旅ノート パキスタンの旅(1995年1月2日〜1月8日)
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◎旅の日程◎ |
1.成田 〜 イスラマバード |
2.イスラマバード 〜 タキシラ〜 ペシャワール |
3.ペシャワール滞在(カイバル峠、キサ・カワニ・バザール) |
4.ペシャワール 〜 ラホール(バドシャヒ・モスク、博物館) |
5.ラホール 〜 ハラッパー遺跡 〜ラホール 〜 カラチ |
6.カラチ 〜 モヘンジョ・ダロ 〜 カラチ |
7.カラチ 〜 成田 |
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結婚式
成田を昼の12時ごろ出発し、イスラマバードに着いたのは夜の9時頃。ホテルに到着すると楽団が賑々しく私たちを迎えてくれました。と思ったのは勘違いで、結婚式がこれから始まるところでした。着飾ったパキスタンの上流階級と思われる人たちが、新郎新婦を迎えるところでした。
タキシラ遺跡
イスラマバードから約35km、ガンダーラ最大の遺跡・タキシラに来ました。まずは博物館で遺跡の説明を聞き、ギリシャ彫刻のような顔立ちのガンダーラ仏を見学しました。遺跡は広大なので、その後バスで、’ジュリアンの僧院’、都市遺跡’シルカップ’に移動しました。
ジュリアンの僧院
小高い山の上にあるこの遺跡は、2〜5世紀頃使用されていた仏教の僧院跡です。入口には「The
world Heritage」の看板がありました。ここで目を引くのは、仏像などの細かい彫刻の施されたストゥ−パで、博物館より数が多く美しいものがあります。
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ジュリアンの僧院 |
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ジュリアンの僧院 |
シルカップ
こちらは紀元前2世紀頃のバクトリア時代の都市遺跡で、あまり起伏のない土地にまっすぐな道がつづいています。低い石積みの区画ばかりという印象ですが、中にはコリント式石柱のような彫刻や、イランの双頭の鷲をモチーフにした彫刻のある興味深いストゥ−パもあります。
ペシャワール博物館
ペシャワールに着いたのは夕方の5時頃だったので博物館はもう閉まっていました。でも私たちが行くと特別に開けてくれたのですが、電気がつくまで随分時間がかかりました。ここでもギリシャ彫刻顔のガンダーラ仏がずらっと並んでいました。薄暗い中で見るとちょっと恐い気もしましたが...
カイバル峠
紀元前1500年頃のアーリア人に始まり、アレキサンダー大王など多くの征服者が通った峠として有名ですが、現在ではアフガニスタンとの国境に住むパターン族の部族地区として、部族の掟に従った独自の自治区になっています。そのため政府は、何かとこの地域への立ち入りを禁止します。95年1月には行くことができましたが、許可申請が必要で、銃を持った護衛の人がバスに乗ってきました。
ランディ・コタール村
アフガニスタン国境に一番近い村、ランディ・コタールのバザールを訪ねました。ここはパターン族の村で、バザールでは男性しか見かけません。しかも銃をもっていたり、’ハッシシ’で目がイッちゃてる人などがいたり、かなり危ない雰囲気。カメラを構えると、写真に写りたがる人々が集まってきて、黒山の人だかりになりました。それなのに女性はたとえ小学生でも写してはいけないとの事。そういえばバスから見かけた女性は、頭からすっぽり布を被って身体を隠したオバQスタイルでした。
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ランディ・コタール村にて |
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ランディ・コタール村にて |
キサ・カワニ・バザール
午後からはペシャワール旧市街のキサ・カワニ・バザールに行きました。ここは「話をする人が集う」という名のバザールだけあって、大勢の人で賑わっていました。しかしここでも通りを歩いていたのは、殆どが男性でむさくるしい感じがしました。
またまた結婚式
ラホールのパールコンチネンタルホテルに着くと、ここでも楽団が整列してお出迎え?と思ったら、またまた結婚式が始まるところでした。楽団の音楽に合わせて男性達が踊りながら新郎の車を先導、続いてパンジャーブドレスで着飾った女性達が続きます。同じ国でも北部のオバQ姿の女性とは違って堂々としていました。
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踊る男性たち |
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着飾った女性たち |
ラホール博物館
ラホールはムガール朝の都だったこともあり、博物館にはムガール朝時代のもの、ガンダーラの仏像、インダス文明のもの等、パキスタンを代表する芸術品が展示されています。中でも有名なのはガンダーラの「断食する仏陀像」。断食で骨と皮だけになり、血管が浮き出ている所までリアルに表現されています。
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断食する仏陀像 |
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ガンダーラ仏 |
バドシャヒ・モスク
17世紀にムガール朝の皇帝・アウラングゼーブによって建てられたモスクで、あのタージ・マハールに付属するモスクにそっくりです。でもこちらは大分規模が大きく、一度に10万人が礼拝できるそうです。ここで会った現地人観光客の女性は、気軽に写真に応じてくれました。
ハラッパー遺跡
ラホールから約185kmのハラッパー遺跡を日帰りで観光し、夜の便でカラチに向かうという忙しい日でした。それなのに「自家用」と車体に書いてあるバスは、’プシュー’と音を立ててパンクし立ち往生。それでも食事時間を割いて、しっかり遺跡の観光はできました。遺跡はあまり復元が行われていないので、あまり見栄えのするものではなかったのですが、小さい博物館には、昔、教科書で見たようなインダス文明の出土品が展示してありました。
6日目 (カラチ 〜 モヘンジョ・ダロ 〜 サッカル 〜 カラチ) |
モヘンジョ・ダロ遺跡
カラチから日帰りでモヘンジョ・ダロの観光に向かいました。インダス文明の遺跡として社会の授業で習ったときに、あまりにも印象的な名前なので、いつか行ってみたいと思っていたのが実現しました。モヘンジョ・ダロとは「死者の丘」という意味で、発掘当時多くの人骨が発見されたので、こう呼ばれるようになったそうです。遺跡は紀元前3000年頃から形成された世界最古の都市で、日干し煉瓦の町並みが大々的に復元されていて、かなり見応えがあります。
サッカル空港
カラチに戻る便が夕方6時頃だったのでもっと早く帰るために、急遽、近郊のサッカルという町から飛行機に乗ることになりました。しかしこの選択が思わぬ結果を招くことになろうとは...やはりここはパキスタン。カラチへの便が出発したのは夜の10時半頃でした。
帰国
帰国便は朝の4時半・カラチ発だったので、ホテルを出発したのは夜中の2時でした。結局ホテルに滞在したのは2時間くらい、でも無事日本に帰ることができてほっとしました。
●参考にさせていただいたもの●
地球の歩き方 パキスタン(ダイヤモンド社)
古代文明と遺跡の謎(自由国民社)
旅のメモ(トラベル世界 添乗員さん)
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