被爆の実相普及に大きな力を発揮している「原爆と人間展」パネルが、9月20日現在で905セットの普及となりました。新たに50セットが増し刷りされました。
900セット目は、ならコープからの注文で、届け先はキューバでした。このときは、さいたまコープからインドへ、コープとうきょうからアメリカとパキスタンへ、コープかごしまからドイツへと、日本生協連の「世界の300都市に贈る運動」のなかでの大台突破でした。
その後も、滋賀県高島町教育委員会、小金井原水協などから注文が寄せられています。
「原爆と人間展」はこの夏も、全国各地で開かれました。三重県全市町村で開催されたのをはじめ、県庁ホール、市・区役所でも開かれました。
ロシア原子力省が9月4日、臨界前核兵器実験を8月28日、30日、9月3日の三日間、ノバヤゼムリア実験場で行なったことを明らかにしたことから、日本被団協は東京と埼玉の被爆者とともに、9月7日午後、ロシア大使館に抗議行動を行ないました。
プーチン大統領あての抗議文を渡し、ロシア語で書いたプラカードと横幕をかざして、「臨界前核実験やめろ」と抗議の唱和をぶつけました。
各地で抗議の声
ロシアの臨界前核実験にたいし、各地の被団協も抗議の行動を行ないました。(被団協新聞への通信分から)
おりしも、日ロ首脳会談のためにプーチン大統領が来日中であり、長崎被災協では「片手で核兵器をもてあそびながら、もう一方の手で握手を求めても、私たちは応じられるでしょうか」と厳しく抗議。「被爆国の総理として、直接プーチン大統領に厳しく抗議」するよう森首相あてに要請文を送りました。
広島県被団協(金子理事長)でも同趣旨の抗議文をプーチン大統領に、要請文を森首相に送付。奈良県被団協、兵庫県被団協、福岡市被団協でも、プーチン大統領あてに抗議文を送りました。熊本県被団協では、抗議文のほかに、抗議の座り込みを行ないました。
8月2日から12日まで日本被団協遊説団の三宅信雄、益子賢藏、福嶋啓子、朝長民子、田島幸江の五氏がアメリカ東部を訪問。現地の平和活動家とアメリカン大学の留学生たちの献身的な援助に支えられ、各地で核兵器の非人道性を訴え、米市民と交流しました。
ワシントンDC
首都ワシントンを中心に遊説したのは三宅さん。ヒロシマ・ナガサキ平和委員会のニール・フロミングさん宅に滞在して活動しました。
6日、終戦直後に広島の子どもたちに本や文具を贈った教会での追悼礼拝に出席。ここには、本川小学校の児童が返礼としてかいた絵や作文が保存されています。
劣化ウラン弾による放射線障害が多発し、経済制裁のため十分な医療ができないイラクの人々を救済する集会にも参加。500人を前に広島の惨状を語り、核の非人道性を訴えると全員立ち上がって拍手しました。
ミシガン
デトロイトに降り立った朝長さんと田島さんの2人は、ピースアクション連合のブラッド・ギルダーさんのお世話でラジオ・インタビューや州立大学、アナーバ市など各地の平和集会で語り、州都ランジングの市議会でも核兵器の廃絶を訴えました。田島さんは各集会で英語で「原爆ゆるすまじ」を披露。参加者の心に訴えました。
「証言を聞いた婦人に『あなたたちの願いを忘れないで平和の輪を広げます』と言われ、感激しました」(朝長)
展示した「原爆と人間展」パネルは各地で高い評価を受け、「米国内でぜひ広めたい」と関心を集めていました。
ニュージャージー
4日にエリザベス市に入り、市長の歓迎レセプションに出席した益子さんと福嶋さんは、ピースアクション連合のノーム・コーヘンさんたちのお世話でニュージャージー、デラウェア、ペンシルベニアの三州を車で移動して証言活動。益子さんの当時の軍人としての証言、福嶋さんの肉親を失った幼子としての体験が参加者の心を打ち、地元の新聞に連日2人の行動が掲載されました。
各地の集会では証言を聞いた参加者から、「被爆者援護対策は十分なのか」「アメリカ政府に対する補償要求は」など多くの質問が寄せられ、心を込めて答えました。
東京に住む長崎の被爆者・東数男さん(71歳)が原爆症認定を求めて起こしている裁判の第五回口頭弁論が、9月11日、東京地裁で行なわれ、34人が傍聴しました。
この日は弁護団から、東さんを原爆症と認定しない厚生省の根拠を徹底的に批判する準備書面が提出され、口頭による弁論が行なわれました。
東さんの裁判では、東京を中心に「原爆裁判の勝利をめざす東京の会」(連絡先=東友会)がつくられ、支援活動を広げ、現在会員は478個人・団体です。会費は個人年1,000円、団体5,000円。
東さんは、肺がんに冒され、7月に手術し現在療養中です。次回は12月11日午前11時半。
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