9月15日(金)

10年振りに訪れる2度目の中国。今回は楽しいばかりの旅じゃない。「血の気」にはめっぽう弱いけど、戦時中のそういう写真や展示なんかもしっかり見て、いろんな人の話しも聴いて、又、初めて行く東北地方の匂いや空気を感じて来たい。

CAに搭乗。スチュワーデスさんたちの顔がちがうのを見て、なぜか安心する。(去年、ソウルへ行った時、大韓航空に乗ったら、昔々のJALみたいなイメージで美人のスッチ−さんが多かったけど、顔が同じに見えた!?ので)2時間40分の快適なフライトで北京空港へ到着。当たり前だけど、10年前よりずっと現代的。去年の終わり頃に完成したこの新しい空港、、、関空を出て、そのまま関空に着いたような、もうちょっと中国!らしい個性が欲しいところ。入国審査を無事終えて、出口を出て、迎えの旗?ボード?を探すが、それらしき人は見当たらず、出口付近はけっこうな人混みで、まぁ、言われた通り、しばらく待ってみようか、と、通路脇にかたまってもらう。フライトが早かったわけでもないし、おかしいな、と辺りを探してみるが、それらしき人もなく、何せ、お年寄りがおられるので、どうしたものかと思っていたら、渡部さん(週刊金曜日10月20日号に掲載されている中帰連の会員さん)が、「私が探してみましょう!」といきなり大声で「中気連〜、中気連の方はどこですか〜!?」とぐるぐる歩き回って下さったが、何の反応もなく、ここでも待たされるのか〜、と年輩者も多いのに〜、と思ってたところに、「日中友好協会」と書いたライトブルーの旗を持ったかくちかこを少しふっくらした感じの女性(王さん)が、「こんにちわ、王と申します〜」」とにこにこ現れ,「この旗じゃわからないでしょっ」と思わず、ぶっち切れてしまいました。何せ「「中帰連」の文字を探していたので。。。続いてどやどやと、女性、男性(陳維祥さん:撫順市外事弁公室 副主任)が現れ、会員の山岡さんが「お〜、お〜」とにこやかに肩を組んでおられるのを見て、その場はすぐに和やかな雰囲気になり、ほっとしました。やれやれ、あ〜、疲れた。

空港から市内への高速道路も前回はなかった。道幅の広さと、街路樹の大きさ、高さがダイナミック。古い家屋を撤去して、2008年のオリンピックに向けて、市内の環境整備の真っ最中で、新しいものと古いものがミックスしている不思議な風景だった。この勢いと迫力に、北京で開催されるだろうなぁ、と思わされる。車窓から見るどのタクシーもドライバーと横と後ろに仕切りがしてあって、ニューヨークと同じだけど?後で聞いたら、これは昔からだそうで、タクシー強盗防止のためとか。ホテルに到着後、2時間程度休憩。私達の部屋は天壇公園の見える8階の3人部屋。母曰く、東京でいえば、このあたりは、昔から芸人の多い浅草のようなところとのことで(ほんまかいな〜、でも確かにそういう雰囲気)、以後私達はここを「北京浅草ホテル」と呼んでいた。ちょうどシドニーオリンピックが始まった日で、ベッドに寝転び、中国語の放送をBGMに素晴らしいカラフルなオープニングセレモニーの画面に見入り、「どうやら、このツアーはすべてが一歩遅れるんやわぁ、イライラしたらあかんよなぁ」と、つぶやく。。ね?と聞き直すと、あ、父母は眠っている、、、チャイニーズタイムの洗礼を初めにしといて良かった。この夜、散歩した天安門広場近くの鋪道にあった柳のように、中国では、臨機応変、しなやかに行かないとね。

夕食は、東京組と合流しての「結団式」も兼ねて、ということだったが、東京組の到着がこれまた遅れて、フライトは順調に到着したが、入国の際に時間がかかったとのこと。大丈夫、もう慣れてます。東京組を待ちがてら、天安門広場まで行く。何かイベントをやってるわけでもないのに、何をするでもなくたくさんの人達が、広場にいるので、空港での無礼をお詫びしながら、いろんなおしゃべりをしつつ、一緒に歩いて来た王さんに「みんな、何をしてるんですか?」と尋ねてみると、彼女は、ばっと顔を輝かせて、「ここに来るのは、やっぱり、みんなの憧れ。何となく、ここに来てしまいます」だから天安門広場はいつも人でいっぱいなのだとか。毛沢東はやはり偉大で、現在も人気があるようだ。