「被団協」292号 2003年5月

主な内容
1面 集団訴訟〜初の提訴  
2面  健康管理手当の更新手続き   原爆症認定-人生かけて訴える   原爆症認定裁判   「核かくしかじか」  
3面 都道府県だより  被爆者・青年往復トーク
4面 「相談のまど-介護保険の要介護認定」


命かけた集団訴訟がスタート

 4月17日、札幌、名古屋、長崎の各地方裁判所に、7人の被爆者が原爆症の認定却下処分の取消しを求めて、訴状を提出。「原爆症認定集団訴訟運動」で最初の提訴となりました。
 日本被団協は第1回の提訴にあたり、「本日からはじまる集団訴訟運動は、核兵器廃絶を求める被爆者の命をかけた闘いである。現に認定申請中、異議申立て中に死亡する被爆者が後を絶たない。国・厚生労働大臣は訴訟での争いをやめて、原爆症の認定制度を抜本的に改め、一日も早い解決に努力することを望むものである」との 声明 を発表しました。

 なぜ被爆58年目に裁判を起こすのか
 2000年7月、松谷裁判最高裁判決、同年11月京都訴訟の大阪高裁判決で、それぞれ被爆者が勝訴したにもかかわらず、国は原爆症認定にあたって新たな「認定審査方針」を採用。いっそう厳しい認定となっていました。
 そこで、日本被団協は2001年10月、認定制度の抜本的な改善をめざして「原爆症認定集団訴訟運動」を提起。以来、「どうせダメだろう」と自己規制をしないで積極的に原爆症の認定申請をしようと、四次にわたっていっせい申請運動にとりくんできました。
 依然、申請の多くは却下されています。今回の第一次提訴で、却下されたらその処分の取消しを求めて集団で提訴する「集団訴訟運動」が本格的にスタートしました。
 今回につづいて、5月27日には東京、大阪、千葉で、6月中旬には広島、長崎、熊本での提訴が予定されています。
 認定申請にも引き続きとりくみます。

 被爆者の思い熱く
【北海道】
 午前11時、支援者ら42人の激励の声に見送られて、3人の原告被爆者と高崎暢弁護団長らが裁判所に訴状を提出しました。
 提訴後の記者会見と激励集会には多くのマスコミがつめかけるなか、3人の原告被爆者が決意表明。安井晃一さんは「いま前立腺がんの認定を求めて裁判中だが、皮膚がんでの申請がまたも却下。高齢化しもう待てない」。舘村民さんは「腎臓がんで摘出後、すい臓、肺に転移。身体はぼろぼろだが精神はまだ大丈夫。勝訴まで頑張りたい」。柳谷貞一さんは「物見遊山で広島にいたのではない。”醜の御楯”の名で徴兵されて被爆した。それが原因で数々の病気に悩まされている。これを一片の紙きれで却下することは許せない」と、熱っぽく語りました。
【愛知】
 午後1時半、弁護士会館前に東海北陸ブロック、愛知の被爆者、支援団体など100人を超す人々が集まって激励集会。その後裁判所まで行進をして、代表が訴状を提出しました。
 原告の甲斐昭さんは、軍の命令で当日の昼から広島の中心地へ入市して救援活動に従事。戦後、首の悪性リンパ腫、甲状腺機能低下症などで苦しみ続けてきました。「国は冷たい。長い苦しみをどうしてわかってもらえないのか。入市被爆だからとあきらめないで、後につづいて欲しい」と決意を語りました。
【長崎】
 午後3時、原告の小幡悦子さん、青山トシ子さん、市川蔵男さん(代理で妻フジ子さん)と中村尚達弁護団長ほか6人の弁護団が長崎地裁に訴状を提出。引き続き開かれた集会と記者会見では、山口仙二日本被団協代表委員が「この集団訴訟を通して核兵器廃絶を」と挨拶しました。
 青山さんは「500mで被爆しているのに放射線に起因していない、と却下した。あまりにもずさんだ」と厚生労働省を批判。小幡さんは「今日裁判所の門が開かれました。多くの被爆者が認定されることを願う」。体調が思わしくなく出席できなかった市川さんに代わって妻のフジ子さんは「夫は『たとえかたきにでも原爆は使うべきではない。(原爆がなければ)家族が死に、こんな苦しみを味わわなくてもよかったのに』といっています」と話しました。



健康管理手当の更新手続きについて

 厚生労働省が健康管理手当の更新手続きを事実上廃止するかのような報道がありますが、これについては踏まえるべき経過があります。
 日本被団協は、現行法の緊急改善要求の1つに「65歳以上と固定疾患について健康管理手当の更新手続きの廃止」を要求してきました。
 一方、在外被爆者への平等な法の適用が一歩前進し、手当が外国でも受給できるようになりました。しかし、申請や更新手続きのためには来日しなければならず、在外被爆者にとって大きな負担になっています。
 国会で野党議員からこの点を質された坂口厚生労働大臣は、更新手続きの見直しを答弁。同省の担当課で検討がすすめられています。
 具体的には、更新の間隔を長くとる方向のようで、更新期間を何年にするかなどの便法を模索しており、更新手続きの「廃止」を前提に検討しているものではありません。



在外被爆者が中央行動

 4月17日、在外被爆者の要求実現をめざす中央要請行動が行なわれました。これは、韓国、アメリカ、ブラジルの在外被爆者3団体に日本被団協が加わった被爆者4団体と、在外被爆者を支援する4つの市民団体、さらに在外被爆者問題議員懇談会が共同してとりくんだものです。
 午前11時から衆議院第1議員会館で集会をもったのち、午後からは被爆者四団体の代表が坂口厚生労働大臣に大臣室で面会して12項目の要請を行ないました。議員懇の金子哲夫、中林よし子、中川智子の各衆議院議員が同席しました。
 ほかの参加者らは手分けして、厚生労働省交渉、社会民主党、日本共産党、公明党、民主党への要請を行ないました。
 厚生労働省との交渉では、仁木総務課長、岡山課長補佐らが、衆議院第一議員会館に来館して交渉。とくに「被爆者手帳や健康管理手当などの申請を、来日しなくてもできるように」と切実な要求がでました。しかし課長は、「現行法のもとではできない」の一点張り。参加者からは、人道的な立場から法改正をしてでも援護を広げようという意欲はまったくないのか、との厳しい追及がありました。



原爆症認定 人生かけて訴える 心の治療は大臣にかかっています  斉藤紘子さん(埼玉)

 「助けてください! 体中全部なのです。1日24時間(のうち)せめて10秒の休みくらい欲しいなあ」。埼玉・狭山市の被爆者、斉藤紘子さんは、自分の痛みを列挙して医師に提出したときこう添え書きしました。
 左目は見えない。顔がひきつる。頭をふるとめまいがする。首に焼けひばしをつけられたような痛みが走る。道をまっすぐ歩けず、靴やスリッパが脱げて飛んでいく…。
 1991年から脳腫瘍で四回の大手術を受けた後遺症です。これでも、手術直後の状態からよくここまできたと、医師はおどろくそうです。

 「伝える義務がある」 祖母の言葉を胸に
 中学校で用務員をしている斉藤さんは、勤め先や近隣の学校で頼まれて被爆体験を語ることがあります。「動けなくなるなんて冗談じゃないとがんばって、動かなかった左足が動くようになり、できなかった折り紙もできるようになりました。そんな話をきいて、いじめにあってる子が『僕も斉藤さんのようにがんばる』といってくれて」。
 祖母が亡くなる前、「紘子は人の知らない原爆を体験した。よく勉強して伝える義務があるんだよ」といった言葉が忘れられません。いま働いて子どもと関わり「みんなのおばあちゃんでいる時が痛みを忘れる時間でもある」斉藤さんです。

 慰めのことばも底をついて…
 長崎の丸山町(爆心地から3.7kmで被爆したのは1歳。その日から何日も救護活動に出た祖母に負われていました。嘔吐や下痢の症状がありました。小学校入学直後には黄疸に。肝機能障害です。むかむかする不快感はいつもありました。
 脳腫瘍とわかったときは「医学が発達したいまみつかってよかった、昔なら植物人間になるところだった」と自分にいいきかせたといいます。
 でも、その後もつづく苦しみ。それを訴えたくて、この2月、原爆症認定を申請しました。「こんな被爆者もいることを大臣に知ってほしいからです。被爆者は泣いてばかりはいません。苦しみに耐えて、がんばって生きています。それなのに大臣は何してるんだ、被爆者援護の法律があるのに、なぜしっかり援護しないんだ、といいたい」
 斉藤さんは厚生労働大臣あての手紙に書いています。「大臣様 私は自分への慰めの言葉も底をついて、不安と悲しさで一杯です。認定するかしないかは、その目でご覧になって決めて下さって結構です。…私のこの病、原爆でなくて何が原因なのでしょうか。先々体の治療方法はないと医師たちに宣告されましたが、心の治療は大臣にかかっております」。



原爆症認定裁判 東(あずま)原爆裁判

 4月14日、東裁判の第19回口頭弁論が東京地裁103号法廷で開かれ、東京、神奈川、千葉の被爆者をはじめ、被爆二世、青年サポーターの会の青年などの支援者ら102人が傍聴しました。
 今回の証人は、放射線影響研究所(放影研)の藤原佐枝子・臨床研究部副部長(医師)。尋問のテーマは、放射線とC型肝炎との関係でした。
 尋問では、C型肝炎そのものの発見が遅かったため研究の開始は遅れたが、これまでも原爆放射線被曝線量が高いほど慢性肝疾患の発症率が高いという研究が公表されていること、また藤原証人らの研究でも「放射線被曝がC型肝炎ウイルス感染後の肝炎の進行を促進した可能性を示唆した」とされている事実が確認されました。
 国側の反対尋問もこの点に集中しましたが、十分に練られた尋問が行なわれませんでした。
 最後に裁判官が、症状の進行を促進した可能性について再度確認的な質問と「この分野の研究は現在でも進行中か」との質問を藤原証人に対して行ない、証人はこれに対して肯定的に答えていました。
 次回は、6月24日で、証拠の提出等を行なう最後の調整期日となります。

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