平成12年6月11日

無 形 文 化 財

 長野県須坂市から群馬県、万座温泉を経て草津へ抜けるルートが有ります。いわゆる万座道路、開通してまだ間もない頃、この道を通りました。目的は万座温泉への行楽です。当時は観光バスなどと言わず貸切バス、須坂市街を抜けて件の道に差し掛かります。とたんに舗装が切れてガタガタガタ、すかさず車掌が(ガイドなんて言葉はまだ有りません)
  「洗濯道路と申します、暫く御辛抱を……
 そんな時代のお話です。古くて恐縮。道路は尾根を蛇行して登る案配で、たまたま秋の事でしたから山紅葉の景は圧巻でした。未舗装の急勾配の山道に肝を冷やしながらも風景を楽しんだものでした。やがて長野、群馬の県境に差し掛かった所で車掌がアナウンスします。
  「この辺り、アチャとダンベの分かれ道……
 つまり、長野県の方言アチャと群馬県の方言ダンベの境であると言うのでした。方言の境としては厳密にはどうであろうかと思うのですが、県境である事には間違い無いし、アチャとダンベが両県の代表的な方言である事も確かです。そんなものかいな、と思ったものでした。
 さて、ダンベは知らずそのアチャですが、当時から僅か四十数年しか経っていないのに、今は殆ど聞くことも有りません。こんな面白い言葉が消えて行くなんて残念な事。
 ダンベは語尾を上げれば協調を求めるものになり、下げれば断定の意を表す、生活に密着したいい言葉です。対する長野のアチャは、あのネ、或いは、なアあんちゃん、と言う、言葉の頭に付く、遠慮深げな、挨拶に近い問いかけの言葉です。理屈っぽいと言われる信州人にしてはちょっと奇異なほど控え目です。このアチャと全く同じ用いかたをする言葉にオネが有ります。アチャとオネ、これは正しく兄ちゃんとお姉ちゃんです。始めは問いかけの挨拶として男性・女性に対して使い分けされていたものでしょうが、いつかその分別が無くなってしまったものでしょう。
 アチャとダンベも結構でしょうが、お姉と段平だったら、信州の乙女と上州の若い衆の恋の道行きみたいでいいな、と今、思うのですが。
 こんな優しい方言が既に私の身の回りからは消え去っています。辛うじて、私らのような老人が本家帰りしたかの如く、仲間が寄れば昔を懐かしんでか方言がポンポン飛び出す、という現象は、やはり方言を自前の言葉として持っているという誇りみたいなものを感じている証拠でしょう。ですから、違った土地の方言を聞くと格別の興味を持ちます。津軽弁などを耳にすると私など羨望と感動でいっぱいになります。真剣に、憶えたい、遣いたいと思うのです。
 外国語の勉強もいい。だが、自国のお国言葉、方言を理解する事も、大切にする事も、相互理解の為に必要な事ではあるまいかと思うのです。
 方言は国の宝といいますが、まさに無形の文化財なのです。
 地方の時代、といわれて三十年余り、確かに地方も大きな変化を遂げつつ有ります。しかし、社会主義が幻影化し、アメリカ形資本主義が浸透し始めて、今や地方は大資本の草刈り場と化しています。豊かな田園もやがてペンペン草一つ見えない、そんな未来がそう遠くないのです。それと共に、情感豊かな方言も、生活の都会化と共に消えていく運命に有ります。
 私は、そんな可哀相な方言の為に、ささやかな抵抗を試みる事にしました。
 方言俳句。方言を用いた俳句、それこそ生活に根差した文芸といえるのではないでしょうか。いまこそ、都会人に無い宝を見せ付けて遣りたい、地方を主張したい、そう思うのです。

 方言俳句、募集致します。方言に就いては解説を付けて下さい。面白い作品が多数寄る事を期待しています。

 ついでの事に身の回りの信州の方言二つ三つ。
 有名な方言として ズク が有りますが、これは精・元気とでも訳しましょうか。
 ズクを出す、ズクが有る、ズクなし等と遣います。恐らく 意気地なし の訛ったものでしょうが、ズクなし は 怠け者 の意味になります。

  「ゲエもねえ
 標準語ぴったりで 芸も無い、つまらんの意味です。

  「そんなに障子を ゲエにツメないで
 母や家内によく言われたものでした。同じゲエでもおおいに違います。
 そんなに障子を強く閉めないで。似たフレーズで

  「水道の蛇口 ゲエにツメろや
 意味はお解りでしょうが、この場合のツメは、しめはしめでも 締め になります。 

 

 

展示方言俳句について

盆三日 ごしたくなりし 仏たち

信州の方言で、疲れた、だるいなどをゴシタイといいます。

穏やかな極楽から一年ぶりの外泊許可を得て娑婆においでになった御先祖様達ですが、喧騒に満ちたこの世の暮らしは三日もすればもう沢山というところでしょう。

しかし、盆は楽しさに満ちた年中行事の一つ。出郷した者達が先祖をまつる口実に親兄弟に会うべく打ち揃って帰郷します。折から、子供らは夏休み。こたえられない楽しさでしょう。でも、それをもてなす親元は結構大変なんですよ。

ああゴシテ。トロッピョ トンでまわるチビたちを、 ヘシテ おっかけまわしてアスンでやるのも、いいとこ二日ってもんだニ。 もうツクヅクだニ。 ああゴシテエ。

もう仏様みたいな年寄りの、ぼやきでした。
        長野県          伊藤文緒   


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