平成15年8月10日掲載

春から秋へ


あとかたもなく降ることに春の雪 

盆梅の古色に溺れ老いゆくか

細き目の来し方行方よなぐもり

孕み猫物憂き鼻を寄せて去ぬ

鳥騒の語を脳中に浅眠り

春の蠅書淫を稀にキリスト者

惜春の屑篭に投ぐ一句二句

豆腐汁吹いて灯下の春惜しむ

色便箋むかしひらりと惜しむ春

春惜しみおれば風聞麗しく

惜春やかつて酒場のママの指

森出でし風の無口や春惜しむ

子の恋のいつか雨づく春惜しむ

恋捨てしらしき子の部屋春惜しむ

おぼろまぼろしほねほねと月下の母

馬繋ぎ石に来し方芝桜

同行二人五月の闇と棲まうなり

恋人に雨意のぬくとき五月闇

闇こぼし堆んで煦々たり青葉木菟

青葉木菟あたら夜を○書いてゝ

梅雨前のあつき日にいて不善を為す

蒼ざめし河や水無月湧き流れ


  深夜隣家主人急逝 13句

救急車の紅灯が縒る梅雨の冷え

つゆ湿る酸素ボンベの黒が不吉

荒梅雨に沈む人工蘇生術

人が死ぬ悔しさ梅雨に撃たれいる

死児に添う母さながらに梅雨の妻

梅雨冷えの底の屍を抱く妻として

荒梅雨の小窓に向いて死者の足

ふさわしき声より集い梅雨の通夜

街なかをしかばね色に梅雨の暁

仏法にまとう俗臭梅雨の葬

ミニスカート闊達柩すり抜けて

梅雨おくつき眠り上手な仏たち

夏の風邪耳底深く鉦の声


逃げ水や美しき死を遠く近く

逃げ水に射すくめられし俄か目暗

柱為す蚊が支えたる赤提灯

街灼けよすずしきおんな住むからに

恋深くしてそうめんを啜りあぐ

金魚玉むかし香具師なる人の手に

あした飲む薬を数え夜短し

苞虫を抜けば灼けたる西東

俤や花十薬を見過ごして

暑ければ昂然と立ついぼむしり

血汐より濃き珈琲を冷やすかな

水菓子を音立て葬るのどぼとけ

夏柑の苦し同行二人老ゆ


  姪に与う 2句

清ら乙女メロンを抱きておさなめく

美し女の子メロンまみれに生きよかし


有りうべきことに咲きけりさるすべり

堂塔に寂たる呼応さるすべり

新聞紙繰る風を見き夜の秋

水切りのしばらく跳んで秋となる

大銀杏まだ青きまま人に秋

恋愛論途切れて九月寒く居る

古妻の声のくぐもる雨月かな

俳狂の狂がよろぼう十六夜

たとうれば独りは地獄十六夜

気安くて妻の秋思に背きいる

雪月花近目の蛇の行く手に穴

霧らうべきものなしつるべおとしの野

帰る鳥つるべおとしへ跳ね発ちぬ

帰心急つるべ落としに打たれいて

旅鞄つるべ落としへ重く立つ

木の間から木の間へつるべ落としかな

睡魔ふとつるべ落としの余命かな

墜道出でつるべ落としをそびらにす

星出でてつるべ落としを仄かにす

昭和60年度作品 


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