「被団協」260号−2000.9月

主な内容
1面 「世界のヒバクシャ連帯会議」 「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」集会 
2面  アメリカで12回目の臨界前核実験  韓国の追悼式に参加 第5福竜丸元乗組員に船員保険  核かくしかじか
3面  松谷さん最高裁勝利集会  慰霊事業で追悼式、原爆展 第48回平和美術展開く
4面 相談のまど

広島で「世界のヒバクシャ連帯会議」

 世界の核兵器被害の実情と補償の現状を報告しあい、連帯して運動を起こそう−という「世界のヒバクシャ連帯会議」が8月5日、広島国際会議場で行なわれました。
 会議は、日本被団協と世界大会実行委員会、「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」の三者の主催で、アメリカ、ビキニ、カザフスタン、ロシアのヒバクシャと広島、長崎の被爆者、市民ら250人が参加しました。
 午前中は、核被害の実情報告。アメリカ・ハンフォード核兵器製造工場の風下地域のケーシーさんは、奇形で産まれた子どもの写真を示し「ガンが多発し家族を次々に奪われている」怒りを告発。
 カザフスタンのイリエワさんは、中国とロシアの両国の核実験で苦しんでいる住民の実態を、国際機関が調査してほしいと訴えました。
 ロシア・チェリアビンスクのミロノバさんは、学校の教師が「結婚するな、子を産むな、恋するな、恐ろしい障害を持った子どもが生まれるかも知れないから」と教えていると報告、参加者に衝撃をあたえました。
 日本側からは、長崎の被爆者・下平作江さんが被爆体験と最近の心境を報告しました。
 午後は、補償問題と被害根絶へのとりくみを語り合いました。「原爆投下は国際法違反」とした東京地裁の「原爆裁判」の報告。松谷英子さんからの勝利の報告。札幌、東京の原爆症裁判、アメリカ、旧ソ連の補償法なども報告されました。
 集会は、世界中の核被害の実態を国際的に調査・公表すること、核兵器被害への補償など五項目の要請を国連と関係国政府に出すことを、全員の賛成で採択しました。
 また、被爆者運動を数十年来援助してきたアメリカのルイーズ・ラミレスさん(94)への感謝状が、日本被団協から贈られました。


「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」集会

 日本被団協と「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」が主催する「今こそつたえよう ヒロシマ ナガサキ 2000」集会が8月5日夜、広島国際会議場で開かれました。
 会場には、青年団、生協の青年・婦人らの若い熱気と、全国の被爆者ら230人でいっぱいとなりました。
 5月に国連本部で開かれたミレニアムNGOフォーラムでの「つたえよう ヒロシマ ナガサキ」の活躍ぶりを写したビデオをバックに、日本被団協・田中煕巳事務局長が「被爆者が果たしてきた役割がきちんと位置づけられた」と報告。東京農大学生の佐藤圭さんは、ニューヨークのセントラルパークでミニ原爆展と核兵器廃絶署名を訴えたときのアメリカの人びとの反応に感動した報告。日本生協連の茂垣達也さんは、フォーラムの成果をもって外務省に要請にいったとき、外務省の担当者が核兵器廃絶に熱意のない態度にがっかりしたと報告しました。
 アメリカ・ネバダ核実験場の風下地域の被害者デニス・ネルソンさんと、夫人で研究者のデニーズさんは、核実験の被害はアメリカ全土に広がっていると報告しました。
 「21世紀に被爆の実相を語り伝えるために」のテーマでは、福岡のエフコープの母親が親子で被爆体験を聞く活動をした経験を語り、宮崎県の青年団員は被爆者の話を聞くいっせい行動にとりくんだ経験を報告。
 神奈川県原爆被災者の会は、県内被爆者が描いた絵44枚をかかげながら被爆体験記を輪読、深い感動を与えました。
 集会は最後「被爆体験を21世紀に語り伝えよう」というアピールを採択して閉会しました。


アメリカが12回目の臨界前核実験

 アメリカ政府は8月19日(日本時間)、通算12回目の臨界前核実験をネバダ実験場地下で強行しました。
 これに先立つ18日、日本被団協は東友会とともにアメリカ大使館を訪ね、クリントン大統領あてに「実験するな」「核兵器なくせ」と要請、抗議する文書 を手渡し、参加者15人で抗議の唱和をぶつけました。

各地で抗議

 「オーボエ5」と名付けたアメリカの12回目の臨界前核実験に抗議し、秋田、千葉、神奈川、静岡、三重、奈良、広島、山口、福岡、長崎などの各県被団協が抗議行動をおこし、抗議文をアメリカ大使館経由でクリントン大統領に送りました。


松谷さんおめでとう−最高裁勝利判決報告集会

 「松谷英子さん おめでとう」「松谷さんの勝利は世界の反核運動に波及する大きな勝利」−8月29日午後、東京・弁護士会館で開かれた「最高裁勝利報告集会」は、松谷裁判を支えてきた人びとの喜びの声でわき返りました。
 松谷さんと札幌原爆症訴訟の安井晃一さんを正面に、横山茂樹弁護士ら弁護団、原爆松谷裁判ネットワークの青年団、生活協同組合、東京と首都圏の被爆者、原水協関係者など九十人が囲むように席を埋めました。
 松谷さんは晴れ晴れした顔で「この勝利は被爆者と支援者全部の勝利」「だけど厚生省から今日も謝罪の言葉を聞けなかった」と嬉しさの中に悔しさを込めてあいさつ。
 午前中におこなった厚生省と各党交渉の結果の報告、係争中の京都原爆症訴訟、東京・東訴訟、札幌・安井訴訟の三つの関係者の報告、参会者からの発言をうけて、池田眞規弁護士の発言で集会を終えました。

 厚生省、政党への要請

 松谷裁判の勝利の最高裁判決をうけて、8月29日午前、原爆松谷裁判ネットワークと弁護団による厚生省交渉と政党要請が行なわれました。
 厚生省交渉では、「松谷さんに謝罪せよ」という要求に、担当者が「お気の毒でした」と答えたため、「加害者が被害者にいう言葉か」と騒然となる場面もありました。
 民主党要請では、今井澄党ネクストキャビネット厚生大臣が「被爆者問題にネットワークをつくって対応したい」と発言。
 日本共産党では不破哲三委員長が「要望実現につとめたい」と対応。
 公明党は市民活動局の部長、社民党は平和・人権・環境委員会事務局長が要請を受けました。

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