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第3部 光の筋(1)

 朝里が向かったのは,ブラック・ビーンズというエスニック料理屋であった。この店は朝里の行きつけの店で,仕事の合間のアイドル・タイムによく利用していた。
 大通から一本奥に入った所にある店だが,シュロの木が目印で,店外も店内も淡い照明で彩られ,壁にはファニーな壁画が飾られ,洒落た作りになっていた。
 店内は昼間の客とは明らかに違う,若いカップル,酔い醒ましのサラリーマン,既に店がクローズした従業員などで,結構混んでいた。
 朝里は,あらかじめ電話をしてキープしておいた,店の奥の観葉植物で区切られた窓際の席に,光代をエスコートした。
「なかなか,いい店キープしているのね」
光代は,いつもながら手回しのいい朝里を誉めた。
「なかなか,いい店でしょう。ここは出城に使っているわけ」
朝里は自慢げに言った。

 朝里と光代は,仕事の上では互いに利用し合う関係にあった。朝里は営業の仕事をしている関係で,顧客が開発する新しいシステムや,機械のリプレースといった情報が必要であった。光代はイベント・コンパニオンとして,開発部門に接することが多かったし,光代が女で,コンパニオンという業務なので,クライアントは警戒せずに,生の重要情報を話してくれることも多かった。そのような情報が,朝里の仕事に役立つことも多かったのである。
 一方,朝里は営業として,いろいろな会社の購買部門に食い込んでいるので,イベント情報を仕入れる事が可能であった。それは,光代や彼女の事務所にとって,有効な情報であることがあった。
 もちろん,二人が,互いに情報を交換し合おうと約束しているわけではなかったが,暗黙の内に,お互いの仕事の手の内を明かすことが,自分達にとって有益であると認識していた。
 そして,二人の仕事が競合関係にあるわけではなかったので,マイナスになることは一つもなかった。
 朝里と光代が,相手に互いに愛を感じるといった事はなかったし,一緒にいなければ切なく感じるといった,感情もなかったが,クールな肉体関係はあった。
 二人のセックスが,互いにフィットするものであるという事は認めていたので,盛り上がれば,最後にセックス至るといった展開になる事もよくあった。

「ご注文は何になさいますか,朝里さん」
 中年のウェイターが,微笑みながらやってきた。ウェイターは朝里の顔なじみで,新しい女の子を連れてきたので,挨拶にやってきたのである。
 朝里はジャムティーを,光代はお腹が空いたと言って,サモサとソーダを頼んだ。ウェイターは光代に,これからも店をご贔屓になどと愛想を振りまいて,戻っていった。

「最近,景気はどうですか」
光代は,店員がオーダーしたものを運んで来るまでは,当たり障りのない話で,時間をつなごうと思っていた。
「まあ,ぼちぼちでんな。お宅はどうでっか」
朝里もそれは分かっていて,すぐに応じた。二人は,定番のセリフのセリフだったので,互いに顔を見合わせて笑った。
「明日は夕方から営業が入るのよね。だから,今晩はヒマなの。貴方はどうにでもなるんでしょ」
光代は悪戯っぽく笑いながら言った。
 光代の言うように,朝里の営業は,結構いい加減なものであった。昔は,会社に出勤する事が義務づけられていたが,そんなときでも,朝,少しでも顔を出せば,後は姿を消しても怪しまれなかった。今は,もっと個人裁量が認められているので,会社に行かなくても済む。
 営業ノルマをこなしていれば,誰からも文句を言われる事はない。極端に言えば,月初めに,その月の営業目標をクリアしてしまえば,後は何もやらなくてもいい分けだし,期末に半期毎の目標をクリアしているときは,仕事を次の期に繰り延べる,といった操作もするわけである。
 もちろん,営業ノルマがこなせないときは,地獄の苦しみを味わうことになるし,それで辞めていく営業マンも沢山いるわけで,決して甘い仕事ではない。しかし,朝里はノルマで苦しんだ事は一度もなかった。朝里は,別に立身出世を望んでいるわけではないので,営業成績も上の上である必要はなく,上の下か,中の上であれば十分なのであった。
「ここ数ヶ月は,明らかに上向きね。イベントも増えてきたし,イベントにしてもお金をかけるようになってきたし,手応えを感じるわ」
光代は商売の話なので,まじめになっていた。
「そうなんだ。俺のところも最近仕事が増えてきて,上の方じゃ,今,人を増やそうかどうか悩んでいるらしいんだ。ホントに景気が上向いてきているのなら,会社を大きくするチャンスだけど,空振りしたら後がこわいからね。俺には関係ないけどさ」
当たり障りのない話をしているうちに,アルバイトのウェイターが注文の品を運んできた。

「その17万円の娘だって,バブルの頃なら,一晩にそれくらい稼ぐのは分けなかったでしょうに,気の毒な事ね」
光代は本題に入ってきた
「でも,バブルの頃なら17万じゃなくて,170万だろ」
「確かに」
光代はソーダを飲みながら言った。
「彼女,SMとかもやったと思う」
「さあ,どうなんだろう。いろいろやってみたと言っていたから,やったかも知れないけど,道具も何にもなかっただろうから,どうかな」
「朝里さんは,SとMどっちなの?」
「俺?さあ,どっちなんだろう。Sかも知れないな」
「やっぱり。そうだと思った」
「でもSはSでも,サービスのSだよ。俺は,女の子に徹底的にサービスするのが好きなんだ」
「なあんだ。でも,合ってるわよ。とにかく女の子をいかせたいんだ。じゃあ,私はMね」
「いじめられると,気持ちいいわけ?とても,そんな風には見えないけど」
「私のMは満足のM。朝里さんにサービスしてもらって,満足するわけ。いいでしょ。私たち,実はSM関係だったんだ」
「そんなのありか,それなら,俺は誠心誠意のSだよ」
「じゃ私は,”もっともっと”のMよ」
2人の掛け合いは延々と続き,最後に,光代の,切りがないからもうやめましょう,という冷静な一声で,終了した。
 2人は笑い合い,お互いのグラスをかざして乾杯した。2人の夜は,始まったばかりだった


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