平成13年9月30日掲載

帰去来(かえりなんいざ)

 

静謐に置かれ寒夜の原稿紙

父の忌に就きて母の忌凍てきびし

街の鴉凍ててさびれて誕生日

泪目を診て薬屋は春を病む

女童が欲し妻に似し雛を購う

青菜茹で男が悶ゆ厨事

歯抜け鶏草抜く我へ美く謳う

春の嶺幾重を数え疲れおり

春の雷境涯の銭白むなり

花万朶われに貧しき句と妻と

早わらびや翳れば冷ゆる空リフト

幾万の蘂らが淫す菜種梅雨

梅雨の薔薇時に火と炎ゆ吐息なす

額の花指能く反らせ人の妻

まほろばの信濃青柿照りに照る

虚しさの真ん中に置く水中花

姨捨はいずこも代田重なる雨意

野苺や夜はぬばたまの星殖やす

白蓮を圧して重たき風の疵

胃の中の迷路むらさき巴旦杏

さるすべり亡き児へめぐるオルゴール

百日紅そだてて細き父の脛

博ち合って白きわらいや竹煮草

目に口に薬をひさぐ暑さかな

踏めば匂う夏野の草の中の風

風鈴も狗も舌長腎虚な日

真帆白帆生涯不犯僧の汗

泣きし子の遠目に揺れつ女七夕

被爆日の西日が灼く自動販売機

盆の雨小声にあばく花の束

血の足らぬ耳に痺るる終戦忌

文書くやさらに狂えと灯取虫

棒に振る振らぬ一生灯取虫

母がいる闇よりつぶて灯取虫

せんぶりの一叢刈られ昂ぶる嶽

露佛痩せ孤高一途の秋に入る

家相見の声筒抜けに秋に入る

かまどうま這う道程を目病みけり

秋の蚊帳妻の遠耳許し臥す

秋灯下貧しき肘の垢殖やす

爪を透く血の露けさに一人おり

大花野駅より駅へ雲渉る

鐘匂う花野来る雲離る雲

山寺や大悲遍照はぜ紅葉

杣の声深谷になだる早紅葉

酔いざまの父に似どっと西日落つ

草の罠枯れそむる吾が踵かな

星流れ枯れ山の土匂い出す

帰去来母に秋草うずたかし

杣のシャツ彩なせば山枯れはじむ

初時雨恋の指先紅く染めむ

やや寒の玻璃の山影蝿が攀ずる

霧へ行く霧の重さを計らむと

 

                  昭和52年 坩堝1月号より 


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