「被団協」269号 2001.6月

主な内容
1面 厚生労働省原爆症認定で新方針 東裁判 口頭弁論    
2面 「原爆と人間展」パネル普及       
3面  子どもの平和像完成   平和行進スタート   核かくしかじか
4面 相談のまど


被爆者のガンは原爆症と認定せよ 厚生労働省が原爆症認定で新方針

 原爆症認定審査の新方針が、5月25日に開かれた厚生労働省の「疾病・障害認定審査会 原爆被爆者医療分科会」できまりました。
 内容は、これまで厚生労働省が「内規」としてつかってきたDS86による「認定基準」と、ほとんど変わらない被曝線量値を「原因確率」表にして「審査方針」として公式決定。これをもとに、原爆放射線起因性の有無を「高度の蓋然性」で判断するとしました。
 例えば、2000m地点での被曝線量は、DS86では広島7ラド、長崎13ラドでした。新方針はこれを広島7センチグレイ、長崎13センチグレイといい替えていますが、同じ線量です。
 これでいくと、大腸がんの場合、広島で10歳被爆の男性は1.4キロ地点、女性は1.7キロ地点以内での被爆でないと発症しないことになります。
 これまで原爆症認定でいわれてきた「2キロ枠」はこれからもつづきそうです。
 医療分科会では、新方針の機械的一律的適用はしない、原因確率が10パーセント以下の場合は、放射線による健康影響の可能性が低いが、この場合でも総合的な審査をおこなうことが強調されました。
 日本被団協は、この医療分科会を前にした5月22日、坂口力厚生労働省大臣あてに「被爆者のすべてのガンを原爆症と認定すること。『疑わしきは認定』という立場で認定をおこなうこと」と要請書を出していましたが、受け入れられなかったため今後も要求していくことにしています。

東原爆裁判 第9回口頭弁論
 
 東京の東数男原爆裁判の第9回口頭弁論が5月22日、東京地裁で開かれました。
 弁論の傍聴には、長崎の松谷英子さん、石川の西本多美子さんら遠方の被爆者や、東京と千葉の被爆者・支援者ら25人が参加しました。
 この日は、国側が反論書を提出し、つづいて弁護団が申請した証人の採否がおこなわれる予定でしたが、国側が「証人についての意見を今日までに出さなければならないことを誤解していた」と発言。審理は次回へ持ち越されてしまいました。
 弁論後の説明会では、「国の怠慢で弁論が空転してしまった」と、参加者から強い怒りの声がでました。
 次回は、7月5日午後2時、606法廷。

 ハンセン病原告を激励
 東裁判傍聴後の22日、松谷英子さんはじめ被爆者ら12人は、首相官邸前で「国は熊本地裁判決に控訴するな」と座り込んでいたハンセン患者原告を激励しました。
 小西悟日本被団協事務局次長と松谷さんがマイクを握り、「原爆で奪われた人権を回復する被爆者のたたかいと、狭い部屋に閉じこめられて奪われてきた人権の回復を求めるたたかいは同じ」と力強く激励しました。

ギリシアのアテネで平和集会
 
 ギリシャのアテネで、5月24〜25の両日、国際会議「こども:戦争の犠牲者、平和の使者」がひらかれます。この会議主催者から、松谷英子さんが招待されました。日本被団協は会議の成功のため、松谷さんと肥田舜太郎医師ら4人を派遣しました。



「原爆と人間展」パネル普及 

 生協のとりくみ
 「世界の都市で原爆展を」を合い言葉に、「原爆と人間展」パネルを海外300都市に贈る運動をつづけている日本生協連組合員活動部が、運動開始から3年間の活動報告をまとめました。
 贈る運動を始めたのは98年8月に広島で開かれた「ヒロシマ ナガサキ 虹のひろば」からで、今年三月までに取り組んだ生協は34。贈った国は49カ国の139カ所。
 受け入れたのは、世界の30の協同組合や研究所。世界平和連帯都市会議参加の50の自治体。
 アボリション2000に参加し、平和や環境問題などいろんな角度から反核運動に取り組む約60のNGOでした。
 贈る側の生協では、被爆の実相普及と合わせて運動をすすめています。
 行政区ごとに原爆展や平和学習会を開催し、組合員と家族に原爆の実相を知ってもらってからニュージーランド、パキスタン、インド、スリランカに贈った京都生協。
 未使用ハガキの提供をよびかけて資金にしたみやぎ生協。
 地震の津波被害への救援活動が縁になってパプアニューギニアへ贈ったり、日韓両国の歴史を学習、シンポジウムも開催しながら韓国へ贈った東京マイコープ。
 フイリピンと国連NGO軍縮委員会の代表を迎えて学習交流会を開き、フイリピンへ贈ったおおさかパルコープなど。
 翻訳には、生協ひろしまが尽力。英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語がつくられ、話ではインドのタミール語訳もあるとか。
 受け取った側からの反響も多く寄せられています。「全高校で巡回展をした」(オーストラリア)、「コミュニティセンター、図書館で巡回する」(アメリカ・シカゴ)、「サダコ物語、千羽鶴の学習と合わせている」(ベルギー)、「日本国領事も招待して展示した」(スリランカ)などです。

 パネル950セット普及
 「原爆と人間展」パネルが、4月末、手持ち分950セットが完売となりました。このため日本被団協は、あと230セットを制作し、この完売をまって、制作を終えることにしました。
 これまでの普及は、被団協扱いが中央と各県で654セット、原水協などの団体扱いが279セット、中央団体扱いが17セットです。このうち自治体への普及が278セット、生協扱いが236セット、外国への普及は51カ国、168セット。
 日本被団協では、今後、非核宣言自治体への普及を重点に、早い時期での完売をめざすことにしており、各方面の協力を訴えています。



「世界の子どもの平和像」完成

 東京の小・中・高校生らが、4年がかりで建設運動を進めてきた「世界の子どもの平和像」がついに完成。5月5日の子どもの日に、はじけるような子どもとサポーター250人の笑顔と歓声のなかで除幕しました。
 高さ2mの卵の前で、ひまわりに水をやる少女をあしらった像のデザインは中学三年の女子生徒の作品。卵にヒビが入っているのは、壊れようとしている平和と、生まれ出ようとする命を象徴したもの。これを彫刻家がアルミニウムで制作。
 子どもたちは、日曜、休日、正月返上で募金を訴え、目標1,000万円を超過達成しました。
 子どもたちは、この像を東京・夢の島公園の第五福竜丸展示館横に設置したいと、東京都に要請しましたが、都は@都民のコンセンサスがない、Aゆかりがない、B子どもでは維持管理できない−と拒否しました。
 このため、江東区北砂1−5−4「戦争戦災資料センタ−」建設予定地に仮設置し、夢の島への本設置運動を今後も続けることにしています。

 「世界の子どもの平和像」をつくる運動は、平和を願う高校生らに支持されて、各地に広がっています。
 広島では、500万円を目標に募金を訴え、高校三年生制作のデザインが決定、市民球場南側の植樹帯のなかに設置場所が決まり、8月6日除幕をめざして運動中。
 京都、岐阜、埼玉、香川でも取り組み中です。

イギリスで平和学習
 
 英国・オックスフォードにあるセント・エビィファースト・スクールには、柳で編んだ「ピースドーム」があります。
 これは、1998年に亡くなった児童文学者の大川悦生さんと親交があった同校のスー・マシュー校長が植えてくれたもの。この学校に通う様々な民族の子どもたちは、この中で平和についての本を読んだり、お話しを聞いたりするそうです。

平和行進スタート

 8月の原水爆禁止の大会をめざす国民平和大行進が5月6日、東京・夢の島・第五福竜丸展示館前を出発しました。
 800人が参加した出発集会では、日本被団協から小西悟事務局次長が激励あいさつをしました。
 日本生協連などの市民平和行進は5月7日、日比谷公園で出発集会をおこない、日本被団協から藤平典代表委員が連帯のあいさつをしました。
 東京の被爆者団体・東友会は、常任理事会で初めて会として国民大行進に参加することを決定、6日〜7日の両日、32km余を、田川時彦副会長らのべ30人が、「われら命もてここに証す 原爆許すまじ」と染め抜いた東友会の旗をかかげて行進しました。
 行進中宣伝カーで、飯田マリ子事務局長が「核兵器廃絶、原爆被害に国家補償を」と訴えました。

 5月7日、東京からの行進団を川崎市六郷橋で出迎え、神奈川県内13日間の平和行進がスタートしました。
 神奈川県原爆被災者の会は、のべ167人が連日行進の先頭を歩き通しました。
 平均年齢70歳を超え、随伴車のお世話になることも多くなってきましたが、生命ある限り核兵器廃絶を訴え、平和の先導者として歩き続けるつもりです。
 19日は湯河原町で静岡県への引き継ぎ。神奈川からは15人の被爆者が参加し、広島・長崎での再会を約して静岡へバトンタッチしました。

福岡の早田さんに平和賞

 福岡県被団協の早田一男さん(70歳)が、ドイツ・アーヘン市にある「アーヘン平和賞」を受賞しました。
 長崎原爆で被爆、両親も失った早田さんは、1991年から毎年のようにドイツ西部のケルン市を訪問。現地の平和活動家がつくった「嘆きの壁」の前で被爆体験を語り、核兵器廃絶の署名を訴えてきました。署名は20万人を超えました。
 こうした草の根での活動が認められ、授賞されたものです。

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