平成12年7月15日

 

信濃和紙

 信濃和紙。別にこういう固有の名称があるとは思いません。
長野県飯山市の一角に内山という地区があります。この内山を中心とした周辺一帯で生産される和紙を 内山紙 と称します。料紙、文房具ではなく、襖の地張りや障子張りに用いられる、いわば生活必需品と言える和紙です。近年、全国的に需要が減り、手漉き和紙の生産は衰退の一途をたどると言われますが、内山紙もご多分にもれぬところでした。
この内山紙の寒漉きの模様をどうしても取材したく、思い立って二月厳寒の最中、かの地を訪ねました。
降り立った駅は飯山線戸狩。近年開かれたスキー場のためにここまでは除雪するものの、以北は豪雪のゆえをもって列車は運休という、名にし負う奥信濃の豪雪地帯です。高い雪壁の間の道をたどって1キロ余り、家裏からもうもうと白い湯気を上げている一軒のお宅を訪ねました。目指す内山紙の紙漉きさん、高橋さんです。
アポなしの突然の、しかも初対面の訪問でしたが快く意に応じて頂き、しかも一日、紙漉きの殆どの作業を私のために示していただいたのでした。今にして思いますが、得がたい経験でした。
高橋家は重代の内山紙生産者ということでした。いかついお名前の先代・先先代、人懐かしげな当代はしかし、仕事に関しては一途な職人気質を堅持して居られたし、何よりもいまや伝統工芸の伝承者としての矜持が温和な言葉の端はしに見て取れました。
もうもうたる湯気は大釜で楮の樹皮を煮ていたのでした。薪は樹皮を剥ぎ取った楮のホダ。豆を煮るに豆がらをもってする、というアレで、すこぶる効率が宜しい。でも、殆どが手作業の手漉き和紙は決して能率のよいものでは有りませんでした。
楮(こうぞ)はこの地ではカズとも言っています。そのカズが純白の雪の上に大きく広く散っていました。雪晒しです。
工程の様々は今更語ることも無いでしょう。当節はテレビなどでよく紹介されています。しかし、寒中の手漉き和紙の作業は、聞きしに勝る苛酷なものと、認識を新たにしたことでした。
記憶に残ったのは、張り板に伸されて白く乾いた大きな紙が、ハリハリハリと音立てて剥がされた時。一面雪の北信濃の地を羽ばたく白い大鳥の翼とも思えたのです。このとき私は、この内山紙を 信濃和紙 と言うに相応しいと思い、タイトルに用いたのでした。
昭和四十九年、二十六年前の事です。ご覧ください。

かたくなに家継ぎ谷の寒を漉く
かたりべの谷に灯点し信濃和紙
カズほだを焚いてきらめく母の老い
ふね掻くや紙漉き老父重右衛門
漉きぶねの深処より発つ夕ごころ
漉きぶねに寒灯育つ黙地獄
楮煮る煙さえ愚直紙の村
楮たぎる越後境を雪の声
寒川に据わり楮の凍み溶ける
丁々と鳴る漉き桁に憑く日光
楮なめす水に乏しき灯を映し
楮洗う遍路の鈴を振るごとく
雪浄土髪金色に楮晒す
一寒灯うからいくたり紙砧
紙砧はたりと垂れる鶏の頚
鶏の耳朶赤し楮打ち唄息まぬ
楮晒す雪野に嵌める闇いくつ
生紙積まれて硲の雪の夜をしずる
一夜雪漉き屋にこもる生紙の香
寒灯をちりばめ信濃和紙漉かる
明るさや二月を犯し紙乾く
寒の紙白き稜立て干されけり
ふるさとや雪田斜めに楮晒し
楮凍てて天地有情の月昇す
紙漉いて積むや重たき時の嵩
夜雪してさぶしき化鳥信濃和紙

 


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