「日本被団協」認定基準検討会

 −作業文書No.1 

   安斎育郎・清水雅美 「寄与リスク」概念をめぐる誤解について

2001年7月

作業文書No.1の公表にあたって


日本被団協・認定基準検討会メンバー 
安斎育郎(立命館大学国際関係学部)


  日本被団協は、厚生労働省の原爆症認定作業の動向に対応するため、「認定基準検討会」を設置し、被爆者・科学者・弁護士等による検討を重ねてきた。厚生労働省は、2001(平成13)年5月、疾病・障害認定審査会の原子爆弾被爆者医療分科会は「原爆症認定に関する審査の方針」を発表し、「原因確率」を指標とする新たな原爆放射線起因性の判断基準を実行に移しつつある。そこで、日本被団協・認定基準検討会としても、検討の内容を「作業文書」として公表し、関係者の参考に供することとした。
 「作業文書No.1」は、安斎育郎(立命館大学国際関係学部)・清水雅美(日本大学歯学部)の共著による「『寄与リスク』概念をめぐる誤解について」と題する論文である。この論文は、現在、日本保健物理学会誌『保健物理』に「ノート」として投稿中である。投稿中の論文を対社会的に公表することはやや異例のことではあるが、厚生労働省による認定基準に関する検討が思いのほか急速に進められつつある現状に鑑み、関係者の参考に供することとした次第である。
 本論文は、リスク評価の尺度としての「寄与リスク」概念に関する誤解の本質を、厚生科学研究費補助金研究報告書「原爆放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(主任研究者:児玉和紀<広島人学医学部教授>)を典型例として明らかにしたものである(「原爆症認定に関する審査の方針」では「寄与リスク」は「原因確率」と呼ばれている)。同報告の「寄与リスクは、相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つものである」との主張は本質的な理論的誤認に基づく事実誤認であること、寄与リスクの本質は「相対リスクを0〜100%に規準化した指標」であることを論証するとともに、同報告の「寄与リスクはリスク評価の最適尺度」との主張は根拠を欠き、むしろ相対リスクの方が優れていると考えられる面もあることを具体的に指摘している。本作業文書が、寄与リスク(原因確率)に関する誤解を克服するために寄与することを期待する。


「寄与リスク」概念をめぐる誤解について

安斎育郎・清水雅美
About the Misunderstanding of the Concept of "Attributory Risk"

Key words:  radiation risk, absolute risk, relative risk, attributory risk, misunderstanding







1.緒言

 リスクの評価尺度としては、一般に、「絶対リスク」や「相対リスク」の概念が用いられてきたが、近年、放射線起因性の程度を評価する指標として「寄与リスク」概念が注目されてきた。しかし、このリスク概念の理解には、放射線影響学分野の専門家の間にも本質的な誤解が見られるように思われる。例えば、厚生科学研究費補助金研究報告書「原爆放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(主任研究者:児玉和紀<広島大学医学部>、以下、「児玉報告」と略記)は、そのような基本的な誤解を孕む論文の典型例である。本稿は、「児玉報告」を例として、「寄与リスク」概念に関する誤解の本質について検討するものである。

2.概念の整理

 絶対リスク、相対リスク、寄与リスクを比較検討するに当たり、その概念を整理しておく。
 非被爆者No人あたりの疾患発生数あるいは死亡者数をC人とする。
 被爆者No人あたりの疾患発生数あるいは死亡者数をX人とする。
 絶対リスクをRaとすると、   Ra=X-C……(1)
 相対リスクをRrとすると、   Rr=X/C……(2)
 過剰相対リスクをERRとすると、ERR=(X-C)/C……(3)
 寄与リスクをATRとすると、  ATR=(X-C)/X……(4)
 これを整理すると、表1の如くである。







3.絶対リスク、相対リスク、寄与リスク概念にかかわる誤解の本質

  4つの具体的なケースについて、上の各量を求めると表2のようになる。









 「児玉報告」には、次のように書かれている。

 相対リスクは、被爆群と非被爆群とのリスクの相対的な比でありリスクの評価には適しているが<1>、非被爆群に比べてどの程度リスクが増加するのかということは示されない<2>。例えば、相対リスクが1.2である場合、非被爆群の疾患発生(死亡)が100あるときの相対リスクが1.2なのか、非被爆群の疾患発症(死亡)が10であるときの相対リスクが1.2なのか区別はできない。前者の場合は被爆群の疾患発生(死亡)が20増えるのに対し、後者の場合は2増えるだけである。公衆衛生的視点からは前者のインパクトは大きく、相対リスクはそのインパクトを測ることはできない。絶対リスクはどの程度リスクが増加するのかという公衆衛生的インパクトにとって重要な指標ではある<3>が、その大きさ<4>は非被爆群のリスクに依存して考えなければならない。例えば、非被爆群の疾患発生(死亡)が100で被爆群の疾患発生(死亡)が110の場合と、非被爆群が10で被爆群が20の場合とでは、ともに絶対リスクが10といっても、リスクの大きさは後者の方が大きく<5>、その大きさを絶対リスクは測ることができない。一方、リスクは、絶対リスクの相対的大きさで表され、相対リスクと絶対リスクと両指標の考えを併せ持つものである<6>。式からわかるように、寄与リスクは相対リスクから算出されるが、その大きさは0から100%に数値化される<7>。この性質は重要であり、種々の疾患に対する放射線リスクの評価が同じ枠内の数値として統一的に考えられることを意味している。たがって、放射線が占める割合としてのリスク評価の指標としては、寄与リスクが最適である<8>

 この記述には、以下の問題点が含まれる。

〔1〕「リスク」という用語の無限定な使用

 下線部<1>に「リスクの評価に適している」という表現があるが、少なくとも「絶対リスク」「相対リスク」「寄与リスク」という3種類のリスク尺度を比較しつつ「最適なリスク評価の尺度とは何か」を論じようとしている論文において、「リスクの評価に適している」といった表現を用いることは適切ではない。ここで著者が主張したいことは、「(相対リスクは)疾患発生(死亡)の増加率の評価には適している」ということに相違ないので、無限定に「リスク」という言葉を用いる例ではなく、意味内容を具体的に表現すべきである。
 下線部<2>の「どの程度リスクが増加するのかということは示されない」という表現も同様の意味で不正確であり、表現したいことは「どの程度疾患発生(死亡)の絶対数が増加するのかということは示されない」ということであるから、ここも無限定に「リスク」という言葉を用いるのではなく、意味するところを厳密に表現すべきである。
 下線部<3>に「絶対リスクはどの程度リスクが増加するのかという公衆衛生的インパクトにとって重要な指標ではある」という表現があるが、この場合も「どの程度リスクが増加するのか」という表現は同様に不適切であり、「疾患発生数(死亡数)が絶対数としてどの程度増加するのか」と表現されるべきである。
下線部<4>の「その大きさ」という表現も何を意味するのか判然としない。この場合の「その大きさ」は「疾患発生数(死亡数)の増加率」とすべきである。
 下線部<5>の「リスクの大きさは後者の方が大きく」も「リスクの大きさ」とは何かを定義せずに用いており、学術論文として極めて不適切である。100が110に増えた場合は1.1倍だが、10が20に増えれば2倍に増えたことになるので、後者の方が「リスクが大きい」と主張しているものと推定されるが、罹患する側にとっては、例えば、よく見られる癌が10増えるのと、珍しい癌が10増えるのとでどちらが危険かは一概に言えないのであって、よく見られる癌で死亡しても、珍しい癌で死亡しても、増える絶対数が同じである限り「死のリスクの増加」という点では同じだという見方もできる。したがって、ここも、「リスクの大きさ」の代わりに、「疾患発生数(死亡数)の増加率という点で」と表現されるべきである。

〔2〕「寄与リスク」概念についての本質的誤解

 下線部<6>の「寄与リスクは、絶対リスクの相対的大きさで表され、相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つものである」という説明は明白な誤りである。
表2を見れば明らかなように、事例@Aではともに相対リスクが1.1と等しいだけでなく、寄与リスクも9.1%で等しい。事例BCでも相対リスクが2.0と等しいだけでなく、寄与リスクも50.0%で等しい。事例@Aの場合も、事例BCの場合も「絶対リスク」は異なるが、「寄与リスク」はそれを反映していないのである。したがって、寄与リスクがあたかも絶対リスクの情報を反映しているかのように評価するのは明らかに間違いと言わなければならない。
 式(4)より、ATR=(X-C)/X=1-C/X=1-1/Rrと表されるから、寄与リスクATRは相対リスクRrだけの関数である。逆に、Rr=1/(1-ATR)と表されるから、寄与リスクATRが決まれば相対リスクRrも一義的に決まる。したがって、表2において相対リスクが等しければ寄与リスクも等しいのは当然である。
 ところが、絶対リスクと寄与リスクの間には一義的な関係は成立しない。式(1)および式(4)から明らかなように、ATR=Ra/(Ra+C)であって、寄与リスクは絶対リスク(Ra)とともに対照群における疾患発生数(死亡数)Cにも依存する。逆にRa=C・ATR/(1-ATR)であり、寄与リスクATRを決めても絶対リスクRaは一義的には定まらない。そのことは、表2で絶対リスクが等しいのに寄与リスクが異なったり、逆に絶対リスクが異なるのに寄与リスクが等しかったりしていることに端的に示されている。
 したがって、「寄与リスクは、相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つものである」という記述は誤りである。
 寄与リスクATRは、ATR=(X-C)/X=Ra/xのように、「絶対リスクRaとXの関数」として表されるが、RaをXで割ることによってRaに関する情報は失われてしまうのであり、「寄与リスクは絶対リスクを加味したもの」とは言えなくなるのである。それは、相対リスクRrが、
Rr=X/C=(X-C+C)/C=(X-C)/C+1=Ra/C+1のように「絶対リスクRaとCの関数」として表せるからと言って、「相対リスクは絶対リスクを加味したもの」と言えないのと同じである。

〔3〕「寄与リスク」を「最適リスク評価尺度」とする根拠の薄弱さ
 
 では、寄与リスクの特徴は何かと言えば、それは下線部<7>の「寄与リスクは相対リスクから算出されるが、その大きさは0から100%に数値化される」という点に尽きる。寄与リスクは「相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つもの」なのではなく、相対リスクの一種の「変形物」に過ぎないのだが、数値的には0%〜100%に基準化されているということにこそ特徴がある。
相対リスクRr(=X/C)において、Xの値がC〜∞と変化するにしたがって、Rrの値は1〜∞と変化する。では、Xの値がC〜∞と変化するときに、O〜1の間で変化する関数は何かと言えば、それこそがATR=(X-C)/X=1-1/Rrに外ならない。つまり、寄与リスク(ATR)は「相対的なリスクの大きさを0〜1間(0%〜100%)に基準化した量」というのがその本質であって、「相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つもの」ではない。
 ゆえに、下線部<8>の「したがって、放射線が占める割合としてのリスク評価の指標としては、寄与リスクが最適である」という結論には問題がある。「したがって」の意味が「相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つものだから」という内容を受けているとすれば、それは誤りである。ゆえに、「したがって」の意味は「リスクの大きさを0%〜100%に基準化した量だから」という内容を受けているものと解されるが、それならば、そこに至るまでに絶対リスク、相対リスク、寄与リスクの概念的特徴を比較検討した内容はほとんど意味を失い、単に、「リスク評価には、相対リスクの大きさを0%〜100%に基準化した量として定義される寄与リスクが最適である」と主張しているに過ぎないことになる。
 しかし、なぜそれがリスク評価として「最適」なのかについては何も示されていない。「寄与リスクを計算して、あるパーセンテージ以下は放射線起因性を無視するという方法」と「相対リスクを計算して、ある数値以下は放射線起因性を無視するという方法」とは同等であり、特に寄与リスクを「最適の尺度」として取り上げるべき理由はない。例えば、「寄与リスク1%以下」という表現と「相対リスク1.01以下」という表現とは同等であり、わざわざ寄与リスクに換算しなくても、相対リスクの数値のままで十分判断できることである。
そればかりか、例えば疾患発生数(死亡数)10が「100になったケース」と「200になったケース」を考えた場合、まさに公衆衛生的観点からすれば後者の方が非常に大きなインパクトをもつが、これを相対リスクで表せば10→20と大きな違いとして反映されるのに対し、寄与リスクで表せば90%→95%となって、僅か5%の違いとしてしか反映されない。また、例えば疾患発生数(死亡数)10が「11になったケース」と「12になったケース」を考えた場合、公衆衛生的観点からすれば「大差ない」という印象だが、これを相対リスクで表せば1.1→1.2とほぼ印象どおりの違いとして反映されるのに対し、寄与リスクで表せば9.1%→16.7%となって、7.6%もの違いとして反映されてしまう。相対リスクが10倍から20倍と大きく変化した時に僅か5%しか寄与リスクが変化せず、相対リスクが僅かに1.1倍から1.2倍に変化した時に7.6%も寄与リスクが変化してしまうという性質は、何の説明もなく「寄与リスクが最適」と主張する正当性を失わせる程のものである。
 これは、関数形の変換によって従属変数の値域が(1,∞)→(0,1)に.変化したために外ならず、むしろ感覚的に「リスクの大きさを誤認させる可能性さえ含む」ものであり、その意味からも下線部<8>の「リスク評価の指標としては、寄与リスクが最適である」という結論には本質的な疑問があると言うべきである。これを図示すると、図1の如くである。
 

4.結論

 以上の検討から、「児玉報告」には、次のような諸問題が含まれる。

<1>「リスク」という用語が無限定に使用されていること
 「絶対リスク」「相対リスク」「寄与リスク」を比較しつつ最適リスク尺度を模索している論文であるにもかかわらず、その論証途上、意味を限定せずに「リスク」という用語を多用していることは、科学論文としての厳密性の点で問題がある。

<2>「寄与リスク」概念の理解に本質的誤解があること
 本研究にとっての基本概念とも言うべき「寄与リスク」概念の理解に本質的な誤りがある。すなわち、「寄与リスクは、相対リスクと絶対リスク両指標の考えを併せ持つものである」という主張は誤りであることが指摘されなければならない。

<3>寄与リスクの「最適性」の根拠が示されていないこと
 「寄与リスク」がリスク評価の最適尺度だとする主張が何の根拠もなく提起されている。本稿において検証した通り、むしろ相対リスクの方が優れていると考えられる面もあるのであり、もしも「寄与リスクが最適のリスク評価尺度」と主張するのであれば、その根拠が明示されなければならない。
 本稿において検討対象とした「児王報告」は、厚生科学研究費の補助金研究として実施され、厚生省の「疾病・障害認定審査会原子爆弾医療分科会」において、今後の認定のあり方をめぐる論議の基礎とされたものである。その意味において、放射線によるリスク評価の分野で一定の重要性を有する学術論文であり、そこに含まれる誤謬は正される必要があろう。

参考文献
厚生科学研究費補助金研究報告書「原爆放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(主任研究者:児王和紀<広島大学医学部>)


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