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button スクール・ストッキングの時代

ブログ「クローゼット・ルーム」で好評をいただいたのは、「スクール・ストッキングの時代」という三回にわたる記事でした。
そこで書いたものを含めて、女学生、女子生徒の重要なアイテムだった黒いストッキングについてまとめてみました。


女学生の時代


高畠華宵「春の丘」

高畠華宵(1888-1966)は、少女向け雑誌や婦人雑誌などに挿絵などを書いていた画家です。
画像は「春の丘」 と題された『少女画報』(昭和4年)の口絵です。







以前、昭和16年『女学生記』という映画を紹介していただいたことがあります。Youtubeでは『Schoolgirl note』の名で載せられているそうです。

女学生を描いた小説や映画で印象的だったのは、話し言葉と話題です。テヨダワ言葉を使い、詩など文学の話題をする女学生の姿は快活さと上品さがあります。
テヨダワ言葉も発生当時は「荒々しい」「品のない」ものとされていたそうですが、いつからか都会の若い女性の標準的な話し言葉になりました。
そういう女学生はいつまでいたのでしょうか。

女学生向けの雑誌は『女学生の友』で。1975年から『Jotomo』と名前を変え1977年まで出されていました。 後継の『プチセブン』は私も見たことがあります。そしてそれも世紀が変わって消え、女学生から、髪を染め、セーラーからブレザーのJKの時代となります。

でも、女学生は消えていないと思います。都内のあちこちで昔ながらの女子生徒を見ます。先人の理念を大事に日本女性の美徳を守り続けていってほしいものだと思います。

スクール・ストッキングとは

大正時代の小説、吉屋信子『花物語』には女子生徒のストッキングの描写が見られます。

  群青色のスカートが風にそよいで、黒いストッキングの細やかな足首が痛々しそうに潮風に吹かれる。

これ以前のことはまだ見ていませんが、女子生徒の紺の制服に黒ストッキングの組み合わせはかなり昔からあったようです。

紺のスカートと黒ストッキングの組み合わせは、1990年代半ばまで続いていました。
「女子中高生用」「通学用」と記された黒のストッキング(スクール・ストッキング)が売られていたのもこの頃までで、知る限り今はもう姿を消しました。中身はウーリー・ナイロンの安価なものでしたが、サポート・タイプもありましたし、その前の時代はシームレス、さらにはフル・ファッションもありました。
なぜわざわざスクール・ストッキングを販売していたのか分かりませんが、大人のものだったストッキングのハードルを下げて買いやすくし、ストッキングを普及させるためだったのかもしれません。


















消えた理由ですが、一番はファッションのカジュアル化という大きな流れだと思います。決定的だったのは90年代半ばの「なまあしブーム」だと思います。これで一気にストッキングへの関心が薄れました。むしろ否定的な見方が主流となりました。
私が中高生時代を過ごしたのはこの時期で、スクール・ストッキング最後の世代と言えるでしょう。

紺のセーラー服と黒ストッキングの相性

私は中高六年間私立の女子校で過ごしました。冬服は黒ストッキングが指定でしたが、特にデニールだとか「肌が透ける」とかの決まりはありませんでしたから、薄手のストッキングからタイツまで様々でした。

タイツ派は、ストッキングは「寒い、脚のシルエットがもろに出る、破れやすい」、ストッキング派は、「ストッキングの方が軽くて動きやすい。脚がきれいに見える」が主な理由でした。

私は、特に高校時代、ストッキングしかはきませんでした。理由は、やはりきれいだからです。制服は紺のセーラーで、黒のタイツは服とのコントラストが大きく脚が重く見えます。シルエットがべたっとして平面的です。ただ、今の制服は色が濃くなっていますので当時よりは黒タイツも違和感が少ないかも知れません。
もちろん悩みもありました。たしかにタイツよりは寒く、耐久性の面からコストもかかります。夏服のソックスと冬服のストッキングでは靴が1サイズ近く異なります。ソックスの時と同じ靴を履くとぶかぶかで歩きにくいので、中敷きを入れたりしていた頃もありましたが、夏用、冬用の靴を分けるようにしました。

ストッキングは、はく人や状況によって見た目が大きく変わります。脚線を引き立てる場合もあればその逆もあります。肌色よりも黒の方がその違いが大きく出ます。その差に気づいたのが、私の「スクール・ストッキングの時代」でした。






















上の画像は70年代~90年代「スクール・ストッキング」を飾ったモデルさんです。いただいた画像を私が編集しました。
高校時代はこういうのではなく、シア・ペーヌなどちょっと高めのをはいていましたが、きっかけとなったのはこういうパッケージの製品でした。

消えた理由は上に書いたほかに当時感じていたことがあります。

校内校外に黒ストッキングを忌避する空気がありました。特に他校の生徒からは「何あれ、ださい」と言われたことがあります。ちょうど「ストッキングはオバンくさい」と言われ「ナマ足」ブームが到来する頃です。
もちろん好き嫌いはあって当然ですが、きれいかどうか似合うか否かを自分で判断しないで、誰かが発信したことを疑いもしない傾向は今でも続いています。もっと強くなっているかもしれません。
再生回数何億回とかデビューする前から話題作りをし、本当にいいものかどうか考えもしないで、流行に乗り遅れまいとして、マスコミやネットを使った売り込み工作にまんまとはまりこんでいることに気づくべきです。そうでないと、自分の審美眼は磨かれません。真実を見る目も曇ります。

また、性的なものを感じさせるという声もありました。しかし、女性の身に着ける物は何でもそうなります。少女のセンシティブな神経を揺さぶって、標的にしているだけです。
たしかに、女性よりは男性の方が「スクール・ストッキング」に惹かれ、郷愁を感じている人が多いようです。急に大人になって遠い存在になった切ない思春期の象徴と見ている人が複数いらっしゃいました。でも、なぜそういう象徴になり得たかは、光と陰が織りなす繊細な美を発見したからです。大人の女性らしい肌と脚線の美を感じ取っていたからだと思います。女性美に目覚め、男性自身も大人として成長したのでしょう。
そういう経験を経ないと「女性を性的に消費」と批判されるイラストを描くようになるのではないでしょうか。しかし、自分のためだけにはくものではなく、「都市の景観」の中で日本的な美意識を育むことをも忘れてはいけないと思います。

原色ギラギラの目を刺すようなものを見ていると、そういう繊細な美意識を育むことができるのだろうかと危惧します。
ただし、風俗には合理的理由があるとは限らなく、時が経てば奇異に見えることもあります。もし私が女子生徒の黒ストッキングの復活を望むとするならば、理由はそこ、すなわち日本女性の繊細な美意識の再確認にあります。





靴とソックスのこと

ストッキングだけでなく、ソックスも印象を大きく左右します。ソックスの丈で全体の印象ががらっと変わります。膝丈のスカートには三つ折りのソックスが一番きれいだと思います。足元が重くならないように、折り返し部分が厚くならず、くるぶしの少し上にくるように気を付けたものです。

私が現役の頃も今も靴はローファーが一般的ですが、かつては画像のようなストラップシューズもありました。子供っぽさがあるからでしょうか今はすっかり見なくなりました。甲からすねまでのラインがきれいに見えますから見直されてもいいのではないかと思います。靴下は、やはり薄手の黒ストッキングか白の三つ折りソックスが合うと思います。クルーならカジュアルな感じのあるローファーがいいでしょう。
まだ販売されていますが、メーカーはもう少し細身のシルエットを考えた方がいいのではないかと思います。
 

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