秘境の旅 写真館
本文へジャンプ イランの写真館へ 

旅ノート  イランの旅(1993年4月29日〜5月6日)

◎旅の日程◎
1.成田 〜 テヘラン
2.テヘラン (考古学・絨毯博物館、サーダバード宮殿)〜 イスファハン
3.イスファハン滞在(イマーム広場、バザール等)
4.イスファハン (シェイキングミナレット、バザール等)〜シラーズ
5.シラーズ滞在 (ペルセポリス、ナクシュロスタム、パサルガダエ)
6.シラーズ (エラムガーデン、サーディ、ハーフェズ廟)〜 テヘラン
7.(ホメイニモスク、博物館、バザール、モスク等) テヘラン〜
8. 〜 成田


1日目 (成田 〜 テヘラン)

かぶりもの
テヘラン到着間近のアナウンスが流れると、いよいよスカーフとコートの出番です。イランはイスラムの戒律の厳しい国なので、観光客といえども、女性は髪の毛と体の線を隠さなければならないのです。Gパンの上にスプリングコートを着て、頭は”まちこ巻き”という妙ないでたちの日々がはじまりました。

2日目 (テヘラン 〜 イスファハン)

絨毯博物館
イランといえば、ペルシャ絨毯。テヘランには絨毯だけを展示してある博物館があります。イランでは2500年前から絨毯作りをしていたそうです。大きなアンティークの絨毯が数多く展示してありました。

サーダバード宮殿
イスラム革命によって追放になった、パーレビ国王が王妃と住んでいた宮殿で、広大な敷地の中に当時のままの建物が残っていて、内部を見学することができます。宮殿の内部は豪華絢爛そのものです。建物の中に入るときは靴を脱ぐので、イラン航空でもらった靴下が役に立ちます。

3日目 (イスファハン滞在)

金曜日のモスク
17世紀には”世界の半分”といわれる程繁栄したイスファハンに来ました。まずは金曜日のモスク(マスジェデ・ジャーメ)へ。イスファハンで一番古いモスクで8世紀頃の創建ですが、現在あるのは12〜14世紀に再建されたものです。内部にある赤い絨毯を敷き詰めた礼拝所で、ガイド氏がシーア派の礼拝のお手本を披露してくれました。

金曜日のモスク(写真館1) イマーム広場にて


イマーム広場

イスファハンでの最大の見どころはイマーム広場です。この広場は町の中心で、ここにあるイマームモスク、シェイク・ロトフォラー・モスクの壁面は彩色タイルで覆われ、アラベスク模様の美しさの極みです。イランに来たら、ここだけは絶対見逃してはならない所だと思います。

イマームモスク・鍾乳石飾り(写真館2) シェイク・ロトフォラー・モスク
イマームモスク・内部(写真館8) シェイク・ロトフォラー・モスク(内部)


チェヘル・ストン離宮

17世紀にアッバース2世によって建てられた宮殿で、チェヘル・ストンとは40本の柱という意味です。実際には柱は20本しかないのですが、前の池に映ると40本に見えるのでこの名前が付いています。辺りは緑が多く涼しげな印象がしました。

チェヘル・ストン離宮 水パイプを吸う人たち


バザール

イマーム広場を囲む一郭にガイサリエバザールがあります。ここには土産物から貴金属、生活用品まで売られています。バザールの入口に黒いチャドルの女子高生軍団がいました。イランでは女性の写真は撮らないように言われていましたが、日本人が珍しかったのか、彼女たちの方から一緒に写真を撮りたがって寄ってきました。

ペルシャ更紗を売る店 香辛料を売る店


ズルハネ
女性が人前に出ることに厳しい制限があるイランでは、ツアーに付き物の民族舞踊などもちろんありませんが、その代わり男性の新体操のようなものがあるというので見に行きました。汗臭い会場に入ると、太鼓の音とともに十数人の男が現れ、輪になって巨大なこん棒を振り回したり、延々とぐるぐる廻りつづけたりして、自分の鍛えた力を見せ合うスポーツのようです。

ズルハネ

4日目 (イスファハン 〜 シラーズ)

シェイキングミナレット
ミナレットとはモスクに付いている塔で、礼拝の時間を知らせる呼びかけをする所です。ここにはミナレットが2つあって、一方に登って中から揺らすともう一方も揺れるというので、このように呼ばれています。地元の人が揺らしたときは、かすかに揺れたような気がしましたが、ツアーのメンバーが挑戦したら、びくともしませんでした。

ゾロアスター寺院
ゾロアスター教は拝火教ともいわれ紀元前7世紀にゾロアスターが始めたペルシャの宗教で、鳥葬をすることで有名です。寺院は岩山の上にあって、拝火壇や鳥葬台などを下から見上げました。
この後またバザールに行き、昼食後は豪華なアッバスィーホテルで優雅に午後のひと時を過ごしました。そのごハージョー橋、シャレスターン橋を見学し、夕方にはシラーズに向かいました。

ゾロアスター寺院 イスファハン・コウサルホテルの壁

5日目 (シラーズ滞在 ペルセポリス〜パサルガダエ)

ペルセポリス
紀元前520年頃ダリウス1世の命によって造られた都で、ペルシャ帝国最大の遺跡です。紀元前330年アレキサンダー大王が陥落するまで、主に儀式を行う聖域として使われていました。アパダナという謁見の間には、諸国からの朝貢の列を表した細かいレリーフが残っています。これらの彫刻は貢ぎ物や衣装が各国の特長を表しているので、古代諸国家の風習を伺い知ることができます。

クセルクセス門(写真館7) アパダナ(写真館5)
王宮のアフラマズダ(写真館4) 王宮とひなげし(写真館6)
アパダナ 王宮で出会った現地の観光客


ナクシュ・ロスタム

あまり知られていませんが、ペルセポリスの近郊にあるアケメネス朝の王の巨大な墓です。高さ150mの岩山を十字型にくり貫いて墓が造られています。地上から50mの岩山の中腹をお墓にしてしまう斬新な様式は、拝火教と関係あるのでしょうか。

ナクシュ・ロスタムの王墓(写真館3) 騎馬のレリーフ


パサルガダエ

ペルセポリスから1時間くらいのところにあるペルシャ帝国・アケメネス朝の首都として知られる遺跡です。所々に石碑や敷石があるだけで、都の面影はありません。ただ、巨大な石を積み上げて造られたキュロス王の墓がぽつんと残っていました。

キュロス大王の墓 レセプション・パレス

6日目 (シラーズ 〜 テヘラン)

エラム・ガーデン
イランはバラの原産地で、ここのバラ園には250種類のバラがあるそうです。季節的にちょうど良くバラが咲き乱れていました。シラーズにはこのような花壇の美しいペルシャ庭園が数多くあります。

エラム・ガーデンにて エラム・ガーデンの薔薇


ハーフェズ廟

ハーフェズは14世紀頃の有名な叙情詩人です。サーディの廟と同様に、いろいろな花が植えられた美しいペルシャ式庭園があり、大理石の棺には彼の有名な詩が彫られています。イラン国内からの観光客も多く、ここでも日本人を珍しがって人々が集まってきました。

サーディー廟にて(写真館10) サーディ廟の前で


シャー・チュラグ廟

いままでのモスクは、スカーフにコートという格好でも入場できましたが、ここはイラン人と同じように黒いチャドルを着ないと入れないというので、バスの中で着替えました。着替えるといっても黒い四角い布を頭から被って顔を出すだけです。でも、これがなかなか難しくすぐに着崩れしてしまいます。モスクにいた現地の女性が見かねて着方を教えてくれました。

シャー・チュラグ廟 モスクの小学生(写真館9)

7、8日目 (テヘラン 〜 成田)

ホメイニモスク
’89年に死去したイランの最高指導者、ホメイニ師のために造られているモスクです。イスファハンのモスクとは違い近代的で、建築中だったせいか、内部はがらんとして体育館かイベント会場のようでした。

帰国
イランにいる間は、物価も安く大してお金を使わなかったので、最後に空港で生まれて初めて”キャビア”を買いました。イラン航空では、飛行中冷蔵庫にキャビアを預かってくれました。

ホメイニ・モスク ホメイニ・モスク内部


●参考にさせていただいたもの●
古代文明と遺跡の謎(自由国民社)
旅のメモ(ユーラシア旅行社 添乗員さん)


このページの先頭へ

Copyright (C) 2006 All rights reserved by Noriko Yamaya