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 白と黒。
 それが、視界いっぱいに広がるもの。小雨の所為で白く煙った世界の中で、それはしめやかに執り行われていた。
 松平孝蔵の葬式は、たくさんの人で溢れかえっていた。使用人の目にも涙が浮かんでいることから、いかに故人が良い主として慕われていたかが分かる。
 横を向くと、明がいた。この時代には珍しいスーツ姿で、明は黙って立ち尽くしていた。明は悲しみとは明らかに違う表情を浮かべていた。どうしてだか、胸に広がる不安。
 明の視線の先には、自分たちの母親である房子がいた。
 弔問客に頭をさげている房子。夫を失い、悲しみにくれる妻。
 その時、明の視線が自分を捕らえた。はっとして明を見る。明は、しばらく黙って自分を見つめた後、悲しみを隠すように微笑んだ。
 「大丈夫だよ」とでも言うように・・・。






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 明はむさぼるようにネルガルにくちづけていた。もう、何度目かのくちづけ。
 そして、静かに口唇を離すと、ネルガルを見上げて不思議そうに眉を寄せた。
「どう・・・・・いうこと?」
 すでに一度、事をすませていたにもかかわらず、明は正気を保ち続けていた。この間の麻薬のような感覚が襲ってこない。それはネルガルの目にも明らかだった。
「どうして?君が、そうならないようにしてるの?」
 あざ笑うような目でネルガルを見る明。しかし、麻薬効果を起こさないようにすることなどできないことを、一番よく知っているネルガルは、自らの首に腕を回したままクスクスと笑っている明を冷ややかに見下ろした。
「お前・・・なにをした?」
 ネルガルの麻薬に対抗できるものなど人間界には存在しない。となると、魔界の何かを口にしたとしか考えられないのだ。明はネルガルから離れると、皺のよったシーツの上で裸のままあぐらをかく。そして窓際に立っているネルガルを見返し、首をかしげた。
「・・・・・・さぁ、なんだろう?」
 明らかに状況を楽しんでいるのが分かる。まるで、手玉に取ってるのは自分だとでも言いたげな明を、ネルガルは温かみの無い紅い瞳で見つめた。
「君の側にいられるようにって・・・神様が判断してくれたのかな?」
 とても悪魔と契約している者とは思えない言葉。ネルガルは腕を組んだまま、ゆっくりと瞬きをした。
「確かに、あんな効果は必要ないほど、君は充分素敵だもんね・・・」
 さっきまでの行為を思い返すように、明は微笑みながら遠くを見つめる。ネルガルは、そんな明の姿を上から下まで一瞥し、言った。
「今度は虎狼丸から何をもらったんだ?」
 訳のわからない苛立ち。魔界の何かに違いないとは思ったものの、ネルガル自身、そんな「何か」が本当に存在するのかどうかは知らなかった。
 すると、思いもかけず明は浮かんでいた笑みを消し、真剣な顔でネルガルを見返した。
「え・・・・・・本当に・・・君じゃないの?」
「どういうことだ?」
 お互いに、お互いを疑っている。そのことに先に気付いたネルガルは、今度こそ本気で眉をひそめ、低い声を放った。
「お前・・・なにをした?」






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 銀色の雨の筋の中、広げられた傘。
 バチバチと激しい音をたてる傘をかかげ、夜の通りに出たアンリは小さくため息をついた。
「本当に行くのか?明日にしときゃあ・・・」
「いえ、きっとアスカロト様が気にしてらっしゃると思いますので、薬を届けついでにご挨拶だけでも・・・」
 月の光も届かない闇が空を支配している頃、もしもネルガルが聡に触れる機会があれば必要になるだろうからと、アンリは松平邸まで薬を届けると言い出した。夜明けは間もなかったが、この様子では夜明けの光も届かないであろう。川のようにせわしなく流れる分厚い雲を見ながら、マルコキアスはそんなことを思った。
「それに・・・どうしても気になるんです」
「気になる?なにがだ?」
 裏の勝手口に立ったまま、マルコキアスは真剣な顔のアンリを見下ろす。アンリは差した傘の柄をぎゅっと握って返した。
「あの聡は・・・変です。アスカロト様と契約をしたのは明の筈なのに、あの聡からは・・・。それに、マルコキアス様からも・・・」
 鼻の良いアンリのこと、すでに気付いているのだろう。マルコキアスは珍しく主人らしい冷静な顔でアンリを見つめると、懐をまさぐり親指ほどの小さな瓶を取り出した。
「それは・・・『殺さずの水』・・・?」
 闇に溶け込むような暗い色をした瓶を、アンリが目を細めて見つめる。するとマルコキアスはハッと短く笑って、その瓶をアンリに渡した。
「いや、さすがの俺も、あんな危ないもんを懐には入れてらんねぇな。いいから、お前が持っているのが一番いいだろう。もしもの時には、明にそれを飲ませるんだ。・・・いいな」
「マルコキアス様・・・」
 包帯を巻かれた手に乗せられた小瓶。雨の音が、二人の間に流れた沈黙を無感情に埋めていく。アンリの大きな瞳がゆらゆらと、けれど確かな力を湛えて揺れた。
 たとえ契約が成立していたとしても、悪魔が直接手を下して命を奪うことはできない。あくまでも寿命をまっとうした後に、その魂が悪魔のものとなるのだ。人が人の命を奪うことが許されないことである以上に、悪魔が人の命を奪うことは罪となる。だからこそ悪魔は、人が自ら挫折の道を歩むように、欲望という名の甘い蜜を利用するのである。
「これは・・・なんなのですか?」
 不安そうに問うアンリ。マルコキアスは、内心、自分の執事に疑われていることに苦笑しながらも、素直に答えた。
「安心しろ。別にアスカロトを利用して明をどうこうしようなんて思っちゃいない。ただ、そろそろアイツもこれを欲しがってる頃だと思ったからな・・・」
 アイツとは、この場合誰なのですか?と、アンリは言いかけてやめる。きっとこの主人のことだから、面白がって答えないだろうし、時がくれば自ずと分かるだろうと思ったからだ。
「お前は、お前のしたいようにすればいいさ。今回の場合、これは命令だ」
「マルコキアス様・・・」
 八重歯を覗かせて、にやりと笑うマルコキアス。
 この笑顔を見せる時は、仕事がひとつ終わるときだということを、アンリは知っていた。






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 身体に触れられる、感触。
 ただ肩に手を置かれただけなのに感じる、激しい嫌悪感。顔をあげると、そこには見知らぬ青年の顔があった。そして、さらに聡の心の中に芽生える拒絶感。
「大丈夫かい?伯父さんがあんなことになって、大変だったね」
 どかされることの無い手。その手は、離れることなく首の近くに這って来る。さっきの嫌悪感に、かすかな恐怖感が加わった。
「僕にできることだったらなんだってするよ。従兄弟なんだから、遠慮しないで欲しいな・・・」
「あ・・・あぁ」
 搾り出すように返した言葉。それ以外、なにも思いつかなかった。首を何度もなで上げている手が、背中を伝い、腰に・・・。
 その瞬間。腰に回されかけた手の感触が・・・消えた。
「ここに居たのか。孝次郎叔父様が探していたぞ」
 振り返ると、そこには従兄弟の手を取った明の姿があった。険しい表情で、掴んだ手をきつく握り締めている。
「・・っ・・・なんだよ。・・・・痛いじゃないか・・・」
「そうか、悪かったな」
 振り払われた手を見もせず、明が薄笑いさえ浮かべて言ってのける。従兄弟は、明を気味の悪いものでも見るかのような目で見返した。
「まるで、もうお前が当主になったかのような顔だな。孝蔵伯父様がいない今となっては、それもどうなるか分からないのに」
 気が付けば、明は聡と従兄弟の間に割って入っている。明の背中に守られながら、聡は不安に眉を寄せた。






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 「どうしてっ!?どうして、こんなことに!?」
 警察の人間に手を引かれ、聡は連行されるように屋敷の中に向かって歩いていた。胸の中に渦巻く疑問と不安。叫び続けた所為で、声はかれていた。隣には、自分と同じように警官に守られた明が居る。
 屋敷の裏で発見された、母・房子の遺体。発見された時は、すでに冷たくなっていた。そして、発見したのは・・・聡自身であった。
「母は、父が死んでからというもの、毎晩寝る前にかなりの量の酒を飲んでいました。きっと、そのせいで窓から・・・」
 少し遠ざかったところから聞こえてくる明の声。瞬間、聡は顔をあげ明を見る。
 どうして、そんなことを言うんだ?確かに、母さんは酒を飲むようになったけど、それは決して明が言わんとしていることとは違うのに。しかも泥酔するのではなく・・・。
 何かを言わなければと思った。けれど、思うように声がでない。自分の腕を掴む警官の力が強くなり、明とは別の部屋に連れて行かれそうになる。
 いけない。僕たちは離れたらいけないんだ。
 そう思ったその時、明の顔があがり、しっかりと自分の方を見た。それぞれの部屋の入り口で、背中を押されて先を促されながらも・・・。
「えぇ、間違いありません。母は、酔って窓から転落したんでしょう・・・」
 明は、聡の目を見つめたまま、感情の見えない声でそう呟く。
 その瞳は、過去に見たどんな明の瞳よりも、冷たく輝いたように見えた。






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