサル湖 〜 ジブチ 〜
6.アスマラ 〜 マッサワ 〜 アスマラ
7.アスマラ 〜 コハイト・マタラ遺跡 〜 アスマラ
8.アスマラ(市内観光)〜 ハルツーム
9.ハルツーム(市内観光)
10.ハルツーム〜メロエ遺跡 〜 シェンディ
11.シェンディ 〜 ナガ・ムサワッラト遺跡 〜 ハルツーム
12.ハルツーム(市内観光)〜
13.〜 ドバイ 〜 関空


1,2日目 (関西 〜 ドバイ 〜 サナア 〜 ジブチ)

ジブチへの長い道のり
関空発23:15のエミレーツ航空でドバイまでは11時間半。それからわずか45分の乗り継ぎ時間でイエメンの首都・サナアまでは約2時間のフライトです。サナアに着いたのは、現地時間で朝の8時半すぎでした。ジブチへの便は夜の8時なので、サナアでも市内観光ができました。

サナア市内観光
イエメン門から旧市街に入りスーク(市場)などを散策し、改築中のホテルの屋上から市内を一望しました。窓枠の装飾が美しい伝統的な建物が、四方八方に林立する眺めは壮観でした。ジャンビーヤを着けて町を行き交う男性達や、カートという葉っぱを口にほお張っている姿など、短い時間でもイエメンらしさを垣間見ることができました。

サナア旧市街 カートを噛む男性

3日目 (ジブチ 〜 ディキル 〜 ジブチ)

大バラ砂漠
2週間前にできたばかりという快適な道路をひた走り、南部のディキルに向かいました。途中には、大地溝帯や小バラ砂漠、大バラ砂漠など大自然の風景が見られます。バラ砂漠のバラとは砂埃という意味で、その通り砂埃でつむじ風が舞う中、野生のガゼルが走り回る姿も見られました。

砂漠の岩絵(写真館@) 大地溝帯(写真館B)


ディキル
レストランで食事の後、アファール族の人たちが結婚式や戦いのときの踊りを披露してくれました。例によって最後には、私達も一緒に踊りに参加して終了。その後、ディキルの町でフランス統治時代の提督の館のあった所や市場を散策しました。

ディキルの少女(写真館H) アファール族の踊り


難民キャンプ
近くに難民キャンプがあるという説明を聞き、行ってみたいという人がいたので、急遽難民キャンプを訪問することになりました。ここでは、ソマリア・エチオピア・エリトリアからの難民、1800世帯が生活しています。UNHCRや日本のNGO、AMDAの援助を受けていてるそうで、そのおかげで見学の許可が下りたようです。

4日目 (ジブチ 〜 タジューラ 〜 ジブチ)

タジューラ
ジブチ湾の対岸にあるタジューラへ。まずは珊瑚礁のリゾート地を訪ねました。ここではフランス人と思われる観光客がシュノーケリングを楽しんでいました。タジューラは古くから栄えたイスラムの港町で、今でもスルタンが存在し宗教的権威を持っているそうです。

タジューラの町並み(写真館F) タジューラのリゾート


行きはよいよい
タジューラはジブチ湾の対岸約30km。行きはボートで1時間あまりで到着しましたが、帰りは風が吹き荒れ、ボートは高波に翻弄され続けました。頭から水しぶきをかぶり、必死にボートにしがみついて、船酔いも忘れてしまうほどでした。

ジブチのスーク
海水でびちゃびちゃの姿のままでスーク(市場)へ。野菜や果物、生活用品の他、土産物屋もありましたが殆どは輸入品のようでした。ジブチには今でもフランス軍が駐留しているので、観光客の多くはフランス人のようです。

ジブチのスークにて(写真館G) ジブチのモスク


5日目 (ジブチ 〜 アッサル湖 〜 ジブチ 〜)

アッサル湖
ジブチはアフリカ大地溝帯の北端に位置し、ダイナミックな自然の景観が見られます。代表的なものがアッサル湖で、5000年前にマグマの活動で出来た塩湖です。
はじめに溶岩のごつごつした大地を歩き、火山のクレーターの丘まで登ってアッサル湖周辺の大自然のパノラマを眺めました。が、このとき凄まじい強風が吹いていて、吹き飛ばされて溶岩の上に転倒!あまりの痛さと強風の恐怖で、景色を楽しむ余裕がありませんでした。
午後からは塩湖の岸辺まで行きました。一面、銀世界のように塩の干潟が広がっていて、所々に塩の結晶が形作られていました。ここは海抜-153mに位置し、死海、ティベリア湖に次いで世界で3番目に低く、塩分濃度は30%で海水の10倍です。転んで擦り傷のある手をうっかり湖に入れてしまい、痛いほど塩分濃度を感じました。近くには温泉が湧き出ていて、源泉の温度は80℃と高温です。
 

アッサル湖・溶岩の丘(写真館C) 溶岩の台地(写真館A)
強風で木もこんな形に... アッサル湖・塩の結晶(写真館D)
アッサル湖・遠景(写真館E) アッサル湖の近くの温泉


6日目 (〜 アスマラ 〜 マッサワ 〜 アスマラ)

エリトリアの山岳地帯 
ジブチからエリトリアへの移動が深夜の便だったので、ホテルに入ったのは朝の4時頃、ほとんど眠れず9時半には、マッサワに向けて出発しました。標高2365mの首都アスマラから、紅海の港町・マッサワまで一気に下ります。途中の山岳地帯には鉄道の鉄橋やトンネル、段々畑など、魅力的な風景が続き、眠気も忘れて景色を堪能しました。

山岳地帯(写真館@)


港町・マッサワ
マッサワは17世紀のオスマン時代に建設された港町で、珊瑚礁の美しい紅海リゾートもあります。しかし町を歩いてみると、エチオピアとの独立戦争で破壊された建物が今でも生々しく残っています。オスマン時代に造られエチオピア皇帝も宮殿としていたムジンガー宮殿は、ドームや壁が崩れたまま無残な姿をさらしていました。

港町・マッサワ(写真館A) 破壊された宮殿


7日目 (アスマラ 〜 コハイト遺跡、マタラ遺跡 〜 アスマラ)

エリトリア南部へ
今日は南部のエチオピア国境地帯にある遺跡に向かいます。高原地帯をしばらく走ると、♪この〜木何の木...と歌いたくなるような大木が何本も見られました。これはエリトリアのお札にも描かれているダロの木で、英語名はシカモア(エジプトいちじく)、聖書にも出てくるそうです。

ダロの木


コハイト遺跡
紀元前5世紀のシバ王国の時代と、紀元3〜6世紀のアクスム王国時代に栄えた都市遺跡ですが、遺物はほとんど地中に埋まっていて、目立つ建造物はありません。柱が何本か立っている宮殿跡と、エジプト風装飾のあるエジプト人の墓などを見学後、シバ王国時代に造られたダムへ。ここは現在でも使われているのですが、乾季なので干上がっていました。

マタラ遺跡
コハイトからさらに南部のマタラ遺跡へ。紀元5世紀のアクスム王国時代の遺跡で、宮殿跡などが残っています。古代エチオピアのゲーズ文字とアラビアの文様が残る石碑は、2000年のエチオピアとの戦争で倒されたそうです。エチオピアとの国境に近いこの辺りは、今なおUNTACが治安維持活動をしています。

近くの断崖(写真館F) シバ時代のダム(写真館G)
エジプト人の墓(写真館C) 石碑とマタラ山(写真館D)


エリトリアの料理
夕食は町のレストランでの名物料理でした。お盆の上にインジェラという酸っぱいクレープのようなものが敷かれていて、その上にのっている牛肉や羊肉、豆の煮ものを包んで食べます。インジェラはエチオピアの料理としても知られていますが、エリトリアでも主食として家庭で食べられているそうです。

エリトリアの料理


8日目 (アスマラ 〜 ハルツーム)

アスマラ市内観光
エリトリアはキリスト教徒とイスラム教徒の割合が半々で、高原地帯はキリスト教徒、低地・海岸地帯にはイスラム教徒が住んでいます。カトリック教会のカテドラルの時計塔から市内を一望すると、キリスト教コプト教会のマリアム聖堂、イスラム教のモスクをすぐ近くに見ることができました。

カテドラル カテドラル(写真館H)
コプト教会(写真館B) コプト教会(写真館I)


ワークショップ
エリトリアの人はモノを大切にし廃品を再生する技術に長けているそうです。鉄くずをトンカチトンカチ叩いて、バケツやインジェラを焼くオーブンなどに蘇らせていきます。金属の廃品が山と積まれた店が軒を連ねているのを見て、昔やったゲームに「鉄くずの町」が出てきた事を思い出しました。

ワークショップで働く少年 クリスチャンの女性(写真館E)


9日目 (ハルツーム滞在)

ハルツーム
スーダンの首都・ハルツームは、ハルツーム、北ハルツーム、オムドゥルマンの3つの地域から構成されています。オムドゥルマンから北ハルツームへ向かう橋の上から、青ナイルと白ナイルの合流地点を見ました。青ナイルはエチオピアのタナ湖を水源とし、白ナイルはビクトリア湖が主な水源で、ハルツームで青ナイルと合流し、世界最長の河、ナイル河となってエジプトに流れていきます。

カリフの家・マフディーの墓
19世紀末、ムハンマド・アフマドは自らをイスラムの救世主マフディーと称して革命を起こし、エジプトの支配から独立を果たしました。マフディーはスーダン独立の英雄とされ、彼と一族の家は現在博物館となっており、19世紀当時に使用していた家具や武器などが展示されています。

青ナイル(左)白ナイル(右)合流地点 マフディーの墓


自然博物館
主にスーダンに生息する動物が紹介されていて、屋内には剥製や標本、屋外にはミニ動物園がありましたが爬虫類ばかり目に付きました。大蛇に巻かれている人の恐ろしい絵が展示されていましたが、南部には大蛇に呑み込まれないように手を広げて寝る人もいるんだとか。

共和国博物館
元々キリスト教会を改装した建物で、上から見ると十字架の形をしています。内部には各国からの贈呈品が展示されていて日本の兜もありましたが、中国から贈られたものだそうです。

国立博物館
スーダン国内にある遺跡からの出土品を展示している、かなり立派な見応えのある博物館です。古代エジプトの神の石像やレリーフ、メロエ時代の土器、中庭にはアスワンハイダムの建設で水没する遺跡を移築したものなどがありました。

ハマデルニールモスク
約150年前のイスラム神秘主義者ハマドの霊廟で、毎週金曜日の夕方になるとモスク前の広場に信者が集まり大集会が行なわれます。信者たちは輪になって「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に神は無し)」というような歌詞の歌を歌って踊り、輪の中では宗教指導者が旋回して舞い、信者の感情を煽っていました。

ハマデルニールモスク ハマデルニールモスク


10日目 (ハルツーム 〜 メロエ 〜 シェンディ)

オムドゥルマンのらくだ市
ハルツームの旧市街、オムドゥルマンから幹線道路をはずれて道なき砂漠を走っていると、あちこちで牛やラクダの市が開かれています。今までラクダを見る機会は何度かありましたが、これほど間近で沢山見たのは初めてでした。

らくだ市にて ラクダ市(写真館H)


メロエ遺跡
紀元前6世紀頃に遷都されたクシュ王国の第二の都で、ピラミッドの建設は紀元前295年からです。27基が並ぶ北ピラミッド群、最も古い南のピラミッド群を見学後、車で「王家の町」に移動し、アモン神殿、イシス神殿、ローマ浴場を見学、さらに西のピラミッドと砂に埋もれたイスパルタ王の浮彫のある太陽神殿を見学しました。

メロエ遺跡(写真館@) メロエ遺跡(写真館A)
メロエ遺跡(写真館B) メロエ遺跡・王家の町


シェンディに泊まるはずが...
メロエの観光を終え日も暮れる頃、シェンディのホテルに到着しましたが、ここで事件が発生!予約していたのに部屋が無いと言われました。後から予約した人が料金を上乗せしたからだとか...しかし、運良くメロエの近くのイタリアン・キャンプのテントに宿泊できる事になり、砂漠の風情を味わえました。その上メロエの日の出まで見られて、かえってラッキーだったかも。

ナイル河の夕日


11日目 (シェンディ  〜 ハルツーム)

メロエの朝
日の出前キャンプ場から20分くらい歩いて、メロエのピラミッド群の近くまで行きました。近くの小高い丘に登って、朝日が当たるピラミッド群の幻想的な景色を眺めましたが、それにしてもピラミッド上部が破壊されているのが惜しまれました。

ナガ遺跡
紀元前1世紀頃のメロエ王国時代の遺跡で、メロエ時代最上の建築とされています。ローマ建築の影響を受けたキオスク(東屋)、正面・側面の壁一面にエジプト風レリーフが施されたライオン神殿、羊(アモン神)のぐるぐる模様の像が印象的なアモン神殿など、保存状態も良く見応えがありました。

ナガ遺跡(写真館C) ライオン神殿(写真館D)
アモン神殿(写真館E) キオスクとライオン神殿


ムサワッラト・アル・スフラ遺跡 
年代は特定されていませんがナガ遺跡と同時期に建立された、メロエ地区最大規模の神殿址です。ナガ同様ライオン神殿があり、側面にはナタクアマニ王・アマニタリ女王とエジプトの神々のレリーフが残っています。内部には象に乗った王のレリーフもあり、象の崇拝の中心地とする説もあります。

遺跡修復作業員の少年 井戸のまわりで(写真館F)
ムサワッラト遺跡(写真館G) ナイル河第6カタラクト


第6カタラクト
カタラクトとは急流のことで、ナイル河にはアスワンより南に6つのカタラクトがあり、ここ第6カタラクトは最も南に位置しています。岩がごつごつしていて川幅が狭くなっていましたが、あまり水しぶきが立っている訳でもなく、想像していたより穏やかな流れでした。

12、13日目 (ハルツーム 〜 ドバイ 〜 関西)

民族博物館
アフリカ最大の面積をほこるスーダンには597もの部族が存在していますが、それらの部族の暮らしを紹介している博物館です。南方のディンカ人のカバを取る仕掛けや、ヌビア砂漠のアラビア系遊牧民ラシャイダ族の生活用品などを見学しました。

ナイル河クルーズ
青ナイルと白ナイルの合流地点までクルーズする予定でしたが、乾季で水位が低いため合流地点までは近づけませんでした。代わりに初日に合流地点を見た橋のあたりの白ナイル側の岸辺から見ましたが、川幅が広いので青ナイルは遥か彼方でした。

オムドゥルマンのスーク
最後はハルツームの商業の中心・オムドゥルマンのスーク(市場)に行き、お買い物タイムでした。スークはかなり広くて油断するとすぐに迷子になりそうなので、あまり行動範囲を広げず、いつものようにイスラム関連グッズを少し購入しました。

帰国
帰路はハルツームからドバイが約3時間、ドバイから関空まで8時間半で、乗り継ぎ時間もほとんど無く、灼熱の砂漠の国からあっという間に現実に戻されてしまった感がありました。ジブチでは高波に翻弄されたり強風に吹き飛ばされたり、エリトリアでは濃い霧に包まれたり、スーダンでは車に乗っていながら砂まみれになったりと過酷な自然を体感することができ、お目当てのピラミッドも楽しめたので盛りだくさんの旅でした。



●参考にさせていただいたもの●
鉄の都・メロエ(集英社)
古代文明と遺跡の謎(自由国民社)
旅の記録(西遊旅行 添乗員さん)


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