ビッグムーン大槻について

 筋肉少女帯の大槻ケンヂがビッグムーン大槻
だったというのを知ったのは、B H を退職して
からだろう。私にとって彼は中野区14歳の中
学生だった。それほど多くのハガキを送ってい
たのだ。印象に残る、稚拙な字で。ハジラにも
ずいぶんなっていたのではなかったかな?
 でも熱心のかいあって、ジャパベンでは外務
大臣になった。なぜに、外務大臣かというと、
ペンネームがカタカナで外人っぽかったから、
と、聞いている。当時の就任挨拶がかわいい。
「外務大臣とは『外国についての事務』につい
ての大臣なのです。僕はコラムを持たず、ジャ
パベンの 外国、つまりBH内のジャパベン以外
のコラムにどんどん進出することを誓います」
だって。でも、没作品が多く思った程の進出も
できず、またコラムがないため人気も上がらず、
遂に 本人からひがみの訴えがあり、次の月から
とってつけたような”ビッグムーン大槻を励ま
すポエムコーナー”ができた。
 その後、BHが出した「音版ビックリハウス」
にも少年E役で声(といっても、ヒエーッ、と
かワ−ッとか)の登場をしていたらしい。 持っ
ている人がいたら、聞いてみるといい。
 編集部に来た事があるらしいが、休みの日だ
ったようで私は会っていない。 ←の写真も、自
分で加筆して素顔をわからなくしている。すご
くしゃいな、あるいはあぶない中学生だったと
本人もその後語っている。
 一目会っておきたかったなあ。大槻ケンヂ。

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