インドサイクリング
実施日 |
1981年12月19日〜1982年1月6日 | |
コース |
カルカッタ→ブッダガヤ→ベナレス→アグラ→デリー 約1,500KM |
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気候 |
朝10時までは寒い(短パンTシャツでは)午後2時からも寒い | |
日本からの経路 |
成田(パキスタン航空)→バンコク(タイ航空)→カルカッタ デリー(タイ航空)→バンコク(パキスタン航空)→成田 |
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コスト |
通貨レート
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1ルピー=24.8円 1US$=223.5円 |
宿
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0円〜65ルピー 平均30ルピー(740円) | |
食事
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チャパティ+マトンカレー=4.5ルピー(110円) ビール=15ルピー(370円) |
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持ち物 |
シェラフ(薄いもので十分) | |
メ モ |
道路すごく悪い。ランドナーで走ったが(タイヤ26インチ1・3/8)もっと太い方がよい。 インドの自転車は、28インチタイヤ |
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交 通 |
車は大きい方が偉い。バス、トラックは全然よけてくれない。普通車も同様。 | |
全体を通しての感想 |
記録を読み返すと大変だったことを思い出すが、楽しかった思い出の方が多い。 インド人も親切(すぎる)な人が多い。 インド人に、だまされたり、だましたり.... |
コースを選んだ理由 |
カルカッタからデリーまで行くと、次は、アフガニスタン経由でヨーロッパに行ったり、ボンベイの方に行ってインド一周できると思ったから。 |
日 |
コース |
記録 |
1981年 12月16日 |
バンコク → カルカッタ |
バンコク空港では、ロビーで夜を明かす。 カルカッタ空港で入国の時、ビザを持っていない前の日本人が、係員から、YOU don't have visa. と言われて、Yesと答えるので、係員がパスポートのページを繰り返し探していた。ビザが見つからないので、また、聞かれて,「Yes」と答えるので探す。何度も同じ事をしていた。 |
12月17・18日 | カルカッタ | 市内観光・動物園やマザーテレサの家(同行者がボランティアをするというので)地下鉄も工事していた。 |
1981年 12月19日 |
カルカッタ → メマリー |
朝、宿で記念写真を撮って出発。 カルカッタを離れて,50kmくらいずっと道には人がいて家もある。とても休憩するところがない。chunchraという目標にしていたところに着くが、宿がない感じなので、次の町に行く。 道がとても悪く、時速15km程度、木が枝を思いっきり張っていて見事である。(3時頃)宿を探したけど、バンガローは予約済み、bank of inndia があったので聞いてみると、That's problem. tryしてくれたがだめで、次のメマリーなら何とかなるだろうというので、(がんばって)行くと、ツーリストバンガローはやはり満員。グダグダしていると、二人のインド人(高校生と役人(食料庫管理人))が村長さんの所へ連れて行ったくれて、ゲストハウスに泊めてくれるよう話をしてくれた。もしだめだったら、役人さんの所に泊めてくれるとのことだった(独りで一部屋に住んでいるので)。長が返ってきてサイクリングをしていると言ったら、泊まる許可をくれた。長の部屋に行って話をしたが、話題は給料と、時計の値段だった。 8畳ぐらいの部屋で汚い感じだと思った。 自然と近い生活をしていると思った。 |
12月20日 | メマリー→ Durgapur |
昨日親切に宿を探してくれたお兄さんが朝8時頃来た。(自分で朝食を作り食べていた時。このころは、国際線にガスボンベが持ち込めたんです。ジャムパンとコーヒー)また戻ってくると言ったけど来なかった。 9時頃出発。出るとき役人のおじさんが帰ってきて、次の町でホテルはあるかと聞いたら、駅のそばの役人の家に行けと言った。泊めてくれるはずとのこと。 走っていると上り下りがとても多い。平野なんだろうけど、雨がないためか、荒涼としている。田も小さい。段々田(棚田)もあった。ちょうど取り入れの終わる頃で道路にモミを置いて乾燥させている。また、町にはいるところで道に凹凸ああって、せっかくスピードが出ているのに全く閉口する。 Durgapurは、R2をずっと行って、cityセントラルは行ったところ、ホテルはまだ先だと言われたので行ったが無く、駅の方を聞くと10kmも後とのこと。tourist lodgeへ行くが、満員、次は10km離れているとのことだったが、駅の近くにあるはずだと思いいくと、途中に1軒、そこは満員だったが、近くのが空いていた、なんと65rpsどうでもいいのでそこにする。(冷蔵庫付きの部屋) 町に着いてから部屋にたどり着くまで1時間かかった。インドではどこでも、町についてからが大変だった。 ホテルの住所 HOTEL PALACE DURGAPUR-713201 WEST BENNGAL、INDIA |
12月21日 | Durgapur→ Dhanbad |
前日寒いところに水浴下ので風邪を引いた、走りながら関節が痛み寒気がする。ウェストベンガル州の州境を越えたところで距離を確認したところでは、時速12km位でしか走っていない。とても道が悪く、町中では30〜50cmの深さの穴が空いていてまともに走れない。カルカッタから200km離れたけどまだトラックは多く、すごい排気ガス。とても楽しいサイクリングという雰囲気ではない。 ずっと下り坂でとても冷えた。駅前には5時に着き外はもう暗い。二人組にホテルを探してもらい3つ目でやっと泊まれる。ホテル探しはとても疲れる。中華料理を食べさせるところで、ノン・ベジタリアンでチキンチャーハンとビール(23.5ルピー)、ベジタリアンで野菜チャーハンとティーを食べた。宿で薬を飲んで寝た。体温38.5℃ ホテル名 ホテルパラダイス |
12月22日 | Dhanbad | 今日は休息。朝体温36.5℃、少し頭が痛む。 ボトルホルダーを鍛冶屋で直してもらう、無料。 ヒンデー英語会話集10ルピーで買う。 |
12月23日 | BHANBAD →BAGODAR |
レストランで食事して出発したら10時頃になった。駅前でパンクした、修理中ティとビスケットをごちそうになった。 国道の分岐点の大きな町で4時頃宿を探した、バンガロー(7.5rps)があり、最初fullと言われたが、子供が探しに行ってくれて、ツインの部屋に泊まれた。初めて簡単に部屋が決まったのでとてもうれしかった。 ここには、1年前「タカハシ」というサイクリストが来て、パスポートとエアーチケットを忘れたので隣町までバスで追いかけて届けた。と言っていた。 バザールでパンを探していると、製パン所がありとても美味しいパンを作っていた。野菜カレーを食べに入ると、クリスマス休暇の学生が沢山いて色々話した、ここはビハールで一番高いところで1000フィートだそうです。 蚊が多かったので蚊帳をかぶって寝た。 |
12月24日 | BAGODAR →ブッダガヤ 128km |
6時30分起床、7時40分出発。とても寒い、毛のシャツと雨具を着た。水筒のホルダーの調子が悪く何度も止まって修理した。 上り下りはたくさんあったが、全体的に下りなので楽だった。カーブの多い高原で道には人や車が少なく、もう少し道が良ければいい感じ。初めてミルクを飲んだ。思ったより早くR2からブッダガヤの分岐点に着く。ここからブッダガヤへの道は1車線の舗装道路で高級ツーリストバスも走っていた。ブッダガヤあたりは、2〜3階建ての建物がありよく分かった。チベット料理屋があり、量があり満足した。日本語を話す人が沢山いた。 |
12月25日 | ブッダガヤ | 見物。日本寺お坊さんとの話、建築材は安いけど(チークも大理石も)建築指導が大変だったとのこと。泊まるのは目黒の祐天寺で許可書をもらっている人だけ、3年前ヒッピーがガンチャを吸っているのが秘密警察に見つかったため。秘密警察はここに50人くらいいるとのこと。寄進の杭は、大は、10万、小は5万円とのこと。 寺の前には、バクシーシを求める人がずらりと並ぶ。端には、両替屋さんがいて、ルピーをパイサに変えてくれ数ルピーで全員にバクシーシできる。 日本寺のそばを象が歩いていた、写真を撮ろうとしたら振り向いた。小学校の写真、下校時。 |
12月26日 | ブッダガヤ →ササラン |
寝坊、断水、チベットレストランで朝食。 快調に進み、子供のやっているドライブインでチャイを頼む。このあたりでは茶の葉を入れたミルクを鍋で暖め布で漉している。2杯で1.2rps。 道はまあ良し、街に近づくとtourist lodgeの看板あり、すぐ見つかった。中華料理はないようなので初めてターリーを頼んだ、ご飯がいっぱいでびっくりしたが、まあ食べられる。サドルキャリヤーのひび割れ発見、フロントバックの破れもでてきた。本当に道がでこぼこなのでよく壊れる。 |
12月27日 | ササラン →ベナレス |
起床6時半の予定が7時30分、断水、ガスボンベネジ山壊れて使えない(この頃の製品はすぐだめになった)朝食パン・コーヒー。 8時20分出発、道悪し、25km走った所にあった、トラックの運ちゃんが食べてるところで、チャイとカレーライスを食べた。ショウガの漬け物が美味しかった。 後半、トラックが多かった、途中上下で1000台の停滞があった。 途中で食べた、トマトの中をくり抜き炒めたものが美味しかった。 このあたりでは女性も店をやっていた。ベナレスには、あっけなく着いた。 安宿か、普通宿か迷っていると、手配してくれた送ってくれたので、ツーリストバンガローにする。夜は、中華料理を食べた。 |
12月28日 | ベナレス | 5時半起床、観光バス(9.75rps)でガンジスのガトーへ。船に乗り日の出を見る。とても寒い。ガンジス川から靄がでていた。 宿に帰り、葉書を書き郵便局から発送する。お釣りはガイド本の通りごまかそうとする、さすがだと思った。 昨日の中華料理屋に行く、味はよい。 |
12月29日 | ベナレス | 夜中に腹痛、朝吐いた。体調悪く中止を決めたら、急に状態悪くなり寝ていると、梅干しを差し入れてくれた。お湯に溶かして飲んだら、2時間で腸が洗われた。今なら梅肉エキス(梅丹本舗製)を勧めるが、本当に効果抜群でした。 |
12月30日 | ベナレス → アラハバード |
朝食オムレツ・コーヒー・トースト(9rps高い) 8時半出発、すごくゆっくり走った。 初めて休んで、チャイを1杯、沢山人が集まってくる、自転車を勝手にさわらせるままにしておいた。 とうとうサドルキャリヤーがはずれた、溶接できるところに連れて行ってもらい、サドルキャリヤー(6rps)ボトルホルダー(6prs)で修理。(このときの溶接は、2000年6月現在OK) カップルのドイツ人サイクリストに出会う。カルカッタ・マレーシア・フィリピン・台湾・韓国・日本と回るとのこと。彼らは、インドは、プライバシーが無くプアーなので嫌だと言っていた。トルコはフレンドリーで大変快適な国だと言っていた(後日行って本当だと思いました) 途中ラクダ連れの人とすれ違う。この写真が一番好き。 街に入って宿探しに苦労した、3軒fullで高いけど(50rps)奇麗なところにした。良い宿で、蚊帳の用意もなく油断して、蚊帳を使わなかったので、刺されて眠れなかった。 |
12月31日 | アラハバード → FATEHPUR |
このあたりの道は、人もあまりいなくて静かでよい感じであった。 4時頃村に着いたけど,DAKバンガローは満員、他を探していると、泊めてくれるという人が現れた。あのドイツ人も泊まったとのこと。 この人は、詩人で、画家で、平和運動をやっており、自分も前年コロンボをサイクリングしたとのこと。 夜8時まで人が入れ替わり立ち替わりやってきて、なんだかんだと言ってゆく、本当にプライバシーなんて無いんだと思った。 夜言われたようにライトをつけて寝た。 |
1月1日 | FATEHPUR → BHOGNIPUR |
6時半に起こされた。自宅で朝食(油を使ったチャパティ)とチャイをごちそうになった。よく眠れて調子がよい。 途中で、R2からR72に変わった、ショートカットするする近道なのでトラックが多かった。道も狭く、舗装は、真ん中1車線で、しまったと思ったがしょうがない。 道路状況 全くだめ10% ダメ30% 悪い方30% 普通の凹凸30% 景色は非常に良かった。すてきな馬車と下校途中の小学生に出会った。 このあたりの子供は、声をかけてワット寄ってきておまけにモノを投げる。 街についてDAKバンガローを探したところ、分岐から500m右。離れの小部屋に案内された、子供が応対した。 |
1月2日 | BHOGNIPUR → SIRSAGANJ 150km |
朝お雑煮を作っていると、煮すぎて溶かしてしまった。 7時30分出発、クジャクが飛んでいたので写真に撮ろうとしたけどうまくいかなかった。 途中インド人が自転車で追いかけてくるのは本当に参った。途中にと殺場があった。チャイ屋で飲んでいると隣の人がご馳走してくれた。 DAKバンガローのあるべき街へ着くと、ドライブインのお兄ちゃんが食べたらここに泊まって良いよというので、木と縄でできた小さなベットの上で寝る。オールナイトのドライブインだったので夜中まで怒鳴る声がして、よく眠れなかった。 |
1月3日 | SIRSAGANJ → アグラ |
7時起床、チャイを持ってきてくれた。オムレツ・カリフラワーとジャガイモのカレーとても美味しかった。 8時出発。アグラ12時着。アグラホテルに投宿(35rps)。 馬車で、アグラ城・タージマハールへ行く。 宿では、バケツのお湯と、掛け布団があった。 |
1月4日 | アグラ → マットラ →(汽車でデリー) |
朝、風があった、追い風だといいなと思って出発。 雨が降り出し、一度目は、うまく雨宿りしたが、2度目の時は、雷まで鳴って、とても寒くなって、マットラ駅まで行って食事しても体が冷えて、明日も雨が降るかもしれないと思い、飛行機の再確認も必要だと思い、デリーまで鉄道(輪行)で行くことにする。デリーの宿はリキシャが連れて行った3軒目のところ(2泊で110rps) |
1月5日 | デリー | 英字新聞の天気図を見ると、もう雨は降らないようだし、(北から南へ雨は移動)用事(リコンフォーム)を済ませれば、翌日サイクリングができると思い列車の手配などする。 |
1月6日 | デリー(汽車で)→ マットラ → デリー |
7時30分デリー発→9時50分アグラ着 10時30分アグラ発 デリーに近づくと車線が増え、街路灯も明るくなった。タイヤから空気が漏れていて途中で何回か、交換したり、修理したが原因不明。 22時インド門着 そのまま宿に行き、預けていたバッグを受け取って、オートリキシャで空港へ、しかし、安かったが、運転手が道を知らない時間がかかってヒヤヒヤした。 |
1月7日 | デリー→バンコック (タイ航空) |
飛行機2時間遅れ、バンコクではマレーシアホテルに泊まる。 |
1月8日 | バンコク → 成田 パキスタン航空 |
買い物などして、過ごす。汁ビーフン(50円、1982年)(2000年は、30円)出国税50バーツ(500円) |