旅ノート トルコ中西部(フリギア)の旅(2003年6月25日〜7月2日)
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◎旅の日程◎ |
1.成田 〜 イスタンブール 〜 アンカラ |
2.アンカラ 〜 ゴルディオン 〜 ペシヌス遺跡 〜 エスキシェヒール |
3.エスキシェヒール 〜 ミダス・シティ 〜 アフィヨン |
4.アフィヨン滞在(フリギアの谷) |
5.アフィヨン滞在(フリギアの谷) |
6.アフィヨン 〜 アイザノイ遺跡 〜 キュタフヤ 〜 ブルサ |
7.ブルサ 〜 イスタンブール 〜 |
8.〜 成田 |
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1日目 (成田 〜 イスタンブール 〜 アンカラ) |
ガイドM氏との再会
SARS騒ぎが終結していないこの時期、トルコ航空でも搭乗する前に「健康に関するアンケート」なるものを提出させられました。こんな時に海外に行く人も少ないのかと思ったら、減便のせいかほぼ満席でした。イスタンブールに到着すると、見覚えのある巨体が...3年前と同じガイドのM氏が迎えに来ていたのです。
2日目 (アンカラ 〜 ゴルディオン 〜 ペシヌス 〜 エスキシェヒール) |
アナトリア文明博物館
この博物館は2度目でしたが、今回はフリギア時代の遺物をじっくり見学しました。この旅行に来るまでフリギア時代と言われても「いつの時代のこと?」と思ってしまう程知識がなかったので、ここで予備知識を得ることは有意義でした。再現されたミダス王の墓の玄室やゴルディオンから出土した青銅器や土器など見ましたが、やはり前回来たときの記憶にないものばかりでした。
ゴルディオン
まずは紀元前7世紀頃のミダス王の墓の見学です。トンネルを通って玄室の所まで行けますが、中の木組みの部分は囲いがあってよく見えませんでした。その後、小さな博物館へ。アレキサンダー大王のモザイク画の看板がありました。ゴルディオンはアレキサンダー大王の逸話※「ゴルディオンの結び目」でも有名ですね。最後に広大な都市遺跡の部分で城門や工房跡などを見学しました。
※「ゴルディオンの結び目」の伝説
大昔のフリギア、貧しい農民のゴルディアスが牛車で町に向かっていると、一人の巫女が現れゼウスに生贄を捧げるよう勧めた。彼は犠牲を捧げ終わると、巫女と一緒に町に向かった。町に入ると人々は二人を囲み、ゴルディオスは王に選ばれた。「新王は牛車に乗り花嫁とやってくる」という先王の神託があったらである。新王は感謝の印に牛車を神殿に奉納し、極めて特殊な方法で結びつけた。その後「この結び目を解く者は全アジアの王となる」という神託があったが、解ける者はいなかった。ところが何百年後、アレキサンダー大王がこの地に現れ、結び目を一刀両断にしてしまったのである。
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ゴルデイオン(ミダス王の墓) |
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ゴルデイオン(都市遺跡) |
ペシヌス遺跡
ペシヌス遺跡に着くと、羊の大群が賑やかにカウベルを鳴らして山の方へ移動していきました。そんなのどかな農村のなかにある遺跡です。フリギア時代には重要な宗教儀式が行われた所ですが、現在遺跡に残っているのはローマ時代の神殿跡です。神殿前に階段状の広場がある珍しい造りでした。
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羊の大群 |
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ペシヌス遺跡 |
3日目 (エスキシェヒール 〜 ミダスシティ 〜 アフィヨン) |
セイット・ガージ
アラブの英雄、セイット・ガージを祀ったお墓とモスクで、13世紀のセルジューク朝のスルタン、アル・アッディーンの母ウンムハンによって、小高い丘の上に建てられています。建物のあちこちにローマ時代の柱頭が再利用されていました。
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セイット・ガージ |
ミダス・シティ
紀元前6世紀頃のフリギア時代にミダス王のアクロポリスがあったという場所で、岩山に壮大な神殿が刻まれています。ミダス王の墓だという説もありましたが、ゴルディオンが本当の墓で、ここはフリギアの守護神キュベレーに奉納された神殿です。この他にもフリギア時代の祭壇やヒッタイト時代の彫刻などが残っています。それらを見ながらアクロポリスを一周しましたが、岩山の頂上からの雄大な眺めもまた感動的でした。
アレザスティス
これも紀元前6世紀頃のフリギア時代の神殿跡で、木々に囲まれた岸壁に彫られています。フリギア文字がはっきり残っていて「アレザスティス」と書いてあるのですが、意味は不明なのだそうです。
ゲデック・カヤ
ミダス・シティの近くにありますが、これはヘレニズム時代のお墓の跡です。内部に石棺らしきものがありましたが、フリギア時代のものと違ってファザードや文字などはありませんでした。
キュンベット
アルメニア建築の影響のあるお墓や神殿の跡などを見学しましたが、あまりにも農村の風景のにとけ込んでいるので、知らない人だと遺跡だと気がつかないような所でした。
4日目 (アフィヨン 〜 フリギアの谷 〜 アフィヨン) |
アスランタシュ
フリギア時代の神殿跡で紀元前6世紀に作られたものです。ライオンの岩という名のとおり、高さ6〜7mもある向かい合った雄雌のライオンの彫刻があります。近くにあるヤランタシュは、ライオンの彫刻のあった岩が崩れて顔と尻尾だけになってしまったので、尻尾の部分をヘビにたとえてヘビの岩と呼ばれてます。少しはなれた所にあるマルタシュは、土に埋もれていて上部しか見えませんが、三角形のファザードやフリギア文字のあるタイプの神殿でした。
アヤジン村
ビザンチン時代の教会跡やお墓が残る村ですが、遺跡よりも素朴で人懐こい村人たちのほうが印象的でした。村に入るとすぐに、銃を持って颯爽と馬に乗ったおっちゃんや馬車に乗った陽気なおばちゃん達に出会いました。水汲み場に来ていたモンペ姿のおねえさん達、日陰でくつろいでいたおばあちゃんと孫たち...素敵な笑顔に出会えて心温まる村でした。
アブダラズカレ
単なる穴ぼこだらけの岩山に見えますが、フリギア時代の集団墓地のような所です。観光化されていないので梯子などはなく、よじ登って頂上まで上がりましたが、穴だらけなので足元に注意しないと落っこちてしまいそうな所もありました。
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アブダラズカレ |
アフィヨン市内
午後からはアフィヨンの市街地に行きました。アフィヨンは温泉とお菓子で有名な町です。老舗のお店でロクム(くるみゆべしのようなお菓子)を購入後、町を散策しました。中心部は賑やかで都会的ですが、路地裏に入ると閑静な昔ながらの家並みで、路地で遊んでいた子供たちや、家の前でお茶をしていた家族とデジカメで交流を深めました。
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アフィヨンはお菓子の町 |
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アフィヨン市内(雀荘のような...) |
5日目 (アフィヨン 〜 フリギアの谷 〜 アフィヨン) |
フリギアの谷
今日もアフィヨン周辺のフリギアの谷に残る遺跡めぐりです。朝、イーサーネ村に向かう途中で妙に賑やかな所があると思ったら牛の売買が行われていました。その後、フリギアの神殿クチュックカピカヤへ。これは長方形のような岩の中心にキュベレーの像が作られていたようですが、像は壊れていました。
キャラバンサライ
ドゥゲール村のキャラバンサライを見学しましたが、中に入ってびっくり。天井から下がる張りぼての大蛇や悪の首領が座るような玉座...テレビ番組のロケで使ったセットがそのまま残されていたのです。
アスランカヤ
紀元前5世紀前半のフリギアの神殿跡で、後部にライオンの彫刻が残っています。正面には三角形のファザードと中心にキュベレーの像がありましたが、ダイナマイトで壊されてしまったそうです。
まわりはケシ畑だらけ
この2日間は農道のような道を小型バスで移動しました。よく目にした景色はケシ畑や麦畑、草原ですが、なかでもケシ畑は強く印象に残りました。現地の案内人がケシの実を一つ採って見せてくれました。針で傷をつけると白い液状のものが滲んできて、これがモルヒネなど麻薬の原料になるそうです。ちょっと舐めてみましたが、苦いのなんのって。
アモリウム遺跡
発掘中のローマ時代の遺跡で明日からイギリスの調査隊が来るとのことでした。遺跡は有刺鉄線で囲まれていましたが、幅の広い所から入って教会堂跡などを見学しました。それにも増して我々の侵入を阻んだのは、群生するアザミでした。少し歩くだけで靴下はアザミの棘だらけになり容赦なく足に刺さりました。
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アモリウム遺跡 |
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アモリウム遺跡 |
6日目 (アフヨン 〜 アイザノイ 〜 キュタフヤ 〜 ブルサ) |
アイザノイ遺跡
ここはフリギアではなく2世紀頃のローマ時代の遺跡です。現在はチャブダルヒサール村ですが、村全体に遺跡が点在しています。最初にローマ浴場、次に劇場と競技場。劇場の舞台の裏に競技場が隣接していて、このように一体化しているのは珍しい造りです。劇場は地震で崩れたままですが、修復したらペルゲやアフロディシアスにも引けをとらない遺跡になることでしょう。
次に村の中を歩いてモザイクの床の残る浴場やローマ時代の橋、列柱道路、商取引場、音楽堂を見てゼウス神殿へ。2列の列柱に囲まれた神殿は、正面と左側の壁と列柱は大分残っていて、神殿前にはメドゥーサのような彫刻があるので、角度によってはとても見栄えがします。それより驚いたのは地下にとても大きい宝物庫があったことでした。
キュタフヤ博物館
キュタフヤといえば陶器で有名ですが、博物館に展示されていたのはアイザノイ遺跡で発掘された出土品など中心でした。アイザノイ遺跡に関してはほとんど資料がないので本が欲しかったのですが、英語版さえもなくてちょっとがっかりでした。
ジュマールキズック村
オスマン時代の伝統的な木造建築や石畳の残る村ですが、フリギアの谷であまりにも素朴な村を訪れたせいか、ちょっと整備されすぎちゃってるような気がしました。
7.8日目 (ブルサ 〜 イスタンブール 〜 成田) |
イェシルジャーミィ
1424年にメフメット1世によって建てられたモスクで、初期のオスマン様式の傑作です。内部を彩るグリーンのタイルは、なんとも微妙な色合いで目を見張る美しさです。隣にあるイェシル・テュルベはメフメット1世の棺がありますが、こちらも鮮やかなブルーのタイルで装飾が見事でした。
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イェシルジャーミィ(緑のタイル) |
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イェシル・テュルベ |
帰国の途へ
ブルサからフェリーでマルマラ海を渡りイスタンブールへ向かいました。今まで、フリギアの谷で素朴な農村ばかりを旅していたせいか、イスタンブールがあまりにも大都会なので近寄り難く感じました。これまではイスタンブールに来るとワクワクしていたのに、すっかり心地よい農村ののんびりモードにはまってしまったフリギアの旅でした。
●参考にさせていただいたもの●
旅の記録(西遊旅行 添乗員さん)
歴史読本ワールド’93.11世界の神話伝説(新人物往来社)
地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地(ダイヤモンド社) ブルサのみ
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