†††††††

 「で、その後どうなんだ?」
 マルコキアスはそう言うと、身を乗り出して指を組んだ。
 部屋の中にはネルガルとマルコキアス、そしてアスカロトの三人。明は自分の部屋に戻って眠っている。とはいえ、自分で戻れるはずもなく、マルコキアスが運んだのだが・・・。
「5人・・・・」
 ネルガルは、呟きながら立ち上がる。窓から入る風に、ネルガルの細い髪が揺れた。
「松平孝蔵が死んでから、松平家の者が5人。松平家の主治医も入れれば6人の者が死んでいます。そして、後継者である双子の兄、聡も目を覚まさない」
 窓を閉め、ネルガルが振り返る。昼の日差しを受けて、ネルガルの金髪がまばゆい光を放った。
「何をされたのですか?マルコキアス様」
 ネルガルの紅い瞳がマルコキアスに向けられる。アスカロトは話の流れが読めずに、ネルガルとマルコキアスの両方を交互に見つめた。
 マルコキアスは、その質問に驚くでもなく、ネルガルを見返す。わずかにあげた眉が、その質問が的外れでないことを物語った。
「別に、お前さんが考えてるような大それた事はしてないさ。大体、アスタロトの依頼人に下手に手を出せる訳がないだろう?後が怖いからな」
「では、アスタロト様も存じてらっしゃるということですね?マルコキアス様が何をなさったか・・・ということを」
 丁寧な口調は崩さぬままに、ネルガルがソファに戻る。アスカロトの向かいに腰を下ろしながら、ネルガルがアスカロトにチラリと視線を投げた。
「俺はただ、うちのアンリにご執心なあの二人組をこっちに招待しただけだよ。ちょっとした里帰りがてらにね」
 それがエマニュエルとジュリエットを指していることは、アスカロトにもなんとなく分かった。ただ、アスカロトがそんなことを考えてる間に、ネルガルは全く違うことを察していたが。
「お前さんにとっては大したヤマじゃない。それはよく分かってる。要は、こっちの力が見たいだけだ。何故か・・・なんてくだらない質問は、するようなお前じゃないよな」
 それだけネルガルに言うと、マルコキアスはにやりと微笑み、動物的な瞳で横に居るアスカロトを見る。アスカロトは、話の流れがやっぱり分からずに、眉を寄せた。
「昨夜教えたことを思い出せ。何をしなくちゃいけなくて、何をしてはいけないのかを。いいな?」
 何をしなくちゃいけなくて、何をしてはいけないのか・・・・?アスカロトはマルコキアスの言葉を心の中で繰り返す。ネルガルは黙りこくるアスカロトをじっと見つめた。
「俺たちは、いま・・・・魂の回収に来たんだろ?」
「あぁ、そうだよ」
「じゃあ、契約内容を確認の後、依頼人の魂の・・・・・査定?」
 アスカロトの言葉に、マルコキアスが嬉しそうに微笑む。ネルガルは腕を組んで、小さく息をついた。
「それから、寿命の測定。そして・・・・依頼人の望みを叶え・・・あれ、でも」
「なんだ?」
 アスカロトが首を捻り、マルコキアスを見る。紫の瞳が大きく開き、素直に疑問を口にした。
「なんで、魂の回収・・・なんだろう?明はあんなに元気そうだし。事情が無い限り、依頼人を俺たちの手で殺すなんてことはないんだし・・・・。でも回収しろと言われたってことは、何らかの形で、明は死ぬ・・・ってこと?」
「そうだな。だから、明の魂の査定をしなくちゃいけない。そこで、さっきのネルガルの話に戻るんだ」
 マルコキアスが着物の裾を乱して、脚を組む。その上に肘を乗せると、顎を突き出して続けた。
「果たして、死んでる6人の死因は、本当に事故や病気によるものなのか。それに絡んでいるか否かで、あいつの魂の価値は変る」
「あぁ」
 納得したようにアスカロトが声をあげ、首を縦に振る。すると、ネルガルが低い声で付け足した。
「正確には、何人殺したか・・・だな」
「なんだつまらない。あいつの血の匂いに、もう気付いてたのか」
 マルコキアスが八重歯を出してニカッと笑う。ネルガルは表情を崩さずに続けた。
「そして、『誰を』『なんのため』に殺したのか・・・・。それは、お前が調べるんだな」
「肉親殺しは重罪。しかも、自己の利益のためなら尚更。わかった?」
 マルコキアスがアスカロトの顔を覗き込む。アスカロトは更にきつく眉を寄せ、言った。
「でも・・・どうやって?」
「それを考えるのも、お前さんの仕事。せっかくネルガルがやりやすくしてくれたんだからな」
「やり・・・やすく?」
 アスカロトの視線が、再びマルコキアスとネルガルの間で揺れる。まだ状況が良くつかめてないアスカロトに、マルコキアスが組んでいた脚を解いて立ち上がり、言った。
「あの状態なら、嘘もつけないんだぜ」






†††††††





 アンリはマリーから届けられた手紙を開けるや、すぐに身支度を整えて魔界を飛び出した。
 オレンジ色の空が、徐々に暗く色を変える頃だった。
 そう言えば、エマニュエルとジュリエットの二人が遊びに来ることになっていたのを思い出す。とりあえず短い手紙をメッセンジャーに頼み、アンリはとるものもとりあえず、人間界へと急いだ。






†††††††





 アスカロトは、カーテンの閉じられた暗い部屋の中、ベッドの脇に無言で佇んでいた。
 目の前には眠っている相手。起こすべきかと、ベッドの上に出ている腕に手を触れた。
 まるで、死んでいるかのように冷たい身体。しかし、手首に回した指がゆっくりとした小さな脈を感じ取る。目覚める気配は、まったくなかった。
「おい、アス・・・・おいっ!」
 その時、部屋に入ってきたマルコキアスが、何を思ったのかアスカロトの腕を取り、寝ているその彼から引き剥がす。アスカロトはあまりにも短い間に起こった出来事に、腕を掴まれたまま呆然とマルコキアスを見つめた。
「え・・・・・?」
「大丈夫か、お前!?」
 マルコキアスは掴んだアスカロトの腕を引き寄せ、手のひらを見ようとする。アスカロトはマルコキアスの意図が分からずに、当惑顔のままで言った。
「え・・・なに・・・?」
「・・・・・・・・・?」
 アスカロトの手のひらを見たマルコキアスも、そのまま動かなくなる。
「お前・・・・・」
 呟きながら、マルコキアスはアスカロトの身体を離すと、ベッドで寝ている彼の元に近付いた。覗き込んで、相手を確認する。
「・・・やはり、聡だよな・・・・。おい、アスカロト。・・・明は、隣りの部屋に寝かせたんだよ」
 自分にも言い聞かせるようなマルコキアスの声。アスカロトは見られた手のひらをゆっくり握ると、小さく肯きながら返した。
「あ・・・・・うん」
 そして、静かに隣りの部屋へ歩いていく。マルコキアスは、アスカロトの姿が見えなくなると、その爪の先で聡の身体に触れる。
 ゆっくりと、焼け爛れるように黒くなっていく爪先。嫌な匂いが、鼻腔をくすぐる。
「ふむ・・・・」
 爪を離して小さく呟くと、マルコキアスはもう一度、アスカロトの消えた方へ視線を走らせた。






†††††††





 「こっちが、明なんだよな?」
 アスカロトは確認するようにマルコキアスを見る。マルコキアスは無言で頷くと、ベッドの脇で躊躇しているアスカロトを不思議なものを見るような目で見つめた。
「起こしても、いいんだよな?」
 明の身体に手を出しかけて、さっきのことを思い出したのか再びマルコキアスを見る。そんなアスカロトの様子に、マルコキアスはつい笑ってしまった。
「あぁ、起こさないとな」
 アスカロトは笑われたことが心外なのか、きゅっと口唇をつぐんで明の身体に手を伸ばす。触れると、今度はさっきの聡とは違い、ほのかに温かかった。
「おい、明・・・」
 軽く身体を揺すられて、明の目がうっすらと開く。最初はゆっくりと何かを探すようにさまよっていた目が、アスカロトの姿を見つけ、それでもしっかりとした眼光はないままに留まった。
「明?・・・・聞こえるか?」
 アスカロトの言葉に、明がしまりのない薄い笑みを見せる。そのまま口元がゆるみ、声が漏れ出した。
「っ・・・ふふっ・・・」
 何がおかしいのか、明は小さく笑い続ける。アスカロトはその奇妙な様子にたじろぎながらも、意を決して言った。
「どうして・・・六人も死んだんだ?お前、何か知ってるんだろ?」
 明は何も答えない。ただ、ベッドの上でむっくりと起き出し、半開きの瞳で脇に立つアスカロトをじっと見つめた。
「最初は、お前の父親・・・松平孝蔵」
「ふははっ!」
 父の名前が出るや、明がはじかれたように笑い出す。
「はははははっ!」
 シーツをバンバンと手で叩き、気が触れたように笑い続ける。アスカロトが、思わず半歩後じさると、それを見逃さなかった明がアスカロトの細い手首を掴んだ。
「ねぇ・・・・悪魔って、何ができるの?」
「・・・・・えっ?」
 ギリギリと手首を握り締められ、アスカロトが痛みに顔を歪める。けれど、その痛みよりも明の質問の方がアスカロトの心に突き刺さった。
「誰が何をしたとか、何がどう正しかったとか間違ってたとか。いちいちそんな風に聞かなくちゃ分からないの?それなら、人間と・・・どこが違うのさ」
「それ・・・・は・・・・・」
 どう違うと言うのだろう?それは、アスカロトも知りたかった。それ以前に、天使と悪魔の違いさえも自分ではよく分かっていないのに・・・。
 捕まれた手首が、赤く鬱血し始める。マルコキアスは、離れたところで事の行く末を黙って見つめていた。
「僕の望みは、きちんと叶えてくれるんだよね?そのぐらいのこと出来ないんだったら、悪魔なんて呼べないよね?それとも・・・」
 明は、何も答えられないアスカロトの身体をベッドに引き倒す。
「ばっ・・・・やっ!」
 その時になってようやくアスカロトが抵抗を試みる。しかし、アスカロトの身体にまたがった明はアスカロトの両手をベッドに押し付けたまま、もがく細い身体を見下ろした。
「君はもっぱら、あっちの方専門?」
 明の言葉がアスカロトを凍り付かせる。その隙を狙って明がアスカロトの口唇を奪い、強引に舌を絡ませた。
「んっ・・・んんっ!」
 服にかけられた明の手を、アスカロトが力の限りに引き剥がす。しかし明も簡単にアスカロトを逃がす筈もなく、二人の身体はもつれ合いながらベッドから転げ落ちた。
「離っ・・・せっ!」
 アスカロトが言うよりも先に、空気を割るような音が響く。マルコキアスがあくびをひとつする間に、二人の動きが止まった。
 殴られた顔を元の位置に戻しながら、明の視線がゆっくりとアスカロトを捉える。アスカロトは口唇を震わせながら、それでも負けない強い視線で明を見返した。
「お・・・・お前っ・・・・」
 何かを言いかけ、それでも言葉を紡げずに、アスカロトが明とマルコキアスを交互に見る。明は正気に戻りつつあるのか、くちづけの拍子に切った口唇を舐めて言った。
「なんだ・・・ネルガルじゃないと駄目ってことか・・・」
 それが麻薬効果のことを差しているのは、アスカロトにも分かる。明は息をついて髪をかきあげると、座り込んだアスカロトを一瞥して続けた。
「ふぅん・・・。悪魔も、血は赤いんだ・・・・」
 その言葉に、アスカロトが自分の身体を見る。明はそれでも気付かないアスカロトに、細い手首を取って傷口に舌を這わせた。
 手首近くの切り傷。何で切ったのか、血が赤く滲んでいる。アスカロトは、今度はしっかりと明の腕を振り払うと、即座に立ち上がって言った。
「いい。・・・もう、お前には聞かない」






†††††††






 なぜだか、泣きたいような気持ちになった。もちろん、泣きはしなかったけれど、怒りというよりも悲しみに近い感情がアスカロトの胸を支配していた。
 悪魔に何ができるかなんて、自分でも分からない。知りたいけど、きっと教えてくれる筈もない。大体、誰に聞けるというのだ?誰のことも、信じてはならないというのに・・・。
 ただ、誰のことをも信じられなかったのは、今に始まったことではない。天界にいた時だって、今とさして変わりなどなかった。誰かを信じられたのは・・・・。
「いやぁ、ビックリしたね!」
 冗談めかしたマルコキアスの声に、アスカロトは現実に引き戻される。顔を上げると、同じようにネルガルも顔を上げていた。
 夜。あれから明は、再び眠りについた。今度の眠りは薬物効果ではなく、通常の睡眠。聡は当然、目覚める様子も無い。
「何か・・・?」
 ネルガルが一応の反応として聞いてみる。すると、マルコキアスが微笑を浮かべながら言った。
「まぁ、まだ初めてってことで、明も正気に戻るのが早かったっていうのもあるんだろうけど・・・」
 ソファの背に体重を預けて、マルコキアスが大きく伸びをする。ネルガルはアスカロトの隣りに座って、何やら手紙のようなものを書いていた。
「事情聴取をしてて、押し倒される奴を初めて見たわ、俺。口唇塞がれて、こりゃ話にもなんないか・・・」
 頭の後ろで手を組んだマルコキアスが笑い交じりに言ってのける。瞬間、紙の上を走っていたネルガルのペンの動きが止まった。
 マルコキアスは、ネルガルのその様子を見逃す筈もなく、かといって何を言うでもなく、視界の端に捕らえている。
 アスカロトはアスカロトで、何を考えているのか、マルコキアスの言葉に傷ついた風でもなく、何も見ていない瞳を見開いていた。思い出したのは、くちづけの合間に見えてしまったもの。口唇から流れ込むようにして入り込んできた、記憶そして思念。
 当然、ネルガルの様子になど、何の気も払っていなかった。






†††††††





 二本の手は、ゆっくりと伸びた。暗闇の中、それは気付かれることもなく、そして間違えることもなく標的の背中に触れる。
 手のひらに相手の温度を感じる瞬間と、二の腕の筋肉が弾けた瞬間は見事に重なっていた。反りかえる喉。瞬間、彼女は自分を振り返ったように見えた。そして、自分が誰だかを確認した瞬間に、それは驚きとも怒りともつかない表情に変ったように見えた。
 アスカロトは、まるで自分が体験したかのように手のひらに残る感触を、不思議そうにじっと見つめた。明と口唇を重ねた瞬間、目を開けていたのに流れ込んできたもの。まるで起きながらにして夢を見ているような、そんな感じさえした。
 最初に死んだのは双子の父である松平孝蔵。そして、その一ヶ月後に母の房子。さらに父の弟の孝次郎、孝蔵の主治医と続き、今度は孝次郎の長男、次男。最後には、聡が生きながらにして目覚めぬ眠りについた。
 記憶の中で振り返ったのは『彼女』。着物のよく似合う、中年の女性。
 それでなくても、女性は一人しかいない。
 そう、あれは二階から転落死をした松平房子。彼女以外には、有り得なかった。
 そして、彼女の背中に伸びていた二本の手の持ち主は・・・。
「アスカロト」
 突然呼ばれて、ビクッと震えるアスカロト。顔を上げるまでもなく声で分かる。部屋の扉を閉めたネルガルが、目の前に立っていた。
「な・・・なんだよ・・・」
 上目遣いで返しながら、座っていたソファから立ち上がる。視線を交わさないままに歩き去ろうとするアスカロトの腕を、ネルガルが掴んだ。
「どうした、これは?」
 掴んだ腕に残る、痣のような赤い痕。アスカロトはその手を振り払おうとして腕を振る。当然、その程度で振り払える訳もなかったが・・・。
「それは、さっき明が・・・・」
 腕を離してもらえず、諦めたようにアスカロトが呟く。ネルガルがどこか冷えた目のままで、小さく息をついた。
「腕を掴まれて、押し倒されて・・・・。口唇を奪ったのはお前の方からか?」
「んなわけねぇだろっ!?」
 嫌味のようなネルガルの言葉に、アスカロトがカッと頬を赤くする。怒りと恥ずかしさにまかせて腕を引き、アスカロトはネルガルから離れた。
「じゃあ誘ったのか?」
 皮肉めいた笑みを浮かべ、ネルガルがアスカロトに背を向ける。アスカロトは壁のように見えるネルガルの広い背中に向かって、燃えるような視線を投げた。
 一体、何が言いたいのか全く分からない。そんなに自分は悪いことをしたのだろうかと、ささくれだった気持ちで思った。
「そんなわけねぇに決まってるだろっ!?大体・・・・キスくらいでなに言ってんだよ!お前なんか、それ以上にヒドイことしてるじゃねぇかっ!!」
 自分で声を出して認めるたびに、身体を裂かれた痛みと眩暈を起こすような甘さが、胸の中でどす黒い渦を巻く。
「お前の言ってること・・・全然わかんねぇよ!俺のことをどうしたくてあんなことすんだよ!!明みたいにしてぇなら、さっさとキスでもなんでもすりゃあいいだろ!?何度やったって、俺の羽は・・・・・・黒くなんかならないんだよ!!」
 絞り出すような叫び声。泣き出しそうな顔で俯くアスカロトを、ネルガルがゆっくりと振り返る。
 アスカロトは、床に落とした目の端にネルガルの靴を見て、顔を上げた。気付かぬ間に自分の間近に来ていたネルガルの紅い瞳を、睨むような、それでもどこかすがるような瞳で見上げる。
 アスカロトの黒髪に、そっと差し入れられるネルガルの大きな手。それは優しく撫でるように耳の上を過ぎ、後頭部に回される。
 地肌で感じるネルガルの指。背筋をゾクリと駆け上がるもの。思わずアスカロトが目を閉じたその時、後頭部に痛みが走った。
「・・・・っ・・・・!」
 瞬時に開けた目に映る、ネルガルの紅い瞳。後頭部の髪を掴まれた痛みに、アスカロトの喉が反った。
「やっ・・・・離・・せっ・・・!」
 自分の髪を掴むネルガルの腕を掴んで離そうとするが、それはかなわない。もう一方の手でネルガルの手そのものを掴もうとした時、その手がネルガルのもう一方の手で掴みかえされた。
「いっ・・・・!」
 目尻に滲む涙。捕まれた頭は、ネルガルの顔に近付けられる。
「や・・・っ!」
 半ば持ち上げられるように掴まれて、アスカロトがネルガルを睨み返す。吐息が触れ合うほどの距離に顔が近付き、ネルガルの薄い口唇がゆっくりと動いた。
 口唇が触れるのかと、アスカロトは思った。半開きになった自分の口唇が、微かに震えているのが分かる。頭の中をよぎるのは、今朝の明の姿。
「・・・・・・・・・怖いか?」
「・・・・・・え・・・っ・・・?」
 紫色の瞳が、揺れながら紅い瞳を見返す。ネルガルは、明らかに怯えているアスカロトを静かに見下ろした。
「私のことが、怖いか・・・と言ったんだ」
「そ・・・れは・・・・」
 二つの紅い瞳の間で揺れる、紫色の透き通った瞳。
「怖くなんか・・・・っ・・・・」
 精一杯の強がり。瞬間、ネルガルが薄く笑ったように見えた。
 ネルガルの手から力が抜けて、アスカロトの頭が解放される。アスカロトは痛む頭を押さえ、腰が抜けた様にソファに座り込んだ。
「軽々しく、他人に触れさせるな」
「・・・・・え・・・?」
 一瞬、ネルガルが何を言ったのか、アスカロトにはよく分からなかった。分からないまま、再び自分に背を向けたネルガルの優雅な動作を、目で追っていた。
「その髪の毛一本足りとも、安易に人に触れさせるな。・・・・分かったな」
「な・・・なんでだよ。そんなの俺の・・・・」
 ようやく言葉の意味が頭に染み込んで来る。しかし、明らかに納得のいかないネルガルの台詞に、アスカロトがソファから腰を上げようとしたその時。
「お前の勝手・・・・なんてものは、存在しないとあれほど言っただろう。まだ、分からないのか?」
 そう。何度も何度も、それこそ肌を重ねて教え込まれた。自由なんてものはどこにもない。何をされても逆らう術も無い。
「そう・・・・・」
 上げかけた腰を静かに下ろすアスカロトを見ながら、ネルガルは冷たく言い放った。
「お前は、私のものなのだから・・・・」







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