平成12年9月17日掲載

風の盆あれこれ

  参りましょうか…
地かたの先達さんの一声。息の合った三味と胡弓の音が流れ始め、地かたさんの
  ヨッ 
という掛け声が切っ掛けで伸びやかな地かたさんの囃し歌
  うたわれよォオわしゃはァやすゥ
それに続いて
  そろたそろたよおどりこがそろた
越中・婦負(ねい)郡八尾(やつお)町。音に聞く越中おわら・風の盆。
男性の振り絞るような甲高い声の唄が続き、併せて男女の舞子が踊り始めるのです。
紅緒の草履と雪駄が地を擦り、時折入る手拍子と地を叩く足音のみが静かに移動します。『風の盆』の踊りです。
ちょっと古びた公民館前の広場。輪踊りを見守る人々はそれこそ鈴なり、しかし粛々たるものでした。やがて踊りの輪は列となって町筋へ移動して行きます。町流しです。

越中おわら・風の盆。この催しは可成歴史も古く、また近年の町おこしブームにも乗ったかして、毎年秋口になると新聞・テレビなどで必ず話題にになり、好もしい形で取り上げられています。軽々しい言い方で失礼ですが、何かそそられるものがあり、一度は見てみたいと思っていましたが、念ずれば通じるところが有るらしく、二回も八尾行を果たしてしまった私です。

先ず平成七年。八尾に入ったのは9月1日、正午を廻った頃。折から、台風の余波を受けて町は厚い雨雲の下、次第に雨意が募って、そぼ降る状態からどしゃ降りの雨に。大体が二百十日の厄を払う事から始まった風の盆、そんな事は地の人々はハナから承知の事でしょう。でも、何も知らぬ旅人は、選りに選って何もこんな季節を選ばずとも、と言いたくなります。同行の中からそんな声もちらほら有ったのも事実でした。とっぷりと日も暮れました。雨が降っては三味線も胡弓も踊りも、町流しは出来ません。諦めかけた7時頃、雨が止んだのでした。たちまち、町のあちこちから上がる哀調を帯びた三味と胡弓の囃子と伸びやかな唄、そして踊り。事前の知識を超えた、まさに絶品としか言いようが無い、というのがこの時の実感だったのです。
華やかな揃いの衣装に絹の喪の帯、紅紐をきりりと顎に結んだ綾藺笠、紅緒の草履。娘さんたちの可憐で美しいこと美しいこと。男性は地味目な漆黒の、しかし生地は羽二重、なんと一揃い40万円という法被、股引姿。いなせです。踊りと言えば、良く見られる、腰をかがめてひょこひょこ、という民謡踊りとは異なり、殆ど座敷踊りに近い振り付けで、上品な色気に満ちています。対する男性の踊りは大ぶりな手足の動きと、瞬時、揺らぎそうな体勢の侭の静止を見せる、いわゆる男踊り。静と動の間の宜しいこと。豪快で繊細なのです。哀切な三味線、胡弓の囃子、そして唄と相俟って、美しく優しい情念の世界に見る者を曳きこまずには置きません。ですから、祭りに付きものの酔っ払いが居ない、見えないのです。多分、酔いが覚めてしまうのかな。私には珍しい事でした。
いい年をしたおじいさんが憑かれた様にあの連この連を求めてさ迷い歩いて2時間、帰りますよォ、集まってくださァい、の声に吾に帰って。
面白かった楽しかったの思いが、絶った筈の俳句へ向かわせていました。帰りの車中から次々と涌き出るように句が生まれます。久々に感じた作句の楽しさでした。後段の『八尾旅情』がそれです。でも、決して自慢にならない。既に俳句の筆を折って4年が経過していましたが、俳句活動に返らぬという自分への約束は一生ものでしたから、この掟破りの作品たちは思い出と共に自己満足の紙切れとしてノートの奥深くしまい込んだのです。

3年が経過した平成10年。降って沸いたように八尾行の話が持ち上がりました。一も二も無く決定、そして9月1日、暁闇の中を車は北陸路を越中目指して走っていました。今度は時間の自由が利く友人の自家用車の利用でした。疾走4時間、こんなに近かったのか、と驚くほどの早朝の到着、それから八尾の坂町、細い路地、神社仏閣を経巡った後、お目当ての、冒頭の公民館に。既に踊り連の出を待つ観光客で一杯。
この公民館は前回八尾に入った平成7年、TBSのキャスター、桜井良子さんが取材したところで、既にオンエアされていたことから人気のサイト、いや場所になっていたのです。
広場から一段高い神社に続く石段に座を占めました。隣に、群馬から十数年、一度も休むこと無しにこの町内の娘さんたちの追っかけをやっているというご夫婦が居ました。興味を曳かれてお話を聞いて見ました。8月31日に八尾へ入り、9月4日に帰宅、寝泊りはワゴン車の中、病気ですね、といって笑います。
しかし、その笑いの中での奥さんの話が一寸辛いものでした。3年生の時から写真に撮りつづけているこの町内のお嬢さん、今年は高校三年、来年は進学するそうで、
 あの綺麗な花色のそろいの衣装で踊るのも今年が最後なんですよ…
見ると涙ぐんでいるのです。
 オイ
ご主人がたしなめる様に袖を引きます。
 いっそ、嫁さんにしちゃえばいいのに…
 いや、そうも行かないスよ、それにわし等子無しなもんでね、ガハハッ
何時か目の前に浴衣姿の少女が立っていました。
 いやァ、○ちゃん…
カメラを手に立ちあがったご主人,少女と連れ立って公民館の方へ向かいます。そして折々立ち止まってはパチリ,パチリ。笑って見ている奥さんに聞きます。
 新しい被写体?
 去年からですよ。大柄だけどまだ年長さん…
 ヘェ。良かったですね
 なんだか。でも私ら子無しだけどここへ来れば息子も娘もイッパイ…
凄い。そう言えば,観光客擦れといったら悪意に満ちるけど,押しなべて青年男女,人当たりが良く,優しいのです。
 若い衆もみんな良い子たちですよ。お爺さんもカメラ持ってる。病気が移るって
 いや,確かに病気になりそうだわこりゃ
 イッパイいますよそんなのが。あの人宮城の人。何時も一緒になるよ。アハハッ
終わりに笑って貰ったのが救い,のような切ないような。風の盆の魔力としか言いようも有りません。桜井さんが気合を入れてのめり込んだのも不思議ではないのです。
連の出を待つ間を終始八尾のあんな話こんな話で過ごします。情報収集の時です。このご夫婦は祭り日以外の八尾にもきているらしく
 ホントは普通の日の八尾の方が好き。ネェあんた?
何でか?何で普通の日が、と尋ねようとしたとき,公民館から人々が。そして
   参りましょうか
が始まったのです。

輪踊りが終わって町流しが始まります。例のご夫婦の姿はもう影も形も有りません。私もそろそろ他の町内会の踊り見物に出ます。ホッとした,というのが実感でした。その私の耳にはまだ三味・胡弓の音色が残響のように,残っていっこ無いけど,そんな感じ。
実は私,3年の間に,可憐な舞子さんへの執心をおわら節の音曲の方へ変えてしまっていました。3年前買い求めた観光協会製作のビデオ『おわら風の盆』,何度か見聞きする内,音曲が絶品だぞ,の思いが強くなってしまったのです。先ず唄を覚えようとしたのですが,歳のせいか何度聞いても歌詞が分からない,歌謡曲の発声法では民謡は無理だ,と言うことで早々にあきらめました。じゃ三味は胡弓は、といったってそんなもの出きるわけがありません。とにかく聞くだけ。踊りは目を見開かねばなりませんが音曲は目を閉じていても聞くことができます。何の事は無い、早く言えばものぐさができると言うに過ぎないのですが。
何でだろう、妖しいまで人を曳きつける声と楽器の音色。風の盆の紹介の中で必ず胡弓については『哀愁を帯びた音色』と紹介します。目を閉じて聞くとそんなでも無いんですよ。軽快で時に豪壮にも聞こえるのです。大体が民謡そのものが陽性な節回しなんです。何でそれが『哀調』になっちゃうのか。多分それは、胡弓という楽器への先入観からなのでしょうね。それと,美しく,爽やかな男女の踊りがともに有って、否応なくあまやかな情念の世界へ引き込まれる、そのことが影響しているのかも知れないのです。
本当に美しいもの,本当に爽やかなものに接した時,ふと涙ぐましくなるなんて事、ありませんか。この辺の事を友人に聞いて見たら,呆れ顔で
 ンな事,考えたこともねエよ
と一笑に付されました。
 おまえさんは俳句の先生だからそんなバカなこと考えるんさ
 あァそうさ、どうせ俺は俳句のバカ先生さ

雑踏がふと途切れた時、異様とも思える程のしじまが生まれます。そんな時でした。チャラチャラと澄んだ水音を耳にしたのです。
八尾は坂の町、そこに家々が並び立ちます。隣の壁に屋根をぴったりくっつけて。屋敷の境界争いなんて関係無い。これは豪雪地帯の生活の知恵なのです。その家々の軒下を音立てて、時に激しく、疎水、エンナカが流れます。かつては生活用水だったでしょう、防火にも一役買っているはずです。雪の多い冬は融雪溝にもなるでしょう。
私の耳に入った水音は、そのエンナカを流れ落ちる水音だったのです。そして私ははっと思い付いたのです。
ギターの名曲「アランブラの思い出」は、アランブラ宮殿の内を流れる水音をモチーフとして作曲されたと言います。その水音は流麗なトレモロで表現されていますが、私は唐突に、我が越中おわら節の三味、胡弓のメロディーは、八尾の生命の水、エンナカの水音から生まれたに相違無いと思ったのです。いや、信じました。異論があってもカラスの勝手、思いこみは私の自由だ、とばかり。でも、再び友人に話すのも一寸気恥ずかしく、又おちょくられるのもシャクなので胸深く思いを押さえ込んで。さて、そう思って聞くと三味も胡弓もエンナカの水音に良く乗り、良く流れるのです。
してやったり!365日、休むこと無いエンナカの水音。これこそ八尾の人々の生活音。永い間にこの水音が知らず知らず曲のテーマになったとしても不思議は無いはずだ、違ってたって思うのは俺の勝手だ、カラスの勝手カラスの勝手
 かぁらぁすぅなぜなくの…
思わず口ずさんで慌てて口をつぐんだ私でした。
それからの私は必ず水音立てるエンナカの傍らで舞いを楽しみ、おわらの調べを楽しみました。そして、今度来た時は、かみさんと二人、このエンナカをまたいで立つんだ、と誓ったのです。

午前1時。
 有難う御座いました。これで本日の踊りを終わります。
町内会の役員さんからの挨拶。大きな踊りの輪から拍手が沸いて、輪がくずれて散って。虫のすだきが一挙に高まりました。秋愁。ことの終わりは何事も寂しいものです。俳句になるな、と思ったものでした。
この時刻になると観光客はグンと減るのですが、でも相当な人数が、見物ばかりでなく、踊りの輪の中にも入っていました。私も帰路につきます。
実は、これからここの人々のお楽しみ、客に見せる舞いでなく、自分たちが楽しむための舞い、実にひそやかな「夜流し」が始まるのです。それを見たかった。でも、そこまでしては土地の人々に迷惑でしょう。仕方がありません。
そして白じら明けのご帰館。俳句はとうとう出来ず仕舞いでしたね。

あれから二年が経過しました。
9月も半ば近く。八尾は風の盆も終わり、また来年への「風の暦」が、既に何枚かめくられているはずです。私の三度目の八尾行はちょっと難しくなりましたが、風の盆は来年も来ます。世に何があろうと、八尾の町が存在する限り、わが越中おわら・風の盆は、あの妖しい魅力で人々を魅了し続けるのでしょうね。

      平成12年9月


 

    八 尾 旅 情

 

   風  の  盆

降る雨もさやさや風の盆ふかし

人ざいに雨やひねもす風の盆

風の盆婦負の山波雨づいて

秋霖雨八尾坂町唄の町

大厄日西より晴れて風の盆

青山河いま暮れなずむ風の盆

町裏のにわかに暮れて風の盆

 

   浄 円 寺 坂

夕小雨八尾寺坂恋の秋

たまさかはおわらも通うみ寺坂

坂上に雨坂下は風の盆

坂上の胡弓が咽ぶ風の盆

遠おわら御魂石垣夕焼けて

遠おわら玉石垣を磨く風

川音もおわらも遠しみ寺坂

 

   夜  流  し

舞う胸の豊かに濡れて風の盆

綾藺笠風の鎮めの唇紅き

おわら泣くや紅緒に滲む厄日の雨

反る胸に甘き香の発つ風の盆

振る袖に来て青き雨風の盆

夜流しの嫋嫋たるへ星流る

夜流しやしばらくは地を踏む音のみ

町流し愛しや闇に曳く小秋

町流し厄日の坂を越えむかな

夢むごと夜流しに就き遊子なる

黒法被闇に紛るる風の盆

 

   帰   心

盆唄や男はロマンチストにて

帰去来井田の瀬しるき風の盆

遠おわら想いを近む別離かな

                  平成7年秋    


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