秘境の旅 写真館
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旅ノート イラクの旅(1996年12月27日〜1997年1月7日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜 カラチ
2.カラチ 〜 テヘラン 〜 ケルマンシャー
3.ケルマンシャー 〜(国境)〜 バグダード
4.バグダード滞在(クテシフォン、バビロン、カルバラ)
5.バグダード〜アッシュール〜モースル
6.モースル滞在(ニネヴェ、ニムルド)
7.モースル 〜 ハトラ 〜 サマッラー 〜 バグダード
8. バグダード 〜 (国境) 〜 ケルマンシャー 〜 テヘラン
9.テヘラン 〜 カラチ
10.カラチ滞在
11.カラチ 〜
12.〜 成田


1日目 (成田 〜 カラチ)

いざイラクへ
「イラク旅行 再開しました」という文字を、うさぎのマークの旅行会社のツアー情報誌に見つけたのは、96年の6月末のことでした。すぐに問い合わせをしてみると、「年末年始は満席ですが、人気があるのでパキスタン経由のコースを増発することになりました。」と言われたので、迷わずすぐに申し込みました。でもその後で、ビザ代が2千円といってたのが2万円になったり、外貨獲得のための強制エイズ検査に50ドルかかったり、9月には米軍がイラクを攻撃したりで、何度も行くをのやめようかと考えさせられましたが、これを逃したら何時いけるのかと思う気持ちの方が勝り,この日を迎えたのでした。

2日目 (カラチ 〜 テヘラン 〜 ケルマンシャー)

カラチからテヘランへ
朝7時半の飛行機でカラチを発って、テヘランまでは約3時間半。乗り換えの便まで時間があったので、絨毯博物館を見学しました。その後市内のイラン名物料理のレストランに行ったのですが、私の記憶が確かならば、3年半前にこの場所にあった店は中華料理屋だった気がします。

ケルマンシャー
イラン西部の町、ケルマンシャーに着いたのは夕方で、飛行機からザグロス山脈の剥き出しの山肌が紅く染まって見えました。この町から100キロくらいのところに楔型文字で有名なビストゥ−ンの碑文があるのですが、今回は時間がなくて見に行けないのが残念でした。

3日目 (ケルマンシャー 〜 国境 〜 バグダード)

ケルマンシャーからイラクへ
朝7時半にケルマンシャーを出発して、ザグロス山脈を越えてイラクとの国境を目指します。途中にはイラン・イラク戦争で使われた戦車の残骸があちこちに残っていて、写真を撮ったり中に入ってみたりしました。でもボロボロだったので、単なる鉄の塊という感じでしたが。

戦車の残骸 ザグロス山脈を越えて



国境

お昼頃に国境に着きました。まずはイランの出国から。運悪くアゼルバイジャン人の巡礼団に後れをとって、案の定遅々として進みません。それでもようやくツアー全員の荷物のオープンチャックが終わり、いざイラクへ。小さいバスに乗せられて緩衝地帯を進み、イラク側のゲートに着きました。ここで待たされているうちに、灰色の空からとうとう雨が降り出して、国境の有刺鉄線とイラン側のホメイニ師の肖像、イラク側のフセイン大統領の肖像という景色が、さらに異様な雰囲気に見えました。
冷たい雨の中、イラクの入国審査が始まりました。荷物台にスーツケースが開けて並べられ、係官がチェックしていきます。ここまでは順調でしたが、問題は”エイズ検査”でした。イラクは外貨獲得のため、50ドルで男性60歳未満、女性50歳未満の人を強制的にエイズ検査します。先客のアゼルバイジャン人たちも検査されていたので、さんざん待たされて結局国境で4時間半もかかってしまいました。

バグダードに到着
夜の8時頃ようやくバグダードに到着しました。アル・ラシードホテルの入口には、湾岸戦争当時のアメリカのブッシュ大統領の顔のモザイクが、”踏み絵”として造られていました。

ブッシュ大統領の踏み絵



4日目 (バグダード滞在)

クテシフォン遺跡
バグダードからバスで約1時間、クテシフォンの遺跡に来ました。ここには3世紀頃の、レンガで造られたアーチが特徴的な宮殿があります。アーチは高さ37m、幅100mの巨大なもので、下から見上げると壮観でしたが、後でアーチを支える建物に亀裂を発見して、ちょっと恐ろしくなりました。

クテシフォンへの移動中 クテシフォン遺跡


バビロン遺跡

古代世界7不思議の1つ”バビロンの空中庭園”や、「バビル2世」でお馴染みの”バベルの塔”など聞いただけでわくわくするような遺跡で、このためにイラクに来たといっても過言ではありません。でも残念ながらそれらは跡形も残っていませんでした。でも全体としては復元された部分が多く、きれいに整備されて遺跡公園のようになっていました。

イシュタル門のレプリカ(写真館1) 聖獣の浮彫(写真館2)
古代のアスファルトの道(手前) バビロン市街地
人を押さえつけるライオン像 ムシュフシュ


聖地・カルバラ
イラクはイスラム教・スンニー派が多数を占める国ですが、ここはシーア派の聖地で、預言者マホメッドの孫のフセインと弟のアッバースの霊廟があります。戒律の厳しいシーア派の聖地なので、イランのようにスカーフを被らなければならず、また霊廟の中にも入れませんでした。

聖地カルバラ(写真館5) アッバースの霊廟(写真館6)
聖地カルバラ(写真館7) 礼拝に訪れた信者(写真館8) アラベスクの壁



5日目 (バグダード 〜 アッシュール 〜 モースル)

バス故障
今日はバグダードからチグリス川添いに北上し、アッシュールとハトラの2つの遺跡を見る予定でした。ところがアッシュールまであと数キロというところで、バスがエンコしてしまいました。何も無い荒れ地の丘のような所で1時間半あまり待つはめになってしまった訳ですが、このツアーにはガイドの他にイラク人の”御目付け役”が同行していて、私たちがやばいところに行かないよう目を光らせていました。

移動中見かけるサダム・フセイン 移動中見かけるサダム・フセイン


アッシュール遺跡

紀元前1300年頃にアッシリア帝国の最古の首都として栄えたアッシュールはチグリス川のほとりにありました。当時、ジッグラドといわれる塔のような建物だったところは、今は小高い山が残るのみで、上に登るとチグリス川が一望できました。

アッシュールのジッグラド チグリス川


6日目 (モースル滞在)

ニムルド遺跡
朝、モースル郊外にあるアッシリア帝国第二の首都、ニムルド遺跡に着いたときには、霧が深くどこが遺跡なのか判らないほどでした。遺跡には数々の人面有翼牡牛像やアッシリアの王のレリーフ、楔型文字の壁などがありましたが状態が悪く、いいものは全て大英博物館に持って行かれているようでした。

人面有翼牡牛像は壊れたものばかり 楔形文字の壁(拡大)


ニネヴェ遺跡

モースルに戻りアッシリア帝国の最盛期の都、ニネヴェの遺跡を見学しました。アッシュールバニパル王の図書館跡で2万2千枚の粘土版が発見された、トルクユンジュックの丘はかわいそうなくらいに荒れ果てたレリーフしかありませんでした。

比較的状態の良い牡牛像 人面有翼牡牛像(写真館9)


モースルのスーク

モースルはイラク第三の都市で、アラビアンナイトの”空飛ぶ絨毯”の産地として有名です。午後はこの町のスーク(市場)でフリータイムとなりました。文房具屋にはサダム・フセインの顔が表紙に印刷されているノートが売っていました。何処へいってもフセインだらけです。

焼き鳥?屋 香辛料のスーク


大晦日

今日は大晦日です。ホテルのディナーでは旅行会社の用意した年越しカップ麺をいただきました。ステージではやたらうるさい楽団の演奏が行われ、うんざりしました。部屋に帰ってテレビをつけると、いまだにジングル・ベルのメロディーが流れ、しかも”インシャアラー・インシャアラー”と歌っているではありませんか!

7日目 (モースル 〜 ハトラ 〜 サマッラー 〜 バグダード)

霧のハトラ遺跡
昨日同様、今日も朝は霧で真っ白でした。ハトラの遺跡に近づいてきても霧は晴れず、バスが道に迷って地元の中学生を乗せて道案内してもらう始末です。ハトラの遺跡は紀元1世紀頃の隊商都市の遺跡ですが、ギリシャ風の神殿があって霧の中で幻想的な雰囲気をかもし出していました。

ハトラの遺跡(写真館3) ハトラ遺跡


サマッラーのぐるぐるミナレット

サマッラーはバベルの塔を思わせるような、らせん状のミナレットがあることで有名です。ミナレットへと曲がる分岐点に、ミナレットのミニチュアにサダム・フセインの肖像をくっ付けたモニュメントが立っていました。ミナレットの隣にはモスクの跡がありましたが、ここは塀のみが残るだけでした。

入口のモニュメント サマッラーのミナレット(写真館10)


ようやくバグダード観光

夕方バグダードに着きました。明日イラクを去らなければならないので、バグダードはほんの少ししか見られません。その上、”ここは政府の建物だから写真を撮るな”などとお目付け役のチェックが入って、あまり観光させたくないような感じでした。世界最古の大学といわれるムスタンシリアを外側だけ見て、その後、隣のスークを歩きましたが、土産物を売っている店があったのはちょっと以外でした。

ムスタンシリア バグダードの街角で(写真館4)


8日目 (バグダード 〜 国境 〜 ケルマンシャー 〜 テヘラン)

再び国境越え
はるばる来たイラクともあっという間にお別れで、またあのイライラする国境越えをして帰らなければなりません。しかも今日中に飛行機でテヘランまで行く強行スケジュールなので、バグダードを出たのは夜中の4時、最後のイラクの景色も真っ暗で何も見えませんでした。国境に着くまでに例の”エイズ検査”の結果が報告され全員陰性でした(当たり前か)。国境ではまたうんざりする程時間がかかりましたが、なんとか何事もなくテヘランに着いてほっとしました。

9日目(テヘラン 〜 カラチ)

長い帰路のはじまり
メインのイラクの観光があっという間に終わり、名残惜しい反面、ミサイルにあたらずほっとしました。これから日本に戻るのに、イラクの正味の滞在日数と同じ4日もかかります。ちょうどイラクの緊張が解けたこの日、悲しい事が起こりました。カラチに着いた後、ツアーでお世話になった友人のスーツケースが盗まれてしまったのです。もう行けそうにないイラクの写真やお土産が入っていただけに、気の毒でかける言葉もみつかりません。


10日目(カラチ滞在)

チョウカンディ
フライトスケジュールの関係で、思いがけずカラチでまる1日時間ができたので、郊外の観光に出かけました。チョウカンディは16世紀頃までに造られた墓地で、幾何学模様の細かい彫刻が施された墓が3000あまりある大墓地群です。チョウカンディとは”四角”という意味で、殆どの墓が四角い石を積み上げて造られています。

チョウカンディの墓地 墓の彫刻



タッター

タッターはカラチから約100キロ、あのタージ・マハールを造らせたシャー・ジャハーンが建てたモスクがあることで有名です。モスクはタージ・マハールほど豪華ではありませんが、内部のブルーを基調とした鮮やかな幾何学模様のタイルはかわいい色使いで私好みでした。

シャージャハーンのモスクの天井 シャージャハーンモスクの天井


11,12日目(カラチ 〜 成田)

カラチ観光
カラチで、もう半日時間があったので市内観光に連れていかれました。でも市内には、これといった観光地がないらしく、洗濯場やアラビア海など、どーって事ない所を見て帰国の途に着きました。



●参考にさせていただいたもの●
世界遺産3 西アジア(講談社)
大英博物館1メソポタミア文明(NHK出版)
古代文明と遺跡の謎(自由国民社)
地球の歩き方 パキスタン(ダイヤモンド社)
旅のメモ(トラベル世界 添乗員さん)


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