ヘンタイよいことは、

1980年9月号のビックリハウス誌上で始められた 、
糸井重里責任編集の「ヘンタイよいこ新聞」における読者の呼称。
ヘンよいには十のお約束がありました。


1、セイジョーよいこは、ゆっくりと、じょじょにヘンタイよいこを、めざします。

2、ヘンタイわるいこは、なるべくすみやかに、ヘンタイよいこをめざします。

3、セイジョーわるいこは、ヘンタイよいこの生活をおびやかしてはいけません。

4、ヘンタイよいおじさん(おばさん)は、ヘンタイよいこの大切なおともだちです。

5、ヘンタイよいこは、ヘンタイよいこ新聞を、しっかり読みます。

6、ヘンタイよいこは、ヘンタイよいこ新聞に、お手紙を出します。

7、ヘンタイよいこは、明日への希望を忘れません。

8、ヘンタイよいこは、変態にならないように、じゅうぶん注意をします。

9、ヘンタイよいこは、変態のおともだちを大切に守ってやるのです。

10、ヘンタイよいこは、カラダをいつも清くしています。

 

ヘンよいの編集長は糸井重里さん

 キモチワルイものとは?オイシイものとは?スケベなもの
とは?キタナイものとは?ビンボーとは? などの10本のテ
ーマがあり、ヘンよいの読者に投稿してもらい、掲載作品は
糸井さんが選んでいました。 (時々は、弟子の石井君)
 この新聞のレイアウトは編集部がやっていやっていたのだ
けど、本文7ポ活字の組版で、かつ総ルビ付き!通常のレイ
アウトの倍近く時間がかかったという。(私はたまにしか手
伝わなかったが、ゲロはく園児の絵とかは好んで描いてた)
時たまフラッと糸井さんが編集部に来ると、私は妙に緊張し
てました。一流人に弱いのよねえ。

 

 

ヘンよい集会のこと

 この年は糸井さんやライダーズの鈴木慶一さんを中心に
企画がまわっていて、BHが華やかだった時期です。1982
年5月5日に、 品川プリンスのゴールドホールつうとこ
ろで行われた「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」。
.私はこちらの企画の担当ではなかったので、通常の仕事を
していたはずだ、ひがみながら。担当だったスタッフは、
お揃いのTシャツ着て忙しそうに且つ業界っぽく動いてい
たっけ。清志郎、チャボ、矢野顕子、坂本龍一(敬称略)
の豪華なヘンよいバンド。当時は別にいいやなんて、つっ
ぱってたけど、やっぱ仕事サボってでも行けばよかった!
この他にも、井上陽水、高橋幸宏、篠原勝之、立花ハジメ
南伸坊、合田佐和子、栗本慎一郎、仲畑貴志、ムーンライ
ダーズ、コント赤信号、浅葉克己、東京乾電池、三遊亭円
丈(敬称略)等が出演。司会は和田又八さん。あー、やっ
ぱ行きたかったな。

 

 

手作りチラシ

81年8月12日池袋西武スタジ
オで初めて開かれたヘンよい集
会のチラシ。ハウサーで作られ
た委員会の人が作ったもの。も
う1種類は山内賢と和泉雅子の
コラージュ。(所蔵=岸幸一)

全然知らなかった。ヘンよいは
こんなお厚いボランティアに支
えられていたのね。

ザラ紙の手作りチラシ

号外本塁打版 8点12 強力 ヘンタイよいこ
白昼堂々秘密の野 音を目指す大集会
と書いてある。(所蔵=岸幸一)

読みにくい〜。でも これも熱狂ハウサー が鉄筆でガリ版きってくれたんだろうな。 すごい切り方だ。

手作り新聞

これはヘンよい委員会の本家、糸井事務所が作ったB 4 版の藁半紙新聞。
(所蔵=岸幸一)

池袋の集会に決まる前は、7/26 に代々木公 園で行われるはずだったらしい。そのルポや、 糸井さんの冒頭インタヴュー、弟子の石井基博のインタヴューなど 、 全部手書きで4面 ある。
初め、ファンが作った ものと思ったが、聞いたところによると、糸 井さんが考えて、石井君が手書きしたみたいです。貴重な新聞で、 行った人しかもらって いない代物だ。


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