■夢光駅第1展示室 東海道新幹線

●碧電開業まではあまり撮ったことがなかった

碧海地区で東海道新幹線を目的に撮影に行ったのは高校生の頃の2回のみです。それもお目当ては黄色い新幹線「ドクターイエロー」こと922型(電気・軌道総合試験車)でした。雑誌で下りが運転された翌々日に上りが帰ってくるというレポートを見て、東京駅の時刻も述べられていたことから知立市内の通過時間は概ね把握していました。そしてある日偶然に下りを目撃。いよいよチャンス到来です。2日後、予想時間の少し早めにY君と知立市内のポイントへ向かいました。
 当時は旅客車両は全て0系で、窓の大小くらいしか目立ったバリエーションはありませんでした。何本か撮影しながらドクターイエローを待ったところ、首尾よく予想通りの時間に現れました。しかし、スピードは在来線の2倍、編成が0系の半分以下のため余計に速く見えます。ふだん在来線のスピードに慣れてしまっていたため、タイミングがどうしても合いませんでした。(2000.11.5)
 2014.10.1、東海道新幹線が開業50周年を迎えました。当時とは比べ物にならないほどに運転本数が増え、初代の0系、100系、300系が全廃になったのを始め、700系からも廃車が出始めています。当初は0系のみでしたが、その後は世代交代が早くなったのも新幹線の特徴と言えましょう。
 新区分N700Sの試運転を撮ることができたため、追加しました。(2018.6.17)


 
(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
 
700系9000番台量産先行車
700系C1編成の「こだま649号」

1997年に登場した700系の試作編成です。量産先行車という呼ばれ方もされていて、量産に移る前に機能や耐久性などを確認する長期試運転が行われました。この編成、量産車との区別はほとんど付きません。それでも、数少ない差異の中で最もわかりやすいのが、運転台直後の扉上部にある雨といが量産車よりも高い位置にあることでしょうか。編成番号は光って確認できませんでしたが、拡大してみると、といは確かに高い位置にあります。
 この写真を撮影して1年後、C1編成は引退しました。出張帰り、名古屋駅から1駅だけでしたが、三河安城駅で下車したとき、9000番台の車番を見てびっくりしたことがありました。

N700系量産先行車Z0編成
N700系Z0編成の試運転列車

700系の登場後、さらなる性能アップを図った新形式が登場しました。在来の呼称であれば750系とでもなったところかと思われますが、N700系を名乗っています。既に新幹線の3桁形式は一杯(600系はE1系”Max”の仮称)で、700系の発展形として4桁形式を名乗るまでもないとの判断かも知れません。
 2012.3改正で定期「のぞみ」が全てN700系になってからも量産先行車Z0編成は量産化改造を受けることなく営業運転には充当されていません。その後、”アドバンス化”改造が施され、編成番号はX0となりました。
 2019年、ついに営業運転に充当されることなく廃車。一部がリニア鉄道館に収蔵されました。

ありがとう300系  差替
300系最終営業の「のぞみ329号」

1992年、それまで220km/hであった営業最高速度を一気に270km/hまで向上させた300系が20年目にして完全引退のときを迎えました。JR東海の編成は定期列車での運用を終え、記念の装飾を施した編成が臨時「のぞみ」や団体臨時列車で運用されていました。そして、2012.3.16の「のぞみ329号」が東海道新幹線最終営業列車となりました。

N700A試運転
N700A試運転

N700系をさらに進化させたN700系アドバンスの試運転が行われるとの情報をいただき、撮影に出掛けました。ブラインドが全て下ろされているのが試運転であることを物語っています。外観は帯の一部に「A」を模式化したデザインが取り入れられているくらいで、在来型との目立った違いがありません。
 ブレーキ力のアップや定速走行装置等、メカ的にはだいぶ進化しているようです。

500系「のぞみ」(1)
20年ぶりに同じポイントへ。500系「のぞみ」

2000年9月、所用で帰省した折りに同じポイントに立ちました。実に20年ぶりでした。バックには多くの建物が建ち、国道23号線のオーバークロスもできました。線路際にはいやらしい位置にケーブルが張られてしまった以外は防音壁ができることもなく、まだ撮影可能でした。
 ここは晴れると逆光のため、曇りの日に再挑戦しようと思いましたが、結局撮らずじまいでした。

500系「のぞみ」(2)
500系東京乗り入れが残り4ヶ月となった頃。

500系は1997年秋から東京への乗り入れを開始しました。しかし、700系やN700系よりも座席数が少なく、それを理由に東海道新幹線からの撤退を迫られました。そして、2010年2月をもって東海道区間での運用を終えました。
 乗車するときは500系が来た時の方が嬉しかったのですが・・・。

N700S試運転
N700S試運転

N700Aがさらに進化して、新しい区分であるN700Sの機能確認編成が登場しました。試験用に徹して営業運転には充当しないのはZ0→X0編成と同様です。
 何が違うのかと言えば、インバーターが新型となり、小型軽量化、省エネ性向上が図られた。8両編成までの短縮に対応。非常時におけるバッテリー走行などでしょうか。
 新形式を与えられてもよいほどの変化なのだそうです。それならば、お顔の「ヒゲ」というよく見ないとわからないことではなく、新型車であることをもっとアピールすればよいと思うのですが、デザインに関して東海さんはあまりにも保守的です。
 台車上部のカバーの突出が小さくなってすっきりしたのもN700Aからの変化です。

碧海エリア最後の700系?new
N700S試運転

700系は徐々に運行本数を減らし、2020年2月12日から「ありがとう700系」の装飾を施した2本(C53、C54)が運行を開始しました。地元では下り列車はケーブルや支柱、フェンスなどで撮影しづらいのですが、上りは夜間ばかりです。そんな中、20.3.1の団体列車は装飾編成がただ1回だけ撮影可能時間帯に上り列車で走るチャンスでした。しかも、700系の充当に万全を期すためか、予備編成も後追いで来ると言います。皆さん狙いは同じだったとみえて、多くの方が来られていました。
 新型コロナウイルスの感染拡大予防の措置で3.8の最終「のぞみ315号」が運転中止になりました。3.1に撮れたC54編成の回送が地元を通過する最後の700系になる見通しです。

●山陽区間で500系より遅かった700系 20.3.8 new

700系の東海道新幹線最終運行に寄せて、思い出すのは山陽新幹線で500系の代走として充当された700系に乗車したときのことです。500系は山陽新幹線における最高速度は300km/hでしたが、700系は285km/hでした。岡山から名古屋まで乗車した「のぞみ」は本来500系のスジでしたが、当日は車両故障か何かで700系に変更されていました。最高速度が低いので当然遅れが生じます。車内では新大阪への到着が3分(だったと思います)ほど遅れる見込みであることがアナウンスされていました。
 その結果どうなるか。新大阪で接続する紀勢線の特急「くろしお」への乗り継ぎ時間が短くなります。新大阪から大阪環状線の西九条までは一部単線で、「くろしお」を遅らせると各線に影響が及ぶためでしょう。「くろしお」を待たせたくなかったようです。すると、再度アナウンスが入りました。
 「新大阪から【くろしお〇〇号】にお乗り継ぎのお客様、お見えでしたら〇〇号車へお越しください。乗り継ぎ時間がたいへん短くなっております。新大阪駅の係員が【くろしお】号のホームへご案内いたします。」
 新神戸を出ると、女性の車掌さんが「くろしお号にお乗り換えのお客様はいらっしゃいますか」と声を掛けながら巡回して来ました。そして、年配の女性客が慌てた様子で車掌さんに申し出をしていました。「こちらへどうぞ」と、下車する号車へ案内されていました。
 最高速度の15km/hの違いでこんなことになるのですね。東海道区間ではありませんが、これが700系いちばんの思い出です。

●300系「のぞみ」の想い出

300系が長期耐久試験の後、量産に移り、新名称「のぞみ」でデビューしたのは1992年のこと。最初は上下とも早朝、深夜に限られたダイヤでした。初めて乗る機会を得たのはデビュー間もない4月のことでした。スケジュールが急に決まったため、前日の夜、職場の花見会を終えて駅で指定券を調べてもらうと、まだたくさんの席が空いていました。
 初電で東京駅へ向かい、「のぞみ301号」の案内に沿ってホームへ上がると、真新しい300系が停まっていました。各車両には女性の客室係が立っていて、少しリッチな気分になります。
 新横浜を出ると次は終点新大阪です。下り朝一番の301号は名古屋と京都を通過し、それが大きな話題となりました。しかし、名古屋通過時にはかなり減速しました。ホームで待つ多くの乗客は名古屋に停まらないことが信じられないような感じで、「これが『のぞみ』か・・・。」という驚きの表情がわかるほどでした。
 その後、大阪に転勤してからは東京の本社への出張時に「のぞみ」を利用しました。早朝の列車は空いていたせいか、モーター音も大きく感じられ、VVVFの変調音に不慣れなこともあってか、「モーターの音がうるさい。他の車両に変えてくれ!」と車掌さんに詰め寄っている人もいました。会社に着くと、定時と変わらない時間に現れた私を見て、「もう来たの?」という顔をされたこと思い出します。
 デビュー当時は特別な存在であった300系「のぞみ」ですが、700系やN700系に主役の座を譲ったかと思えば、もう完全に引退とは寂しいものです。画期的な速度向上を実現した形式だけに、短縮編成になったり、「こだま」主体の運用にいつまでも甘んじているわけにはいかないということでしょうか。散るのも早いのが300系らしい生涯なのかも知れません。


700系「のぞみ」
700系「のぞみ」

測定が夜間になって東海エリアではドクターイエローの撮影は不可能となっていましたが、新ドクターイエロー923形が日中走るとの情報をキャッチ!当日の撮影を何とかモノにしようと、目障りなケーブルをかわすべく俯瞰出来そうなポイントを捜しましたが、なかなか好適地が見つかりませんでした。しかし、諦めかけていた矢先、意外な近場にもってこいのアングルが見つかりました。
 当日923形が来るまで他の列車で「トレーニング」をしました。

写真、文: ドクターY様

新ドクターイエロー923形
新ドクターイエロー923形

いよいよ923形がやってきました。この日の運転は本格的に検査走行に入る前の、機器最終試験と聞いています。
 この付近は、小学校の頃はカブト虫や、クワガタを採りにきた場所で、大規模の開発が行われてしまったことは残念に思っていましたが、この1カットについてはアリガタイ存在となりました。

写真、文: ドクターY様

旧ドクターイエロー 922-10
東京駅へ到着する旧ドクターイエロー922形

ドクターYさんから新ドクターイエローの画像を提供いただいたのを機に、代わりに引退した922形T2編成を出しましょう。
 学生時代のある日、東京を発つ922形を目撃、高校生時代にまともに撮れなかったリベンジにと、戻って来る日時に東京駅の新幹線ホームに入場券を買って入りました。
 当時他学科の同期からこのドクターイエローに乗って検測を行う卒業研究があると聞いて羨ましく思ったものです。

思い出の0系
思い出の0系新幹線

数枚撮影したものの、前向きで来るものは顔が柱にかかってしまっていて完全な失敗。後追いもののも車両の一部がかかってしまっています。タイミングが遅すぎたのです。
 0系は1999年に引退しましたが、私は直前にも撮影に行くことはなく、最終日もテレビのニュースを見て見送るにとどめました。

ドクターイエロー 922-20
ドクターイエロー922型

お目当ての「ドクターイエロー」です。東海道新幹線では2本の922型がありましたが、写真は窓が小さい新しい方です。
 これも最後尾の1両がポールにかかってしまいました。集中力を養うには新幹線はよい訓練材料になります。
 このサイトの立ち上げ準備中の2000年9月、700系を基本にした新しい「ドクターイエロー」が完成しました。本格的な運行を開始したことによって古い方の1本、922-10(T2編成)は引退し、東海道新幹線で慣れ親しんだ「タマゴ顔」が見られなくなりました。

100系
100系の晩年の頃

権現港駅と重複掲載になりますが、100系がないわけにはいきませんので載せておきます。 東海道新幹線は古くなった0系を新製の0系で置き換えるなど、なかなか新形式が登場しませんでした。そして、1985年にやっと試作車が落成しました。
 翌年には量産車が「こだま」で暫定運用を開始し、夏休みの撮影旅行の帰りに乗ることができました。
 編成による運用の違いから、小窓が特徴の試作車、X0編成は比較的捕まえやすい時期があったはずで、撮ろうと考えなかったことが悔やまれます。


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