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「ということは、最初の松平孝蔵の死以外は、自然死ではないとおっしゃるんですか?」
アンリは目の前に置かれた紙から目を上げて、言った。
「まだはっきりとは分からないけど、でも・・・・殺されてる人は、いると思うんだ」
それは、明から流れ込んできた記憶がそう物語っている。少なくとも孝蔵の妻であり双子の母である房子は、明の手によって殺されてる筈だ。
「確かに、これだけの短期間のうちに6人もの人間が立て続けに死ぬのは不自然ですね。・・・ですが、二番目の房子は転落による事故死、三番目の孝次郎・・・これは松平家当主の弟ですか・・・は心臓発作による病死。四番目の医者は・・・孝蔵の主治医ですね、これが車の事故で死亡。五番目六番目は共に孝次郎の長男と次男ですか・・・・」
アンリが読み上げるのを、アスカロトが肯きながら聞いている。アンリも考え込む態勢に入ったところで、アスカロトが続けた。
「それで、孝蔵の息子の聡が、目覚めなくなって・・・・。でもこれは虎狼丸が何かしたとネルガルが言ってた。俺には、よく分からなかったけど・・・」
「目覚めない・・・とおっしゃいますと?」
アンリが紙から目を離し、アスカロトを見る。アスカロトは正面からまっすぐに見られるのが恥ずかしいのか、やや伏し目がちに返した。
「ずっと、寝たままなんだ。起きないし、食べないし・・・。でも、死んではいなくって、寝てるって状態で・・・」
「起きないし・・・食べない?」
「うん」
アスカロトの説明に、アンリがふむと首を傾げる。
「では、どんどん衰弱していっている・・・ということですか?」
「衰弱?」
短いアスカロトの質問。アンリはその意味を「どうして?」という意味と捉えた。
「はい。やはり、何も食べなければ普通衰弱していきますよね?」
しかし、アスカロトの反応は少し違う。どこか口惜しそうな顔で横を向くと、膝の上に置かれた手が、ぎゅっと握り締められた。
その瞬間、アンリはもしかして・・・と思う。もしかして、アスカロトは「衰弱」の意味が分からなかったのでは?・・・と。
「あの・・・やはり、人間ですから、栄養や水分を摂らないと、どんどん弱っていく・・・と思うのですが・・・」
すると、その噛み砕いた言い方にアスカロトは意味を悟ったのか、恥ずかしさに泣きそうな顔をしながらも、小さく肯きで返した。
「でも・・・先月からずっと寝てるみたいだけど、見た目は・・・なにも変わってない。・・・そう見えてるだけなのかな・・・?」
アスカロトの意見に、アンリは益々分からなくなる。飲まず食わずの寝たきりで生きていられるなんて、そんなことが・・・?
「実際に会わせていただいても、よろしいでしょうか?」
本当なら、ここまで親身に手伝う必要などアンリには無い。しかし、なぜだかアンリは、このアスカロトにとっての最初の仕事を、きちんと終えさせてあげたいと思っていた。
「もしかしたら、私でも、なにかのお力になれるかもしれません」
アスカロトは、自分をちゃんと見てくれるアンリを、その紫の大きな瞳でじっと見つめ返す。
そして、さっきまでの痛々しげな羞恥心を振り切ると、微かに笑みを浮かべて言った。
「・・・うんっ」
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鼻をつく消毒液の香り。人気のない診察室で、マルコキアスは一人、顔を歪ませた。
棚に並ぶカルテをひとつひとつ確認。手にしたランプの明かりが、すでにホコリの積もり始めた棚の上に、不規則な影を作った。
雷雨の所為で、多少の物音など掻き消えてしまう。それを見越しての今夜の行動だったのだが、ここまで人気がないと、今夜を選んだ意味もない。マルコキアスは出した狼の耳の後ろを掻くと、一人苦笑した。
その時だった。今までと少し違う空気に、マルコキアスが耳をピンと立てる。
おかしい。人が来るなら、気配よりも先に匂いがしてもいい筈。
雨の所為?それにしても、ここまで近づかれて気付かなかったのはなぜ?
背後に忍び寄るしっかりとした気配に振り返ると、そこに居る者にマルコキアスは言った。
「お前・・・・・・何の用だ?」
†††††††
雷と雨の音に、寝息さえもがかき消される。
皺ひとつないオーバーシーツに包まれて、横たわる身体。寝返りを打たない深い眠りだと知らなければ、やはりそれは生きていないように見えた。
耳の良いアンリには、いくら雨音が激しくても、目の前の身体が静かにたてる寝息を聞くことが出来る。それが生きている証ではあるのだが、やはり普通の眠りではないと、直感が物語っていた。
「これが・・・聡ですか?」
「うん」
アンリの質問に、隣のアスカロトが即答する。アンリは再び聡を見下ろしながら、なんとも言えない違和感に眉を寄せた。
なんだろう。何かが引っかかる。衰弱することなく、眠り続けることができるなんて・・・。
すると、傍らのアスカロトが聡の身体に手を伸ばし、シーツの上に出されている腕を取る。そして、脈を取りながらアンリを見た。
「うん・・・。生きてるよ」
確かめてみる?とばかりに、アスカロトに差し出された聡の手首。アンリはなんの警戒心もなく、その手首に手を伸ばした。と、その時。
ビリッ
電流が走ったかのように、手のひらが熱くなる。アンリは思わず手を離すと、わけの分からない痛みを伝える自分の手のひらを見つめた。
「・・・どういう・・・ことですか?」
アンリの白い手のひらが、見る間に赤く腫れ上がっていく。それはまるで瞬間的に火傷をしたかのような痕となり、同時に、見た目通りの痛みを伴った。
「なんで・・・?そんな・・・俺・・・」
まだ聡の腕を持ち続けているアスカロトも、当惑の表情を隠せない。ただ、自分が意図的にやったことではないということだけは、アンリに分かってもらいたかった。
「知らないよ。俺・・・違うよ・・・!」
「落ち着いてください。別に、アスカロト様が何かしたとは思ってません。それに、これでひとつ分かったことがありますから・・・」
アンリはアスカロトの必死な様子に、できるだけ穏やかな表情で返そうとする。手のひらは、燃えるように熱く、痛いものだったが・・・。
「分かったこと?」
「えぇ。聡は・・・清められているんです。おそらく、『殺さずの水』を使ったのだと思いますが・・・」
アンリの口から出てきた知らない単語に、またアスカロトの表情が翳る。アンリはただれた手のひらをアスカロトに見せないように気を配りながら、無理に微笑んで見せた。
「じゃあ、虎狼丸・・・マルコキアスがその・・・『殺さずの水』を使ったっていうの?」
微笑むアンリに、アスカロトも素直に質問をぶつけてみる。アンリは静かに首を横に振ると、隠した手のひらをキュッと握って返した。
「いえ、その水は、我々闇のものには触ることはできません。それは、私もご主人様も一緒です。そして、清められた身体も、私たちには触れられなくなります。触れると、先ほどのようなことに・・・・」
「じゃあ、どうやって?マルコキアスが聡にその水を使ったんだろ?触れないものをどうやって?大体・・・そんな水はどこに?」
質問をしやすい相手だからか、湧き出る疑問をそのままぶつけてくるアスカロト。アンリはそのまっすぐさに、少し圧倒されながら答えた。
「水は、この地球上の決まった場所にたくさん湧いているんですよ。いろんな用途があるのですが、人間または天界のものなら触ることは容易です」
その瞬間、アスカロトが、聡の腕を握る自分の手をじっと見下ろす。しかし、アンリの視線に気付くと、その手をパッと離して聡の手をシーツの上に落とした。
「おそらく、マルコキアス様は人に頼んで水を汲んできてもらったのでしょうね。まぁ、その人物に心当たりもありますが・・・」
窓の外に視線を投げて呟くアンリ。アスカロトはその視線の先を追いながら、あがることのない雨音に耳を傾けた。
†††††††
コンコン
弱々しいノックの音。ネルガルが振り返ると、そこにはアスカロトが少し怯えた様子で立っていた。
「入れ」
許可が出され、アスカロトがその白い足をソロリと前に進める。絨毯を踏んで数歩部屋に入ると、それ以上は近寄らないままにアスカロトが口をもごもごとさせた。
ネルガルは、一瞬の間の後に立ち上がる。アスカロトはネルガルの動きにビクリと身体を震わせた。
「どうかしたのか?」
低く響くネルガルの声。アスカロトは両手を後ろで組み、モジモジと戸惑いながらも口を開いた。
「あの・・・聡は『殺さずの水』で清められてるから目覚めないんだろ?だったら、聡が目を覚ますための水とかいうのも、ないのかな・・・と思って」
「アンリに聞いたのか?」
やっとそこまで来れたのか、と言わんばかりのネルガルの台詞。アスカロトはネルガルのそんな微妙な変化にも気付かぬまま、小さく肯いた。
「どうやって入手したのかも、分かったのか?」
「アンリは、マルコキアスが頼んだんじゃないかって」
上目遣いでチラチラとネルガルを見るアスカロト。ネルガルはアスカロトの恐怖心をも見透かす赤い瞳で続けた。
「誰に頼んだって?」
「それは・・・あの、アスタロトのところの双子に。あの二人は魔界に居るけどまだ人間だからって・・・」
アスカロトの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ネルガルが冷えた瞳でアスカロトを見下ろす。アスカロトはそれだけで落ち着きを無くし、そわそわと視線を泳がせ始めた。
「あ・・・・・アスタロト・・・さま・・・の」
やっとのことで思い出し、恐る恐る付け足してみる。すると、ネルガルがとりあえずは見逃そうといわんばかりに一度目を閉じ、ため息をついた。
「アンリはどうしたんだ?姿が見えないようだが・・・」
アンリという単語に、アスカロトの表情が変わる。緊張が少し解けたのか、顔を上げて答えた。
「あっ、アンリは、怪我をしたから一度マルコキアスのところに戻るって秘密屋に」
「怪我?」
アスカロトの変化は感じつつも、やはり怪我となるとネルガルの反応も変わる。すぐに聞き返してきたネルガルに、アスカロトはなおも顔を上げたまま続けた。
「うん。聡をさわった時に、手のひらが・・・なんか・・・」
触ってしまったか・・・とネルガルは息をつく。悪魔が清められた者に触れたらただでは済まない。激痛と火傷のように皮膚が溶けていく。しかもそれは魔界の薬を使うまで悪化し続けるのだ。
「薬はあると言っていたか?」
「う・・・うん。マルコキアスが持ってるはずだって・・・」
それはそうだろう。そんな危険なモノを使ったのだ。もしもマルコキアスが触れたとしても、同じように怪我を負うのだ。薬の用意がない筈がない。深手にならぬうちに手当てが出来ればいいが・・・とネルガルは窓の外に視線を投げた。
「それで・・・さ」
すると、アンリのことを語る時とは明らかに異なる口調で、アスカロトが声をかけてくる。ネルガルが振り返ると、アスカロトが視線を合わせられないままに続けた。
「その・・・、また、するのかよ・・・?」
「何をだ?」
その言葉を出すことすらためらわれるように、アスカロトが表情をこわばらせ口唇を噛み締める。
「だから、その・・・明と・・・。また、明が自白しやすくなるように・・・」
そこでアスカロトの言わんとすることが分かる。ネルガルは、視線を床に投げたままのアスカロトに近づくと、俯いたままの顎に手をかけ、強引に上を向かせた。
「どうしてお前がそんなことを言うんだ?」
そう言いながらも、ネルガル自身、どうしてそんな質問をアスカロトに投げかけているのかが分からない。アスカロトは一度チラリとネルガルを見、それでも精一杯、横に視線を逸らしながら言った。
「ちょっと、明に確認したいことがあって・・・。でも、普段のままじゃ、きっと答えてくれないと思うから」
ぶっきらぼうなアスカロトの返事に、ネルガルの胸に黒いものが渦巻きだす。それがアスカロトの態度に対してだか、はたまた言葉に対してだかは分からなかった。
「ほぉ、お前も偉くなったものだな。この私に、明と寝ろと命令するつもりか?」
「べっ・・・別に命令なんかしてねぇだろ!・・・するのか?って聞いただけじゃねぇか!」
つかまれた顎を振り払い、アスカロトが半歩後ろへ引く。反抗的な瞳のままネルガルを見返すと、心の底に植えつけられた恐怖心を越えようとするかのように叫んだ。
「そうでもなくちゃ、あんなことの話なんかするかよっ!」
静かに聴いているネルガルの瞳の奥で、何かが揺れたような気がする。それが明らかに自分にとっていい話でないことは、まだ魔界の事情をよく理解していないアスカロトにも、よく分かった。
二人の間に妙な沈黙が流れる。
優に数秒の後、ネルガルが顎を微かに上げ、言った。
「来い」
瞬間、なんの話だといわんばかりに、アスカロトの目が見開かれる。
「え・・・なに言ってんだよ。俺・・・じゃないだろ?」
ジリジリと身体を引くアスカロト。するとネルガルは、冷めた顔のままに続けた。
「言ったはずだ。仕事中が言い訳にはならない・・・とな」
決して自分から歩いては来ないネルガル。その赤く鋭い瞳を見返しながら、アスカロトが苦しげに眉を寄せた。
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