「被団協」新聞−19999.8月
1面 吉永小百合さんが新しいCD 
2面  原爆裁判5件に  訪米遊説団出発   核かくしかじか
3面  追悼式、原爆展各地で  (全8ページ)


核のない21世紀への祈り込め「第二楽章 長崎から」を発表

 俳優の吉永小百合さんが、一昨年発表した原爆詩朗読CD「第二楽章」の続編「第二楽章 長崎から」のCDが、7月23日発売されました。
 「第二楽章」は、核兵器の悲惨さと人間の生きる力のすばらしさを伝える新しい朗読芸術として反響を呼んでいます。
 26日には、記者会見と発表会が東京・千駄ヶ谷の津田ホールで行なわれ、500人の参会者は感動の涙と拍手を小百合さんに送りました。
 前作はいわば「広島編」でしたが、今度の「長崎編」には、長崎の詩人・福田須磨子の詩二編と、下田秀枝、香月クニ子の詩一編ずつと、児童文学の筒井茅乃の作品「娘よ、ここが長崎です」が収録されています。筒井さんは故永井隆博士の長女。
 朗読のバック音楽は、長崎出身の作曲家・大島ミチルさんの創作で、祈りのミサ曲に似た旋律でバイオリン、チェロ、ハープ、ピアノによる本格的な協奏曲です。

 記者会見で吉永小百合さんは、「長崎編」製作について次のように語りました。
 一昨年に「第二楽章」をつくったとき、長崎の詩も用意したが、朗読の構成が複雑になるので広島の詩だけにした。いつかは長崎編をつくろうと思い、その時は詩だけでなく文章の朗読を入れようと思っていた。しかしこんなに早く発表できるとは思っていなかった。 早くなったのは、みなさんのおかげで広島編がよく出たからだと思う。(発売元のビクターの話では、販売数は3万枚)
 この2年間に朗読で回ったところは50カ所か60カ所だと思う。ある小学校では、真夏に暗幕で窓を閉め切って公演した。たいへん暑かったけど子どもたちは熱心に聞いてくれた。私も暑くないふりをして朗読した。
 アメリカでの朗読も、最初は気安く受けたが、日が迫ってくるにつれ、アメリカ人に原爆を伝えることができるだろうかと不安になり、眠れなかった。朗読が終わったとき、立ち上がっての拍手をうけ、ほんとにほっとした。外国の人にも聞いてもらいたくて、今度のCDには英文を入れた。
 原爆のことを、母から娘に、私達から次の世代に伝えていきたい。21世紀が核兵器のない、戦争のない時代になってほしい。



冷たい被爆者行政ただせと原爆裁判5件に

 東京・町田市に住む長崎の被爆者・東数男さん(70歳)が、6月29日、原爆症の認定却下処分の取り消しを求める裁判を、東京地方裁判所におこしました。
 東さんは、長崎工業3年の16歳のとき、爆心から1.3kmの三菱兵器製作所で作業中に被爆。背中と後頭部を負傷し、耳たぶが切れ、肘に火傷を負いました。84年ごろから全身倦怠感などの症状が出て、92年から通院、現在も2週間に1度通院治療中です。
 94年2月に肝機能障害で原爆症の認定を厚生大臣に申請しましたが、95年11月「放射能に起因せず、治癒能力が放射能の影響を受けていない」として却下されました。このため96年1月異議を申し立て、97年6月に口頭審査が行なわれ、今年4月「C型肝炎だから原爆による起因性はない」と、またも却下されました。
 C型肝炎ではこれまでも0.7kmと2.4kmで原爆症の認定を受けています。1.3kmがなぜ関係ないのか不明です。
 原爆症の認定をめぐっては、最高裁での松谷英子さんの裁判、大阪高裁での京都原爆症裁判が係争中で、判決済みのがほかに2件あり、東さんで5件目。現行法による裁判は初めて、東京での原爆症裁判も初めてです。
 東友会は、全面的に支援しています。



「松谷」署名41万に

 原爆松谷裁判の最高裁への要請行動が7月22日、原爆松谷裁判ネットワークと首都圏の被爆者でおこなわれました。
 「松谷裁判の上告の即時却下」を求める要請署名は、この日、個人が20,886人(累計410,490人)、団体が996(累計2,090)、上申書74通(累計380通)が提出されました。



大阪、長崎で在韓被爆者が裁判

 日本にいるときに健康管理手当を受給した韓国人被爆者が、韓国に帰ると打ち切られるのは不当だとして、手当の継続支給を求めて大阪地裁で裁判中の「郭貴勲裁判」は、7月9日に第4回公判がありました。
 これまでの弁論で国側は、いまの被爆者法は社会保障法だから、日本に居住も現在もしていない外国人には適用されないと主張してきました。
 弁護側は、現行法は国家補償的配慮のもとにできており、外国人を排除する国籍条項も、居住や現在が条件という定めも法律にはない、琉球政府時代にも沖縄の被爆者に医療法や特別措置法が適用されていたとして、国側主張には根拠がないと反論してきました。
 在韓被爆者への健康管理手当の継続支給については、長崎でも李康寧さんが長崎地裁に5月31日に提訴しました。94年に受給し帰国したら3ヵ月で切られたもの。 他の記事


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