平成12年9月24日掲載

 

ハイ・センスな遊び (1)

かつて私が主宰した俳句雑誌『坩堝』を去るに当たって残した一文です。下手ですね。若気の至りです。今ならこの十分の一くらいで黙っちゃいます。でも、これも自分史のひとつ。今、俳句をやってみようかとお思いの方の参考になればと思い採録してみました。なお、言葉遣いを少し柔らかにしてあります。大筋において変わりはありません。平成3年夏のことでした。

学童俳句に応募するハイクを見て欲しいと言って近所の子が来ました。かわいい作品が数句。立派な俳句予備軍です。お見事と誉めそやしたのですが、その中に
  月が出た僕のお家の上に出た
と言うのが有りました。まるで炭坑節じゃねエかい?と言うと彼、違うよ、あれはツキガデタデタ・ツキガデタ・ミイケタンコノ・ウエニデタ、僕ンのはツキガ……と真剣に指を折ります。季語があって五・七・五だから僕ンのは俳句、炭坑節は七個も余計になっちゃうじゃない、というのです。
ンなこと言ったって盗作っぽいのは良くないし、いまどき七個どころか十個も十五個も字の多い俳句だってあるンだぞ、とは、子供相手に大人気無いので言いませんでしたが、彼が帰った後、ひとしきり、有季定型にこだわることになってしまいました。
有季定型は俳句の大原則です。また、それがあるからこそ俳句は詠み易く、そして読みやすい。俳句を創作するのに誠に手軽でたやすい手がかり、足がかりなのです。そしていずれは、大きな重量感をもった手かせ・足かせとして俳句人に迫ってくるもの……。
私は今まで無季非定型を容認する立場をとってきました。むつかしい理屈は今はおいて、広い世の中、必然の無季、過音・欠音俳句が生まれることが無いとは誰も断言できません。かたくなに有季定型以外を排斥するのは、それこそ、大人気無いと考えたからです。
では、無季はともかく、過音・欠音・破調等、何処まで容認出来るのでしょう。

  陽(ひ)・へ・病む              裸  木

  とつとう鳥とつとうなく・
    青くて低い山・青くて高い山        一碧楼

先は短律俳句、後は長律俳句、共に俳句的リズムが純粋であると言われています。中点は私が便宜上付けました。
小さく、あるいは大きく三分割された発想は確かに俳句のものです。でも、ここまで行くことも無いでしょう。私としては、せいぜい一・ニ音の過不足に対して目をつぶりたいところなのです。勿論、定型への努力を尽くしてなお、の必然性が無ければ、十分頷くわけにはいきません。

虹消えるまで城跡にたたずめり       富美子

七・五・五の構成です。虹が消えるまで 城跡にたたずみました と言うことで、七・十とも見えます。あるいは
  虹 消えるまで城跡にたたずめり
古城上空に動くことなく、消えるまで立ち尽くす虹よ、の思い入れがあれば、二・十五の構成ともいえます。ま、そこまでは……。
それでは、城跡に虹消えるまでたたずめり としたらどうでしょう。きっちりと五・七・五に区切れて立派な定型です。だが、一本調子でなんとなく物足りぬものを感じます。やはり、上句、虹消えるまで、に必然が存在します。この時、作品は、定型を否定し、完成したのです。

俳句は詠み手ばかりが苦労するものでは有りません。読み手も苦労し、味わうべきもの、と言う信念が、私を無季非定型容認の姿勢を取らせました。しかし、先人が残してくれた有季定型という宝をフルに活用しない手は有りません。勤めて有季定型に傾倒して下さい。究極の選択として、それなりの苦労もいとわない覚悟で。

(つづく)


平成12年10月8日掲載

ハイ・センスな遊び (2)

俳誌坩堝の主宰・選者として14年、何時しか先師臥竜師の在任期間を超えました。この、選評欄とも言うべき『火格子』もともにありましたが、その間、「取れない理由」について触れたことが一度も無かったように記憶しています。懸命に創作された作品が日の目も見ないで終わるのは無念至極なことです。しかし、一顧だにされなかったということは決して有りませんでした。多くは私の脳の中を通過してしまっていますが、良心に誓って、有る時間、しっかり脳裏に止めておいたはずなのです。結果的には、水子にも似た没作品はおおよそ30000句にも及ぶのでしょうか。
大体俳句作品と言うものは、作者が何ものかを見、聴き、触れ、感じたことによって生まれたものですので、俳句自体は作者、つまり『私自身』と言えるもので、その作品に対し他人がとやかく批判を下す余地は本来ないのです。処が、俳句作品の発表を意図した瞬間から、作品は『これが私』と言う自己顕示から転じて、『私のこれ』と言う自己主張を始めます。鑑賞する側からすれば、個々の『私』に対してはなにもいうことは有りませんが、個々の『作品』に付いては相応な一言・二言が生じます。つまり、出句された俳句作品は、ハナから批評・批判の対象物としての運命を負っているわけなので、それを押して、自己主張を企てても先ず通ることは無いのです。
私はかつて、未発表の作品を俳句、それ以外のものを俳句作品もしくは作品と言おうかと真剣に考えたことが有りました。殆どばかげたことですけれど。何故かと言うと、どんなに没になろうが俳句は俳句、私の頭の片隅で、作者の手のひらの中で、そう言った作品ほど殊更にナイーヴに、殊更にシンプルに、自己顕示をしつづけるからです。ただ、発表を志す以上、選・批判には甘んじなければならないでしょう。その上での飽くこと無い作句・発表活動を望んでいます。
14年に亘る『火格子』の最終回に当たって、愛すべき没作品の、取れなかった理由の幾つかを申し上げてお別れをしたいと思います。
私は俳句を遊びと何時も公言しています。誰がなんと言おうと遊び、それも、心の遊び、と居住まいを正すより、言葉の遊びと言いきりたいのです。但し、その遊びにも、おのずからなる節度が存在するのは当然の事です。機智は往々にして節度を越えますが、真の知性は節度を心得ます。
言葉の遊びとは言い条、言葉にあそばせてもらう、と言った謙虚さが、節度有る言葉の遊びを成就させてくれるものと信じています。
かつて、スギカキスラノハッパフミフミ……と言う大橋巨泉さんの機智に溢れた文言に舌を巻きましたが、この言葉遊びはしかし、言うまでもなく節度という点で問題になりそうです。
さて、俳句における言葉遊び、いったいどんなものなのでしょうか。
  
  大晩春泥ん泥泥どろ泥ん       永田耕衣

この句、眠りや陽気や世相や、すべてを包含して、生き生きと言葉が遊んでいます。ただ単なる言葉の面白がり、作者ひとりの面白がりとは違います。
私は永田さんを、言葉を自在にあそばせる天才と思っていますが、この永田さんと少し味わいの違う作家に加藤郁乎(いくや)さんと言う人が居ます。この方の場合は、考証が行き届いた理知的な言葉遊びが魅力的です。タイプの違うこのお二人に共通して言えるのは、、物を言っているのは作品の中の言葉ではなく、句全体から立ち上る作者の心が、ものを言っているということです。単なる言葉の面白がりとは違うということです。

   筍剥くだんだん申し訳なく候
   陽気の気牡丹の丹のうすけむり
   若竹の面目さやさやさやさや

この作品は没作品では有りません。私が特に敬愛する仲間の作品ですが、句句の生命と思える個所が、面白くもあり、面白くも有りません。読み手たる私に、有りがたくも大きな苦痛を与える個所でした。今後、何年か掛けて、じっくり味わって見たい、私だけが貰った有りがたいご馳走でした。

(つづく)

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