平成12年4月8日掲載

「自作展示作品に就いて」

 

ボタンの取れたシャツじゃった 四月馬鹿

 昨年の事です。日に日に衰えて行く妻でした。肝機能が落ちていますので皮膚が猛烈に痒くなります。風呂に入りたがります。寒い冬は大変でした。でも彼岸を過ぎて路地の雪もあらかた消えて急に暖かさを感じる様になりました。この日は朝から風呂に入れてやりました。そして着替え。見るも無残な猛烈な痩せ。でもご本人は屈託も無く、「ねえ、一日一日良くなって行くみたいよ、大丈夫だから心配しないで」と言って笑います。当たりめえよ、こんなにしてやって大丈夫でなかったら俺がたまらねえ、と言いながら、やりきれない気持ちでした。いつ急変が有っても不思議でないほどに病状は進んでいたのです。間もなく、この世から消え去る人でした。これまでの6ヶ月、これからの幾日かを思うと悪夢としか言いようがありません。涙をこらえて私も着替え。シャツに袖を通してから気が付きました。ボタンが2個も取れています。こんなことは今まで無かった事。否応無しに、二人の暮らしが崩壊して行く現実。妻に気取られぬよう、悔し涙を隠して新聞の折り込みチラシの裏に書き付けたのです。4月1日でした。妻と私の身に起こった総てが、エイプリルフールの笑い話であってくれれば、とは儚いことでした。
 そしてその夏以降。友人知人、ご近所、子供たちが、私の為に常に癒しの日々を贈り続けてくれます。妻の居ない淋しさは有るものの、現在の私はそれなりに春風駘蕩の気分なのです。いわく

ちょっと寒くて 懶惰な春

 

春や昔光れば鳴りぬ母の鈴

 30年前の作品です。母の四十九日でした。日脚が長くなって家の中まで陽光が届きます。たまたま、母愛用の和鋏がその日差しの中に有りました。赤い糸で鋏に結びつけられた鈴が光を受けてチリチリと輝きを放っていました。それだけの事ながら、私の知らない、若く美しかった母から死に至る数年の母を一瞬の内に思った記憶があります。

鋏なの お使いな 爪 剪りなさんなや

 母恋いの句からはどうしても母のイメージが離れ難いのでした。結局、子供の頃の思い出に帰ってしまいます。 ダメダメッ、爪切ったら鋏が切れなくなるっ しかられたがりの子供だった、かな。

 

何にもないと思った時からはじまる秋

 25年程前の凡作です。ちょっとばかり思うようにいかない事があって、その小さな絶望感を大袈裟に言っちゃった、というヤツです。この凡句につけた俳詞、さて、どんな展開を皆さんは見ますか。感じた所を聞かせて頂きたいものです。今現在の私ですからそんなに素直では有りません。よろしく。


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