平成12年4月1日掲載

 

修 那 羅 行

 

  棲家を 歌枕姨捨に程近い と言いましたが、ホンの数キロの距離。家の前の道路に立って南方を見ますと山の中腹にJR篠ノ井線の姨捨駅を見ることができます。
 初回の今日ご紹介するのは、その姨捨から更に山中を10キロ程南に入った所に有る隠れた俳句の穴場への吟行作品です。初めて其処を辿ったのは中学生だった長男を引き連れてでしたからはるか昔の事になります。改めて今当時の作品を読むと、気負いの余りのつたない文章、発想の硬直が見える作品など、若かったなという感慨と、もう帰って来ない昔への愛惜の念がわいて来ます。忘れ難い思いを今に残す感動を得たのは確かで、この修那羅行が以後の句作に際しての発想の原点になりました。いずれにしても下手で馬鹿丸出しであっても、これはこれでこの時代の私で有る事は紛れも無い事実なのです。
1971年、昭和46年のことでした。

それでは....


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ショナラサン……。中南信では数多くの人々がこの名を聞いた事が有る筈。私も子供の時から聴き慣れていました。でも、敢えて訪れてみよう気はなかったのです。俳句を始めてからも時々耳目にする修那羅でしたが、真言密教のあやかしの雲が私の目の前に立ち塞がるばかりでした。それが突然、いってみようか、という気になりました。きっかけの一つに、竜胆の藤岡筑邨さんによる「青修那羅」四十吟がありました。なかなかに体の都合がつかぬままに半年余り、遂に六月十九日、念願を果たしました。同行は中学二年の息子ひとり。
 篠ノ井線おみ駅(現在の聖高原駅)を降りて真田(しんでん)行のバスに乗ります。他県の人々がよく言う通り、信州は余程の山道でも舗装されています。登りづくめの道を三十分程車に揺られて峠近く終点、でもこれは別にショナラさんの為に通じているバスではなく、終点近くに散在する牛飼いさん達の子らの為の、通学用のバスでした。間違いない赤字路線なのです。
 百メートル足らずで目指す修那羅様の裏参道、白茶けた鳥居が立つここは東筑摩郡坂井村。安宮神社と言う石柱が立っています。参道のしばらくは荒れた赤土、しかし、百年の遺跡を保存しようと言う坂井村の熱意が、所々に立つ標識などに見えます。程なく、岩盤を拓いて造った岩道なる所へ出ます。左は逆落としの急坂、その底には、桧・杉などが地味よく茂っていました。坂道約二十分で安宮神社、ショナラさんに到着します。狭い山宮の境内はついり晴れのカンカン照りながら、日陰の涼しさは殊のほかでした。
 縁起については今はくどく言う必要も無いでしょう。ここを開いたのが修那羅大天武という修験者で、今年が彼の没後百一年、信者の殆どが純朴な庶民、ささげられた石仏石像が八百体というところ。
まだ遠慮がちな蝉の声、あたりに木魂するカカカカ…という啄木鳥の嘴のおと、遠郭公、鶯、山鳥、ホトトギス、小鳥の囀り……すべてが街の喧騒に馴れた耳には印象的でした。
……説明がむつかしいのです。私の筆力では。稚拙で鈍重な、それでいて実に親しみ深い不思議な魅力に満ちた石像たち。覚悟はしていたのですが、引き込まれるような気持ちであちこち行ったり来たり。
私は唯一神を信奉するクリスチャンですが、奇妙な事に何の抵抗も無く、もろもろの神ほとけを心に受け止め、受け入れていました。矢張り日本人なのですね、独り可笑しく、独り楽しく、独り嬉しく、いつか笑顔でおりました。そして、数々の仏様はともかく、神様の具体的であるのには、驚きと共に認識を新たにしたことでした。
 足の神、咳の神、骨の神、餅つき神、ささやき神、針通し神、疱瘡神、腰の神、安産神、眼の神、癪の神、犬神、労働の神、瘤取り神等々……
商売柄、隣近所、近在の小父さんおばさん方の体の案配を見聞きする気でのぞきこんだりさすったりして居ると、突然、蝉や鳥やの声が途絶え、像のざらついた石面に怨念の相が現れるのが見えたのです。驚いて他の像を見ると、確かに現れて消えるものがありました。流汗の背中が寒く感じたのですが、実はこれは一瞬の事に過ぎず、真昼の夢であったのかも知れません。しかし、その後の像を見る私の眼は、いつか怨念の相を探し求めるものになっていました。
 鳥が歌い花が笑う。人は、美しく平和だなと感じ、言い、詠います。しかし、そんな人間の意向とは何のかかわりもなく、美しく見える自然の中で歌い笑っているかのような彼らの日常は、それこそ苛酷な生の闘いの連続であり、怨念の時を積み重ねているのです。
 修那羅参りを果たした者は言います。日本の心に触れた……素朴がいい……心が洗われる……。みな、機械文明の中に生息する現代人の、望郷的な感覚からの物言いです。私には、そんな生易しいものでは済まなかった。
 物言わぬ石達の、その心を悟り、言葉を聞くなど、生半可なことでは出来ないでしょう。でも、聞く耳あれば何かが聞こえる筈。修那羅の石碑・石像は、すべて人が造ったものだからです。それこそ素朴な、行者様への感謝の呟きと、どうにもならない悲惨な運命への怨嗟の声、そして安身立命を乞い願う悲痛な叫び。私はそれがきこえるような気がして、いっときは必死だったのです。
結局はきこえたようなきこえないような。
 飽くことも、底を計り知る事も出来ない人間の願いは果てしなく広がって欲望と言う形に発展し、叡智はそれを夢から現実に変えてゆきます。つまり、人間の涙の願いは、ある意味では文明の礎とも言えましょう。現代の繁栄の原点を、ここ修那羅の石像群に見る事が出来るのでした。それにしても、繁栄を支えるものは、結局は庶民の涙の願いしかないのだろうか、などと茂りの中でうそ寒く、阿呆のように考えこんでいたのです。
山中の夕暮れは早いものです。まったく後ろ髪を引かれる思いで、再度来ることを誰にとも無く口にして山道を帰路に就きました。
 句を作ってやるぞ、いい句を。そんな気負いはいつか跡形もなくなっていました。イメージが強烈に過ぎて、とても私の力ではどうにもならなかったのです。
そして月余、ようやく重い気をとりなおして作句にかかったのですが、思う事の万分の一も、心に響いたことの片鱗をすらも表現する事が出来ませんでした。無念の一語に尽きますが、習作をお目に掛けたく、敢えて羅列致しました。ご批判の程を。

昭和四十七年盛夏
伊 藤  文 緒


 

鳴神を襲い修那羅の日矢細し
梅雨茸の犯すにまかせ修那羅仏
梅雨菌咲くや鬼神の眼のほむら
梅雨茸や直にはたたぬ石仏
夏の日に睦み修那羅の蝿大き
神域に夏至 中年の石恋いや
美女出でて修験の山の夏桜
雲も夏一塊を神の岩となす
邂逅の夏をひしめく神仏
小さき旅愁修那羅青嶺にまみれいて
百仏が在し青嶺を人あるく
老い一家青嶺を壁に神を売る
天狗縁起言わずしんみり売る暑さ
郭公や石仏の掌に載る木霊
護符売らる天狗に狎れた汗の手で
天狗飛び裸足に馴染む宮の児は
岩屋仏に夏草と言う細き伸ぶ
梅雨晴れの夕焼けやさし岩屋仏
松蝉や乾ききったる魑魅の末
石猿に首なき怪異蝉奔る
蝉時雨修那羅に造る石の窪
蝉墜つる物の怪発たす注連の中
病葉や傾いて佇つ足の神
茂りの露を浴び足神の蒼くなる
足神の歩き無精や苔の花
青苔に坐しもっとも父に似し仏
実桜や天狗に在せば岩の家
黴くさき天狗道なり雉子走る
ニス臭い家裏 天狗臭い牛頭
御手に鎌持つ神に見られいて夏至
地を抜いて夏を働く神の像
昼の蛾の瘤取り神の瘤に憑く
金神は石神夜々の不如帰
啄木鳥や注連廻らする石の家
石祠らに反えすいくたび閑古鳥
黒南風や石祠に錆びる秘むるもの
啄木鳥の頌 母なる神の乳しだり
扇動の大蛾がこぼす石の神
神隠しの神に夏日の敢えもなき
鬼神の掌に触れ松蝉を鳴かす
岩篭る疱瘡神に夏の影
啄木鳥の意地針通す神の樹に
蝸牛這わせ鬼神の朴訥に
汗の香やとっつあん顔に修那羅仏
蟻地獄ささやく神を斜に仰ぎ
神妙にコガラ餅搗く神の前
骨神へ鶯老いを鳴きこぼす
目の神の青水無月に盲い佇つ
癪神の座を借りて飲むコカコーラ
結縁の神に故旧の鳩降りる
サッシの照りしらじらと苔着る仏
迎合の朴葉 うなずく異相仏
朴の葉へささやき渡る神の風
神といて二人静に悼まるる
山鳥を鳴き移し神のそこかしこ
山鳥や淋しさを耐う神ばかり
夏木立うまし神神多き国
茂山の夜露をかこち咳の神
子に従いて父子像と化す茂り中
茂山の重きにくだつ石の塔
稚児像の破衣へ朝草刈りの辞儀
ヤマガラの日々 石像の手古奈振り
啄木鳥や修那羅を出でて急ぐ雲
汗の香や天狗の道に水匂う
遠い妻へ灼け岩道の蟻となり
神眠る昼わがものに山の蟻
朴の花修験の山にさびる塔
不如帰百獣像の歩の緩き
結縁の色糸を恋う宮雀
信心の蟻つぶさずに結飯食う
はたた雲修那羅をいまし神発たむ
神達の餉の匂いもて桜の実
形代や風をわぶればさがる蜘蛛
山毛欅若葉ぶな色に染む樹胎仏
樹胎仏かぜのえくぼをゆく小蟻
狐憑くべしや 少女に病葉す
梅雨最中狐をだます日がうごく
呼び通すコガラ石狐の貌尖る
失血の蜘蛛に日暮れる稲荷神
落日や青嶺を漕ぎ渡る天狗

以上、昭和47年坩堝掲載


石仏たち...

01.jpg
餅つき神と福禄寿

02.jpg
素朴な子抱神と獣像

03.jpg 不動明王 05.jpg修那羅の代表的石像、姉妹像(像高30cmほど)。
晩秋、枯葉の中。
06.jpg同左。
夏の小暗い木陰を背に。
04.jpg 親子像? 07.jpg 針通神 08.jpg縦に割れた端正な石造。
その後この像は土に返った。
09.jpg首無き猿像 10.jpg朝光大神。安産の神像
11.jpg千手観音像

12.jpg
不気味な首像

13.jpg
極小15cm位の石像。
いくつかは盗難にあって行方不明。

14.jpg
母子像と私

15.jpg
中央、父子像

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