私の不思議な経験

私は以前、大宮の花屋さんでボランティアをしていたことがございます。別に大した事をしてきたわけではございません。 「水切り」という単純作業でした。沖縄で摘み取られた菊が大量に飛行機で運ばれてきます。これは仮死状態であり、その菊の茎を水槽の中で電気ノコギリで切断する作業でした。すると右側の方から声が聞こえてきたのです。右の方というのは仮死状態の菊でした。「私のほうが先よ」、「いや私のほうが先よ」と幼い少女の声が聞こえました。しかも大合唱でした。私は怖くなって、必死に「水切り」を進めました。20分ぐらいですべて終わったと思います。すると花からの声は聞こえなくなりました。私は多分そのとき疲れていたのでしょう。

古い文献を読んでおりますと、西洋においても東洋においても、植物の声を聞く学者は多いです。詩人であったり、小説家であったり、昆虫学者だったりします。特に動物や植物と親密なインドで寓話が残されております。もちろんこれらを寓話としてとらえることはできます。だが本当にそれだけでよいのでしょうか。

 

草月流の植物との係りについて

私が草月流で生け花を始めたとき、基本型をただ一生懸命勉強しておりました。つまり花を美しく生けるためのテクニックです。しかし師匠である州村衛香氏が手直しをすると作品自体が変わってきます。生きてくるのです。師匠はその時、植物と対話をしていたのではなでしょうか。美しい生け花とは95%のテクニックと5%の対話が必要になると思います。草月流のテーマの1つに「植物との対話」があげられます。しかし、そこまで到達できる人物はわずかしかいないと思います。

  

私の植物との係わりについて

植物と対話したい時、私にとっての一番の敵は邪念です。その邪念を打ち払うため、花をいける前にクラッシク音楽を聞くするようにしております。それは人間ですから、邪念はつきまといますよ。でも、そんなものは邪魔なことであり、得な事は何もないと思います。素直な心を用意しなければ植物の微かな声は聞き取れないと思います。