『キリシタン司祭後藤ミゲルのラテン語の詩とその印刷者税所ミゲルをめぐって』 

近代文芸社、1998年5月20日、100頁、1500円。ISBN4-7733-6262-6 C0095


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 本書の執筆は、1621年マニラ刊行のキリスト教義書の中に印刷された「日本人司祭ミゲル・ゴトーのラテン語の詩」に対して、同じ日本人でラテン語を愛する私が大きな関心を抱いたことから始まる。1926年の石田幹之助氏による言及からこの詩の存在を知った私は、上記教義書を蔵するスペインのエスコリアル修道院図書館に手紙を書き、「ミゲル・ゴトーのラテン語の詩」を含むページの写真を郵送してもらった。本書の第1章では、これまでのキリシタン研究では知られていなかったこの詩を紹介した上で、それがラテン語の詩として極めて洗練されたものであることを確認した。さらにこの詩の作者である「ミゲル・ゴトー」は、1618年にマニラで司祭に叙階され帰国後背教して転びバテレンとなった後藤ミゲル了順であると推定した。そしてマニラ渡航以前の彼が日本で受けたラテン語教育が、詩作の練習を含む極めて高度なものであることを確認した。後藤ミゲル了順がマニラでラテン語の詩を書いたことは、これまでのキリシタン研究では一切言及されておらず、彼の詩作は日本人のラテン語受容という観点からも極めて興味深い出来事である。
 本書の第2章では、後藤ミゲルの詩を含む上記教義書の印刷者として名が挙がっている日本人「ミゲル・サイショ」の身元を追究した。1926年にこの人物に初めて言及した石田幹之助氏も、また1942年の幸田成友氏も、ミゲル・サイショの出自が全く分からないことを嘆いている。私は、1608年に薩摩で殉教したキリシタン武士税所(さいしょ)レオン七右衛門にミゲルという霊名の息子がいたことに注目して、九州に調査旅行を行った。その結果1984年に税所家系譜を発見した都城の史家児玉三郎氏の研究にもとづき、殉教者レオン七右衛門敦朝とその次男ミゲル敦吉の姓が実際に税所であることを確認した。私はこの税所ミゲル敦吉こそ、のちにフィリピンに渡って上記の教義書を印刷したミゲル・サイショであると推定するが、このことは従来の研究では全く指摘されていないことである。現在のところ上記の1621年マニラ刊行の教義書と1618年バコロル(マニラ近郊)刊行の殉教伝に印刷者としてミゲル・サイショの名が挙がっている以外に、このことを証明する史料は得られていない。しかし本書では少なくとも今の段階でこの推定を否定する材料が見当たらないことを示したつもりである。
 本書の最後には、1997年11月に都城島津家当主島津久厚氏の許可を得て同家所蔵の税所家系譜を写真撮影すべく同地を訪れた際の旅行記を付け加えた。薩摩最初の殉教者税所レオン右衛門が出身地の都城と殉教地の川内(せんだい)でいまなおカトリック信者の模範として生き続けていること、また彼の息子税所ミゲル敦吉の晩年の地高岡を訪れたことを書き記した。


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