***As I grew up***
ジョーは、割ってしまったグラスの欠片を拾いながら、小さくため息をついた。
何を聞いても動揺しないと決めたのに、結局このザマだ。自分の決心の甘さに腹が立ち、ジョーは思わず口唇を噛み締めた。
「なんだかね、ヨッさんが全然風呂に入ってないから、シャワーを浴びさせるためにホテルに連れて行ったってだけらしいよ」
一ノ蔵が、ジョーの手をガラスから引っ込めさせながら言う。だけらしいと強調したのは、余計だったかなとも思ったけれど。
「ここは俺がやるから、ジョーくんはゴミ袋取って来てくれないかな?」
するとジョーは、素直に手を引っ込めて、立ち上がる。下唇が、いつもよりも赤く見えた。
ジャリジャリと、割れたグラスをかき集め、濡らしたキッチンペーパーで床を拭く。あまり細かく割れなかったから、これで大丈夫だろう。
そんなことよりも、問題は裕次郎だ。カナメがすぐに駆けつけてくれると言ったものの、もしも間に合わなかったら、誰もいないオフィスに裕次郎と宮坂が二人っきりになってしまう。
「断じて許さん!」
興奮して、立ち上がる一ノ蔵。すると、そこにゴミ袋を持って帰ってきたジョーが、その姿をじっと見つめて言った。
「あの・・・一ノ蔵さん」
「え?・・・あっ、・・・どうもありがとう!」
一ノ蔵は振り返り、ジョーの広げたゴミ袋にガラスの破片を流し込む。それでもきっと、心の中では宮坂のことを考えているのだろうなと思い、ジョーが続けた。
「行った方がいいんじゃないですか?」
「えっ?なにが?」
一ノ蔵は、ジョーのセリフの意味が分からずに、再び間の抜けた声で返事をする。ジョーはゴミ袋を危険ゴミの所に置いて、さらに言った。
「大澤・・・さんの会社に、行きたいんじゃないですか?俺なら、一人で留守番してますよ。食料も買ったから、安心だし」
確かに、今すぐにでも飛んで行きたいくらいだ。でも、でも・・・。
「いや、大丈夫だよ。カナメさんが、すぐに向かってくれるって言ってたし。それに、ここで行ったら、忍さんに失礼だし・・・」
裕次郎は、あくまでも落としに行くわけであって、強引になにかをしようとしているわけではない。そのことに関しては、あの兄を信頼している。だから、この状況で一八出版に行くということは、宮坂が裕次郎に落とされるかもしれない・・・すなわち、宮坂が心変わりするかもしれないと思っていることになる。
ややこしい話だが、裕次郎が宮坂にちょっかい出すのは非常に腹立たしい。でも、宮坂のことを信じてないと思われるのは嫌だ。そっちの方が、もっとずっと嫌だ。それに、実際、宮坂のことを信じてもいるし・・・。
でも!だがしかし!
信じているからといって、変なヤツが自分の恋人にまとわりついていたら、それは当然、不快なわけで。しかも、それが身内となれば、容赦なく排除したいわけで(←わけでわけでって・・・お前は富良野の純か!)。
そんなことを一人でグルグルと考えながら、一ノ蔵は視線を床に落とす。すると、ジョーが首をかしげて言った。
「宮坂さんに、失礼・・・ですか?」
一ノ蔵は、その質問に首を縦に二度振ってみる。すると、なにやら難しい顔をして見せたあと、ジョーは微笑んで言った。
「俺が宮坂さんだったら、きっと嬉しいけどなぁ・・・」
***As I grew up***
「ヨシッ!」
風呂場のガラスのドアを叩きながら、カナメは叫ぶ。ガラスの向こうでは、大澤がシャワーを浴びている真っ最中だった。
「あぁっ?なんだよ!」
シャワーの音に負けないように叫び返す大澤。頭を洗っているのか、両手を上にあげているように見えた。
「まだ終わんないのっ?・・・まさか変なことしてるんじゃないでしょうねっ!」
ガラス戸に張り付いたまま、思わず妙な想像をしてしまうカナメ。すると、瞬きの間も無いほどのスピードで大澤が言った。
「バッ・・・!お前、いくら俺でもその程度のわきまえはあるっつーの!お前の前で抜くようになったら、俺は俺を許せんぞ!」
大澤のセリフを聞きながら、別に、時間のある時なら抜いてもらっても構わないけど・・・とカナメは思う。これも、温かき友情か。
「ならいいんだけどさ!マジでさっさと出てきてよ!帰らなくちゃマズいって!」
一ノ蔵の電話から考えて、いま出ないと裕次郎の方が先に到着してしまう。しかし、そんな状況も知らない大澤は、いつまでもドアに張り付いているカナメを不審に思って返した。
「もうちょっと待てよ。・・・っつーか、お前なに張り付いてんだ?まさか男もいけるように・・・」
「バカなこと言ってんじゃないわよ!たったいま珠ちゃんから電話があって、裕次郎が一八に向かってるって!忍のこと狙う気なんだって!」
今度は、カナメの方が顔を赤くして口唇を尖らせる。心持ちカナメがガラス戸から離れると、カナメの言葉を脳みそに浸透させた大澤が、勢いよくガラス戸を開けた。
「なぁにぃ〜〜〜〜!?」
シャワーの栓も締めぬまま、裸全開の大澤。カナメは突然目の前に出された光景に、目をむいて叫んだ。
「ぎゃ!ちょっとアンタ、その汚いモンしまってよ!」
「ぎゃ!お前、なんでこっち向いてんだよ!離れたら後ろ向いたと思・・・」
カナメが顔を背けながら差し出したタオルで前を隠しつつ、前かがみで後ろを向こうとする大澤。しかし、再び「ん?」という顔をすると、カナメの方に向き直って言った。
「汚いってなんだよ〜〜〜!!!」
バッとタオルを取って、どういうわけだか仁王立ちの大澤。カナメは咄嗟にガラス戸に取り付くと、両手でそれを閉めにかかった。
「いいから、そのエノキダケをしまいなさいよ!!!」
汚いと言われたことがプライドを傷つけたのか、隠すことを忘れた大澤は、閉めさせまいとガラス戸を抑える。
「俺の可愛いムスコのドコがエノキダケなんだっつーの!国産マツタケ、市価バリバリ万単位だぞ!!俺のムスコで幸せになったヤツは数知れず〜〜〜!(←下品極まりなくてすみません)」
流れるシャワーの音をバックに、ムムム・・・っと二人がガラス戸を引っ張り合う。明らかに無駄な争いで、とんでもなく無駄に時間を過ごしていた。
「ちょ・・・ちょっと、だから、こんなことしてないで、さっさと忍のトコロに帰らないといけないのよ!裕次郎が、忍のこと・・・!!」
争いの不毛さに気付いたカナメが、腕の筋肉を震わせながらに叫ぶ。すると大澤も、はたと我に帰って言った。
「そうだ!それ、どういうことだよ!」
「だから!さっき珠ちゃんが電話くれて、裕次郎が忍を狙いに一八に向かったって!忍が会社に一人だと危ないんだって!!」
大澤がガラス戸から手を離したことで、やっとカナメも息をつく。シャワーの栓を締めると、驚くほどの静寂が戻ってきた。
「忍のことだから大丈夫だとは思うけど、一応ちゃんと確認しないと珠ちゃんが安心できないと思うし。だから、早く行こ!」
極力下を見ないようにしながら説明するカナメ。大澤はもはや隠すということを忘れたように、裸で腕を組んだ。
「なぁ・・・」
もっと焦るかと思ったのに、大澤は不思議そうな顔で首をかしげる。カナメが視線で返すと、大澤が言った。
「さっきもちょっと思ったんだが、どうして珠ちゃんは来なかったんだ?」
ドキ。そこに気付かれるとは思ってなかったカナメ。思わず引きつり笑いで返す。
「そもそも、裕次郎がこっちに向かってるなら、引き止めるなり、一緒に来るなりしても良かったわけだし・・・」
意外と鋭い大澤。カナメとしても、ジョーがいるから留守番を頼んでいるとも言えない。とりあえずはちょっと話題をそらそうかと、カナメは軽く咳払いをして言った。
「あ・・・あの、先ずはその、汚な・・・いやその、迷える子羊の救世主である大澤ジュニアさまをこちらのタオルで隠していただいて・・・」
カナメ自らタオルを広げて腰に回してみる。大澤はそれを腰に巻くと、もう一枚で頭を拭きだした。
「実は、ご近所さんの猫を預かっててね。だから、珠ちゃんに留守番を頼んだし、今も出てこれないのよ。こんなことになるとは思ってなかったから、今夜一晩預かる約束しちゃって・・・」
身体を拭きだした大澤の傍らで、カナメは目を泳がせながら大澤の着替えの支度を始める。しかし大澤は、猫という言葉を聞いて目を輝かせた。
「猫麻呂か!?一晩ってことは、明日の朝には居るんだよな?」
やべぇ、こいつこのままじゃ仕事終わった後にウチに来るって言いかねない・・・。カナメの心に点滅する危険信号。猫をチョイスしたのは失敗だったと、激しく後悔した。
「いや・・・それが、『ネコ』って名前の犬だから」
なんとも苦しい言い訳。犬も嫌いではない大澤だが、猫に対する執着ほどではない。これでおそらく、仕事の後は睡眠をチョイスしてくれるはず。いま、大澤に来られたらコトなのだ。
「なんだ、そうか」
予想通り、大澤は興味をなくしたように呟く。カナメはホッと胸を撫で下ろすと、着替える大澤を急かしながら、ニコヤカに言った。
「そういうわけだから、アタシたちが急いで帰らないとね!」
***As I grew up***
その頃、やはり宮坂は広いオフィスにたった一人という状況で仕事をしていた。
一度集中さえしてしまえば、あとは何も気にならなくなるのに、どうもエンジンがかかりきらない。宮坂はため息をつくと、大澤の机の中にあったヘッドフォンを取り出し、隣でCDをかけているパソコンにそれをつないだ。両耳から流れ込んでくる音が、自然と宮坂を現実世界から引き離していく。
集中できない理由のひとつは、電話の音だった。出なくていいと言われたけれど、やはり電話が鳴れば気になる。自分の電話でない分、変な罪悪感にかられた。
CDのボリュームを上げると同時に、高まっていく集中力。
当然、背後に忍び寄る足音になど、気付くはずもなかった。
***As I grew up***
一ノ蔵はジャガイモの皮を剥きながら、ボーっと考え事をしていた。
「俺が宮坂さんだったら、きっと嬉しいけどなぁ・・・」
と、ジョーは言った。本当だろうか?こんなこと、大人気ない嫉妬だと思うし、今までそんな風に浮気だとか二股だとかを誤解されたとき、自分は嬉しいと思ったことなど無かった。
「え?なんでそう思うの?」
というのが、当時の正直な感想。付き合っている相手がいるのに、他の誰かとそんなに軽々しくどうにかなるわけなんかないじゃないか。どうしてそれが分からないのかな?と思った。だから、恋人が誰かと出かけると言っても、別に止めもしなかったし、問題ないと思っていた。
それが、どういうわけだか宮坂に関しては気になってたまらない。兄のことを見境の無いタラシだとは思わないけれど、正直言って近づかないで欲しい。触られるのもイヤなのだ。
「一ノ蔵さん?大丈夫ですか?」
隣でタマネギを炒めていたジョーが、手の止まった一ノ蔵を見て声をかける。一ノ蔵は、その声に顔をあげ、勢い良く聞いた。
「ねぇジョーくん。さっきの話なんだけど・・・」
「はい?」
「もしも忍さんだったら、嬉しいけどな・・・って言ったよね?」
さっきって、どこの話?と一瞬ジョーは思う。しかし、一ノ蔵の言ったセリフに、自分の言葉を思い出すと、手を休めぬままに言った。
「あぁ、はい・・・言いましたけど」
話の内容が内容だけに、ちょっと気恥ずかしい。ジョーとしても、思わず漏らしてしまった言葉だった。
「あのさ。・・・なんで?・・・って聞いてもいいかな?」
一ノ蔵は口を動かしながらも、手を動かし続ける。作業をしながらの話というのが、ジョーに答え易い状況を作っていた。
「それは・・・」
ジョーは、一ノ蔵がウィルと宮坂の関係を知っていることを知らない。だからこそ、少し考えた後で、なんのためらいもなく答えた。
「俺の父親なんですけど、母と離婚してからというもの、次から次へと相手を変えたんですよね・・・」
いきなり始まった切り口の鋭い話に、一ノ蔵の手が滑りそうになる。ジョーは、そんな一ノ蔵の様子にも気づかずに、サクサクと続けた。
「そんな歴代の父の相手がみな口をそろえて言っていたことが、『どうしてお前の父親は、嫉妬しないのか?』だったんです」
ジョーは語りながら、ウィルの過去を知る友人のシンが言っていた
「忍ちゃんが他の男と話そうもんなら、ウィルなんか怒りまくって、独占欲の固まりって感じ」
というセリフを思い出している。ジョーが知る限り、誰に対してもウィルはそんなヤキモチを焼いたことなど無い。自分の母に対しても、それはそうだった。
「だから、俺はてっきり・・・父はそういう人なんだと思ってたんです。嫉妬というセンスが無い人なんだって。俺も、最近になるまで、嫉妬とか、なんだか気になる気持ちって・・・良く分かってなかったし・・・でも」
ジョーの持っているフライパンの中で、タマネギがどんどん飴色に変わっていく。独特の甘い香りが部屋に満ち始め、ジョーが一旦火を止めた。
「今思うと、多分父は、俺が知っている相手の中に本気になれる相手がいなかっただけなんじゃないかなって・・・」
瞬間、シンと静まり返るキッチン。換気扇の唸る音だけが、二人の耳に響いた。
「そりゃ・・・嫉妬にも限度があると思うし適正期間があると思うけど、俺は多分、自分の好きな人が、俺と誰かのことを誤解して嫉妬してくれたら、すごく嬉しい。好きなのは、俺だけじゃないんだって・・・喜んじゃうかもしれない・・・」
ジョーは、そこまで言った後、ふと我に帰り顔を真っ赤にする。自分がどれだけ恥ずかしいことを言ったか、言った後になって分かったようだった。
「いやっ・・・そのっ・・・だから、一ノ蔵さんも考えてみてくださいよ!宮坂さんが、一ノ蔵さんと誰かの事を誤解して、ヤキモチ焼いたら・・・嬉しくないですか?」
剥きかけのジャガイモをまな板の上に置き、一ノ蔵はジョーに言われたような状況を想像してみる。視線を左右に揺らし、ゆっくりと時間をかけた後で、一ノ蔵はジョーを見ると、目を丸くして返した。
「うわぁ・・・ジョーくんすごいね。・・・・・・やば、・・・すごく嬉しいや」
***As I grew up***
宮坂は、突然両肩に乗せられた手の感触に、身体を強張らせ飛び上がった。
「わっ!芳ゆ・・・っ?」
ヘッドフォンを弾き飛ばして、振り返り、固まる。反応が遅れたのは、視界に入れた相手を、一度誤解したからだった。
「あ・・・れ、一ノ蔵さんの・・・お兄さん、ですか・・・?」
良く似ているが、宮坂にはそれが『自分の』一ノ蔵ではないとすぐに分かった。服は、過去に一ノ蔵が着ているのを見たことがあるものだったが・・・。
「こんにちは、珠三郎の兄の裕次郎です。一度、お会いしたことはありましたよね?」
優しそうに微笑み、裕次郎が宮坂に握手の手を差し出す。宮坂はそれを受けて握手をすると、やっぱり良く似ているな〜と感心しながら、裕次郎の顔を見つめた。
「あ、はい。マンションで一度・・・」
「今日はどうしたんですか?一人みたいですけど、芳之は・・・?」
握手したまま、その手を離すタイミングを逸する宮坂。裕次郎は、確認するように視線を周囲にめぐらせると、握手している手に、もう一方の手を添えた。
「ちょっと芳之は急用で出ています。すぐに戻ると思うんですけど。・・・芳之に用事ですか?」
両手で手を握られ、益々離し難くなる。つい宮坂がその手を見つめると、その直前に裕次郎の手が離された。
「そうですね、用といいますか・・・。あ、どうぞお構いなく、仕事を続けてください」
「すみません、じゃあ失礼して・・・」
時間がないことは紛れも無い事実。宮坂は軽く頭を下げると、再び椅子に座りなおしてパソコンに向かった。
「そうですか〜、一人・・・・ねぇ・・・」
裕次郎が、背後で小さくそんな言葉を呟いているとも知らずに・・・。
***As I grew up***
ついに裕次郎、宮坂の元に到達。
カナメと大澤は間に合うのか?
っつーか、一体なにが起こる!?